目覚めたのに悪夢だなんて
ここは城塞都市の中央にそびえるお屋敷の中にある一室。
この間までいた廃屋とはまるで違う背中の感触がするフカフカした大きなベッドの上で、勇者スバルは目を覚ました。
体を起こして見回すと、豪華な家具や調度に囲まれたきちんと整えられた広い客間だ。
「そういえば……。酷い馬車酔いをおこして輝姫に看病されたんだっけ。魔法の馬車とじゃあ、いつも乗っている馬とは全く比べ物にならない速さだったからな。しょうがあるまいよ」
たっぷりと休んで体調を回復したスバルは、ベッドから立ち上がるため掛布団をはごうとして視線を落とした。
すると、自分の下半身の部分のすぐ隣に、だれかが潜り込んだかのような、何かモコモコとした膨らんだ部分があった。
「んー、何だ、これは?」
手を伸ばして布団の上から触ると、モゾモゾと動いた。
伝わる丸い感触からすると、どうやら人間の頭部のような気がする。
しかし、どこか違うような……。何か髪の毛だけではないような尖った部分もあった。
「ああ、そうか、女の子の髪飾りなのかもしれないな。――女の子って!?」
撫でていたスバルの手が止まった。
――ちょっと待て、ここはお屋敷だ。ということは、俺の世話をしてくれたメイドか? なぜ俺の布団で一緒に寝る必要がある? 違うな……そうか! 輝姫だ! 俺の看病をするうちに眠くなったのかもしれない。お姫さまといえど、可愛いところがあるよなぁ――
と、スバルは頬を緩めながらツツッと手でふくらんだ頭らしきところを布団の上から優しく撫でた。
しかし、落ち着いて布団のふくらみを見直して唖然とした。
輝姫にしては全然大きさが足りないのだ。
布団のふくらみはスバルの下半身くらいだけしかない。
もし並んで立てば、ちょうど腰のあたりまでだ。
こ、これは、身長からいって輝姫じゃないな……。子供なのか? お屋敷に子供なんていたのか。いや、働きに来ているメイド見習いの子もいるかもしれないが、寝ぼけかサボリか知らないが、さすがに俺と一緒にベッドで寝ている現場を見つかるのは不味いだろ――
先程まで優しくふくらみを撫でていたスバルの手は、寒さに凍えたようにガチガチと細かく震えていた。
窓から差し込む日の光が、緊張して強張ったスバルの顔を照らし出した。
こんなところを見つかってはたまらない、とスバルは勇者の索敵能力を使い周囲の人の気配を探った。
……フウッ……、今のところは部屋の近くに人はいなさそうだな。あえて言えば、近くに妖精が一体いるだけだ。
スバルはニヤリと片方の口角をあげた。
最近、ずっと一緒にいたために気配など気にもしなかったが、この妖精の波動は廃墟で一緒だったエーセルのものとみて間違いないだろう。小さな妖精エーセルにしては布団の膨らんだ部分は大きすぎるが、人型に見せるためにどうせ枕でもつめているに違いない。いたずら好きの妖精のことだ。俺を困らせて、今頃布団の中でケラケラと笑いを堪えて喜んでいるのかもしれない。
このまま妖精エーセルのイタズラにやられっぱなしは癪だ、とスバルは逆にハメてやることにした。
さわさわッ。
スバルは布団の上から膨らみを撫でた。
どこかに隠れているエーセルを探そうと、そのまま手を下の方へと伸ばした。
ふみょん、みょわん。
弾むような柔らかいような、何とも言えない手ごたえを感じた。
――枕にしては感触が違うな。この曲線を描くラインは、ツルペタからツツッと小さな柔らかな膨らみになっているのか。これは癖になる触り心地だ――
スバルは揉んだりくすぐったりしながら、布団の中に隠れているエーセルをいぶりだそうとした。
ゴソゴソ。
ついに弄ばれることに堪え切れなくなった様子で、布団の膨らみが動き出した。
スバルはエーセルが布団から顔を出したところを捕まえてやろうと待ちかまえた。
だが、それが顔を出した瞬間、伸ばしたスバルの手が凍り付いた。
ストロベリーブロンドにグリーンのショートドレスを身にまとった可憐な妖精エーセルの姿ではなかった。
帽子ほどの大きな蜘蛛が、布団の中からモゾモゾとはい出してきたのだ。
「ッく! うわぁああああっ!! なんなんだッ!」
驚き叫ぶスバルの上に這い上がるようにして押し倒し、蜘蛛の帽子のようなものをかぶった美少女が布団の中からはい出して来た。
窓から差し込む日の光に照らされる白い滑らかな肌のラインは、小さいながらもちゃんと女の子らしいカーブを描いていた。
ツルペタのお腹から薄らとふたつの膨らみが、長いブルーの髪の毛に隠されていた。
「おはよう。スケベのスバル……」
「な、なんで蜘蛛女が!? 気配は確かに妖精のものだったはずだ!」
「私は輝姫さまの筆頭妖精――蜘蛛女モドキなのだ」
「あ、ああ、そうだ聞いたことがあるぞ。確か、エーセルの姉さんだったよな」
「ハイ、お見知りおきを。――では、続きをしましょう」
モドキはスバルの上に馬乗りになり、蒼い瞳で見つめて言った。
「オイッ! 待て、続きって、何言ってるんだ? 俺は何もしていない!」
「さんざん弄んでおいて、ポイ捨てなんですか。勇者なのに……」
「いや、カン違いしてたんだって! 撫でたのは悪かった、謝るから。そもそも、なんで裸で俺のベッドに潜り込んだんだよ!」
「それは……妹の妖精エーセルからいろいろな自慢話を聞かされましたから。身動きできないほど強く抱きしめらたとか、枕を共にしたとか、越えられない一線を越えてしまったと。――筆頭妖精として、いえ、姉として、絶対に妹に後れを取るわけにはいかないのです!」
興奮気味にスバルの上で身体を揺らし出したモドキのほっそりした腰を、スバルはガシッと両手で掴んで動きを止めた。
「あ、安心しろ! エーセルには、お前が想像しているようなことを、俺は何もしていないからな! 誓って手を出したりしていないんだ! だから、モドキ、お前も焦ってそんなことをする必要はないんだよ」
「――エッ、本当ですか、勇者スバル?」
モドキのうるんだ瞳と熱のこもったように朱に染まった頬が、幼い少女の見かけに加えて強烈な魅力を醸し出していた。
妖精少女の色香にあてられたスバルは、慌てて目を反らした。
なんとか雰囲気を変えようと、スバルは体を起こしてモドキの被っていた蜘蛛の帽子に手を伸ばした。
「本当は、俺を驚かせようとしたんじゃないのか? こんな蜘蛛の帽子まで用意するなんてさ……。だいたい、帽子をかぶって布団に潜ってるのが怪しいだろ」
「まさか、蜘蛛を脱げ、とおっしゃるのですか……!? スバルはスケベ勇者です!」
恥ずかしそうに身体をくねらせながら、スバルの伸ばした手にとられないように妖精少女は頭を抱え込んで蜘蛛の帽子を両手で隠した。
イヤイヤをするようにふるふる震える肩が揺れるたびに、ロングブルーの髪に隠れていた、小さな桜色の胸の膨らみの先っぽがチラリと見え隠れしていた。
どんな理由かは全然わからないが、妖精少女モドキにとっては、自分の胸を人に見られるよりも、蜘蛛の帽子をとられるほうが羞恥心が高まってしまうようだった。
「ま、まあ、とにかくだ、誤解も解けたことだし、俺の上からおりてくれないか。いい加減にベッドから起きないとな。病弱な勇者なんて思われたら、輝姫にカッコがつかないよ」
「ええ、そうですね。なんだか、さっき布団越しにさんざん撫でられてから、身体の力が抜けたような変な気分なのですが……。私も一度、輝姫さまに診てもらわないといけないかもしれません」
「お、おっと!」
「キャァッ!」
ベッドの上にスクッと立ち上がろうとしたモドキだったが、身体がついていかずにカクンと片膝が萎えてしまった。
ふわりと身体が前のめりになって、ベッドのスバルの上に覆いかぶさるように倒れ込んでしまったのだ。
柔らかい膨らみがスバルの顔にあたっていた。
もはや、スバルの心臓の鼓動はドキドキとうるさい程になっていた。
妖精といっても、羽の生えた身体の小さなエーセルとは違い、モドキは妖精少女だから人間の可愛らしい女の子となんら見た目は変わりない。
違いと言えば、ただ、頭に大きな蜘蛛の形をした帽子をかぶっていることだけなのだ。
必死にスバルは理性を総動員させて、モドキの身体を支えて、妖精少女の小さな胸の谷間から脱出した。
「ふうっ、大丈夫か――」
「イ、イヤァアアアー!!」
突然、モドキの絶叫が部屋に木霊した。
どこかぶつけてケガでもしたのかと、スバルは急いで体を起こして妖精少女をまじまじと見つめチェックした。
モドキに何ら変わりはないが、ただ、蜘蛛の帽子が外れてベッドサイドに落ちていた。
蜘蛛の帽子は脚をササッと動かすと、ピッと糸を張り、すぐにモドキの頭の上へと戻っていった。
「そんなに、み、見ないでよ……! スバルのスケベ!」
妖精少女モドキは恥ずかしそうにモジモジしながら両手で身体を隠すようにしてベッドの上でうずくまってしまった。
「いや……。帽子をとるのがそんなに恥ずかしいものなのか? 妖精についてはよくわからんな……」
肩をすくめてスバルが唖然としていると、部屋のドアがバンッと勢いよく開け放たれた。
「敵!? 妖魔め! このエーセルがやっつけてやるんだからっ!」
「ちょっと、待ちなさいッたらっ! 事件かもしれないでしょ。現場を滅茶苦茶にされる前にまず証拠を押さえないと」
「いったいなんの騒ぎよ? スバルの部屋から女性の悲鳴が聞こえるなんておかしくない?」
「いけません! 輝姫さま、どんな危険があるかわかりません! まずは騎士団に調査にあたらせますからご辛抱を――」
弓を構えた妖精エーセルに、特ダネの臭いを嗅ぎ付けた噂好きのメイドのアメリア、ちょうどスバルのお見舞いに来た輝姫と専属メイドのメイが、開いたドアの前に立っていたのだ。
しかし、部屋の中を見た四人とも目を見開いて動けないでいた。
あろうことか、勇者スバルが妖精少女モドキをベッドの上で全裸にひん剥いて襲いかかるところだったからだ。
哀れな妖精少女は恐怖に震えて身を縮こまらせていた――――ように見えた。
「――ねぇ、スバル――?」
輝姫の凍るように透き通った声が部屋に響いた。
「え、イヤ……ち、違うんだ、俺の話を――」
「ひえーっ、スバルって少女が趣味だったんだぁ?」
慌てて言い訳をしようとするスバルの声を、興奮して飛び回る妖精エーセルが遮った。
「違うって! だから、身体のバランスが崩れてしまって――」
「ひ、酷い……。大人の女性に対する暴言です! 輝姫さま、お耳に入れてはなりません! これだから城壁外の野蛮人はダメなのです!」
「フムフム、勇者スバルさまは少女体型がお好き……と」
スバルの言葉を途中でメイドのメイが遮り、アメリアがしっかりメモを取っていた。
「ねえ、スバル? 私の可愛い妖精少女のモドキとベッドの上で何をしていたの? これからするつもりだったことも言いなさいよ。怒らないから……。モドキも、ね?」
「お、俺は別に怒られるようなことは何も――」
「ハイ、輝姫さま。ベッドの中で身体中をスバルさまの手で弄ばれてしまいました。そして、私の一番大切なモノにまで手にかけようと……」
否定するスバルの隣で、妖精少女のモドキはポッと赤くなりながら、蜘蛛の帽子を手で押さえて照れながらも正直に答えたのだった。
「モドキ、お前な、今その部分だけを言うのは非常に誤解されやすいだろうがっ!」
慌てるスバルが振り返って見たのは、ピキッとひきつった笑みを浮かべながら、いつの間にか振袖からとりだした魔導書に指を滑らせる輝姫の姿だった。
こんな近距離で魔法攻撃を喰らうのだけは避けたいスバルは、指先で描かれる魔方陣をなんとか止めようと輝姫に飛びかかった。
「危ない! 輝姫さま!」
プシューッ!
メイがとっさに特製ハーブの催涙スプレーをスバルの顔面めがけて浴びせかけた。
「この浮気者ッ! ずっと一緒にいたエーセルにはちょっかいを出してもくれなかったくせにー!」
透明な羽をブンブンと震わせて、よくわからない八つ当たりをした妖精エーセルの弓の光弾が飛ぶ。
だが、スバルは勇者だけのことはあり、すんでのところで見切りどれもヒットしなかった。
しかし、それは輝姫が魔法を詠唱し終えるまでの時間稼ぎだったのだ。
そのことにスバルが気がついた時には、もう遅かった。
スバルの周りを空気の渦が取り囲んでいた。
『旋風魔法――!』
廃墟で体験した妖精エーセルの暴走したものとは威力がまるで違った。
逃げる間もなく、空気の鎖がスバルをグルグル巻きにして捕縛したのだ。
「言い残すことはない、スバル?」
「聞いてくれ、輝姫。俺はツルペタより、輝姫のマシュマロのようなボディのほうが一番抱き心地がよくて好きなんだっ――」
「……ス、スバルのバカァアーッ!!」
羞恥心で真っ赤な顔をした輝姫が大声で叫んだ勢いで、魔導書にピッとタッチして魔法を発動させてしまっていた。
スバルを縛っていた旋風魔法が渦を巻くように動き出した。
そのまま旋風に呑まれたスバルは、お屋敷の窓から外に吸い込まれるようにして放り出されていった。
「はぁはぁはぁ……。ああ、しまった。脅かすだけのつもりが、ついパネルに触れてしまったわ。――まあ、勇者にとってはなんてことないレベルだけど。でも、確か渡したい物があるとか言ってたのよね。結局、何だったんだろう?」
「――大丈夫です、輝姫さま、ご心配なく。先ほど、モドキは糸をスバルさまにつけておきましたから。どこへ逃げようとも、たどって行ってきます!」
いつの間にか町娘の格好に着替えた妖精少女のモドキは言うやいなや、さっそうと部屋の窓から外へ飛び出した。
蜘蛛の帽子から糸を出し、器用にお屋敷の壁面をつたいながら庭園に降り立ちスバルの後を追っていった。
「……ええと、輝姫さまはマシュマロボディでスバルさまの大好物と……アッ!」
今の出来事を一生懸命にメモを取っていたアメリアの手帳を、専属メイドのメイがひょいっと取り上げて言った。
「王族に対する不敬罪に問われたくなかったら、これは没収だからね! そもそもメイドとしての守秘義務があるでしょうが」
「そ、そんなぁ~! 輝姫さまとスバルさまの痴話喧嘩なんて、特ダネだったのに」
「ねえねぇ、それよりさ、エーセルがゴーストタウンで蜘蛛女を退治したことを噂で広めてよ!」
「偶然、建物が倒壊して勝っただけなんでしょ? 全然、盛り上がりに欠けるじゃない――……」
――メイドたちの会話を耳に挟みながら、窓から見える庭園とその向こうに広がる森や城塞都市の街並を眺めて、輝姫はクスリと笑みをこぼした。
開け放たれた窓から吹き抜ける風にサラサラとした銀髪が流れて輝いていた。