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うたたねポトフ

作者:鈴村 ましろ
 キイ、と扉を開くと、真っ暗な空間が私を出迎えた。人の気配はなく、個人の空間独特のしん、とした静けさが広がっている。
 ただいま、と小さく呟き、扉を閉める。
 答える相手はいないが、まぁ、癖みたいなものだ。18年来染み付いた習慣というものは、継ぎ足された1,2年程度ではそうそう抜けるものではない。
 ゆっくりと扉を閉めると、いよいよ静けさが襲いかかってきた。外の空間とは隔絶された、小さな居場所。プライベート、といえば聞こえは良いが、ともすれば孤独ともとれるだろう。
 ──まぁ、もう慣れたけど。
 さして重くもない荷物を適当な場所に置き、ぼふっとベットにその身を投げる。帰ってきたらだいたい最初にすることは、睡眠だ。というより、何かをしようと思っていても、気がつくと寝てしまっている、ということがほとんどなだけなのだが。いつからかいっそ開き直って、帰ったらまず寝る、ということにしていた。
 別に、趣味がないわけではない。それなりに本も読むしピアノも弾くし、ドラマだって見る。けれど、一番好きなことは?と聞かれたら私は寝ることだと答えるだろう。
 ──その次は、食べることかな。
 そうひとりごちて、枕に顔を埋める。
 寝たり、食べたり、そういったことに幸せを感じられるのは、きっと良いことだ。趣味をしたり、仕事をしたり。そういった活動よりももっと最初に来るのは、生きること。生きることに幸せを感じられなくては、その上に乗っかっているものにも幸せなんか感じられるはずがない、はずだ。
 ──なんてこと、人に言えるわけもないんだけど。
 ふらふらと遠くへ行ってしまった思考回路を一旦リセット。この枕カバーを最後に洗ったのはいつだったっけ、とか明日提出の課題はあったかな、とか取り留めのない物思いに耽る。大学生というものは、いつだって考えることがたくさんだ。バイトに、レポートに、サークル、人間関係、家事、就職…。
 高校生の頃は、ただ部活に打ち込んでいれば、それだけでとても充実していた。3年になって引退するまで、他のことにはほとんど目もくれず、部活一筋で過ごしていた。家のことはみんな親がやってくれていたし、バイトは禁止だったし。もちろん、勉強なんてさっぱりやっていない。
 引退して受験期に入ってからは、そのツケが回ってきて、今度はひたすら勉強に打ち込んだ。確かに大変ではあったが、私は良い思い出だと思っている。一つの決まりきった目標に向かって、みんなで切磋琢磨する、そんなシンプルで居心地の良い空間が。
 大学生は、その真逆と言えるかもしれない。強制されることがどんどん少なくなり、その分選択肢が増え、浅く、広くなっていく。色んな人が、色んな思惑で動いている、そんな雑多な空間で視野を広く持ち、自分の道を見つけなければならない。
 ──それはなかなかに、困難だ。
 身近なことを考えていたはずの思考が、再びふらふらと遠ざかっていく。そのまま、段々と瞼が重くなって…。

 というのがいつものパターンなのだが、一向に瞼は重くならない。どうも今日は、睡魔がお休みのようだった。
 ──睡魔がお休みっていうのも、変な話。
 そんなことを思いながら、ベッド脇に置かれたプラスチック製の時計を見る。角にヒビが入っているのは、寝起きの機嫌が悪いとかでは決してない。年季が入っているだけだ。
 ──…多分。
 誰にともなくそう言い訳して、時計の針を確認すると、まだ20時前だった。なんとなく脳内のプランでは、21時過ぎまで寝てそれからご飯というつもりだったので、夕食はコンビニとかで適当に済ませるつもりだったのだけど。
 ふむ、と顎に手を当てて今後のプランを真剣に考える。ただ、寝転がったままなので全然サマにはならない。むしろ滑稽だった。
 ベッド脇に立てかけてある姿鏡に、そんな間抜けな自分が映っているのが目に留まり、つい吹き出してしまった。なんとなくツボにハマり、ひとしきり笑ってから、体を起き上げる。

 ──たまにはポトフでも、作りますかな。

 私は、割と料理が好きな方だ。実家では積極的に夕飯の準備を手伝っていたし、友達にもよく振舞ったりする。
 ただ、自分だけが食べるための料理には、いまいちやる気が出なかった。
 一人暮らしを始めたばかりの頃、時間を持て余して少し凝った料理を作ってみたことがある。魚介のパエリア、焼きキノコのマリネ、フルーツトマトとクリームチーズのサラダ、さらにデザートのブラマンジェ。
 テーブルに並べるとなかなか壮観で、思わず写真を撮ってしまった。
 ひとしきり目で楽しんだ後、さあ食べますか、と着席すると、段々と目がくらんできた。こんなにたくさんの料理、1人で食べ切れるのだろうか…。
 結論から言えば、それは到底無理だった。半分も食べきれず、残りはラップをかけて冷蔵庫行き。翌日その残りを何度かに分けて食べたが、如何せん昨日と同じメニューなのでげんなりしてしまった。
 材料費も時間もそれなりにかかるのに、得られるのは束の間の自己満足のみ。これでは継続する気も起きない。それ以来、一人でご飯を食べる時は、コンビニのご飯で済ませたり、外食に行くことが主になってしまった。
 ──ただ一言、おいしい、って言ってくれる人がいれば、いくらだって作る気になるのにな。
 夕飯を作った時の家族の嬉しそうな顔を、懐かしく思い出す。濃いめの味つけが好きな父親と、薄めの味つけが好きな母親。どちらの好みに合わせようか、しょっちゅう悩んだりしたっけ。最後に彼らに料理を振舞ったのはいつだっただろうか。家で料理を作るのは、あんなに楽しかったのに…。

 それでも時々、1人で料理がしたくなったりもする。そんな時は、私が私自身においしい、って言ってあげれば良いのかな、なんて。
 ──ポトフくらいなら、さくっと作れるし。何より今は、アツアツの汁物が飲みたいな。
 そう思い立ってから行動を始めるまで、しばくかかる。まぁ、いつものことだ。急かす人は誰もいないし、急ぐ理由もない。
 もしも予定帳を書いていたらまるっと空白になってしまいそうな時間をごろごろと過ごした後、ようやく立ち上がった私は、うんと伸びをして冷蔵庫の中身を漁り始めた。
 冷蔵庫から収穫した品々を、台の上に並べる。じゃがいも、玉ねぎ、人参、キャベツ、ウインナー。本当はパセリとかも欲しいところだが、今から買いに行くのも面倒臭い。今回はこの食材で充分だろう。早速取り出した包丁をきらりと光らせて、まずは赤々と輝く人参に襲いかかることにした。
 包丁を平行に持ち直して、皮を薄く剥く。ピーラーは、使わない。一人暮らしを始めた直後、よく切れるピーラー、と銘打たれたそこそこのお値段のピーラーを購入したのだが、調子に乗って使っていたら親指の皮ごと切ってしまったのだ。
 ──よく切れた、本当に。
 それ以来なんとなくピーラーを使うのがトラウマになってしまって、皮を剥くのは包丁のお仕事になっていた。
 次に人参を横にして、回しながら乱切りしていく。
 野菜を切る音は好きだ。トン、トン、と規則的な音色。
 よく母親が夕飯の準備をしている横で、私はその音を聞いていた。切っている食材によって音は全然違う。硬い人参なら、ゴトン、ゴトン。じゃがいもだとシャキッとするし、きゅうりは切りやすいからトトトトトと細かい音がする。
 目を瞑って聞いていたら、そのまま寝てしまったこともあったっけ。
 過去に思いが耽りながらも、手は淡々と動いていく。人参以外の野菜も大雑把に切り、鍋の中にボトボトと加えた。
 火を付けてから、オリーブオイルを馴染ませる。鍋はテフロン加工がしてあるものなので、食材を炒めてそのまま煮込むことができる。
 ──こういったものぐさな器具を考える人は本当にすごい。ものぐさ代表として感謝を捧げましょう。
 全体的に焼き色がついたら、火を弱めて水を加える。スープにチキンブイヨンと塩コショウで軽く味をつけてから、コトコトと具材を煮込む。この煮込む時間が重要なのだ。長く煮込めば煮込むほど、柔らかくなるだけでなく、スープに野菜の旨味が出る。
 弱火にかけたまま、壁に寄りかかって煮詰まるのを待つ。廊下と台所が一緒くたになっているこの家では、コンロを伺いつつ壁にもたれることができて、それがちょっとしたお気に入りポイントとなっていた。
 くつくつと踊る食材をぼんやりと眺めている、この時間が私はなかなか好きだった。ただ、何品も作る時はこの間に他の下ごしらえをしなくてはならないので、ぼんやりともしていられないのだが。
 今日は、ポトフがメインディッシュ。じっくりと煮込むのを観察できる。
 こんな話を友達にすると、その時間に他のことをするのが当然、と言われてしまうので、きっと私は変わっているのだろう。
 でも、私にとって煮込むのをじっくり見るのが、料理の醍醐味なのだ。出来上がった料理を食べることと同じくらい、好きかもしれない。
 ──私の好きなことは、寝ること、食べること、煮込むのの観察かぁ。
 なんだか、変な組み合わせで笑ってしまう。
 こんな下らないことで笑えるのだから、私は幸せ者だなぁ、なんて若干自虐的な思考に浸りながら、踊る食材をじっくり見つめる。
 くつくつ、くつくつ。
 心地よい小刻みな音と、ほんのり温かい蒸気がふんわりと広がる。やがて、お休みしていた睡魔が目を覚まして、私の瞼は重くなっていった。





 最初に動き出すのは、耳。まわりの音がだんだんと聞こえてきて、でも聞こえてくるだけだ。何の音なのかはさっぱり分からない。
 くつくつ、という音が脳裏に響き、ようやく頭が動きを始める。
 ──あ、そっか。ポトフ作ってたんだっけ。
 ゆっくりと目を開くと、ぼんやりと見覚えのある棚が映っていた。
 またここで寝ちゃったのか、とまだ動きかけの頭で考える。煮込んでる間って、つい眠くなっちゃうんだよな…。
 しばらくうつらうつらしてから立ち上がり、硬くなった背中をうーんと伸ばす。時間を見ると、22時過ぎ。予想外に遅い夕飯になりそうだが、これはこれで粋かもしれない。
 ──ばっちり煮込んだポトフで、優雅な夜のディナーとでも、洒落込みますかな。
 再びうんと伸びをして、私は気ままな長い夜を堪能することにしたのだった。

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