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俺と隣の席の魔女シリーズ  作者: 冬木ゆあ
第一章 俺と隣の席の魔女
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第十三話 来訪者(後編)

 夕方まで時間をつぶして帰ると、リビングには酔っ払った松岡と晃政が談笑していた。テーブルには空き缶が五本転がっている。リビングに顔を出した健臣に松岡が気づいた。


「おう、遅かったな。おかえり」


 大きな声で機嫌が良さそうにそう言った。晃政もビール缶を持った手を上げる。


「おう、常盤君。どうして君がいるのかな」

「さっきもいったじゃないですか。常盤はもう家族みたいなものだって」

「そうだったかな」


 松岡が晃政の肩に手を回して言うと、晃政は大きな笑い声を上げた。

 健臣は口元が引き攣る。真子の姿を探すとリビングにはいなかった。


「健臣くん」


 うっすらと暗い廊下の奥から小さく真子が呼んだ。健臣はそっとリビングから出て、真子の方へ行く。真子は自分の部屋から顔を出していた。


「なにあれ? 酔っ払いがいるよ」

「お父さんがくるといつもああなの。少ししたらしんみりと飲み始める。それまでは避難しているのが得策」


 少しむすっとした顔で言う真子に健臣は苦笑気味にうなずいた。リビングにいると絡まれそうだ。

 真子が部屋のドアを開けたまま戻っていく。部屋に入れということだろうか。そういえば今まで真子の部屋の中は見たことなかった。健臣は少し緊張した様子で真子のうしろから入る。


「失礼します」


 真子の部屋は殺風景だった。物がほとんどない。ベッドと本棚と備え付けのクローゼットだけだ。


「あまり物がないんだな」

「引っ越してくる時に必要なものだけ持ってきたから。お父さんがアメリカに戻るときにほとんどをむこうに送ったの」


 健臣は真子のうしろ姿を見つめる。今手を伸ばせばそこにいるのに、どうしてだかとても遠くにいるような気がする。

 真子はベッドに腰かける。健臣は淡いグリーンのラグが敷かれた床に座った。


「なぁ、真子」


 真子がわずかに首をかしげて健臣を見る。健臣が言葉を続けようとすると、


「まーこ」

「まぁちゃーん」


 酔っ払いの二人が真子を大声で呼んだ。そして、楽しげに笑っている。


「和宏君、『まぁちゃん』はもう子供っぽいでしょう」

「いや、真子はいつまで経っても俺の中では『まぁ』ですよ」


 真子は小さくため息をついた。そして、立ち上がる。


「健臣くんはここにいて。ここは安全だから」


 真子はやけに真剣な表情で言った。健臣は小さく何度もうなずいた。


「まぁちゃん」

「まぁーちゃーん」

「そんなに呼ばなくても聞こえてる」


 真子が言いながら部屋を出て行った。健臣はベッドの側面に背中を凭れさせて近くにあったクッションを抱えた。そして、大きくため息をつく。ファーストフード店では大人びたことを言ったが、心の中では真子を引き留めたい気持ちでいっぱいだった。それにまだ気持ちも伝えていない。好きだという気持ちを伝えることはそれさえも真子にとって重荷になってしまうのだろうか。でも、もし伝えずに真子がアメリカに行ってしまったら、俺は後悔しないだろうか。健臣の中で考えがぐるぐると渦巻く。

 携帯が鳴った。直からだ。健臣は通話ボタンを押した。


『お、出た、出た。今どこ?』

「先生の家。先生もおじさんも酔っ払ってて大変だよ」

 電話の向こうで直が笑った。

「で、どうした?」

『いや、さ。健臣はどうするのかなって』

「どうするってなにを?」

『告白! すんの?』

「直球だな。……俺もそれ考えてたとこ。びっくり」


 健臣が笑った。直も小さく笑う声がする。


『さっきお前と拓也が言ってたこと、正しいと思う。けど、やっぱさ、嫌なんだよ。今は毎日会うのがあたりまえなのに、アメリカに行っちゃったら会えないじゃん』


 直が深呼吸する。そして、言葉を続けた。


『言いたいこと言うのが友達だと思うし、俺たちの気持ち伝えて、それでも真子ちゃんが親父さんと暮らすって言うなら、それはそれで応援したいと思う。だから、俺は気持ち伝える』


 直が言った。健臣は小さく笑った。


「直らしいな」

『健臣に言わないで告白とか抜け駆けみたいでいやだからさ。伝えておこうと思って』

「……さんきゅ」

『お前は?』

「俺も勇気出た。気持ち伝える。真子から金髪イケメンとの二ショットの写真とかを送られてきてからじゃ遅いもんな」

『変なこと想像させんなよ!』


 直が笑いながら言った。


『告白したら真っ先に電話しろよ? 慰めてやるから』

「え? 俺、ふられるの前提なの?」

『ああ。だって真子ちゃんは俺とつき合うもん』

「……言ってろ」


 直がおかしそうに笑っている。そして、電話を切った。健臣は携帯を眺めながら覚悟を決めた。



 夕食のころには松岡も晃政もぐでんぐでんに酔っていて昔話に花を咲かせていた。真子が言っていたしんみりタイムに入ったようだ。健臣と真子に絡むことはなくなっていた。

 健臣と真子は二人で夕食をとった。健臣が左手でも食べられるようにおにぎりと唐揚げ、卵焼きというお弁当のような献立だった。少しだけ真子に食べさせてもらえることを期待していた健臣はがっかりした。

 夕食後、健臣は茶碗を洗い終えた真子を廊下へ呼んだ。


「ちょっと散歩しない?」


 健臣が笑顔で言うと真子は首をかしげながらうなずいた。

 エレベーターで降りて、マンションの前にある公園に向かう。昼間とは違って人気のない静かな場所だった。健臣はベンチに座って、真子にも座るように促す。初めて真子とちゃんと言葉を交わしたのもこのベンチだったなと健臣は思った。


「あの日、真子が鍵を持っていて、俺も鍵を忘れてなかったら、今みたいに俺たちは話してたのかな」


 真子は星空を見上げて、しばらく黙った。


「わからない。でも、健臣くんはきっと私にも分け隔てなく話しかけてくれてたと思う」


 真子が健臣の方を向いて小さく微笑んだ。この間の事故以来、真子は少しずつだが表情が増えてきたような気がする。健臣はそれが嬉しかった。


「なぁ、真子。俺は真子が好きだよ」


 健臣が柔らかく笑った。真子はじっと健臣を見つめる。健臣は真子の瞳を見つめながら続けた。


「真子が笑うと嬉しい。真子が困るとどうにかしたいと思う。正直、真子が俺のとなりからいなくなるなんて考えられないけど、真子が選んだ道なら、応援したいと思ってる」


 真子の黒髪が風になびいた。風が木々を揺らす音が静かに辺りに響いた。真子の瞳はしっかりと健臣を見ていた。信念を持った強い瞳だ。


「少し考えたい」


 真子はそう小さく答えた。健臣はうなずく。それを見てから真子は立ち上がった。そして、健臣の前に立つ。


「ありがとう」


 そう言って微笑んだ真子の顔は嬉しそうでもあり、泣きそうな顔にも見えた。


「俺はもう少しここにいるから。このまま家に帰る」

「わかった。おやすみなさい」

「おやすみ」


 そう言って去っていく真子の背中はいつものようにぴんと伸びていて、健臣はいつも密かにかっこいいと思っていた。

 健臣は携帯を取り出し、電話帳から直の番号を選んでかけた。何度か呼び出し音が鳴ってから直が出た。


「なーおちゃん」


 健臣がそういうとぷつんと通話が切れた。健臣は携帯の暗い画面を見る。すると、すぐに直から電話がかかってきた。


『へ、変な呼び方するなよな! 変態からかかってきたのかと思った!』


 健臣が小さく笑った。


『あれ? 元気ない? ふられた?』

「まだだよ」

『と言うことはもう告白したの? 行動が早いな。どこで言った?』

「うちの前の公園」

『あー、だよな。俺もそこ考えた。けど、健臣が使ったなら縁起悪いな』


 健臣が笑った。


「まだふられてないって」


 直が笑った。


『そうかよ。俺、今真子ちゃんにどうやって告白するかシュミレーションしてるんだよね。電話切っていい?』

「告白したら電話しろって言ったの直じゃん」

『そーだっけ? ま、いいや。おやすみ』


 そして、電話の終了音が鳴った。健臣は携帯を少し眺めたあと、立ち上がって家に戻った。



 次の日の朝。

 健臣はいつものように松岡家のリビングを覗くと晃政が健臣を見て顔をしかめた。リビングには晃政しかいなかった。健臣はしまったと頭をかく。いつもの癖で普通に入ってしまった。


「おはようございます。すみません。チャイム鳴らした方がよかったですよね?」

「……真子と和宏君から言われてたからな。別に気にしていない」


 真顔でこちらを見ている晃政に健臣は苦笑する。リビングテーブルを覗くと朝食はなかった。晃政が立ち上がる。


「真子は今スーパーに行っている。真子から君の朝食を用意するように言われてるんだが」


 健臣は目を丸くした。慌てて首を横に振る。


「いや、いや。大丈夫です」

「その腕は真子をかばってくれたときに怪我をしたんだろう? そのお礼だ。座っていなさい」


 健臣は小さく頭を下げて、リビングテーブルの椅子に座る。晃政がキッチンから健臣を見る。


「ごはんとパンはどっちがいい? ごはんなら食べさせてやれと言われているが」

「パンがいいです! 俺、パン大好きなんで」

「そうか」


 晃政がトースターにパンを入れた。しんと静かな時間が流れる。

 しばらくして晃政がパンをお皿に乗せて持ってきた。パンにはマーガリンと苺ジャムが塗られている。


「ありがとうございます」


 健臣は左手でパンを食べ始めた。晃政は健臣の正面に座る。


「真子は学校ではどうだ?」


 健臣は咀嚼しながら考えた。晃政が言葉を続ける。


「遠慮しなくていい。事実を知りたい」

「俺は二年になってからの真子しか知らないんですが、最初はいじめに遭ってました。でも、今はそうでもないです。昨日のやつらとも上手くやってます」

「そうか……」


 晃政がうつむきながら安心したような笑みを浮かべた。そして、真顔に戻って健臣を見る。


「君は真子がアメリカに行くことは反対か?」

「いえ。お父さんがいるならお父さんと暮らした方がいいと思います。けど、真子がアメリカに行くのは、はっきり言って嫌ですね」

「賛成なのか? 反対なのか? どっちだ」

「頭では賛成ですが、心では反対です」

「なるほど。はっきり言ってもらえて嬉しいよ」


 晃政が苦笑する。そして、初めて健臣に笑みを向けた。


「和宏君が言うように君はしっかりしているね」

「真子の方がしっかりしてますよ。俺なんて頼ってばっかりで……」


 食事を作ってもらったり、風邪をひいたときに看病してもらったり、洗濯をしてもらったりと上げればきりがない。健臣は今までのことを思い出して苦笑した。


「健臣君……と、呼んでもいいのかな」


 健臣はうなずいた。晃政がまっすぐに健臣を見た。


「真子が日本に残ると言ったよ」



 健臣はマンションを出て無我夢中で走った。スーパーに行ったというのなら、公園通るはずだ。暑い中、子供たちが汗をかきながら楽しそうに遊んでいる横を駆け抜けて、犬の散歩をしている人の横を駆け抜けた。池の横の道を走っていると、目の前に白いブラウスと小花柄のスカートを着ている真子の姿を見つけた。手にはスーパーのレジ袋を持っている。真子が気づいて、驚いたように健臣を見ている。健臣は息を切らしながら真子の前に立った。


「どうしたの?」


 真子が健臣の顔をのぞいた。健臣が顔を上げて真子を見る。


「おじさんから聞いた。日本に残るって……本当?」


 真子はうなずく。


「高校卒業までは日本にいようと思ってる。せっかく悠里ちゃんや直くんや拓也くん、それに、健臣くんと仲良くなれたから。離れたくないと思った」


 健臣はほっと表情を和らげた。思わずガッツポーズをしてしまう。それを見て真子は小さく微笑んだ。そして、健臣の左手に触れる。


「健臣くんの笑顔はほっとする。みんな私のことを『魔女』って呼ぶのに、健臣くんだけは最初から普通に話しかけてくれて、笑顔をくれた。そして、『真子』って呼んでくれた」


 真子はうつむきながらゆっくりと言葉を紡ぐ。健臣の手をぎゅっと握った。


「気がついたらいつも健臣くんがとなりにいて、気がついたら私も笑顔になれた。これからもずっと傍にいたい。健臣くんの笑顔を見ていたい」


 健臣は真子の手を握り返す。


「俺も真子のとなりにいたい」


 真子が顔を上げると、そこには健臣の笑顔があった。真子は顔をわずかにかたむけながら笑みを浮かべる。それは少しぎこちない笑顔だった。


「なに買いに行ってたの?」

「お父さんがアイス食べたいって」


 健臣と真子が顔を見合わせる。そして、真子の手にあるレジ袋を見た。


「もしかして……それアイス?」


 真子がうなずいた。二人は小さく笑い合う。真子はレジ袋の中のアイスをのぞき見た。


「ちょっと溶けちゃったかな。でも、帰って冷やせば大丈夫だと思う」


 そして、二人は家に向かって歩き出す。健臣と真子は自然と手を繋いだ。


「健臣くんって人見知り?」

「え? ばれてた?」


 健臣は驚いたように真子を見る。初対面は苦手だが、あまり人にばれたことはない。人見知りなんだと打ち明けても驚かれることの方が多い。


「初めて会ったときや親しくない人に向ける笑顔は……瞳を細めるけど、親しい人――直くんとか拓也くんと話してるときは目尻が垂れる。かわいい」

「か、かわいい?」


 真子がうなずく。健臣は困ったように頭をかいた。


「それに気がついたとき、私に向けてくれてる笑顔は親しい人に向ける笑顔だってことにも気がついてすごく嬉しかった」


 そう言って微笑む真子を見てから健臣は照れくさそうに空を見上げた。空には夏らしい白い雲がふわふわと漂っていた。

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