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ハルジオン~口だけ野郎一代記~ 作者:曖昧

嘘を重ね続けた末路を知る第二部

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愛の鎖『紗織』

 三が日も明けて、世間はいよいよ慌しくなっていた。
 世界各国で幻想側に着いた冒険者達による一般人への攻撃がちらほら出始めたのだ。
 紫苑らもそのことについては知らされているものの、直接動いてはいない。
 アレクは約束を守っているのだ。今はまだモラトリアムの中。
 とは言っても今日はマジでやることがなかった。
 ギルドの調査も終わっていないし、リーダーである紫苑が帰国して間もないからだ。
 結果、少年少女らは遅めの正月休みを満喫することに。

「ほへぇ……緑茶って、美味しいんやねえ……紗織ちゃん、凄いわぁ」

 女性陣は談話室で紗織の淹れた茶を飲みながらとりとめもない話をしていた。
 麻衣は子供舌でどちらかというとコーヒー紅茶に緑茶などよりもジュースを好んでいる。
 その彼女でさえ素直に美味しいと思える茶を淹れた紗織。
 伊達に良家の御嬢様だったわけではない……のか?

「品自体が良ければ誰が淹れてもそれなりの味にはなりますよ」
「そうですよ麻衣さん。この馬鹿姉はさして技術もありませんので、本来の味は発揮されていません」

 紗織が謙遜をすれば栞がディスる、この麗しき姉妹愛よ。

「奇妙」
「そうね。同じ顔と同じ声で喋られると何だか変な気分になるわ」
「差異が匂いと服装と顔の傷くらいだしねえ。あのさ、二人とも、何か変化つけたら?」

 正直顔の傷を消してしまえば完全に見分けがつかなくなる。
 というか現状でも後頭部だけを見ていたらどっちがどっちか分からない。
 それほどに似過ぎているのだ。
 なので第三者的には傷だけでなく、もう少し分かり易い外見的特長が欲しかった。

「髪括るとかどうだい? 二人とも伸ばしっぱなしだし」

 手入れはしっかりしているが料理をする時でも無い限り髪型を変えたりはしない。
 基本的に後ろに流したままだ。なので軽くポニーやらにしてみてはどうかと提案するが、

「あなたがやれば良いわ、栞」
「何であなたのために私が髪型を変えねばならないんですか愚姉」

 ケッ、と吐き捨てるように拒否する二人。
 紫苑との約束もあって殺し合いにこそ発展しないが、些細な口論は絶対に止まらない。
 些細な火種ですら見逃さずに火事へと変えてしまうのだ。

「一人っ子?」
「ハッハッハ、僕も観察力が無いわけでもないけど、君の通訳は苦手だよ」

 というよりも単語で喋られた時点で色々とやる気が失せるのだ。
 意図を汲んで正確に発言を組み立てるとか面倒極まりない。

「多分、皆は一人っ子なの? って聞きたいんだと思うわ。シチュエーション的に」
「うちは一人っ子やね。天魔ちゃんもそうやろ?」
「うん。親の愛を独り占めにして悠々と育ったよ」
「同じく私も。兄弟姉妹は存在しないわね」

 ルークは? などと突っ込んではいけない。

「私も」
「となると、姉妹が居るのは栞ちゃんだけ、か」

 紫苑とルドルフにも兄弟や姉妹は居なかったはずだ。
 となると、この姉妹喧嘩というのは中々に珍しい見世物なのかもしれない。
 天魔やアリス、アイリーンなどは興味深そうにデコを擦り付けて睨み合う二人を観察する。

「あと、それなりに身近な知り合いならハゲもそうよねハゲも」
「花形くんかぁ……学校で戦った時に会ったんが最後やけど、大丈夫やろか?」
「先生とかも居たし大丈夫じゃないかな」
「学校での戦いで思い出した」

 ポツリとアイリーンがそう呟く。

「東雲、凄い」
「シノノメ……ああ、あのほっぺが赤いお姉さんね」
「そういやそうだね。あの子も僕らと同じみたいだ」

 純化を果たした者は独特の気配を放ち始める。
 この人の世界で幻想の領域に突っ込むのだから違和感が生じるのだ。
 その違和感が独特の気配となり、外れた者であることを知らせてくれる。
 外れる感覚を知っている三人だからこそ、東雲林檎の変貌にもしっかり気付いていた。

「何に起因して、なのかは考えるまでもないのかな?」
「あのお姉さん、紫苑お兄さんを見る目が怪しかったものね」

 紫苑絡みだと予測を立てているが、それはまったくの見当違いだ。
 天魔、アイリーン、アリス、雲母、この四人は紫苑への感情が絡み付いて純化を果たしている。
 しかし、林檎の場合はそれが皆無だ。
 この件に限ってならば紫苑は完全無罪。
 彼女が純化を果たしたのは憚ることなくキレられる敵を見つけたからだ。
 ちなみに醍醐姉妹だが、
今二人は互いのほっぺたを引き千切らんばかりに抓っている最中なので話には加わっていない。

「そういえば、その紫苑くんやけど……今、何してるん?」

 ルドルフの姿も見えないが、あっちは身体でも動かしているのかもしれない。
 しかし紫苑は朝食を摂ってすぐに姿を消してしまった。

「さっきちょっと見て来たけど、書庫に居たわよ。ルドルフお兄さんも一緒だったわ」
「書庫? ここってそんなんもあるん?」
「ありますよ。ジャンルは偏っていますが、かなりの蔵書量です」

 本の虫――というわけでもないが、紫苑とよく図書室に入り浸っていた紗織が補足を入れる。

「へえ……せやけど、何でそんなとこに……紫苑くんは分かるけど……」

 肉体派のルドルフが静かに読書というのは中々想像出来ない。

「ルドルフお兄さんは講師ね講師。紫苑お兄さん、神話やら伝承やらを調べてるみたいよ」

 本に載っていることそのままというわけではない、
だが読んでおけば敵と戦う上で参考程度にはなるだろう。
 ここの書庫に入っている本も大抵はそっち系だし丁度良いと紫苑は自主学習をしているのだ。
 ルドルフは北欧系に強いのでその部分を担当する講師というわけだ。

「んー……せやけど、紫苑くん結構そういうのに詳しくなかった?」

 オルレアンの道中での話を聞く限り、神話方面への知識も十分に思えた。

「いえ、春風さんは乱読家ですので」

 別に神話方面にだけ焦点を置いているわけではない。
 勿論、そっちも読んだことはあるしそこそこの知識を備えているが十全と言えるほどではないのだ。

「一ジャンルに限って言うなら北欧系ならルドルフお兄さん、
アルスターサイクルなんかだったらアイリーンお姉さんの方が詳しいのよ。
ただ、日本神話系は自分の国のことなのか結構詳しいみたいだけど」

 ちなみに、ではあるがアリスの知識は紫苑とほぼ同程度だ。
 好いた男のことを知りたいと家にあった彼の本を読んでいたので当然である。

「ほう……うちらも勉強した方がええんかな?」
「いや、麻衣さん。それはどうでしょうか?」

 かつてならば問題は無かったかもしれないが、今は少々怪しい。
 本に書かれていることが虚構でない今の世界において、
幻想の足跡に触れるということはそっち側に引っ張られてしまう可能性がある。

「もし、境遇を同じくする……共感を抱いてしまうような神々について知ってしまえば……」
「変に心を掻き乱されるだけかもしれないよねえ」

 特に、限りなく幻想の側に近い才ある冒険者ならば尚更だ。
 特に栞や紗織などは知識の中にある神々に、幾らか引き摺られてしまいそうになったこともある。

「ん? せやったらルドルフくんとかアイリーンちゃんて……」
「確固たる目標がある」

 問題ないとアイリーンが言い切ったのには理由がある。
 彼女にしてもルドルフにしてもクー・フーリンやオーディンに憧れてはいるが傅こうなどとは思わない。
 むしろその逆、戦える可能性がある――憧れを超越出来るかもという想いの方が強いのだ。

「戦うの、楽しみ」

 クー・フーリンを超えて幸せを掴む、それがアイリーンの願いだ。
 であればどう足掻いても敵対するしか道はないし、それで良いと思っている。

「そもそも戦う機会があるのかすら怪しいけどね」

 ボソリと天魔が至極尤もなツッコミをぶち込む。

「戦いたい者と戦えないのも、戦いたくない者と戦ってしまうのも、総ては巡り合わせですよハーンさん」

 少しばかりの自嘲を滲ませた紗織の言葉。
 友であったカニが目の前に現れたのはならば殺す、それに否は無い。
 しかし、現れぬのならそれはそれでありがたい。
 相手の強さを知っているし、かつて友だった者を殺すのもそう気分が良いものではないのだ。

「第一、そのクー・フーリンが確実に敵側とも言い切れないものね」

 聖書の蛇、プロメテウス、織田信長にジャンヌ、青髭。
 確認されているだけでも既に五名が人類の味方をしている。
 既に死してしまった義経や弁慶、将門などもその行動を考えるに人類側だった。
 であれば、他の英傑らも人類側に着いている可能性は高い。

「そういや、この手の話で思い出したんだけどさ。僕が戦った葛葉って誰なのかな?」

 天魔の問いは栞と紗織に向けられていた。

「外道さん、流石に名前だけでは……」
「ああそうか。紗織ちゃんは知らなかったっけ。えーっと、特徴はねえ」

 特徴を聞いた紗織は白く長い指を顎に当てて知識を探る。
 思い当たる者は確かに居た、居たがそれと断ずるには少々疑問が残った。
 栞も同じでコテンと小首を傾げている。

「正しい読みではない、というのならばくずのはが思い浮かびますね」
「九つの尾を持っていたというのもそれっぽいですが……真の名ではないとも言っている」

 真の名ではないし、その上正しい読みでもない。
 かずは、というのは間違いなく偽名なのだろう。
 そして正しい読みではない、正しい読みは恐らくはくずのはだ。
 しかし、そうなると真の名ではないというのが引っ掛かる。

「桔梗の陣を使っていたそうね栞」
「ええ、あれは陰陽に連なる術なのでしょう。となると……」

 葛葉と無関係ではない上に五芒の星を使う。
 該当するのは一人くらいしか存在しない。

「外道さん、あなたが遊んだというのは安倍清明ではないでしょうか?」
「セーメーって……あれでしょ? 陰陽師。何か深夜にやってた昔の映画で見たよ僕」
「そう、それです。最初はその母親である葛葉かと思いましたが……」

 安倍清明の母親であるくずのはは歳を経た妖狐だったと言われている。
 しかし、もし天魔が遊んだのがくずのはならば色々腑に落ちないのだ。
 陰陽の術なぞ使わずとも生来の妖術を使えばそれでこと足りる。
 なのにかずははそうしなかった。

「最初に私達を襲ったモンスター、あれは恐らく十二天将でしょう」

 天魔と分断された栞らが戦ったモンスターを思い返すと、その線が濃厚だ。
 あの時は気付かなかったが今ならば栞もしっかりと知識と繋げられる。

「何より狩衣を纏ってトレードマークである清明桔梗を使っていたのならばくずのはではないでしょう」

 狐の姿をしていたのも、幻想になった影響だろう。
 現に義経や弁慶、信長なども人のそれとは随分異なる容姿をしていたし。

「清明桔梗って何やの?」
「五芒星のことですよ。家紋でもよくあるアレの別名です」
「ふぅん……じゃあ僕が遊んだのは清明だったんだね。でも、清明って女だったんだ」

 天魔が深夜に見た映画では狂言役者の美形が清明役をしていた。
 なので美女ということにちょっとした驚きを齎した。

「しかし、あの女……味方に着くとか言った割りに全然姿を見せないなぁ」

 あの時は何を言っているのか分からなかったが、清明は確かに人間の側に着くと明言した。
 愉しそうだから、理由だって天魔からすれば納得のいくものだ。

「話を聞く限りでは協調性も無さそうだし、そのうちフラっと現れるんじゃない?」

 お 前 が 言 う か。
 アリスもそうだが、この場の面子で協調性があると言えるのは麻衣ぐらいだろう。

「ああ、確かにそういうとこあり……そ……」

 言葉が途切れ途切れになり、天魔の身体が崩れ落ちる。
 何ごとかと考えるよりも先に他の面々も意識を失ってしまう。
 残っているのは、

「ふぅ……ようやく薬が効いたようですね」

 茶を淹れた醍醐紗織のみ。
 そう、彼女は皆に振舞った茶の中に大量の睡眠薬を混入していたのだ。
 それぞれ分量を調整してあったものの、
麻衣以外の面子では二秒で意識を失うような量と質のものを盛っていた。
 なのにここまで時間がかかるとはと軽く紗織は引いていたが、
そもそも薬を盛るような奴の方がドン引きである。

「これで邪魔は絶対に入らない」

 さて、こんなことを仕出かしたのには理由がある。
 いや、理由があってもこんなことをするのはどうかと思うが。

「……紗織は今日、女になります」

 ポっと頬を赤らめる紗織。
 彼女はここで暮らし始めてから幾度となく自慢話を聞かされて来たのだ。
 曰く、一人でするより何百倍も良い。心も身体も満たされる。
 曰く、幸せ。
 曰く、身体の中がお兄さんでいっぱいになった。
 曰く、愛する殿方との交情で新世界が見えた。
 そんなことを言われたら当然殺意と嫉妬を抱くに決まっている。
 とはいえ状況的にそれが出来るチャンスは少ない。
 今日のように何もない休みがこれからどれだけあるのか……。
 後に後にと回していたら何時まで経ってもチャンスはやって来ない。
 自ら行動するからこそ、夢は掴めるのだと紗織は嫌なアグレッシブさを発揮させたのである。

「朝、念入りに身体は清めましたし……フフフ」

 今、紗織が身に纏っているのは朱色の小袖だ。
 正体を現してからは私服も自分の趣味に合ったものに戻したのである。
 まあ、それ自体は良いのだが……。
 今彼女は――――はいてないしつけていない。繰り返すが、はいてないしつけていない。
 何時だったか栞が天魔とアリスに、

"つけますよちゃんと! しかもそれは勘違いですから!
良いですか? 昔の人だってちゃんと湯文字なんかをつけてましたから"

 と説明したわけだが紗織は幻想を現実にしてしまったのだ。
 そりゃ一応、勝負下着だって持っている。
 しかし、既に先をイった四人だって勝負下着で迫ったはずだ。
 それではインパクトにかけてしまう。
 なので紗織は考えに考えた末、ノーガード戦法を選んだのだ。
 考えに考えても正しい答えが出るわけではないという一例である。

「~♪」

 鼻歌混じりに書庫の扉を開けると中には予想通りに想い人と邪魔者の姿が。

「!」

 ルドルフは殺気的なサムシングを感じ取り、冷や汗を流す。
 そして何故紗織がここにやって来たかを即座に理解する。

「し、紫苑……私は少々、身体を動かしたくなったので今日はこれまでにしよう」
「? ああ、分かった。世話をかけたな」

 逃げるように書庫を出たルドルフ、
彼はこれから激しく身体を動かす羽目になるであろう友の健闘を祈っていた。

「それで紗織、何か用か?」
「ええ、少しお話が。よろしいでしょうか?」
「ああ(はぁ……図書室的なとこでコイツと二人……)」

 もう戻れない大天使との蜜月を思い出し、紫苑は泣きたくなった。
 そんな想い人の内心など知らぬまま、紗織は紫苑の隣に腰を下ろす。

「春風さん、加藤二乃を御存知ですよね?」

 いきなり本題に入るのもはしたないと思っている紗織はそう切り出した。
 はしたないというならノーブラノーパンの方がはしたないわけだが、まあそこは別なのだろう。

「ん、ああ……どうした急に?」

 カニと紗織、紫苑にはその繋がりが見えなかった。
 どうしていきなりこんな話を振るのかがまったく分からない。

「……実は私、かつて彼女とコンビを組んでいたんです」
「…………は?」

 完全に虚を突かれたといわんばかりの表情の紫苑。
 今まで隠していたことに申し訳なさを覚えながらも、
紗織はポツポツとまだ話していなかった過去を語り始める。

「九つか十の頃、火事場から逃げ延びた私は復讐を果たすことだけを考えていました」

 辿り着いた非合法の闘技場。
 そこで経験を積み、多くの人間を殺して花形選手となった。

「その時に、闘技場のオーナーからカニを紹介されたのです」
「何故カニはそんなところに……いや、愚問か」
「ええ。語るまでもなく、勝ちたい人間が居たからです」

 カニに目をつけられた不幸な人間の末路を思うだけで紫苑はとても良い気分になれた。
 さぞ惨たらしく殺されたのだろう……と。
 が、気付いているのだろうか。そのカニに自分も目を付けられているのだと。
 大丈夫だと高を括っているが、二人の衝突へ決して避けられないだろう。

「カニとはその頃からの付き合いで、一緒に行動を共にしていたのは十四の時までです」
「十四……ああ、冒険者学校に入学するためか」

 復讐の対象である栞に近付くために紗織は冒険者学校に入学し、
その中で紫苑のことを知って彼を利用するために近付いたのだ。

「ええ。その時、偽造戸籍やらマスクやらを用意してくれたのがカニなのです」
「どんな伝手を使ったか、気にならないでもないが……欝になりそうだし止めておこう」

 カニが動けば、その陰で誰かが泣く羽目になる。
 それは容易に想像出来る事柄で、
紫苑はそういう部分では他者を不幸のどん底に突き落とすカニを気に入っていた。

「それからも細々とではありますが付き合いは続きましたが……春風さんが目覚めた翌日です」
「……会ったのか?(大方予想は出来るな)」

 その日に紗織とカニは決裂したのだろうと紫苑は予測を立てる。
 そしてそれは正解だ。あの日、醍醐紗織と葛西二葉はさよならを交し合った。

「ええ。その時、カニが春風さんを狙っていることを知りました」

 同時に、あの時カニが言っていたことも今では理解出来る。
 春風紫苑を律するものを消し飛ばしてしまえば、恐ろしいことになる……と。
 それこそ、神々が名指しで仲間に引き入れようとするくらいなのだ。

「私が言うのもあれですが、カニは……危ない女です」
「(ホントだよ。目の前で狂言自殺やらかすお前も相当だよ)」

 冷静になって考えてみると紗織の所業はキチ一歩手前どころではない。
 好いた男の消えない傷として留まり続けるために偽の自殺を敢行、
その後、総てを偽って好いた男に接近――何これホラー?

「……彼女の思うような春風さんになることは、決して良い結果を生みません」

 完全に拮抗する陰陽、人としての尊厳を護るために強大な力を自ら捨てるという尊い選択。
 それを覆してしまえばどうなるか――――間違いなく春風紫苑は春風紫苑でなくなる。
 そしてカニは、その春風紫苑をこそ望んでいる。

「曰く、本気の俺……か。俺は何時だって本気なんだがな」

 本気で自分だけが良い目を見ようと戦っている。
 なのに何故そんな小さな願いすら叶わないのかと嘆く紫苑。
 残念でも何でもない、当然である。

「ええ、それは分かっていますが……」

 正直、今のままでも危ういとは思っている。
 あまりにも自分を省みることがないというのも一つの形振り構わずだろう。
 何時か自分だけでどうにかならなくなった時、

「(……春風さんは、変わってしまうかもしれない)」

 そしてそれこそがカニの狙いなのかもと思ってしまう。
 付き合いの長い自分でも奴が何をしようとしているかは分からない。
 だからこそ、不安ばかりが募ってしまう。

「それより、お前こそ大丈夫なのか紗織。話を聞くに、大切な友達だったんだろう?」

 紗織の心に引っ掛かりがあるのを紫苑は見逃さない。
 気遣いながらも嘲笑っているのだ。
 自分を騙すから友人と殺し合うような羽目になるのだと。
 完全なるブーメランであることに奴は気付いていない。
 他人を騙してばっかりだから今のような状況に追い込まれてしまったのに。

「私は大丈夫ですよ。それに、私と彼女は決別しましたから」

"――――さようなら紗織"
"――――さようなら二葉"

 醍醐紗織が一度死んだ場所で永遠の別れを済ませたのだ。
 だから気にすることはないと言うが……。

「(バレバレだぜ。ボロボロの幼少期に知り合った相棒。
そう簡単に捨てられるほど軽くはないのに、頑なに認めようとしない。
まあ良いさ、そうやって殺し合って後悔するが良い。それが報いというものだ)……それで、良いのか?」

 イザその時が来た時のために、心を掻き乱す紫苑。
 傍から見ると気遣いにしか見えないところが厭らしい。
 紗織は紫苑の言葉を優しさと誤認したまま、困ったような笑顔を作る。

「私のことは気にしないでください。春風さんはもう少し自分のことを……」

 紗織の言葉に合わせるように紫苑もまた困った笑顔を浮かべる。

「……よく言われる。俺は、自分では自分のことを大事にしてるつもりなんだがな」

 それはそうだろう。
 この世に唯一価値があるとすれば己のみと真剣に言ってのける男だ。
 紫苑以上に自分という存在を愛している男はこの世に居ない。

「だが、よく言われるってことはそういうことなんだろう」

 だから、と言葉を区切り、紫苑はじっと紗織を見つめる。
 照明の加減でヘーゼルの瞳が金色に煌く。
 鋭くも優しい眼差しに射抜かれた紗織は、一瞬時間が止まってしまったような錯覚を受けた。

「紗織や、皆に頼っても良いだろうか? 俺が馬鹿をした時は叱ってくれ。
俺がヘコんでる時は励ましてくれ。一人じゃないのだと、甘えさせてくれ」

 無条件の肯定、それは真に相手を想うということにはならない。
 だからこそ、負い目を感じながらも雲母やアリスは紫苑を叱る。
 そして、それこそが大事にされているということの証左に他ならない。
 自分を大事にするのが苦手だから、支えてもらっても良いだろうか?
 初めて見せた春風紫苑の弱い部分に胸が高鳴り出す。
 こんなどうしようもない自分を信じてくれている、それほど嬉しいことはない。

「~~ッッ、はい! 大事に、します。春風さんのこと、大事にします。
あなたが、私をそうしてくれたように……私も、それ以上に……!」

 傍から見ればプロポーズにしか思えない物言いだ。
 しかし、これが醍醐紗織の偽らざる想いでありそれを哂うことは赦されない。
 今まで少女は決して恵まれているとは言い難い人生を送って来た。
 幼くして強制的に悪徳の道に進まされ、
たった一つの嫉妬で両親を喪い、血を分けた妹とも殺し合う羽目に。
 何処ぞの国で餓えている子供達よりマシ? それは愚者の物言いだ。
 幸か不幸か、その基準は何時だって主観でしか測れない。
 アイツに比べたらお前はマシ――――そんな言葉が罷り通るほど人は単純ではないのだ。

 そんな当人の視点では不幸が過ぎる紗織にとって、紫苑の存在は唯一の救いだった。
 世界そのものが自分を見放したかのような孤独感。
 血と憎悪に苛まれて気が狂いそうな日々の中で出会った優しい光。
 自分のために泣いてくれて、自分の幸せを祈ってくれた。
 それは大したことではないのかもしれない。
 だけどこれもそう、主観。幸せだって本人の主観次第なのだ。

 少女にとっては何にも代え難い幸福。
 春風紫苑という存在は醍醐紗織が己の人生を肯定出来るたった一つの宝石。
 ロクでもないことばかりだったけど、決して無為なものではなかった。
 苦しんで苦しんで、それでもここまで歩いて良かったと心の底から思える。
 ポロポロと涙を流しながらも晴れやかな笑顔。そこに陰など微塵も窺えない。

『おうおう、殺し文句のフルコースだねえ』

 紫苑の言葉も、紗織の言葉も、どちらも蕩けるように甘い。
 美男美女というのは本当に得だと茶化すカス蛇だが、

「(おい、褒めるのは俺だけにしとけよ)」
『……ああうん、そうだね』

 心底アホらしいとばかりに投げやりな返事を返すカス蛇。

「春風さん、あの時、言ってくれましたよね。
"ずっとずっと辛い思いをして来た人間が、幸せになれないのは悲しいよ"……って」
「ああ(あー……はいはい。それを絡めて改めて告白する流れか。俺に会えて幸せだとか何とか)」

 多分間違ってはいないのだろうけど告白を先読みするというのは空気を読む読まない以前の問題だ。
 乙女の一大決心を何だと心得る。

「私、幸せですよ。だって、春風さんに出会えたんですもの」

 だから少しでも良いから、安心して欲しい。
 醍醐紗織は辛い目にばかり遭っていたけど、今は幸せなのだと知って欲しい。
 本当は栞と仲直りをしてやれば、一番安心出来るのだろう。
 だけどそこはやっぱり、感情が邪魔をしてしまう。
 何時かはどうにかなるかもしれないけれど、今はまだ無理だ。
 だからせめて、別のことでその憂いを祓ってやりたい。

「これまで、本当に本当に多くのものを取り零して来ました」

 嫉妬が生んだ短慮により、両親を死へと追いやってしまった。
 妹と殺し合い、姉妹の絆を断ってしまった。
 その殺し合いで、掛け替えのない大事な友を殺してしまった。
 復讐のために子供らしい当たり前の幸せを自ら放棄してしまった。
 醍醐紗織の人生は何か一つでも違えば、その手には多くのものが残っていたはずなのだ。
 だけど、取り零してしまったのは彼女の選択ゆえ。
 それは紗織も分かっている。なのでそこに恨み言を吐くつもりはない。

「だけど、そうやって失い続けていった結果、本当に大切なものがこの手に残った」

 両手を胸の前で重ね、見えない何かを抱き締めるようにほんの少し身体を傾ける。
 その手に握られている見えない宝石の名前は春風紫苑。
 メッキで塗り固めた石ころでしかないが、それを知らぬ紗織にとっては至高の宝石。

「春風さん、私ね、本当に幸せですよ。世界はこんなになってしまったけど……。
それでも、大事な人が傍に居る。それ以上を望むなんて贅沢じゃないですか。
ありがとう、春風さん。私に二度目の人生を与えてくれて、生きたいと思わせてくれて」

 もし、あの日あの場所で紫苑が居なければ……。
 栞を葬った後で、きっと自殺していたはずだ。
 復讐だけに重きを置いて、そこから先を見ていなかったから。
 だけど今は違う。栞のことはさておくとしても、紗織は本気で今日を楽しみ明日を望んでいる。

「――――これからも紗織を、御傍に置いてください」

 三つ指を突いて頭を下げる紗織、まるで嫁入りしたかのようだ。

「(フッ……嫌だ。大天使ならばともかく醍醐紗織なんて大嫌いだ)」
『つーかよぉ、仮に暴露されないまま黒姫百合とくっついてたとしてそれはそれで良いのかよ?』

 騙されたまま結ばれる、それは屈辱ではないのかと問うカス蛇だったが……。

「(嘘はバレなきゃ良いんだよバレなきゃ。上手に騙せねえこの無能のせいで俺は……!)」

 流石嘘に嘘を重ねてバベルを築きかねない男の言葉である。

「春風さん、御願いがあります」
「ん……何だ?」

 紫苑の胸にしなだれかかった紗織は艶然と微笑み、願いを口にする。

「――――紗織の純潔、散らしてくださいまし」
+注意+
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