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俺と隣の席の魔女シリーズ  作者: 冬木ゆあ
第一章 俺と隣の席の魔女
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第二話 魔女の事情

 健臣は直と拓也とともに駅前のファーストフード店で昼食をとったあと、二人と別れて自宅のあるマンションに向かった。

 駅とマンションの間には大きな公園があり、そこを通るのがマンションへの近道だ。

 駅側から公園に入ると大きな池が、マンション側には遊具が置かれた広場がある。

 広場では子供たちが楽しげに遊んでいて、それを母親たちが談笑しながら眺めている。

 公園の出入り口付近のベンチに座る女の子がいた。

 健臣と同じ高校の制服を着ている。誰かと思えば森野真子だ。

 どうして彼女がここにいるのだろうか。

 不思議に思いながら健臣は立ち止まった。

 このまま進めば間違いなく真子は健臣に気付くだろう。

 このまま踵を返して公園を迂回するか、それとも声をかけるか。

 しかし答えが出る前に真子が健臣に気がついて顔を上げた。

 健臣は覚悟を決めて人の良い笑顔を浮かべる。


「やあ、森野さんじゃないか。こんな所でどうしたの?」


 健臣は爽やかに声をかけてみたが、わざとらしくなってしまったことに頬をわずかに赤く染める。


「鍵を忘れたから、かずちゃんを待ってる」


 真子は特に気にした様子もなく、うつむきながら言った。健臣はふと浮かんだ疑問を尋ねる。


「ずっとここで待ってたの?」


 真子はうなずいた。学校からまっすぐ帰っていれば公園で一時間は待っていたことになる。健臣はさらに質問を重ねた。


「森野さんの家ってどこ?」


 真子は公園の向かいにあるマンションを指差す。健臣は驚いたように目を丸くした。


「俺もあのマンションに住んでるよ。中学は一緒じゃなかったよね?」

「高校に入るときに引っ越してきたから」

「そうなんだ。家の人はいつ帰ってくるの?」

「まだ連絡ない」


 真子は膝に置いたスマートフォンに視線を落とした。

 このまま真子を置き去りにして帰るのは気が引ける。

 なにより四月になったばかりでまだ肌寒かった。


「……俺の家にくる?」


 真子は健臣を伺うように顔を上げた。その時、健臣は初めて真子の顔をちゃんと見た。黒目勝ちな二重の瞳がくりっとしている。


「ほら、まだ寒いし、ずっと外にいたら風邪ひいちゃうよ」


 健臣はそう言いながら鞄の中から鍵を出そうとした。

 しかし内ポケットに入れたはずの鍵がなかった。

 鞄の底などを探りながら最後に鍵を使った時のことを思い出す。

 昨夜、健臣の母親である常盤典子から『遅くなるから適当に食べといてね』と連絡が入り、コンビニへ夕食を買いに行った。

 それから帰ってきて靴を脱ぐ時に鍵を靴箱の上に置いて……。


「あ、あのままだ……」


 健臣の顔からさーっと血の気が引いた。

 今朝は典子よりも先に家を出たので鍵を持っていないことに気がつかなかった。


「ごめん。俺も鍵忘れた……」


 健臣は申し訳なさそうに言った。真子は首をゆっくりと横に振る。


「やべー。今日、母さん遅いんだよな……」


 健臣は頭をかきながらぼそっと呟いた。

 今日は遅番だと言っていたから帰ってくるのは十時頃だろうか。

 帰ってくるまで裕に九時間はある。

 健臣が途方に暮れていると真子がベンチの端へと寄った。

 そしてちらりと健臣を見る。座れということだろうか。


「失礼します」


 健臣は真子の隣におずおずと腰かける。

 とりあえず真子の家族が戻って来てから自分の行き先を考えよう。

 片っ端から友達に電話をかければ誰かしらつき合ってくれるやつがいるだろう。

 だが、運が悪ければひとりファミレスという可能性もある。

 それだけはどうにか避けたい。

 そんなことを考えながら健臣はベンチの背もたれに寄りかかりながら真子を見る。

 真子は空を見上げていた。

 健臣は真子が教室でも空を見ていたことを思い出す。


「空、好きなの?」


 真子は健臣に視線を移す。


「うん、好き」


 真子は健臣の前で初めて微笑んだ。真子の髪を春の風がなびかせる。

 健臣は思わず見とれてしまった。

 真子が手にしていたスマートフォンがふいに鳴った。

 健臣はびくりと肩を揺らし、慌てて真子から視線を逸らす。


「はい。……ううん、大丈夫。……そう……わかった。うん、待ってる」


 真子が電話を切るのを待って健臣は尋ねる。


「もう帰ってくるって?」

「あと十分くらいだと思う」

「そっか」


 健臣は白い雲が浮く青空を見上げた。春の麗らかな陽の光が心地よい。


 しばらくして公園の入り口に黒い軽自動車が止まった。

 真子はその車に気がつき、その車に駆け寄る。

 健臣も慌てて立ち上がって顔に笑顔を浮かべた。

 だが、その車から降りてきたのは健臣も見覚えのある顔だった。

 健臣の通う高校の教師である松岡和弘だ。健臣の笑顔が凍りついた。

 なにかの偶然だろうか。いや、違う。

 真子は間違いなく松岡へと近づいている。

 そして真子は真っすぐに松岡を見て、ほんの少しだが柔らかい表情を浮かべているように見えた。

 その時、直が話していた松岡と真子のうわさ話を思い出した。

 あれは真実だったのだろうかと脳裏を過る。

 そんなことを考えていると真子が健臣の方を振り返った。

 それにつられるようにして松岡も健臣を見る。松岡と真子が健臣の方に近づいてきた。

 健臣は逃げ腰になりながらも必死に笑顔を浮かべるが、その口元はひくひくと引きつっている。


「まぁと同じクラスの子だって?」


 松岡が健臣に話しかけた。

 松岡の方が健臣よりも背が高く、体格がいいので圧迫感を感じる。

 健臣は辛うじて小さくうなずいた。


「まぁと同じ学年の子が同じマンションにいるなんて知らなかったよ」


 松岡は真子のことを堂々と愛称で呼んでいる。

 真子との関係を隠そうとする意志が感じられない。

 真子は松岡が着ている黒いジャージの裾をくいくいと引っ張った。


「常盤くんも鍵を忘れたんだって」

「そうなのか? なら、親御さんが帰ってくるまでうちにいろよ、な!」


 松岡はマンションを指差して笑顔を深めた。

 真子の家は健臣と同じマンションにあり、松岡の家も健臣と同じマンションだ。

 そして鍵を忘れた真子の為に松岡が鍵を届けにきた。

 一緒に暮らしているということだろうか。

 健臣の思考が追いついた頃には、松岡に肩をがっちりと掴まれて逃げられない状況に陥っていた。


「常盤の家は何階なんだ?」

「五階です」

「うちは十階。会わないもんだなぁ」


 松岡は相変わらず笑顔を浮かべている。

 真子はその隣でエレベーターの頭上のランプを眺めていた。

 エレベーターに乗り込むと松岡が十階のボタンを押す。


「ずっと公園で待ってたのか? 鍵を受け取りにくればよかったのに」

「めんどくさかった」


 真子がしれっと答えた。

 マンションから学校までは徒歩で約二十分の距離だ。

 もし松岡が真子からの連絡に気がつかなかったら、いつまでも公園で待っていたのだろうか。健臣は苦笑した。

 三人は十階でエレベーターを降りた。

 健臣は通路から外を眺める。

 正面に公園とその先に駅、公園の右斜め先には健臣の通う高校が見える。


 松岡が一つの扉の前で立ち止まり、鍵を開けた。

 表札には『松岡』と書かれていて、その下には黒の油性ペンで『森野』と男らしい字で書かれた白いビニールテープが張られている。

 健臣は無表情でそれから目を逸らした。


「着替えてくる」


 真子はそう言って、一番手前の部屋に入っていった。


「おじゃまします」


 健臣はおずおずとそう言いながらローファーを脱いだ。

 松岡のあとについてリビングに入る。

 リビングは右手側にテレビとローテーブルが、左手側に対面キッチンがある。

 そして対面キッチンの向かいにリビングテーブルが置かれていた。

 松岡はローテーブルの方を指さす。


「適当に座れよ」


 健臣は深緑のラグの上に座って、肩にかけていた黒革の鞄を置いた。

 松岡が麦茶の入ったガラス製のポットとグラスを持って健臣の斜め向かいに座る。

 麦茶をグラスに注いで、それを健臣に手渡した。

 健臣は「すみません」と言って、グラスを受け取った。


「親御さんは何時に帰ってくるんだ?」

「十時くらいだと思います」


 健臣は部屋の時計を眺めた。今は一時三十分を過ぎたばかりだ。先は長い。

 健臣は小さくため息をついた。


「そっか。親御さんも遅くまで大変だな。くつろいで待ってろよ」


 松岡の精悍な顔がにっと笑う。松岡とは廊下ですれ違う時に挨拶をしたことはあったが、こうしてちゃんと話すのは初めてだ。

 恐そうな先生だと思っていたが、それは見た目だけなのかもしれない。


「ありがとうございます。……俺、森野さんとのことはちゃんと内緒にしておきますから」


 健臣は握った拳を膝の上に置いて真剣な瞳で言った。

 松岡はじっと健臣の顔を見たあと盛大に笑った。


「俺とまぁはお前が考えているような関係じゃねぇよ。叔父と姪」


 健臣の肩から一気に力が抜ける。


「叔父と姪……ですか?」

「そう。まぁの母親は俺の姉さん。学校側もちゃんとそのことは知ってる。だから常盤君。内緒にはせずに是非とも言い触らして欲しい。うわさの根絶を頼む」


 松岡は真剣な表情で健臣の肩をぽんぽんと叩いたかと思うと、今度は感慨深そうに健臣を見る。


「まぁの友達がうちに遊びに来るなんて……。これからも仲良くしてやってくれよな」


 松岡は目尻に溜まった涙を拭いた。

 笑ったり、泣いたりと忙しい人だと、健臣は苦笑する。

 綺麗に整えられている室内を見回していると、窓際に置かれた木製の棚に気がついた。

 その上には写真が飾られている。

 家族写真だ。最初に目に入ったのは中心にいる明るい笑顔を浮かべた女性。

 すぐに真子の母親だと分かった。真子と雰囲気は違うがよく似ている。

 その傍らに写る爽やかな印象の男性は恐らく父親だろう。

 そして女性に抱きついているのは母親そっくりの明るい笑顔を浮かべた小学生くらいの真子だ。

 真子もこんな風に笑えるんじゃないかと、健臣は思った。

 それと同時に、写真立ての傍に線香が置かれていことに気づく。


「ああ。それはまぁの両親だよ」


 松岡は写真立てを手にして戻ってくる。


「両親とも……ですか?」

「いや、晃政さん――まぁの父親は生きてるよ。今は仕事の関係でアメリカにいる。亡くなったのは姉さんだけだ。事故でな」


 健臣は松岡から手渡された写真を眺める。


「少しだけ森野さんの気持ち分かります。俺の父さんも中学の時に病気で……」


 家族を失ったから、この笑顔が真子から消えてしまったのだろうか。

 そう考えると自然と目尻に涙が溜まる。

 そんな健臣の様子を見て松岡の目元が優しく微笑んだ。


「常盤も大変だったんだな。今はお母さんと二人で暮らしてるのか?」


 健臣はうなずく。


「そうか。お母さんを大切にな」


 松岡の大きな手が健臣の頭をがしがしと撫でる。

 そして松岡は写真立てを元の場所に戻した。


「なぁ、常盤。この話はまぁにはしないで欲しい。あの子はまだ気にしているんだ」


 松岡が顔を歪ませて微笑した。健臣は小さくうなずく。

 タイミングを見計らったようにリビングの扉が開いた。

 真子は若草色の生地に小花柄を散らせたワンピースを着て、長い髪をうしろで束ねている。

 真子が黒い服を着ているイメージを勝手に膨らませていた健臣は、そうではなかったことに少しだけがっかりした。

 なによりも驚いたのは髪型だ。

 こういう風に言うのは憚れるが、真子の髪型は野暮ったい。

 綺麗に切り揃えられてはいるが、ただ切り揃えただけと言った風貌だ。

 だが、髪を上げたことで印象ががらっと変わった。

 髪を下ろしているときよりも数段明るい雰囲気になる。


「森野さんは髪を上げてた方がいいと思う」


 健臣はぼそっと独り言のように呟いた。真子は驚いて健臣に視線を向けた。

 髪を上げているので表情がよく見える。

 くりっとした猫のような瞳を大きく見開いていた。

 健臣は自分が言ったことに気がついて顔を真っ赤にした。


「おっと。そろそろ学校に戻らねぇと」


 松岡が立ち上がる。

 ということはこれからしばらく真子と二人きりと言うことだ。

 健臣の胸に気まずい感情が渦巻いた。


「またあとでな」


 松岡は手をひらひらさせた。

 真子もキッチンから顔を出してひらひらと手を振る。

 そして健臣もしかたなく手をひらひらとさせて、年頃の男女を一つ屋根の下に放置して爽やかに去って行く松岡のうしろ姿を見送った。


「常盤くん」

「は、はい!」


 健臣は肩を揺らして真子を見る。


「お昼ごはん作るけど……。常盤くんは?」


 真子は相変わらずうつむきがちに話した。


「駅前で友達と食べてきたから俺は大丈夫です」

「わかった。テレビ、つけていいから」


 健臣は「ありがとう」と言って、テーブルの上にあったリモコンでテレビをつけた。

 特に見たいものはなかったが、音が無いよりはまだましだ。

 テレビに集中していれば気まずさもいずれはどこかへ行くだろう。

 健臣はテーブルに肘をついて、ぼーっとテレビを眺めていた。

 しばらくするとうつらうつらとしてきて、健臣は心地よい眠気にゆっくりと身を委ねた。

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