第一話「恋人までの距離(ディスタンス)」(挿絵あり)
(本作の挿絵はイメージです。本編の描写とは必ずしも一致しない事をご留意下さい)
■前章までのあらすじ
同盟関係の木徳直人と黒川ミズチは躬冠司郎を排除した後、葛葉レイを同盟に迎えた。
日常に戻った三人。その頃、不登校でゲーマーの霧争和輝は『イエローバスタード』なる人物から都市伝説『ブラックサイト』を紹介される。
葛葉レイが新たにオカルト研究会を設立。直人が見守る中、数人で都市伝説の『四曜の術』が試される。
その裏で未知の能力に目覚めていた和輝。彼はゲームと称してミズチと接触、戦闘が起きる。
一方でレイは直人に愛の告白をした。
けれど直人は悪夢を見て苦しむ。
和輝に煽られたミズチと吹っ切れたような直人は、予定された和輝との対決に臨む。
和輝との戦闘で直人は重傷を負うも、謎の力に目覚める。
呼応するようにミズチも新たな力に目覚め、和輝を見事殺害したのだった。
■前章までの主な登場人物
●木徳直人
高校二年生の男子で17歳。小説家志望。更なる悪夢に襲われながら謎の力にも目覚めた。致命傷を負う。
●黒川ミズチ
高校二年生の女子で17歳。魔術を駆使する魔女。新たな力に目覚めた。直人を守ると誓う。本名は美月。
●葛葉レイ
高校二年生の女子で17歳。ヤンギャルだがオカルト好きで研究会を立ち上げた。会長として都市伝説の呪い『四曜の術』をメンバーと実践。直人の事が好き。
●霧争和輝
高校二年生の男子で17歳。区立神内高校の生徒だが不登校。直人達とは別のクラス。特技はVRゲームで、剣に関する能力に目覚める。本性はサイコパス。ミズチと直人に敗北して死亡。
●躬冠泉
高校一年生の女子で16歳。躬冠司郎の妹。オカルト研究会の副会長となった。儀式『四曜の術』に参加する。
●友紀陽子
高校一年生の女子で16歳。泉のクラスメイトで友人。学力優秀で美脚。儀式に参加、陽炎の怪異に見舞われる。
●次元由美
高校二年生の女子で17歳。黒川組の一人で美月の友人。天然な性格で彼氏持ち。儀式に参加、三日月の怪異に見舞われる。
●イエローバスタード
和輝とゲームをした人物。ゲーム後に都市伝説の『ブラックサイト』を彼に勧めた。
綺麗な後ろ姿だ、と木徳直人は思った。
二メートル程先に女子が立っていて、後ろ姿でも神内高校の夏制服だと分かる。
肩より少し長い黒髪が風で艶やかに揺れていた。まるで花が咲く直前みたいだと、彼は感じる。
声をかけてみたかったが、柄でもなかった。
彼女は何かに気づいたのか、振り返った。そして目が合う。
飾り気がなく整った顔立ち。美少女を絵に描いたらこうなるのかと直人は感心した。
だがどこか憂いを帯びている。
彼は気持ちが揺さぶられて、口から言葉が溢れた。
「待って」
呼び止めた理由は自分でも分からない。
美少女は黙ったまま。悲しげな眼差しを向けてくる。
直人は胸が締めつけられた。
彼女が後ろ髪をひかれる様に顔を背ける。そのまま前へ歩き出す。
どんどん離れていく。
「置いていかないでくれ!」
懇願しても止まらない。
距離は更に遠くなる。
彼は気づいた。
自分が泣いているのを。
直人が目を開けると馴染みのアジトの天井が見えた。
窓の外はまだ薄暗いが、携帯電話の時計で夜明け前だと確認する。
上半身は服を着ておらず、包帯が袈裟がけの様に腹部へ集中的に巻かれていた。
左隣を見ると、黒川ミズチが横になって眠っている。
くの字の姿。すやすやと寝息を立てていた。
彼女が服を脱がして血も拭い処置してくれたんだろうと、彼は感謝した。
ミズチの寝顔を再び覗く。
可愛らしい。産まれたばかりの子犬の様だった。
「寝顔、初めて見たな」
自分も上半身裸の姿を初めて見られたのだと気にしだす。そもそもアジトに宿泊したのも初。しかも二人でだった。
今更遅いと自嘲した。
直人は腹部をさすり、助かった理由を考える。
「セノバイトか……」
彼は呟くが、半分理解して半分は理解できていない。
夢や幻視や死闘も、今では部分的にしか覚えていなかった。
何かが裏返った感覚だけ残っている。
代わりに過去の一部を思い出した。連鎖的な直感にも近い。
学校の図書室で見かけた海の怪獣。西洋の悪魔の名前だ。
その名が『レヴィアタン』だった。
*
放課後一緒に帰ろう。
そう言われた黒川ミズチは男子と共に歩いている。
右側に相手がいて、一緒に歩くだけでこんなに楽しいのかと彼女は驚いた。
道路を普通に歩いている。
遅れもせず早くもなく並んで歩く。
同じ歩調でいられるのは、互いに相手の速度に合わせるからだと知った。
ミズチは心地よかった。
彼の口数はそれほど多くない。けれど足音や周りの環境音が耳に入ると、それだけで不思議と癒されていく。
恋をしているのだと感じた。
乙女みたいにはっきりと実感できる。この男子を好きなのだと。
彼の横顔を眺めてみたかった。
けどどこか羞恥心があってなかなか見られない。
歩いていると、彼女の右手の甲側が相手の手に触れた。
気のせいかもしれない。ミズチはそう思ったが確かめたくなる。
小指を接触させる。
次に指を数本接触させる。
嫌がられている感じはしなかった。
思いきって彼の手を握る。
戸惑いの動きを感じたが、一瞬で落ち着いた。
指を絡めてみる。
すると優しく握り返してくる。
温もりも感じた。
至福の感覚。これ程の幸せを彼女は感じた経験がない。
このまま永遠に時が止まればどれだけいいか。嘆きのため息も出そうだった。
「じゃあここで」
声が聞こえて、愛しい指がスッと離れていく。
ミズチの指はまるで名残を惜しむ様に残される。
「うん。また明日」
彼が振り向きながら笑顔で手を振ってくれる。彼女も小さく手を振った。
明日また会える。それだけで活力が湧いてくる気がした。
「次はキスがしたいな」
艶やかに揺れる唇から吐息と共に願いが零れた。
目を見開いたミズチは、死からの蘇生に似た感覚を知った。
これが睡眠、あれが夢なのかと彼女は驚いた。
上体を起こす。
「おはよう」
声をかけてきたのは隣にいる直人だった。
「うん……」
「ぐっすり寝てたね」
「自分じゃ分からない」
「それは僕もだな」
目前の彼が重傷を負っていたのを思い出す。
「傷は大丈夫?」
直人が腹部を撫でながら苦笑した。
「うん、もう平気みたいだ。ありがとう」
「けど使い魔ではあんな致命傷は治らないはずなのに」
「僕達が力を合わせたからかもしれない」
「そうなのかな。直人くんに死んでほしくなかったから、それはずっと考えてた」
「……祈りに近いな」
彼がふと囁く。
「どういう意味?」
「何でもない」
ミズチにはよく分からなかった。
それより本当に大丈夫なのかが気になっていた。
*
「本当に大丈夫なの?」
「大丈夫、なはずだけど。心配なら見る?」
直人が聞き返す。
一瞬間が空いてミズチが真顔で頷いた。
「見せて」
彼が包帯をほどいていく。
血が滲んだ布を剥がす。
二人は衝撃を受けた。
腹部には傷痕もない。
彼女が呟く。
「嘘みたい」
「自分でもそう思う」
ミズチが細い指で穴があった所を触る。
「ミズチ、くすぐったい」
それでも彼女は慈しむ様に撫でた。
「もう……いいだろ」
直人が手で払う。
ミズチはきょとんとしてから、目を背けて言った。
「ごめん」
畳んであった服を彼が手早く着る。
とげとげしい空気が二人の間に滞留した。
*
夕飯後の葛葉レイは毎度Tシャツとショートパンツだ。ラフな姿の彼女は自室のベッドで悶えていた。
「せっかく髪型変えたのにぃ」
ポニーテールのゴムを外して、両手で髪をくしゃくしゃにする。
レイは直人の素っ気ない反応を気にしていた。
それだけではなく、ミズチとの様子も気になっていた。
二人には未だ自分が知らない何かがある。聞けていない秘密の事情があると彼女は感じていた。
「もうっ!」
レイは飛び起きてシャドーボクシングを始めた。
身体を動かせば頭がスッキリするのを知っているからだ。
パンチを繰り出すその姿とは対照的に、彼女の部屋は人柄に似合わずファンシーな雰囲気もあった。
所々で少女趣味、それ以外はオカルトの嗜好とワイルドな嗜好が混在している。
ミズチの事はとても好きだった。しかしもっと直人が好きだとレイは感じていた。
両方を好きなだけに板挟みの様な心境に陥っていた。
更には二人の仲が良い、自分よりも深い仲だと感じてしまう。
感じ方に自己嫌悪しながら、同時に直面した事実にも嫉妬めいた感情が湧き上がってくる。
それらを彼女は自覚した。
二人とは連絡先の交換も済ませてあるが、本当に連絡だけで滅多にやり取りはしていない。
実際はもっと連絡を取りたかったが、気を遣っていた。
勇気を出して約束まで漕ぎ着けたアイスの件。あれも未定のままで、不全燃焼の一因だった。
スッキリするはずなのに、レイはイライラしていた。
仕方ない――
彼女は煙草の箱とライターを掴み、自室を出てトイレに駆け込んだ。
家で煙草を吸う時の定位置は毎度ここだった。家人に見られないからだ。
箱から出した一本に火を点けた。
深く吸い込んで吐く。
気分が落ち着いていく。
しかし直人の姿が浮かんだ。
「……煙草。やめようかな。体にも悪いし」
再び彼の顔が浮かぶ。
「よーし! これが最後の一本」
レイは禁煙と再スタートの意思を固めた。
自室に入った彼女は、妙な違和感を覚えた。
自分の部屋なのに別の部屋に入った、そんな錯覚がある。
エアコンは効いていた。なのにレイは先程よりも暑さを感じた。
運動をしたから。頭を使ったから。煙草を吸ったから。だから体温が上がって暑く感じるのだと結論付けた。
ベッドに腰かけて、ため息をつく。
彼女は窓の外を見た。
黄色い三日月が見えた。
月ってこんなに低い位置から見えただろうか。おかしな疑問がレイの頭に浮かんだ。
『ディスタンス』には「溝」や「道のり」などの意味もあります。