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ハルジオン~口だけ野郎一代記~ 作者:曖昧

嘘を重ね続けた末路を知る第二部

110/204

田舎娘を篭絡せよ 終

 やるべきことを果たしたし、即日日本に帰るべきなのだが生憎と紫苑はまだ目覚めていない。
 なので彼が目覚めるまではパリに滞在するということになり、
話し合いの後、カス蛇は用意された個室でゆっくり身体を休めていた。
 もう後一時間もすれば覚醒するのは間違いない。
 今日中に日本へ帰れるだろう。

『ハードスケジュールだったなぁ……』

 二日にフランスに来て三日の今日、パリの防衛とジャンヌの攻略。
 何とも密度が濃い一日だった。
 本来は今日ぐらいは泊まっていくべきなのだろうが、パリに居てもやることがない。
 であればホームである日本にとっとと帰るのが一番だ。

『にしても、これでようやくリーチだ』

 召喚した聖槍が宙に浮いていた。
 四色の光が纏わりついたそれは、後一歩で完成に至ろうとしている。
 色を与えられるほどの魂を持った英傑や偉人、それは世界各国の歴史を紐解けば幾らでも出て来る。
 しかしカス蛇は今回敢えてジャンヌを選んだのには理由があった。
 有する魂もそうだが、何より聖槍と相性が良いのだ。
 彼女が信仰していた宗教の重要人物の死骸を貫いて完成したのが聖槍。
 であれば信者であり聖人の列にも並べられている彼女ならば間違いは無い。

『後一色なわけだが……』

 あまり早期に完成させても意味が無いし、リスクを増やすだけだ。
 既に最後の一色を与える存在については目星をつけているが、まだ早い。
 カス蛇が打とうとしている乾坤一擲は聖槍単体では意味を成さないのだ。
 既に準備に必要な三つ――内一つが聖槍なわけだが、それらは此方にある。
 だが三つ目、最後でありメインであるそれが使えるようになるまではまだ時間が足りない。

『ただ待ってりゃ数千年単位だが……そのための聖槍と血だ』

 ポリポリと顔を掻くカス蛇だが、どうにも違和感が拭えない。
 そもそも彼は蛇で顔やら背中を掻くような手は持っていないのだ。
 今でこそ紫苑の身体を使っているのでそれが出来るが、
元々蛇であるカスがこんな仕草をするのはやっぱり滑稽である。

『いやはや、ままならねえもんだ。何もかもが上手くいくなんて俺様からしても幻想だぜ』

 何せ全知全能ですら人の前に敗れ去ったのだ。
 そしてその人ですら何もかも思うとおりに進めることが出来ない。
 紫苑などは近場にある目論見は確実に的中させるものの、望むものからは遠ざかっている。
 何とも滑稽だ、しかし滑稽なくらいで丁度良いとも思える。
 自分も含めて誰も彼もが馬鹿みたいに踊り狂って、
疲れて倒れるまで馬鹿騒ぎに興じる、そこには人も幻想も関係ない。

『……本当に、俺様は運が良い』

 春風紫苑という稀代の演出家であり、千両役者でもある人間と出会えた。
 彼が四苦八苦しながら舞台で踊る様は腹が捩れるほどに滑稽で、だからこそ愛おしい。
 この男がメインキャストの馬鹿騒ぎ、楽しくならないわけがない。
 今回の件だってそうだ。
 ジャンヌを篭絡する姿は愛と勇気と優しさに満ち溢れた胸打つ御伽噺。
 しかしその裏側は打算と悪意に塗れたコメディ。
 二つの側面を見られるのは三千大千世界を見渡しても己のみ。
 これを幸運と言わずして何という?
 常に最高の席で最高の舞台を見ていられるだけでなく自身もまた役者の一人になれる。
 こんな贅沢を愉しめるのは自分だけだとカス蛇は笑う。

『これから先が愉しみだぜ』

 さしあたってカス蛇が気になっているのはカニだ。
 祈りは一つしかないけれど、彼女もまた紫苑と同じ領域に居る。
 だからこそ、カニは紫苑に目をつけたのだろう。

『本当に良い勘してやがる』

 勝利のみを欲するカニにとって紫苑は正にご馳走のようなものだ。
 同じ人間で同じ領域、
力だけならば他の幻想でも代用出来るが幻想は人間ならではの強さを持っていない。
 であれば役者として、餌としては見劣りする。

『……間違いなく、幻想の側に着いてるだろうな』

 原罪に畏れ伏したわけではない。
 紫苑と同じく原罪など簡単に捻じ伏せられるだけの魂と倣岸さを有している。
 あちら側に着いたのは単純に紫苑が人間に着いたから。
 もしこれが逆ならカニが人間に着いていただろう。

『さてはて、単純な戦闘だけじゃ紫苑でも勝てねえだろうなぁオイ』

 もし保身の祈りを完全に捨て去り、
見栄だけに特化し世界改変すら行えるようになったとすれば話は別だが、そうはならない。
 カス蛇もそうさせるつもりはない。
 であれば、何時ものように狡い頭を使って何とかするしかないのだが……。
 神ならぬ蛇に紫苑が何をするかは予想出来ない。それがまた楽しみなのだ。

『む、目覚めるようだな』

 即座にコントロールを手放すと、紫苑の身体がベッドに倒れ込む。
 その一瞬の後に、瞳が開かれた。今度は縦に裂けておらず、人の瞳だ。

「ん……あー……(ダルイ、おいカッス。あれからどうなった?)」
『おう、お前の目論見通りよ』

 この場に居るのは己と相棒のみで、他に語りかける必要も無い。
 カス蛇は紫苑にのみ聞こえる声に切り替えて報告をする。

『コンコルド広場に集まってた連中はお前を見て、さぞや素晴らしい人間だと思っただろうぜ。
ジャンヌもバッチリ篭絡出来て、俺様達の陣営に加わる運びとなった。
今は長いことこっちに留まれねえってことで己の領域に帰ってるが、またどっかで会いに来るだろうよ。
ああそうそう、槍もバッチリだ。四色が揃った。とりあえずこれでリーチだリーチ』
「(……正直、槍はもう捨てたいんだけど)」

 今の状態ですら鬱陶しいのだ。
 下手に力を取り戻してしまえばガチで一生離れなくなる可能性がある。
 売り払ったと思えば勝手に帰って来たで御座る――なんてことになったら買い取ってもらえない。
 紫苑が罰当たりな懸念を抱くのだが……。

『つっても、完成させなきゃ策は成らんぜ。緩やかに滅びたいのか?』
「(う……それは……)」

 自分が生きている間平穏であればそれで良い。
 しかし、このままでは死ぬまで戦争は続くだろう。
 そして紫苑が死んで数百とか数千年後に仮初めの平和が訪れる。
 自分が辛い想いをするのに後世の人間が平和を甘受するなど赦せない。
 それが紫苑の偽らざる想いだった。

『それによく考えろ。今の状態でさえも聖槍は目を引く。神聖な代物だからな。
目立つと思わねえ? やだあの人、すっごく神々しい……』

 性質の悪いセールストークをかます聖書の蛇。
 悪魔と目されることも多いカスが聖槍の擁護をするというのもまた滑稽な話だ。

『な? だから我慢するだけの価値はあるって。
しかも、これを持って世界を救うじゃん? したらプレミアつくと思わねえ?』
「(……成るほど! 更に価値が跳ね上がるのか! 俺のおかげで、この俺のおかげで!!)」
『そういうこと。だからまあ、しばらく我慢してな』

 攻 略 完 了。
 現状では取らぬ狸の何とやらであろうとも紫苑にはこれで十分なのだ。

『それより、身体は動くか?』
「(ダルイが何とか……ってとこか。神便鬼毒酒、あれはやっぱキツイな)」

 京都に満ちていた神便鬼毒酒の霧ほどの濃度は無い普通の神便鬼毒酒。
 それでも魂の均衡を崩すことに変わりはない。
 酷い倦怠感と胸の奥から響く鈍痛。そう何度も使いたい手段ではなかった。

『そりゃガッチガチに噛み合ってる均衡を無理矢理引き裂いて崩すようなもんだからな』

 飲み続けて完全に保身部分を消し去ってしまえば問題は無いだろう。
 しかしそうなると人格が消え去り今の春風紫苑が死ぬ。
 保身部分を護っていたら護っていたで酷い反動がやって来る。
 多用しているとガリガリ寿命が削れること間違いなしだ。
 まあ、寿命云々に関しては紫苑には知らせていないが。
 知ったところで自分のためならば即使うのは目に見えている。
 であれば余計な憂いは与えない方が吉。

『もう夜だが、そろそろ日本に帰ろうぜ』
「(そうだな……で、他の連中は?)」
『別室で待機してる。俺様がナビしてやるよ』

 カス蛇の導きに従って他の面子が待機している部屋に足を踏み入れると、

「紫苑ちゃん! もう、無茶ばかりして……心配したのよ?」
「あんまり心配させないで紫苑お兄さん」
「泣く」
「まあまあ、皆落ち着いてえな」

 紫苑を心配していた面々が駆け寄って来る。
 余りの鬱陶しさに苛立つ紫苑だったが……。

「麻衣、どうしたんだ? 戦闘でやられたのか?」
「え……あー、あー、まあそんなとこかな?」

 麻衣の身体には痛々しい包帯が巻かれている。
 紫苑を回復させる際に無茶をした代償だ。
 とはいえ麻衣はそれを本人に伝える気はなかった。
 余計な心労をかけたくないという優しい気遣いだ。

「そう、か……だが、無事で良かった(嘘だな。まあどうでも良いが)」

 紫苑は嘘だと見抜いたがそれ以上の追及はしなかった。
 あくまで心配してますよというポーズを取っただけ。

「う、うん! それより紫苑くんも身体は平気?」

 誤魔化すように話題を変える麻衣、それに乗らない手はない。

「ん……ああ。見ての通りだ」
「でも、さっき皆も言うとったけど無茶はあかんよ?
何ていうか……うちらは神様でも何でもないんや。誰かを助けられんかってもそれはしゃあないって。
紫苑くんが無茶するとうちらだって悲しいし……ああもう、とにかく心配かけさせんといて!」

 麻衣は紫苑のように説教をして愉しむ趣味もなければ得意でもない。
 雲母やアリスは言わずもがな、かつて無茶をさせた経験があるので強く言えない。
 アイリーン? あれは論外だ。
 ゆえに少女らはあまり強く咎めることが出来ない。
 この場に居たのがルドルフならば説教をする資格があっただろうが、彼は男。
 咎めつつも紫苑の決断を尊重していただろう。

「うん……それは分かってる。ただ、手を伸ばせば届く距離に居たんだ。
それをしないという選択が俺にはどうしても出来ない。
皆に心配をかけている自覚はあるが、それでも……どうにも、俺は感情を律するのが下手らしい」
「馬鹿」

 その馬鹿には優しい響きが込められていた。
 馬鹿は馬鹿だし、心配もかけられた、だけど好ましい馬鹿であると。

「(殺 す ぞ テ メ ェ)否定出来ん」
「それより紫苑お兄さんも目覚めたし、早く帰りましょ」
「駄目よアリスちゃん。帰る前にアネットさんが顔を見せてって言ってたし」
「そうか。ちゃんとお礼を言っておかねばな」

 五人は揃ってアネットが居る執務室に足を運ぶ。
 書類やら何やらに囲まれた彼女は酷く忙しそうだったが、紫苑を見た瞬間その顔が喜びに変わる。

「ムッシュ! 目覚めたのですね。本当に良かった」
「随分心配をおかけしたようで……治療も、ありがとうございます」
「何を仰いますの。街を護り、祖国の英雄を救ってくださったのはムッシュでしょう」

 感謝をするのはこちらだとアネットは言う。

「そして何より、あなたの見せた献身に……皆が勇気を貰ったのです。
神々に見捨てられたこの世界でも、人は己の心に輝きを灯して歩いて往けるのだと」

 神々に比肩し得る強大な力を持ちながらも、自らの意思で人足らんとそれを捨てた。
 そして普通の人間と同じ力しか持たなくなった。
 だというのに紫苑はどんな困難からも逃げない。
 力の限りに立ち向かい、泣いている誰かのために必死で手を差し伸べた。
 心の在り方次第で人は何処までも美しくなれる。
 重要なのは力じゃないと誰もが教えられた。

「花の都、そこに住まう人々の心にムッシュは希望の種を植えてくれたのです。
私達はそれを育てて、必ず大輪の花を咲かせますわ。あなたにも負けないように」

 紫苑の戦いを利用するのは心苦しい。
 しかし、その戦いを見た人々が自分で立ち向かうことを選んだのだ。
 今こうしてアネットが書類に囲まれているのもそのため。
 冒険者達がギルドに提案して来たのだ、自分達を使ってくれと。
 ギルドの指揮下で人間のために戦わせて欲しいと。

「ムッシュ、すぐに帰らなければいけないでしょうが……その前に、皆に姿を見せてあげてください」

 手を引かれてバルコニーに出ると建物の周囲には多くの人間が居た。
 彼らは皆、春風紫苑の目覚めを待っていたのだ。
 夜になって肌を突き刺す冷気が強くなろうとも。

「ムッシュ! 俺達も、あなたのように戦えるだろうか!?」
「シオン! あなたのように勇気と優しさを胸に誰かと向かい合えるでしょうか!?」
「戦わせてくれ、微力ではあるが私もあなたと共に戦いたいのだ!」

 紫苑の姿を見つけた人々は口々に決意を表明していく。
 自分の気持ちを伝えたかったのだ、戦うということを教えてくれた春風紫苑に。

「(い、イッちまいそうだぜえ……!!)」

 豚も煽てりゃ木に登るを体現するこの男からすれば最高のシチュエーションだった。

「如何ですムッシュ」
「……言葉もありません。皆さんが、あまりにも綺麗だから。皆、人としての尊厳に満ち溢れている」
「ふふ、それは良かった」

 今日この日の出来事は口々に広がっていくだろう。
 動画に収めていたものも居るのでそれを目にする者も多くなるはずだ。
 そうなればフランスは一致団結して幻想との戦いに臨むだろう。
 カス蛇が期待していた効果は如実に表れていた。

『(何か一発演説とかぶちかまさねえの?)』
「(ここは感極まって胸がいっぱいって感じに頭を下げるのが良さげだろうよ)」

 目に涙を溜めて紫苑は深く頭を下げた。
 歓声は更に大きくなり、この選択が正しいものであったことを証明する。
 下手に舌を回さない方が良い場面もあるということだ。

「さあ、それでは着いて来てくださいな。転移の準備は出来ておりますので」

 アネットに連れられて転移装置がある部屋に行くと既に準備は整っていた。
 転移する場所は大阪近郊にあるダンジョンで、孔の外には既に迎えが居るらしい。
 紫苑達はもう一度アネットに頭を下げてから転移。
 転移先のダンジョンでは幻想回帰の影響でモンスターが荒ぶっていたが所詮は雑魚。
 消耗していようともアイリーンらを止められるわけがない。
 あっさりモンスターを蹴散らして孔の外に出るとカマキリが一向を迎える。

「お疲れ。あちらさんから報告は既にもらっているよ。大変だったみたいだね」
「はい……鎌田さんも、大変だったみたいですね。目の下に凄い隈が出来てますよ」
「ハハハ、こんな状況さ。それも已む無しだよ。さ、車に乗ってくれ」

 待機していた車に乗り込み、アレクが用意していた隠れ家を目指す。
 ここからはそれなりに距離が離れているのだが、車で大丈夫なのだろうか?
 道路も今は滅茶苦茶だと思うのだが……。

「(まあ良いや)ところで、留守中、変わったことは?」
「今のところ特に何も。ただ、本部長は既に日本を離れたよ」

 アレクが元日に日本に居たのは紫苑が狙われると知っていたからだ。
 彼を護るためだけにわざわざやって来てカマエルのパシリをやっつけたりした。
 そして事情説明とこれからのことについても説明した以上、日本に留まる理由は無い。
 ギルドの長である彼は多忙なのだ。

「本部長からの指令なんかは支部長を通して君らに伝えられるが……。
その支部長も多忙だから、何時も通りに僕が春風くん達の担当となる」

 細かい指示等がある場合はアレクから支部長、
支部長からカマキリを通して紫苑らに伝わるというわけだ。
 とは言っても現状では元日に話し合ったことをそのままするだけで特に変わったことはない。

「一応、元日に決めた通りに人類側に着いてくれそうな過去の人間。
その縁の地に人を派遣して孔の所在を調べてもらっている。
ただ、それなりに時間はかかるだろうからそこらは肝に銘じておいてくれ」
「お手数おかけします」

 紫苑が頭を下げるとカマキリが少し慌てたように頭を上げてくれと口にする。

「これは何も君のためってわけじゃないし、むしろ君達ばかりに負担をかけてしまうことになる。
大前提からして人類のためなんだ。僕らが動くのは当然だ。
直接的な戦闘は行えないけれど、それならそれで僕らなりの戦い方がある。
誰もが自分の出来ることをしているんだ。変に頭を下げられたら困るよ」

 初対面の時から考えれば、本当に本当にカマキリは成長した。
 人間として一回りも二回りも大きくなったと言えよう。
 変わっていない、まるで成長していないのは紫苑だけだ。

「(ケッ……耳障りの良いことばっか言いやがってよ。胡散臭えんだバーカ)……分かりました」
「ああ、それと春風くん、ミラーさん、君らの着替えなんだが……」

 他の者らはともかくとして紫苑の住居に関してはそうそう簡単には戻れない。
 京都の一件などもあって住所が既に割られているからだ。
 面倒ごとに巻き込まれないようにとのことで紫苑と同居しているアリスに関しては一度も家に戻っていない。
 他の面子はそれぞれ着替えやらを取りに行ったのだが、
紫苑、アリス、ルークの三人に関してはギルド側で用意したものを着てもらっていた。

「春風くんの分はルークくんが、ミラーさんの分は随伴した女性職員が隠れ家に運んでおいたよ」
「ふぅん、一応男女で分ける気遣いぐらいはしてくれたのね」

 とはいってもこれまで洗濯やら何やらをやっていたのはルークだ。
 流石に直に着用している姿や裸を見られたらキレて目を縫い付けるくらいはするが、
別段箪笥にしまっている下着やら衣類を見られようがアリスに羞恥などはない。

「流石にね。年頃の女性なんだし……それと桝谷さん」
「うちですか?」
「君の着替えやらを取りにお家に行かせてもらったんだが、その時ご両親の無事が確認された。
丁度一時避難から帰って来たところだったらしい。折りを見て連絡か一度顔を見せてあげると良い」

 一般の通信手段――家電や携帯は使えない地域も多い。まだ復旧が終わっていないのだ。
 なので確実を期すならば直に出向く方が良いだろう。

「良かったじゃないか麻衣」
「うん……また、時間ある時にでもお母さんとお父さんに会いに行って来るわ」

 照れ臭そうな麻衣、だけどもその顔には確かな喜びが滲んでいた。

「逆鬼さん、お疲れのところ申し訳ないんですが……」

 微笑ましげに麻衣を見つめた後、今度は雲母へ視線を向ける。

「ええ、分かってるわ」

 一応向こうからの報告も来ているとはいえ完全であるかどうかは当事者にしか分からない。
 情報の確認や補足などをするために雲母はもう一仕事あるようだ。
 そんな風に諸々の業務連絡やらをしていると、あっという間に目的地へ。
 一見すれば普通の平屋なのだが、実は地下に食堂やら身体を動かす場所、
数十もの個室などがあり、上の建物は丸っきりダミーなのだ。
 カマキリや雲母と分かれた四人は玄関から入って地下へと降りる。

「やあ、おかえり紫苑くん。フランスでは大変だったみたいだね」

 皆が集まっているであろう談話室に顔を出すと、予想通り残留メンバーが集まってお茶をしていた。
 栞と紗織はデコを突き合せてメンチを切り合っているが……まあ予想の範囲内である。

「ああ……だが、得られたものは大きかったよ」
「そりゃ重畳。君が嬉しそうな顔をしていると僕も嬉しいよ」
「それより紫苑、彼の乙女はどんな感じだったのだ?」

 北欧神話を好むルドルフではあるが、ジャンヌ・ダルクに興味がないわけではない。
 ある意味彼女も戦乙女だし、英雄譚の花なのでどうしても気になるのだ。

「普通の女の子さ。派手ではないが、だからこそ、ほっとする。癒し系?」

 部屋の温度が下がる。
 まあ、好きな男が他の女を褒めれば良い気分はしないだろう。
 欲求不満と相まって女達の目が妖しい輝きを帯びていく。

「ほう……見目麗しい華のある美少女というイメージだったが、実際は少し違ったか」

 大抵の人間はルドルフと同じ想像をするだろう。
 あるいは、ちょっと変わったところでゴリラみたいなイメージを抱く者も居るかもしれない。

「しかしあれよな、伝説の英雄と相見えることが出来るというのは不謹慎だが心が躍る」
「諸外国のことには疎いのであれですが、ドイツにはどのような英雄が居られるので?」

 舌打ちをかまして紗織から目を逸らした栞が話題に乗っかって来る。
 問いを投げられたルドルフは、そうさなぁと顎を撫でながら幾人かの候補を思い浮かべた。

「ジークフリート、楽劇王ワーグナー……いや、ワーグナーは偉人だが英雄ではないか。
華々しく戦場を駆けたというならば、ハンス・ウルリッヒ・ルーデル辺りかな?」

 今の時代、冒険者が生まれるようになってからは個人でありながら凄まじい力を持つ者は生まれ易くなった。
 この場に居る面々などがその代表例と言えよう。
 しかし、幻想の欠片すら漂わない完全なる人の世においてルーデルだけは別格だった。

「まあ、ソ連人民最大の敵とまで言われてらしいからな……(しかも割りと長生きしてやがるし)」

 没年齢六十六、当時としては長生きと言っても良いレベルだろう。
 というより大戦を生き抜いて老年を迎えた時点で恵まれている。

「二次大戦の英雄ですか。我が国でも舩坂弘などは幻想になってても不思議ではありませんよね」
「あの、紗織ちゃん。舩坂さんってどちらさん?」

 とまあ、しばしの間歓談していたわけだが時間も時間だ。
 まだ疲れが残っている紫苑は欠伸を噛み殺しながら一足先にと部屋を出ようとするのだが、

「待って」

 アイリーン他数名に呼び止められてしまう。

「ん?」
「ああいえ、紫苑さんではなく……」
「そっちの馬鹿ガキだよ。何さらっと着いて行こうとしてんのさ」

 紫苑の背を追って部屋を出て行こうとしたアリス。
 どう考えてもその意図は明白だ。

「だって私、何時も紫苑お兄さんと寝てるんだもの。何が悪いのよ」
「盛ってんじゃないですよ雌ガキ……!
今までは春風さんと一緒だったかもしれませんが、ここでそんな真似をさせるとでも!?」
「そういえば姉様は一人だけ……フッ」
「勝ち誇った顔するな愚妹!!」

 面倒なことになるのは明白だ。
 紫苑はこそこそと部屋を出て自室に飛び込み、しっかり施錠する。
 後は誰が来ても寝たフリをしてやり過ごせばそれで良い。
 流石に無理矢理鍵をぶち破って来ることはないだろう。

「(シャワーは……まあ、明日でも良いかぁ……正直、まだしんどいし……)」

 神便鬼毒酒の副作用による疲労がどんどん長引いて来ている。
 常飲していれば更に長くなるかもしれない。
 そう考えるとかなり憂鬱だった。

『つっても寝られねえんだろ?』
「(ああ、眠気はあるんだがなぁ……)」

 ぼんやりと天井を眺めていると、胸に残った火傷の痕がじわりと痛んだ。
 この痛みには覚えがある、信長のアレと同じだ。

「(これは……)」
『御名答。今、俺様にもコンタクトがあった。少し話したいが良いですか、だってよ』
「(チッ……まあ、寝られないし感謝の言葉でも聞いてやるか)」

 胸に手を当てて強く念じると、暗い部屋の中に炎が巻き起こる。
 しかしそれは何を焼くこともなかった。

「……ど、どうも」

 炎の中から現れたジャンヌはおどおどと、そう切り出した。
 伝えたいことは沢山あるけど何から伝えれば良いか分からないようだ。

「とりあえず、座ったらどうだ」

 起き上がった紫苑がベッドに腰掛けたままそう促すと、

「は、はい!」

 ジャンヌはどういうわけか彼の隣に腰を下ろした。
 紫苑からすれば椅子に座れという意味だったのだが……。

「お、御体の具合はよろしいでございますでしょうか?」

 気が触れている時はそれこそ言葉遣いも滅茶苦茶だった。
 正気に戻ってからもダウナー状態の時は、
口数も少なかったせいで馬脚が出なかったが……。
 改まって丁寧に話そうとするとどうにもおかしくなってしまう。
 まあ、元が学も何も無い村娘なので仕方ない。

「問題は無いが……その、何だ? 無理に改まる必要もないぞ。楽にしてくれ。
今、こうして向かい合っているのはただのガキである春風紫苑とただの女の子ジャンヌなんだから」

 一個人として見てくれる、聖女でも魔女でもないありのままのジャンヌを見てくれる。
 それはくすぐったくもあり、それ以上に嬉しかった。

「……あ、ありがとうごぜえます。おら、そう言ってくれて……う、嬉しくて……」
「(ちょっと待って。何コイツ東北とかそこらの人? おらとか言い出しちゃったよ?)」
『やー、ちょっと訛りがキツクて敬語やらが覚束ない程度のフランス語だぜ?』

 それを変換して紫苑に聞かせているからそう聞こえるだけである。
 総ての人に伝わる統一言語による変換を使っていなければ聞こえ方は違ったはずだ。

「おらが馬鹿だったせいで、紫苑さには随分ひでえことしちまっただ」

 歴史に名を残し聖人の列にすら並べられているジャンヌ・ダルク。
 その彼女が芋臭さフルブーストの言葉遣いをする。
 もう紫苑はそれだけで今すぐ笑い転げたかった。

「(ヤバイ、何がヤバイってこの訛りはずるい。確実に俺の腹筋を壊しにかかって来る!)」
『聖槍で貫いた傷が疼きまくりだな!』
「ごめんなさい、んでありがとう。おら、それしか言えねえ」

 傷付けてごめんなさい。絶望をも凌駕する温もりを教えてくれてありがとう。
 ジャンヌは今、生前よりも心が満ちていた。
 この温かさを教えてくれた紫苑のためなら何だってする。
 彼の前に立ち塞がり飲み込もうとする絶望があるならば身を呈して護る。
 初めて心の底から信じることが出来た人。胸から溢れ出す愛が止まらない。

「……おらの、人としての生はもう終わっちまったけんど、
それでも、これからやれることがあるなら、おらは頑張りてえ。
紫苑さの力さなって……少しでも恩返しと、償いがしてえ。
えれえ数の人を殺しちまったのはいけねえことだ。償いなんか出来ねえかもしれねえ。
だけんど、それでも……もう、歩みを止めることだけはしたくねえんだ」

 だから赦して欲しい、共に戦うことを。
 だから赦して欲しい、あなたの傍に居ることを。
 だから赦して欲しい、叶わずともあなたを愛することを。
 生前は恋も何もしないままに終わってしまったけれど、
死んでから初めて、心の底から誰かを好きになった。
 穢れた自分が恋慕を抱くのは後ろめたいけど、それでも想うだけならばどうか赦して欲しい。
 そんな健気な乙女心が渦巻く胸中など露知らず、

「(あ、あかん……ほ、本気でツボった……! 畜生、コイツ今まで出会ったどんな敵よりもやべえ!!)」

 紫苑はかつてない強敵に戦々恐々していた。
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