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ハルジオン~口だけ野郎一代記~ 作者:曖昧

嘘を重ね続けた末路を知る第二部

120/204

政治が悪い! 宗教が悪い! 世界が悪い! 天気も悪い!

「信長、何故すぐに追わなかった?」

 命には従ったがその意図が分からない。
 いや、冷静ならばルドルフにも分かるのだが、生憎と今は冷静ではいられない。
 何せ自分達のミスで紫苑が攫われたことをメンヘラーズ知られると……。

「追えばすぐさまお前とルークは豊臣の虜囚となったぞ」

 速度からして城に辿り着く前に追いつけはしない。
 となると必然的に城内での対峙となる。
 そうなれば紫苑を人質にしてルドルフとルークは無抵抗のままに嬲り殺されるだろう。
 そして彼らの戦力として最誕すること間違いなしだ。

「む……ならばこれからどうする?」
「そうさなぁ……まあ、とりあえず御大将の身は安全であろうよ」

 何せ紫苑は餌なのだから。問題は彼の仲間達だ。
 今はまだ捕らえて待ちの姿勢を取ることは間違いない。
 豊臣方にとってルドルフやルークは紫苑が攫われたことを他の仲間達に伝えるメッセンジャー役だ。
 しばしの猶予は稼げるだろう。
 だが、

「時が経てば向こうから宣言するだろう。帰って欲しければ大阪城に全員で来いとな」

 そうなっては詰みだ。想いが強過ぎる女達がしでかすことなど容易く予想出来る。

「しかし、運が良い。今はまだ全員で来いなどとは言われておらん」

 だからこそまずは捨石に紫苑が指定した人物を大阪城に送り込める。
 一人だけでは不満だろうが、それでも人数を指定して来なかった向こうが悪い。
 全員呼べと言われたとしても、またその分だけ時を稼げる。

「ううむ……」

 理屈は理解した。しかし、時は稼げても紫苑奪還の具体案が無い。
 ルドルフにとってはそこが気がかりだった。
 信長も目の前で唸るルドルフが納得し切れていないことは分かっている。
 だがそれよりも先に聞いておかねばならないことがあるのだ。

「御大将が指定した"きらら"とは?」

 紫苑が無駄なことをするとは思えない。
 即座に打った手の中身を知らないことには動きようがないのだ。

「むぅ……自分も詳しくはないが、紫苑の義母――のようなものだ」
「ふむ、御大将の父上の後妻か何かか?」
「ああいや、紫苑に父母は居らん。既に死んでいるからな。雲母さん、彼女は……」

 事情を知っているルドルフは一瞬話すことを躊躇った。
 しかし、信長の目が話さねばどうにもならぬと雄弁に告げているのだ。
 となればもう話すしかない。
 紫苑と違って善人のルドルフは苦い顔をしながら雲母の来歴を語る。

「な、る、ほ、ど、な」

 ニヤァ……という擬音が出て来そうな厭らしい笑みが浮かぶ。
 この段で信長と秀吉は紫苑が何をしようとしているかを理解した。
 もっとも、前者はともかく後者にとってはかなり複雑なことだが。

「殿、儂ぁ彼のことを善良な男と思っとりましたが……」
「いや何、善良だぞ。根は仁の男だ」

 いや、ジンというよりジンではなかろうか?

「が、それだけではない。同時に苛烈な性も持っておるぞ。
俺はそれを安土で見た。なあルドルフよ、あの決死行は中々に愉しめたぞ?」

 善良で、他者のためにも身を削れる男。
 しかし、だからといって非情の策を打てないわけではない。
 必要とあらば躊躇いなく打てる。
 割り切ってしまえば楽になれるのに葛藤を引き摺る辺りが信長の好みだった。
 もがいて足掻いて、それでも信じた道を歩き続けるその姿にこそ信長は賭けたのだ。

「……まあ、提案した本人は終わってから死ぬほど憔悴してたがな」
「それでも、だ。終わるまでは決して弱みを見せないならばヘマを打つことはない」
「? 自分はイマイチ分からないのだが、紫苑は生還の手を打ったのか?」
「俺の予想が正しければ……な。とりあえずお前達は件の雲母とやらだけを呼ぶが良い」

 どちらにせよ展開を動かすのならばまずはそこからだ。
 雲母という武器を送ってやらねば紫苑は戦えない。
 信長の指示を受けたルドルフが即座にカマキリに連絡を取ってことの次第を伝える。

「ああ、そういうわけで雲母さんだけを呼んで欲しい。
他の面子にはまだ黙っていて欲しいのだ。うむ、何やら信長や紫苑には考えがあるらしい。では頼む……ん?」

 雲母を来させることを告げて電話を切ろうとしたルドルフだったが、
その後から告げられた情報に顔を曇らせる。

「……分かった。頭に入れておこう。ではな」
「どうした?」
「ああ……関東でな、家康公が人を殺し始めたらしい」

 午前中までは雨の日に太陽が昇っているだけだった。
 しかし、ここに来て遂に行動を始めたのだ。
 三つ葉葵を掲げた武者共が遂に大暴れを始めてしまった。
 天魔らもまだ京都から戻っていないし、自分達も大阪から動けない。
 そんな現状では関東に居る冒険者らに対処を任せるしかないだろう。

「竹千代が、か。ふぅむ……あれがそのようなタマとは思えんがな。猿のように実権を奪われたか?」

 何せ徳川幕府の征夷大将軍といえば十五代まで居るのだ。
 子孫辺りに実権を奪われていても不思議ではないと信長は考えるが、

「いや、それはないでしょうな」

 秀吉がバッサリとそれを否定する。
 腹心の間髪入れぬ否定に信長の眉が吊り上がるが秀吉には自信があった。
 何せ信長は己が死んだ後の家康を知らなくて、自分は知っているから。
 そして、信長の死に抱いた感情は恐らく自分と同じ。
 だからこそ、自信を持って否と口に出来る。

「自信がありそうだな。猿、発言を許可しよう」

 ビルの瓦礫に腰を下ろした信長が尊大な態度で許可を出す。
 しかし秀吉はそれに気分を害した様子もなく、むしろ若き日を思い出して何処か楽しくもあった。

「信長様は御自身の影響というものを分かっておられない」
「信長の影響?」
「うむ。るどるふよ、今を生きるおみゃあさんらには分からんかもしれんが儂らにとって信長様は絶対よ」

 それこそ神仏にも等しい存在だった。
 出来ないことなんてまるでなくて、あらゆる意味で魁となる男。
 織田信長が旧秩序を一掃して新時代を拓くことに誰も疑いを持っていなかった。

「若き日より信長様は偉大であった。あの時代、誰が予想した?
尤も天下に近き今川義元を寡兵で打ち破り、確固たる存在感を示すことになるなぞ。
不可侵で調子ぶっこいてた坊主共や時の将軍ですらも信長様を止められず。
彼の信玄公ですら勝てなかった。おお、正に無敵!
どれだけ窮地に陥ろうとも信長様は死なずに進み続けた! 金ヶ崎の退き口こそ正にそれよ!」

 勿論、家臣達が全力で生かそうとしたという理由もある。
 秀吉自身もそうするためにわざわざ殿を買って出たのだから。
 しかし、彼はあの退き口が成功したのは信長のおかげだと思っている。

「無論、儂らも頑張った。じゃがのう、結局のところその儂らが頑張れたのも信長様ならばと思っておればこそ」

 ベタ褒めで、そこには世辞など一切混じっていない。
 しかし信長は自分が賞賛されているというのに特に嬉しそうな様子はない。
 元々彼は他者の評価を良しでも悪しでも気にすることはないのだ。紫苑とは大違いである。

「森殿も、儂も、柴田殿も滝川殿もそして家康殿も皆、みーんな殿を絶対だと思っておった」

 幼少の頃から付き合いがあり、桶狭間で奇跡を目撃した家康。
 彼にとっても織田信長という男は絶対だった。
 決して消せぬ綺羅星、絶対なる覇王。だからこそ、

「――――本能寺で信長様が死んだ時、誰もが絶対の指針を失ってしもうた」

 それは秀吉ですら例外ではない。
 大返しで光秀を討ったが、それだって冷静な判断ではなかった。
 クロカン辺りは好機だと思っていたが秀吉は違った。
 毛利など放って近畿に戻り、誤報であることを証明したかったのだ。
 信頼出来る報告を聞いても尚、秀吉は信長の生存を信じていた。

「後世から見ればグダグダの御家争い……まあ、その中心におった儂が言うのもアレじゃがな。
アレだって誰もが愚かになったのは皆が皆、標を失ってしまったからよ」
「――――話が長い」

 信長の短筒が火を噴き弾丸が秀吉の頬を掠める。

「も、申し訳ありませぬ……ご、ごほん! 家康殿も同じでな。
あれだけ強く、絶対であった信長様ですら殺される……死への恐怖、それが止まらなくなったのですわ。
結果、あの男は天下を狙うと同じように――あるいはそれ以上に生きたいと願った。
ただただ、生きたいと願い医学なんぞにも詳しくなった……というのは余談ですな」

 とはいえ所詮人間、寿命というものは当然やって来る。
 それから逃れるための策――――それこそが自身の神格化だった。

「信長様を殺したものと同じになれば安心出来ると考えた。今回のもその一環でしょう」

 幻想内での立場を強めて安全な場所を強固にするために人を殺している。
 そうしていれば、

「目下最大の敵である春風紫苑が釣れる……か。竹千代め、随分と情けなくなりおって」

 家康は春風紫苑の首を獲れば幻想内での立場は万全になる――と信じているのだ。
 だからこそ行動始めたのだろうが、ぶっちゃけタイミングが悪過ぎる。
 豊臣方に拉致られてなければ別だっただろうが、現在紫苑は囚われの身。
 どうやったって関東には行けるはずがない。

「儂には家康殿の気持ちが痛いほどに分かります」

 秀吉もまた、標を失ったことで徐々におかしくなってしまった。
 それこそが紫苑がディスりまくっていた晩年に繋がるのだ。

「だから卿は我が子を殺されても奥方のように復讐に心を染め尽くされなかったと?」
「まあ、それもあるが……一番はあの子が死ぬ様を見ておらんからかのう」

 軽んじられ、真綿で首を絞められるような焦燥を味わい悲劇の最期を迎えた茶々と秀頼。
 秀吉は彼らと違ってそんな苦しみを味わうこともなく逝けた。
 だからこそこうやって一歩引いた目線で物事を見られるのだ。

「というかなるどるふや。おみゃあさんらは他人ごとのように聞いとるが、他人ごとじゃありゃせんぞ」

 秀吉にとっての絶対が信長ならばルドルフ達にとっての絶対は紫苑だ。

「あの子もまた、信長様に負けず劣らずどうしようもなく人を惹きつける。
その輝きは信長様に忠を捧げとる儂にすら美しく思う。正しく、美しく、だからこそ怖い。
多くの者を惹きつけ、多くの者の心の拠り所となっている。
それが崩れればどうなる? 標を無くして迷う人間は何処へ往けば良い?」

 安土桃山時代に決して消えてはならない光があったとすればそれは織田信長。
 そして今の時代に決して消えてはならない光があるならばそれは春風紫苑。
 もしこの場に奴が居れば調子に乗りまくっていただろう。
 決して折れない天狗の鼻は伸び続けてそのうち軌道衛星にだって届くかもしれない。

「……ああ、分かっているさ」

 ルドルフ個人も、元旦のあの日、戦いの決意を固められたのは紫苑のおかげだった。
 一人の人間として尊敬しているし、莫逆の友だと思っている。
 そんな大切な友を失えば今の自分で居られないことは明白だ。
 そして、紫苑に心よりの愛を注ぐ女達は……。
 ルドルフは噛み締めるように何度も頷く。

「ククク……それよりルドルフよ、これが雲母とかいう女か?」

 ビルの合間を飛翔するようにして一同の前に雲母が降り立つ。
 妖しい色気を放つ彼女を見て秀吉が若干色めき立つが速攻で信長にボコられる。信長有能。

「ああ……すまない雲母さん、私達が着いていながら……」
「……今はそういうことを言っている場合じゃないわ。紫苑ちゃん大阪城に居るのね?」
「まあ待たれよ。紫苑の奴を救いに往くのはお前の役目だが、まず話を聞いてもらおう。お前の子の考えでもある」

 頬杖を突いたまま雲母に語りかける信長。
 彼女は一瞬、すぅ……と目を細めるが第六天魔王は微塵も揺るがない。

「何かしら?」
「お前の子、紫苑はお前一人だけを来させるつもりだ。
俺か猿が読んで伝えるのを織り込んでいたはずだからな」

 陣形や兵の動かし方、紫苑はそういったものは得手ではない。
 というよりそんな知識が無いからだ。
 しかし、心の動きを利用した策というのならば大得意だ。
 そしてこれから語る策はその心を利用したもの。

「しかと聞けよ逆鬼雲母」

 淡々と、それでいて何処か楽しそうに策を口にする信長。
 秀吉やルドルフは苦い顔をしているが、しかしこの場においては効果的。
 戦い以外の糸口を掴むためにはこれしかないだろう。
 えげつない――ルドルフは久しぶりに紫苑の刃のような部分を感じ取っていた。
 アイリーン戦の仕込みのために夜襲を仕掛けた頃を思い出す。

「あ奴は心情的にはともかく、効果的だと思ったからこそ俺達に策を託した。
どうだ? 愛する子に利用される気分は。心の何処かで申し訳ないと思ってくれているだろうから平気か?」

 茶化すような物言いだが雲母はそんなものには乗らない。
 というよりも、利用してくれて嬉しいぐらいなのだ。

「甘えてくれる――――母親としてこれほど嬉しいことがあるかしら?」
「成るほど、それは失礼。あ奴が見込んだとはいえ、少々不安だったので試させてもらった」
「そう。私は合格?」
「ああ。その一途さが何よりもの強みよ。では紫苑は任せたぞ。俺や猿はやることがあるのでな」

 紫苑を救出――した後を信長は見据えている。

「言われるまでもないわ」

 ふつふつと紫苑を攫った者達への怒りを滾らせながら大阪城に向かう雲母。
 紫苑や他の誰かが難しいことを考えてくれる今、彼女は純粋に一つだけを想うことが出来る。
 だからこそ、他人の想いを踏み付けてでも紫苑を助けられるのだ。
 さて、そんなある意味でシンデレラロードを爆走中の紫苑だが……。

『閉じ込められたな、ものの見事に』

 大阪城内にある薄暗い牢獄に閉じ込められていた。
 手足の自由は利くし牢内ならば自由に動けるが、これは別に特別待遇などではない。
 単純に紫苑が雑魚いから足枷や手枷は必要ないと判断されたからだ。
 まあそれ自体は間違いではないのだが、猿轡を噛ませておくべきだった。
 幸村やクロカンにミスがあるとしたらそこに尽きる。

「(ホントだよ! 俺が何をした!? 違う、何もしてねえ!
ただエテ閤の醜態を眺めてニヤニヤしていたかっただけだ!
なのに何故俺ばかりがこんな目に遭う!? 神様が居るならばそいつはとんだ下衆野郎だ!)」

 ジャンヌを召喚しようともしたが、敵の腹の中であるためかまったく出来ない。
 当面命の危機はないだろうが、最後にはどうなるか分からない。
 そんな現状が紫苑を苛立たせる。

『いや、居るよ神様』

 そして目下敵対中である。

「(俺なんて何時も品行方正でさ? 何時だって頑張ってるアルティメット善人じゃん?
そんな俺ばかりが割りを喰らって他に悪いことしてる奴らいっぱい居るのにそいつらには何で何もないの?
間違ってる間違ってるよ! 政治が悪い! 宗教が悪い! 世界が悪い! 天気も悪い!)」

 牢に閉じ込められただけで政治宗教、挙句の果てには世界まで批判し始めたこの男。
 例え僅かであろうとも己の非を認めようとしない開き直りは醜悪に過ぎる。

「(ま、だが良いさ。牢番がコイツならばな)」

 文句を吐き出して一先ず落ち着いた紫苑はこれからのことに思考を巡らせる。

「ん? 何何? 拙者のこと見つめちゃってどうした? あれか、日ノ本一の兵に惚れちゃった?
でもごめんなー。拙者クロカンと違って衆道には興味ない系だからして」

 牢屋の前に椅子を置いてそこに腰掛けているのは誰あろう幸村だ。
 ラフな格好に着替えており、パッと見は気の良さそうなあんちゃんにしか見えない。
 しかしそこそこの地位に在るであろうこの男が何故牢番をやっているのか。

『躁病の奴の考えることは分からんよなぁ』
「(いいや、そうでもないさ。チラりと躁に欝を混入させられる穴も見つけたしな)」
『あん?』
「(コイツがここでこうやって俺と顔を合わせてるのは偶然じゃねえ)」

 紫苑としては自分の下に来るのならばまず幸村だと思っていた。
 信長らとの戦いの中で気付いた違和、
確たる自信はなかったが幸村がここに来たことでそれもかなりの確率で有り得るようになった。
 となれば後はそこを突付いて膿を吐き出させるだけ。

『というと……何かやるのか?』
「(ああ……多分、信長かエテ閤辺りが俺の意図を読んでくれてるはずだからな)」

 その間に仕込みを済ませておかねばならない。

「(さあ、心を穴だらけにしてその隙間を埋めてやろうじゃないか)」

 どっかの笑ってるセールスマンより性質が悪い。

「……あんたのことは幸村と呼べば良いのか?」
「ん? もちもち。信繁って何か芋臭いじゃん? それに比べて幸村って何かカッコ良いじゃん?
後世の人間が何処から引っ張って来たか知らないけど結構良いセンスじゃん?」

 ラッパームーブをしつつ幸村は紫苑の問いに肯定を返す。
 本人的に真田幸村という名前はかなり気に入っているらしい。

「そうか。ならば幸村と呼ばせてもらう。
どうせここを出せというのは無理だろうから、少しばかり話に付き合ってくれるか?
……あまり愛想が良くないから初対面の人間にはお喋りとは思われないが、これでも寂しがりやでな」

 いけしゃあしゃあと。
 しかし、幸村も雑談自体は嫌いではない――というより大好きだ。
 その言動を見ていてもそれは確かだろう。
 幸村はニコリと螺子の外れた笑顔を浮かべて紫苑の提案を快諾した――破滅の第一歩である。

「なあ幸村――――俺はここで殺しておいた方が良いぞ」

 軽い口調で、しかし重さを含ませた物言い。

「それはあれかい? 貴殿がどう使われるか分かっているからここで介錯して欲しいってこと?
でも残念! 拙者ってほら、サラリー武士だからして上からの命令には逆らえないの!」
「いいや違う。お前が殺したくなる前に俺を殺さなくて良いのかということだ」
「……拙者が?」

 怪訝な顔をする幸村、この時点でペースを掴まれてしまっている。
 ここから巻き返すのならばこの時点で紫苑を殺すしかないだろう。

「お前は必ず後悔するぞ。殺しておけ」
「殺せと言われて殺す馬鹿が居るかよ! この道を往けばどうなるか、往けば分かるさ! 迷わず往けよ!」
「つまり殺さんと?」
「武士の名に賭けて殺さん」

 紫苑の思い通りになんて動いてやらねえ! 糞して寝ろ! とばかりの表情で幸村は言う。
 これで仕込みは上々だ。ようやく調理に入れる。

「……なら、良いさ。うん、普通のお喋りに興じよう。
先の戦い、日ノ本一の兵という呼称に恥じぬ戦振りだったな」
「おや、急に煽て始めた? でも無駄よ。
だって拙者にとってその賞賛は当然のことだから嬉しくなんかないんだからね!」

 牢獄があるのは地下で薄暗い、だというのに幸村は底抜けに明るい。
 その明るさを闇の中に引き摺り込む悪魔こそが春風紫苑である。

「俺も純粋な感想でしかない。信長の強さは幾度か戦場を共にして知っていた。
俺の仲間にも負けぬほど個としての武勇もあり、大軍を率いる王として能力も凄まじい。
あの男は目が良い。企みを見抜くこと、見抜いた上で更にその裏を掻くことに秀でている。
勿論、秀吉公もな。その二人の裏を掻き策を策として悟らせないまま目的を果たした」

 幸村の能力は賞賛されて然るべきものだ。
 紫苑も演技やらタイミングはバッチリ掴めるだろうが身体がついていかない――こう書くと老人みたいだ。
 しかし幸村は本人が自称しているように武にも智にも秀でている。
 だからこそクロカンが立てた策を形に出来たのだ。
 幸村でなくばクロカンの策も絵に描いた餅でしかなかっただろう。

「俺は読書家でな。軍記ものやらもよく読んでいた。
大抵の場合において真田幸村という男は凄まじい英傑として描かれている」

 そして幸村が題材とされている創作に触れる度に、
「ケッ、こんなパーフェクトな野郎居るわけねえだろ。盛り過ぎだバーカ」とディスっている。

「だろ? だろ? だよねー! まあ何というか拙者って神の子ゆーくんって呼ばれても不思議じゃないからして」

 だったらもう仙台にでも行ってピッチャーになって来い。

「性格は様々だが、それでも大概共通していることは武勇に秀で頭もキレ、
天下人徳川家康が畏れた男ということだ。だからこそ、気になるな」
「何何? 拙者の身長体重胸囲とか? あるいは性的趣向? とりあえずクロカンにケツは見せないよ!」

 狙いをつけて、

「――――幸村を超えるその兄の人物像が」

 その胸の傷を射抜く。

「……あれれー? 何でそこであんちゃんの名前出て来るの?」

 僅かに歪んだ表情は決して見逃さない。
 最初に登場した時からしてそこはかとないコンプレックスを感じていたのだ。
 まず怪しい部分としては登場時の「兄より優れた弟はここに居る」という言葉、
次に怪しいのは秀吉が兄である信之に言及した時も奇声を上げて遮ったこと。
 幸村が兄にコンプレックスを抱いているのではと疑問を持つのには十分な材料である。

「お前と違って後世ではあまり語られていないからな」
「そりゃ拙者は日ノ本一の兵であんちゃんはそうじゃないからね! 能力と人気の差だよ!」

 ケタケタと笑う幸村は早く話題を変えようと別の話を振ろうとするが、

「人気はともかく能力という点ではどうだろうなぁ。
信之は早くから表裏比興の者と謳われたお前の父を支え、多くの戦を駆け抜けて来た。
北条、上杉、徳川、三家との戦いで真田家が護れたのは誰のおかげだ?
現に家康は信之を高く評価していた。じゃなきゃ忠勝の娘を養女にしてまで信之の嫁にはやらんだろう」

 知名度が低く、真田幸村に兄が居たことすら知らないという者も居るかもしれない。
 だが豊臣滅亡後も真田家が残ったのは真田信之のおかげなのだ。

「東西に着いた父と息子。豊臣と徳川、どちらが勝っても家を残せるようにだ。
しかしなぁ……正味な話、徳川有利というのは薄々分かっていたんじゃないか?
だったら三人揃って徳川方に着いて賭けをした方が安全だったと思うんだ」

 弾む声で朗々と語る紫苑。
 それに比例して幸村の表情がどんどん歪になってゆく。
 それでも紫苑は一切の手抜きをするつもりはない。
 自分を攫った馬鹿の傷を抉りまくって溜飲を下げようとしているのだ。

「なあ、お前の親父さんはどうしてそうしなかったんだ?」
「……さあ? そんなんパパ上に聞かなきゃ分からないよ」
「いいや違うね、お前は分かっているはずだ。そこまで頭が悪いようには見えない」

 カス蛇に宣言したように紫苑は幸村の心にどんどん穴を穿っていく。
 そこから零れ出す劣等感という名の膿が徐々にその心を蝕む。

「一体何を……」
「そうかそうか。そんなに言いたくないか。ならば俺が言おう。誰にも分かる言葉でな!」

 立ち上がり、檻の前まで歩み寄り、両手を腰に当て少し前傾姿勢で対面で座っている幸村を見据える。

「お 前 が 邪 魔 だ っ た ん だ よ 幸 村」
「――――」

 効果音があるならばドーン! だろう。セールスマン的に考えて。
 これを聞いている第三者が居れば間違いなく疑問符を浮かべる会話。
 しかし、そう聞こえるということは二人は通じ合っているということ。
 まあ、幸村からすれば死後に――それもまったく関係のない人間に指摘されるなど最悪の展開だろうが。

「お前の気質は正に戦国のそれだ。
海の魚が川で泳げぬようにお前は泰平の世では役立たずどころか厄介者。
仮に徳川に真田家が総てついていたとしても、父昌幸と兄信之はまだ良い。
重臣として家康の信頼を買い、平時でも良く頼られただろう。
だがそこに不安要素であるお前が居たら下手をすれば御家取り潰しだぁ
何て親不孝な息子だろうねえ。いやはや、昌幸も頭が痛かっただろう」

 ゲラゲラと呵呵大笑しながら幸村を罵る紫苑。
 その顔は不敵且つ凶悪で、先ほどまで仏頂面だった男とは大違いだ。

「だからこそ、家を割るなんて苦渋の選択をしなければならなかった。
嗚呼! お前が兄のようならば良かったのに……どうして幸村はぁ……」

 演技過剰とも言えるような振る舞いだが、これで良い。
 本当に心を抉るということをこういうことなのだ。

「親父さんはお前を道連れにして豊臣方で死ぬつもりだったのさ。
ま、上手くはいかずに九度山に幽閉されちまったがな。
無念だったろうなぁ……真田の親父はよ。
真田家の癌である幸村を残したまま死ぬのは。
ああ、そういえば九度山の生活を支えてくれてたのって信之だったか」

 蒼白となり、カタカタと震え出す幸村。

「弟 と 違 っ て 本 当 に 良 く 出 来 た お 兄 さ ん だ こ と」

 殺気が爆ぜ、幸村が近場に置いてあった十文字槍を握り締めたところで紫苑がトドメを刺す。

「前言を翻すか――――千度生まれ変わってもお前にゃ信之は超えられねえよ」

 ここで最初の仕込みが生きて来る。さあ殺せ! と幸村を嘲笑する紫苑。
 牢の中に居る者と牢の外に居る者、常識的に考えてどちらの立場が上かなど考えるまでもない。
 だというのにこの場に置ける上下では間違いなく紫苑が上で幸村が下だった。
 まあ人間性でいうならば圧倒的にユッキーの方が上なのだが。

「(カカカ! 生前ならまだしも、そうなってからだからな。心が良く動くよなぁ?)」

 幻想になった人間というのは感情的だ。
 生前ならば制御出来ていた感情が上手にコントロール出来ない。
 だからこそ、核心を突いた紫苑の言葉は良く響く。
 幸村は震える手で十文字槍を手放す。
 カラン、と乾いた音が地下に響き渡る。

「……随分な善人だと思っていたが、そりゃ拙者の誤りか」

 震える声で吐いた悪態、それが何と滑稽なことか。
 幸村は今すぐ自分の首を絞めてやりたかった。

「(躁病から躁鬱へのジョブチェンジ完了……っと)」

 何て最悪な転職支援者だ。

「俺は一度も自分が善人だなんて思ったことはないよ」

 というか実際善人ではない。
 ここまで性根が腐りきった人間、そうはいないだろう。

「何時だって自分が正しいと思ったことをやっているだけだ。
俺は俺が死ぬことで泣く誰かを知っている。
その人達のために死ぬわけにはいかないしその人達を死なせたくもない」

 本音では自分の周りに居る奴ら全員死ねと思っているが、
今の世界においては有用な駒なので仕方なく使ってやっているというのが紫苑の認識だ。

「そのためならば、俺は他人の心の傷であろうとも平気で踏み躙るぞ」

 被害者多数である。
 ちょっともう被害者の会とか作れそうなレベルで人数が増えている。
 ニューフェイスは此方にいらっしゃる真田幸村さんです。

「……拙者の心を圧し折って、それがどうして貴殿が生きることに繋がるのさ?」

 精神的優位に立ちはした、しかし依然として紫苑は檻の中。
 幸村が皮肉げに現状を指摘すると……。

「――――幸村、俺に着け。兄貴を超える手伝いをしてやろう」
一万ポイント突破……感慨深いです。
評価してくださった方の期待に応えるためにもこれからも頑張りたいと思います!
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