「今日は絶対に雨なんか降りませんよ」
「いや、傘を取ってくれ」
「なら、会社に置き傘ひとつ置いておけば」
「いや、盗まれる可能性がある。そこまで想定しておかないと、物騒な世の中だからね。それが自衛というものだ。大体、犯罪なんてものは、想定してそれに対処さえしていれば、かなりの割合で防げるものだ。例えば……」
夜道をひとりで歩かないとか、繁華街には行かないとか、酒は飲まないとか、あーじゃない、こーじゃない、クドクド、クドクド……。
「あーもう分かったから。会社、遅れますよ」
「いや、大丈夫。お前との会話時間もちゃんと想定してある。では、行ってくるよ」
あー、もう朝からウザイなあ。うんざりだわ。
結婚するならマジメな人が一番って、親に勧められて結婚したけど、もう限界。
ホント、なにが楽しくて生きているのかね、あいつ。
なんでもかんでも想定、想定って。
人間なんて意外なことに、笑ったり、怒ったり、驚いたり、面白がったりするもんでしょうに。
それをなにするのにも、細かく計算して、1度頭の中で想定しないとなにもできないんだから。
ふん、ただの小心者のくせに。
さも自分は先の先まですべてお見通しの賢い人間ぶっちゃって。バッカじゃない。
35歳で同期で一番遅く係長になったくせに。
あーそうですか。なんでも想定済みなんですね。
それならそれで私にも考えがあるわ。
結婚して1年。
私は、この想定夫に愛想を尽かしていた。
大体、結婚前のデートからして悲惨だった。
冬になる前から風邪予防で、デートにもマスク着用してくるかと思ったら、ひったくりに用心して歩くものだから、いつも周囲をキョロキョロしちゃって、まったく泥棒と一緒に歩いているみたいだったわよ。
花粉の季節になって、ゴーグルを着けてきた時には、ぶっ飛んだわ。
その上、夜は危険度が増すって行って、デートは夕方5時まで。
私は小学1年生かって。
で、だんなのアパートに行ってみたら、玄関のカギが3つも付いていて、窓には防犯フィルムよ。
そんなに厳重に守っているくせに、部屋には小さいテレビ以外、家具もなんにもないの。
そしたら、地震がきた時を想定して、物は置かないんだって。
地震の時に家具は凶器になるって話を1時間も聞かされたわ。
その後、いきなり押し入れを開けるから、
「え、もう布団を敷くの? この人、結構強引!」
なんて思ったら、バカデカイ非常持ち出し袋出してきて、見せるわ、見せるわ、カップメンにレトルトのごはん、チョコにミネラルウォーター、救急箱に、ラジオに、テントに、寝袋に、健康保険証に、預金通帳と印鑑。
で、今度は備えあれば憂いなしの話を1時間よ。
もう勘弁してくださ〜い。
私、家に帰ったら、キッパリ断るように親に言おうと決めたわ。
でもね、見ちゃったのよ。その時、預金通帳の残高を。
33歳で現金5000万も持ってたの。
私、これにやられちゃったのよねえ。
だって元カレ、ギャンブル好きで借金だらけで、何度も私が尻拭いして、それでも直らないから別れたのよ。
だもんだから、弱かったのよねえ、お金に。
でも、酒もたばこもやらずに、ギャンブルどころか遊びも趣味も一切せず、物も買わないんだから、そりゃ貯まるわよね。
新婚旅行も旅行は一番危険だって、行かず終いなんだから。
もちろん、婚約指輪もなし。盗まれるって。
盗まれないために、カギ3つも付けてるとちゃうんかい、ボケがまったく。
ふー、この1年のグチをこぼしたら、キリがないわ。
最後にひとつだけ。
私、結婚以来、牛肉食べてません。安全な豚肉ばっか。ぶー。
もーあったまにきた!
よーし、あいつの想定外のこと次々としでかしてやる。
「あら、想定してなかったの?」
って皮肉って、離婚届け突き出してやる。
でもって、うろたえるあいつに、
「あら、想定の範囲内じゃないの?」
ってさらに皮肉って別れてやる。
う〜ん、あいつの想定の範囲外の行動かあ〜。
やっぱり、浮気かな。
なんたって想定夫とのエッチは意外性がなくて、ちっともドキドキしないから、刺激がほしいもんね。
出会い系に登録しちゃおうかな。
あーでもダメだ、私。そんな度胸ないわ。
じゃあ、牛肉料理出すか。って、私も小さいわね。
そんなのじゃダメよね。
牛肉買ったから、離婚だなんて、恥かしくて人に言えないもの。
考えに考えた末、結局、私はパチンコをすることにした。
あいつが大嫌いなギャンブルの中でも、タバコの煙で空気が悪く、騒音で耳にも悪く、座りっぱなしで腰にも脚にも悪く、時間がもったいなく、店を儲けさせるだけで、絶対に客は儲からないと決め付けている一番嫌いなパチンコだ。
そのパチンコで、あいつが最も大事にしている貯金を使ってやる。
1億円貯まったら、防災と防犯対策を完璧にした一戸建てを建てるんだと、セコセコ貯金している、いま5500万円まで貯まった貯金を。
あいつ、分かった時にどんな顔するかしら。
絶対、そんなこと想定の範囲外のはずよ。
わ、楽しみ。
って、どこにも通帳がないじゃない。
あいつ、まさか私が貯金に手を出すことを想定して、私に黙って、隠したんじゃ……。
そうよ、絶対にそうだわ。もう許せない!
ってとっくに許せないんだけど。
「あなた、銀行の通帳と印鑑、どこに仕舞ったの? なにかあった時、私、困るじゃない」
「いや、困らないだろ。サイフに生活費は入っているんだから。なにがあるんだ?」
「あなたになにかあったら、妻の私が知らないと困るわ」
「いや、それは想定済みだ。遺言に残してある。その遺言は銀行の貸し金庫の中だ」
「ゆ、遺言〜! か、貸し金庫〜! ねえ、夫婦なのに、なんでもかんでも私に相談なしでやって、
私ってそんなに信用されてないの? 私はあなたのなんなのよお〜」
女はこういうセリフを吐くと、自動的に涙が出るようになっている。
私は号泣した。
泣きながら、この1年間の結婚生活の不満を全部、ブチまけた。
するとだんなは、おもむろにカバンから小さな箱を取り出し、私の手に握らせた。
泣いていても分かる。これは指輪だ。
泣くのをやめずに箱を開けると、ダイヤの指輪だった。
しかも、だんなを許せそうな大きさだった。
30万? 50万? 泣きながら値踏みする私にだんなが言った。
「いや、今日は結婚記念日だから。この1年間、こんなぼくによく付いてきてくれたね。ありがとう」
なんだよ、なんだよ、浮気はできないけど、パチンコで貯金を使って困らせてやろうと思ったのに、この展開はなんだよお。
つーか、今日、結婚記念日なの?
「いや、それよりお前、結婚記念日、忘れてたの? いや、それは想定の範囲外だなあ。参った、参った」
ん、いま、ついにだんなに想定の範囲外って言わせた?
言ったよね。
じゃ、私の勝ち?
でも、うれしくな〜い。
結婚記念日、忘れてて恥かし〜い。
このまま泣いてごまかそうっと。
でも、指輪はうれし〜。
「いや、でも明日、その指輪も貸し金庫に入れてくるから」
ガクッ!
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