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ハルジオン~口だけ野郎一代記~ 作者:曖昧

嘘を重ね続けた末路を知る第二部

102/204

ダメンギヌスの槍

 話し合いを終えた紫苑は姉妹を伴って部屋の外に出た。
 何時までも部屋の中に居るのも憂鬱になるので気分転換も必要なのだ。
 そうして屋内をあてもなく歩いていると、食堂のような場所に辿り着く。
 中には雲母とカマキリ、そして紫苑と姉妹以外の面子が揃っていた。

「む、紫苑……大丈夫か?」
「気にするな。それに、俺だけが特別ってわけじゃないだろう。
混乱しているのは皆一緒で、特にルドルフや麻衣、天魔、アイリーンは……余り無理をするなよ?」

 暗に彼らの家族を心配している素振りを見せると、四人は苦笑を浮かべて大丈夫だと手を振る。

「紫苑くんに無理するな言われてもなぁ……。
まあ、心配にならんかって言うたら嘘やけど何となく大丈夫やと思うんよ。
街中走り回った時に家の近くも通ったからな。お馬さんの上から避難するお父さんとお母さん見えたもん」

 そのことが多少不安を和らげてくれていると麻衣は言う。
 そしてルドルフは、

「私はそもそも心配はしていないからな」

 家族の無事を疑っていない。
 祖父や祖国の両親、ベアトリクス、簡単に死ぬ人間ではないと信じているのだ。

「僕も同じく。僕の父さんと母さんは僕の親だよ? 上手くやってるさ。
ま、外の情報が分からないから確証は持てないけどね。けど、きっと大丈夫。
それに一番大切な人が傍に居るんだから最悪にはならないさ」
「紫苑が居れば良い」

 天魔とアイリーンも家族を想う気持ちが無いわけではない。
 ただ、それ以上に大切なものが今も健在だからこそ平然としていられるのだ。

「そうか……なら、俺もこれ以上は何も言わないよ」

 開いていた椅子に腰掛けるとアリスが傍にやって来て紫苑の膝に座る。
 まるでここは自分の専用だと言わんばかりの態度にヘイトは爆上げだ。

「ねえ紫苑お兄さん、身体に変なところはない?」
「どうした急に?」
「だって……変な蛇が中に居るみたいだし、それに敵はお兄さんを目の仇にしていたじゃない」

 呪いなどをかけられていないか、アリスはそれを心配しているのだ。

『ひっでぇなぁ。俺様を寄生虫みたいに言いやがってよぉ(切り替えるぞ)』

 紫苑の脳内限定の声から皆に声が届くように切り替えるカス蛇。

「(好きにしろや。どっちにしろ俺にはどうにも出来ねえし)……」

 カス蛇は紫苑の腕を操ったり出来るが紫苑にカス蛇の行動は操れない。
 ゆえに投げやりな態度で消極的肯定を示す。

『おいおい、何だよこの空気。もっとフレンドリーにいこうぜ』

 会話に割り込んで来たカス蛇のせいで空気が張り詰める。
 彼は本来敵側の存在なのでそれも無理からぬこと。
 更に言うならカス蛇という存在そのものが人間にとっては複雑な存在なのだ。
 だって人類が原罪背負ったのコイツのせいだし。

「……聖書の蛇」

 アイルランドは宗教に対して中立的な立場を取っているが、それでも国民の八割以上がカトリック教徒だ。
 アイリーン自身は教徒というわけでもないが、一度くらいは聖書を読んだことがある。
 そのせいで聖書の蛇がいざ目の前に出て来るとどうして良いか分からないのだ。

『おうとも、俺様こそが聖書の蛇さ。よろしくなコミュ障』
「誰がコミュ障」

 むっとするアイリーンだがそれは否定出来ないだろう。
 コミュ障であるという事実だけは覆せない。

「(お 前 だ よ)」
「聖書の蛇、卿には色々聞きたいことがあるのだが……まず、これだけは聞いておかねばなるまい」
「君は誰の味方なんだい? そりゃ昨夜は連中に敵対してたけどさぁ」
「無条件で信じろって言うのは無理よね。紫苑お兄さんに取り憑いているなら尚更だわ」
『(紫苑、サポート)』
「(しゃあねえなぁ……)憑かれてる俺が言うのも何だが、俺もお前を信用出来ない」

 これから始まる小芝居はカス蛇の存在を受け入れさせるためのものだ。
 本当にこの人間と蛇は良いコンビである。

『そりゃアレかい? おたくのトラウマになったって人間を殺したことか?
つってもなぁ、死を見るのが嫌ならそもそも冒険者なんぞやるなって話だろうが。
俺様に喰われた連中もそうさね。危ないとこ来て危ないこと死んだら自己責任だ』
「……ああ、分かっているさ。でもな、それで割り切れないのが人間なんだよ」

 そこで言葉を切って紫苑は全員を見渡す。
 取り乱して馬鹿をやったら止めてくれ――仲間達はしかとそれを承った。

『それも道理だ。特に俺様は人間に味方するって言ってるのに殺したわけだからな。
だが弁解をさせてもらうぜ。長いこと無の世界に居たせいで正気じゃなかったのさ。
今でこそ頭は冴え渡っているが、当時はロクに思考も出来なかった。
そんな時に襲い掛かられたら応戦するのも当然だろう?
それに、だ。俺様が居るからこそお前は命を繋げたし、多くの人間を救えた。
そして、これから先も俺様が人間に組みするからこそ救える命もあろうよ。冷静になって考えな』

 紫苑の顔が偽りの赫怒で赤く染まる。
 それでも務めて冷静であろうとしているように見えたので、仲間達はまだ止めに入らない。

『それに――――テメェの後悔を俺様にぶつけるんじゃねえよ見苦しい』
「……何だと?」

 底冷えする静かな怒りの波が広がっていく。

『俺様はずっとお前の傍に居て、その心の動きまで把握していたんだぜ?
お前はずっと後悔している。黒田……だったか?
そいつと他の三人を無理にでも引き止めなかったことを。
異変に気付いたが自己責任だと見捨ててしまったってなぁ!!
ハッハハハハハ! ずっとずっと後悔している。だからテメェは変わったのさ。
何が何でも見捨てたくない、救いたい、誰にも辛い想いをさせたくないってよ。
その最たるのが京都での戦いだ。お前は死ぬよりも見捨てることが辛かったから躊躇いなく死地に飛び込んだ』

 カス蛇の言葉に仲間達は理解する。
 彼の弱さを、そして弱さに打ちひしがれながらも歩みを止めない強さを。
 とはいえ、誰かに指摘されるのは苦しくてしょうがないはずだ。
 トラウマを抉られている紫苑の顔は死人のように青褪めていた。

『分かる、分かるぜ。お前の心がドバドバ血を流しているのがなぁ。
そうだよな、無理はねえよなぁ。だって図星だもん』
「……~~ッッ貴様ぁあああああああああああああああああああああああ!!」

 髪を切った時に使った短刀は捨てるタイミングもなく今もその懐にあった。
 紫苑はそれを取り出し勢い良く振り上げ自分の右腕目掛けて振り下ろすが、

「駄目よ紫苑お兄さん」

 全員の手が短刀を振り上げた紫苑の腕を掴んでいた。
 アリスは泣き出しそうな表情のまま紫苑を見つめる。

「……ごめん。大丈夫、大丈夫だ。ありがとう、手を、離してくれ」

 すーはーすーはーと大きく深呼吸をする紫苑を見て仲間達は手を緩めた。
 紫苑は短刀を机の上に置き、改めてカス蛇と向き合う。

「……そうだな。そうかもしれない、確かに総てをお前に押し付けるのはお門違いだ」

 総てを押し付ければ楽になれる、だけど春風紫苑は決して自分が楽になる道は選ばない。
 それは強さであり弱さだ。
 仲間達は彼を言葉で嬲ったカス蛇への怒りよりも紫苑の自己を律し過ぎるその強さを哀れんでいた。
 狙 い 通 り で あ る。

『そうさ、お前はそうだ。怒りに飲まれそうになっても、冷静になればちゃんと考えられる。
考えて、どれだけ苦しかろうとも正しい選択を選ぼうとする。その自制心には感服するぜ。
流石、常人とは一線を画すレベルの想念を持つ男だ。
俺様が表面化したせいで、精神がかなり揺らいでいるはずなのに仲間の制止をすぐ受け入れられた。
普通だったらこうはいかねえどころか廃人一直線だったろうに……ホントすげえよ』

 この茶番よ……。

「世辞は要らん」
『ああそうだな。そうさ、喪われた者への哀悼はあれどもお前は立ち止まれないんだ。
飲み込めなくても無理矢理飲み込んで俺様と向き合いな。感傷と嘆きに浸る時間なんて無いんだ』

 紫苑が発していた怒気が引いていく。
 しかしそれは自然鎮火したというよりは蛇が言うように無理矢理押し込めたものだと仲間達は思った。
 怒りに身を任せることすら出来ないなんて、苦し過ぎる。
 姉妹などは先ほどまでの自分達を恥じていた。

「……お前は、俺達人間に味方すると考えて良いんだな?」
『そうだ。俺様は人間を愛しているからな』
「…………分かった。ならば、俺はお前を受け入れよう」

 自分の感情など二の次。
 大事なのは少しでも人類が生き残るための手を得ること。

『そりゃ重畳!』
「ただし! もし、お前が人を害そうと言うのならば俺は我が身を捨てでもお前を殺す!!」
『――――クハ、ああ。分かっているさ。これから仲良くしようぜ』

 紫苑は瞑目し、心を落ち着けるフリをする。

「……すまない、皆。勝手に決めてしまった。
思うところはあれども、俺はコイツを信じることにしたよ。皆の意見を聞かせてくれるか?」

 あれだけトラウマを抉られて激情を露にした紫苑がそういうのだ。
 仲間達にも異存はなかった。
 利で言うならカス蛇の存在は敵を知るための貴重な存在だし、
感情面でも異を唱えれば紫苑の決断に泥を塗るようなものだ。
 必死で正しいことをしようとする者の足を引っ張れるわけがない。

「紫苑がそういうならば我らもそれに従おう」
「同じく。何でも唯々諾々ってわけでもないけどさ。
それでもこれからの戦いは紫苑くんの判断を優先するべきだと思うからね」
「昨夜、戦えたのは紫苑のおかげ」
「誰よりも早く立ち向かうと決断した紫苑さんが居たから私達も弓を引くことが出来たのです」
「下手をすれば戦いの土俵にすら立てなかった私達が言うべきことはありません」
「あ、勿論紫苑お兄さんが無茶をしそうだったりとか明らかに違うって時はちゃんと言うわよ?」
「自分も同意見だ」

 紫苑は感謝の言葉を告げて仲間達に深々と頭を下げた。

「(これで良いんだろ?)」
『(打ち合わせも無しに完璧だよな俺様達。ナイスコンビネーション!)』

 カス蛇が煽ることで紫苑が当事者であると強く印象付け、
その彼が激しい怒りを露にすることで仲間達を冷静にさせる。
 そして最後に紫苑が受け入れることで策は成った。
 小賢しいやり口だが、これを即興でやるのは流石と言わざるを得ない。
 何せカス蛇が言うように打ち合わせも何も無しで演じきったのだから。

「さて、聖書の蛇よ。お前に色々聞きたいんだが……」
『まあ待て紫苑。聖書の蛇って何か素っ気無いし名前じゃねえだろそもそも』
「というか、蛇さん名前とかあるん?」
「私は聖書などには疎いので……異国の皆さんは知ってますか?」
「サタン」
「と、同一視されるって説もあるわね。でも解釈は色々だし何とも言えないわ」
『まあぶっちゃけると蛇は蛇で名前なんざねえんだがな』
「おい、じゃあ素っ気無いも何もないではないか」
『いやでも、人間側に着いたんだしさぁ。名前とか欲しいじゃん? 何かくれよ』

 カス蛇の言葉に全員が困惑する。
 聖書にも載っているパネェ存在に名前を所望されるなんてどんな体験だ。

「欲しいじゃんと言われましても……ねえ?」
「名前なんてそうそう思い浮かぶものじゃないわよ。ねえ、紫苑お兄さん」

 即決でカスと名付けた男に言っても無駄である。

『ちぇ……じゃあ良いや。自分でつける。俺様はカスだ。うん、今日からカスと名乗る』

 わざわざ名前の話題を出したのは紫苑がくれた名を正式に名乗るためだった。
 酷い名前ではあるが、それでもカス蛇は存外その名を気に入っているのだ。
 他ならぬ自分が見出した人間春風紫苑がつけた名だから。

「カスって……それで良いのか卿、というか何処から取った?」
『ん? ああ、今の俺様の状態が絞り滓みてえなもんだからさ』
「そういえば紫苑くんに殺されたって聞いたけど……」
『まんまと引っ掛かったわけだが、そう間違いでもねえ。実際瀕死だったしな。
けど、本来の俺様はすげえんだぜ? 単純な力で言ってもここに居る全員軽くぶちのめせるし』

 本来のカス蛇はその力を誇示するように大きな大きな肉体を持っていた。
 黒田――というよりは黒田の武器のせいで瀕死に追い込まれたが、
よっぽどのことが無ければここに居る者ら程度ならば軽く蹂躙出来る力を持っているのだ。

「……そういえば、確かにお前は俺の身体に収まるようなサイズじゃなかったな。
(何? お前そんなにカスって名前気に入ってんの? 弁えてるじゃねえか!)」
『物理的なサイズもそうだが……つか、俺様今は肉体ねえし(そういう意味じゃねえんだが……まあ良いや)』

 紫苑はカス蛇が自分の矮小さを弁えていると思っているらしい。
 カス蛇は一々否定して機嫌を損ねるのは面倒だと思ったのか流すことに。
 蛇の方がよっぽど大人だ。まあ、普通に年上なのでそれも当然か。

「どうやって?」
『おい紫苑、通訳を頼む』
「……聖書の蛇も認めるレベルのコミュ障って、もうどうしようもないわねアイリーンお姉さん」
「無礼」
「無礼でも何でもないでしょうに」
「あー……多分、俺が皆を軽く捻れるようなお前をどうやって倒したのかって聞いてるんだよ」
「以心伝心、心も身体も繋がってる」

 紫苑は込み上げて来る吐き気を堪えるので精一杯だった。

「そういえばそうだね。だって紫苑くん、力は持ってるけど出せないんでしょ?
京都の時みたいな特別な環境でも無い限りさ。ねえ、どうやって倒したの?」
「あの時は唯一死体が残っていた黒田を見てキレて……それで、元々俺の武器は本だっただろ?
それじゃ戦えないと思って黒田の槍を借りて無我夢中で瀕死の蛇を刺し続けて殺した……と思っていた」

 思えばカス蛇は今使っている槍についても何か知っているのかもしれない。
 そもそも黒田の槍を貰えと言ったのだってカス蛇なのだ。

『実際、紫苑に追撃されてマジでくだばりかけてたよ。
おかげで十二月くらいまでは半分寝てるような状態で話しかけることも出来なかった。
つっても、紫苑の心の動きや何をしていたかはバッチリ見てたんだがなぁ……ヒャヒャヒャ』

 その言葉に女性陣の顔色が変わる。
 そして心なしか殺気まで放ち始めている――それでもカッスは揺るがない。

「こ、ここここのセクハラ爬虫類! 紫苑さんの中に居るなんて卑怯ですよ!?」
『安心しな。人間の情事なんざ珍しいことでも何でもない』
「グッ……まあ良いさ。で、何で紫苑くんの攻撃でくたばりかけたのさ?」

 何を言っても暖簾に腕押しだし、殴るにも紫苑の中に居るので殴れない。
 羞恥と苛立ちを押し殺しながら天魔が本筋に軌道を戻す。

『槍だ。黒田ってー小娘が俺様を傷付けられたのも、紫苑が俺様を殺しかけたのも槍のおかげ』
「ふむ、確かにあの槍は何処か特別なもののように見えるが……」

 それでも凄まじい力を感じるかと言われれば首を傾げてしまう。
 何かドンドン光が増えていったりしておかしな感じではあるが……。

『俺様との戦いで槍はその力を使い果たしたからな。
今だってそれなりに戻ってはいるが完成しちゃいない、だから力もそう感じられんだろうよ』

 完成していない、その言葉にアリスが反応する。
 かつて病院で抱いた引っ掛かりの正体を思い出したのだ。

「錬金五色! 完全なる黄金……ああ、そうだわ。三色だし、確かに揃っていない」
『博学じゃねえか。邪悪なだけのロリだと思ってたがそうじゃないらしい』
「誰が邪悪よ! 失敬な爬虫類ね!」
「(お 前 だ よ)」

 プンスカと怒りを露にするアリスだが邪悪なロリという形容詞は否定出来ないだろう。
 やったことを考えるならば外道の所業以外の何ものでもない。

「あのさ、錬金五色って何さ?」
『錬金術において完全は黄金で表された。その黄金を形成する五色のことさね。
今揃っているのは黒白翠の三色で、まだ黄色と赤が残っている。
それがなきゃ、槍は往時の姿を取り戻せないって寸法だ』
「(ひょっとしてかなりの値打ちものか?)往時の姿、とは? いや、そもそもこの槍は何だ?」

 これまで呪われた武器扱いをしていたがここに来て紫苑の心に欲が生まれる。
 ひょっとしてこれはどえらいものではないのか、と。

『――――百人長の槍』

 紫苑、アリス、アイリーン、ルドルフの目が驚きに見開かれた。
 分かっていない他の面々は一体何を言っているのかと小首を傾げている。

「……ホント?」
「でも、それならばそこまで力の無い黒田って人と紫苑お兄さんが蛇を殺しかけたのも納得出来る」

 百人長が使っていた槍で、
そして聖書の蛇をも殺しかけるなどそれ以外にはあり得ない。

「あの、うちらまったく分からんのやけど……」
「……かつて、我が祖国ドイツに存在していた独裁者の手にもあったと言われる代物だ」

 ドイツで独裁者と言えばアドルフ・ヒトラーが有名だろう。
 そしてルドルフが口にした人物は正にそれだ。

「ひとらー、ですか? ヒトラーと槍の関係が分からないのですが……春風さん?」
「(うひゃひゃひゃひゃwwwこれ売ったら幾らになるんだ!?)ロンギヌスの槍、と言えば分かり易いか?」

 そもそも値打ちをつけられるような代物ではない。
 本来はバチカン辺りに納められていて然るべき聖槍なのだから。

「ろんぎぬ、す……それは彼の聖者を貫いたとされる槍、ですか?」
「知っとる! それゲームとかでも出て……でも、ホンマにあるん?」
「あるんだろうよ。だってさ、実際に神仏が存在していたんだよ?」

 十字の聖者がゴルゴダで死した際、
百人長ロンギヌスが何の変哲もない己の槍で死した聖者の脇腹を貫いたという。
 その際に流れ出た血が槍を滴りロンギヌスの瞳を癒したのは有名な話だろう。

「その槍を持つ者は世界を制する力を与えられる、なんて俗説もあるわね」

 しかしそれも神仏の存在が明るみになった今ではオカルトと切り捨てられない。

「解せない」

 アイリーンは額に汗を浮かべながら疑問を口にする。
 そう、確かに解せない。何故聖槍が日本の学生の手にあったのか。
 行方知れずで存在すら怪しいと言われていたはずなのに。

『聖者の血を吸った槍はその瞬間からただの槍じゃなくなった。
一所に留まらず、人から人へと主を求めて彷徨っていたのさ。
時に円卓の騎士の前に、時には独裁者の下へ……。
ただ、所有するに相応しからぬ、槍に執着し、依存しきった人間。そんな奴らの下からはすぐに離れて行った』

 カス蛇は謳うように槍の来歴を語る。

『そうやって流れ流れて槍を知らぬ、黒田とやらの手に渡った。
槍を手にしてそう年月は経ってなかったようだが……槍は黒田を見限った。
もしもそいつが真の所有者だったならば死んでなかっただろうしな。
そして、今は真の担い手である紫苑を見つけてその手に収まっている』

 手に入れれば世界を制することも出来る聖槍。
 さて、俗人が槍を手にすればどう思うだろうか?
 槍の力で世界をこの手にと野望をメラメラ燃やすはずだ。
 槍には魔力がある、人を狂わせる魔力が。
 例え世界を制するなんて望みが僅かであろうとも手にした途端欲を喚起し増幅してしまう。
 そして決して手放すものかと槍に執着が生まれる。
 槍は気難しい女性のようなもので、執着が芽生えた途端に持ち主の手から逃げてしまう。

『聖者の血は正に完全。だからこそ、黄金だったわけだが……。
それでも、俺様を追い詰めるのに力を使い過ぎてしまった。
元々血を吸ってからかなりの時間が経ってたし、
俺様だって聖槍よりも長生きだし格も違うからなぁ。
で、紫苑が手にして俺様を刺しまくる頃にはスッカラカンだ(つーかお前売る気かよ)』

 しかし、紫苑の場合は別だ。
 正体を知らぬ時から槍の存在を疎んでいたし一度はルドルフに押し付けようともした、
正体を知った今も槍の魔力に取り憑かれて欲望を喚起されたりもしていない。
 さっきの発言通りだ。紫苑は聖槍を金になる骨董品ぐらいにしか考えていない。
 それも確かに欲望ではあるが、槍自体に執着しているわけではない。
 むしろロンギヌスだと知って早いとこ売り払って手放したいとすら思っている。

「(ったりめえだろ。俺の不幸は槍のせいだって分かったんだしよ。
……その証拠に過去の所有者ロクな目に遭ってねえし。
今まで使ってやっただけありがたく思えよ! とっとと金になって恩を返しやがれってんだ。
なあカッス、これ何処で売れると思う? もう最悪三億ぐらいでも良いから売りたいんだけど)」

 紫苑がロクな目に遭っていないのは自業自得である。
 カス蛇が先ほど言ったように今の槍に力は無いのだ。
 別に槍が無くたって今の状況は何一つ変わっていなかっただろう。
 そして更に言うなら世界がこんな状況で誰が槍を買うのか。
 そもそも下手をすれば札束なんてケツ拭く紙以下になりそうなのに金なんて手に入れてもしょうがない。

『(……槍もそこまで虚仮にされたのは初めてだろうなぁ)』

 紫苑の性根と金に替えたいという欲望は薄汚いものだ。
 しかし、槍は善なる者を選ぶわけではない。
 聖者の血を吸ったとはいえ聖者の心が写ったわけではないのだ。
 カス蛇が言うように求める者から離れていくだけ。
 独立独歩、頑強な魂を持ち何にも縋らぬ存在で聖槍にも執着を見せない者にこそ槍は微笑む。
 聖槍を凌駕する魂と個我を持っていればオールオッケー。それがこんな屑であろうとも、だ。
 ある意味ドマゾで、ある意味ダメンズ好きとも言える。

「ならば確かに春風さんは適格者なのでしょう」

 しかし、聖者の血を浴びた聖なる槍というイメージを持つ面々の考えは違う。
 神仏にも匹敵する力を人間であると決めて捨て去った紫苑。
 そんな高潔な男だから槍は彼を選んだのだと思っている――見当違いも甚だしい。

「成るほど、だから槍を本来の黄金に戻すべく五色を集めている、と」
『その通りだ邪ロリ。つっても、彼の聖者は一人で黄金に変えられたが……。
あれほどの男、そうはいない。どんなすげえ奴でも精々が一色程度しか与えられねえ。
三色を与えた信長、義経、将門――この国では名だたる傑物なんだが、そこは仕方ない』
「ねえカス蛇くん、君は色を与えられないのかい?」
『無理だな。聖者も人だったし、今挙げた三人も元は人だったからこそ出来たんだ」
「私達は?」

 力になれるなら血であろうと何だろうと注ぐ。
 アイリーンは期待を込めてカス蛇に問うが、

『残念。そりゃお前らも強いだろうが、それでも全員集めたって一色にもならねえ。
ちなみに紫苑もだ。黄金を与えられる魂を持ちながらも、それを自分で封じているからな。
だから、人で槍に色を与えられる魂を有する奴に会って紫苑を認めさせなきゃいけねえんだ』

 そうすることで残り二色を集める、その時こそ槍は真に完成するのだ。
 そして槍の完成はカス蛇の策にも大きく関わっている。

『真の所有者以外が槍を使えば力は劣化する上に消費も激しい。
だが、槍が認めた紫苑ならば完成さえさせればそこそこのものになるはずだ』
「(……何? 俺まだこの厄ネタ持ち続けるの?)力を得られると?」

 紫苑は聖槍について深い知識を持っているわけではない。
 ただ、それを手にした者や求めた者がロクな終わりを迎えていないことぐらいは知っている。
 一番最初の所有者聖ロンギヌス、
彼の死には諸説あるがカイサリアという地で歯と舌を抜かれた挙句に首を刎ねられたという話もある。
 他にも有名どころで言えばナポレオンや先ほど挙げたヒトラー。
 聖槍は強烈な成功と破滅、二つの顔を持ち合わせる面倒な聖遺物なのだ。
 そんなものを好んで持ち続けたいと思えるほど紫苑に冒険心は無い。

『(良いじゃねえか。面倒な奴に好かれるのは慣れてるだろ)つっても直接戦闘には役立たないぜ?』

 強化魔法の精度を更に上げることは出来るだろう。
 だが、槍を振るって戦っても意味は無い。
 何せ紫苑は前でガチバトルを繰り広げられるスペックを持っていないのだから。

『どんな強力な武器でも使い手が優れてなきゃ意味は無い。
拳銃だって素人が闇雲に撃っても当たらんだろ? それと同じだ』
「ならば完成させる必要は無いんですか?」
『いいや、それは違う。いずれ話す時も来るが戦闘に役立たないだけで別の使い道はあるからな』
「使い道って何さ?」
『そりゃ秘密だ。必要な時までは情報は明かさんよ』

 教えた場合、どれだけ隠していても分かる者には分かるのだ。
 彼は何か勝機を抱いている――と。
 悟られればことを成す難易度が上がってしまうので、それはカス蛇の望むところではない。

『おっと、何もイジワルで言ってるわけじゃねえぜ? 必要だから黙ってるんだ』

 おちゃらけた感じは消え失せ、至極真面目な空気を漂わせるカス蛇。
 こういうギャップを作り出すのもまた必要なのだ。

「……分かった。信じると決めた以上は俺は何も言わん。
ただ、それが最善と信じているからの黙秘であるかどうかは教えて欲しい」
『無論、それだけは間違いじゃねえ。俺様は何時だって人間の最善を考えている』

 そこに虚飾の色はない。
 カス蛇は心底から人間を愛していると言ったのだ。

「それは何故かしら? ノブナガとかはまだ人間に味方する理由は分かる。
だって彼も元は人間だから。じゃあ、あなたは? あなたは何故なの?
メタトロンの憎悪は尋常じゃなかったわ。虚無の世界に放り込まれて壊れたのかもしれない。
だけど、同じように虚無の世界に居たはずのあなたからは欠片も憎悪を感じられないわ」

 紫苑が信じると言ったのだからアリスも信じるつもりだ。
 しかし、それとは別に何故味方をするのか、その理由だけは聞いておくべきだろう。

『――――ずっとずっと昔に、恋をしたから』

 夢見るように何時か何処かの楽園に思いを馳せる。
 地を這う彼が初めて目にした美しいもの、初めて抱いた感情。

「(アイタタタタ……!)恋、だって?」
『天使にも、悪魔にも、神すらにもそうだ。俺様の心が震えたことはねえ』

 ただただ生きていた、渇いた生だった。
 けれどもあの楽園で人間に出会って――――心を奪われた。

『初めて人間を見た時の感動は、きっとお前達には分からない。
この気持ちは俺様の、俺様だけのものだからな。
あれはきっと恋だ、寝ても覚めても人間のことが頭から離れねえ。
綺麗だ、どうしようもなく心惹かれる。だから俺様はその気持ちを伝えたかった』

 恋をすればプレゼントの一つや二つ贈りたくなるだろう。
 カス蛇にとってのそれが知恵の実だった。
 自分にあって彼ら人間に無いものを贈ろう、どうかこの想いを受け取って欲しい。
 人間を唆して堕落させたというにはあまりにも純な想いだ。

「卿の純情、それが知恵の実だったわけか」
『まあな。俺様は神に背く心を持っていたが、人間にはなかった。
自分にあって他人が持っていないものをプレゼントしたいってのは普通だろ?』
「だからカスくんは自分と同じような存在を裏切った……か」
『ああ。本当に大事なものを護るためなら何でも捨てられる――――分かるだろ?』

 その言葉に、

「分かる」
「分かるね」
「分かります」
「分かりますよ」
「分かるわ」

 ヤンデレ五人が間髪入れずに肯定を返す――もうコイツらは戦隊でも組めば良い。
+注意+
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