その39
夕暮れというにはまだもうちょっと早い夏空の下、胡桃は歩きながら話を聞いた。
泉によると、ことは以下のように進行したらしい。
まず、昨日胡桃から話を聞いた泉は、小太郎のことをかなり頑固な子であると断じた。二週間女の子に頭を下げさせてなお許しを与えないとは相当である。仮にこれから許すことがあったとしても、許す・許されるという上下関係を、小太郎と胡桃の間に作りたくない泉は、別方向からのアプローチが必要だと思った。とはいえ、部外者の泉が話をしにいったとしても、小太郎は聞く耳を持たないだろう。
ここで、兄の出番となる。「兄」という肉親の立場にある者から事情を尋ねられたら、小太郎も無下にはできまい。そう考えた泉は、兄を説得して、小太郎の真意を尋ね、胡桃ともと通りになる気があるのかどうかを聞き出させようとした。
「一応ブラコンのことは隠して話をしておきました」
泉が言う。気を遣ったつもりだろうが、そもそも小太郎とのことを話したこと自体がよろしくない。乙女の秘事を軽軽に兄に明かすなんて! 恥ずかしさと苛立ちで体の奥がむずむずしてきた胡桃だったが、先を聞くために黙っておいた。
「それで善は急げ。お昼休みに、五十嵐くんに呼び出してもらったの」
まさか兄が直接、小太郎を呼びに行く訳にも行かず、泉が行ったら先輩女子に呼び出されたということであらぬうわさが立つ。メッセンジャーとして白羽の矢が立ったのが五十嵐少年だったのだと泉は言った。
「ちょっとクルミちゃんとトークしてもらうことも頼んでおいたのよ」
カレシに冷たくされてすっかり下がっている胡桃の株だが、先輩男子(美少年)から話しかけられるということになればその株も上がるだろうという実に細かい芸である。
五十嵐少年に校庭の隅まで先導された小太郎は、そこに兄と泉が待ち受けているのを見ても落ち着いたものだったという。
「所帯じみたヤツだな」
とは自分のことを棚に上げた兄の談。五十嵐先輩に礼を言った兄は、彼を帰してから小太郎に向かった。そうしてまず妹が悩み苦しんでいる様を話した。仲違いしている恋人を想い食事も喉を通らず夜通し泣いているというようなことを、ちょっとオーバーに語った。当然、泉の入れ知恵である。二人の間のことに口を出す気はさらさらないが、あまりに哀れな妹の様子を見兼ねたのだ、と兄は言い訳して、もし妹に落ち度があれば反省もしていることだろうから許してもらいたい、と続けた。
兄の真摯な態度に、小太郎の気持ちは動かされたように見えた。
しかし、
「ボクは隠し事や嘘が嫌いなんです」
その牙城を突き崩すまでには至らなかった。
「可愛げない子ね」
とは可愛らしさと対極にある泉女史の言。
小太郎はまっすぐな声を出した。
「隠し事は持ったっていうこと、嘘はついたっていうことが全てで、あとから謝ればいいっていうものじゃない。人のためにしたことなら別ですけど、クルミちゃんは自分のことしか考えてなかったから」
「隠し事、それに嘘か……。ただ、それも程度問題だろ。オレは、許嫁がいることを隠されてたことがある。それに、『一カ月後に引っ越す』っていう嘘をつかれたこともある。それでも、そいつとまだ付き合ってる」
小太郎の目に同情するような色が現れた。泉は、軽く咳払いすると、脱線しそうになっている話を元に戻させる為、また自分への非難を逸らすため、肘で兄の脇をつついた。
「とにかくだ。どうせクルミの頭じゃ、大したことができるハズもない。そんなものにいつまでも目くじらを立てるのは大人げない」
「ボク、中学生ですから……それに、例え、お兄さんだとしても、クルミちゃんのこと悪く言うのやめてください」
おや、と泉は内心にやりとした。これは脈がありそうだ。
「本当のことだろ。悪事ができないのが、あいつの唯一の美点だからな」
「唯一だなんて!」
「他にあるか?」
「いくらでもあります。明るくてはきはきしてて可愛らしくて、クラスのムードメーカーですし、一緒にいると凄く……」
勢い込んだ小太郎の言葉は尻すぼみになった。誘導尋問をしかけられていることに気がついたのである。
「と、とにかく、付き合った直後に隠し事をしたこと、ウソをついたことを無かったことにはできません。失礼します」
そう言って帰ろうとした小太郎を止める形で、あろうことか、兄は深々と頭を下げた。
「この通りだ」
泉は驚いた。頭まで下げてくれと頼んだ覚えは無い。
「そういうことをさせないためにわたしがついてたんだけどなあ……」
悔しさをにじませた声で、彼女には珍しい暗い顔で語る泉。
上級生から頭を下げられてさすがにショックを隠せない小太郎。こここそ泉の出番である。
「中沢くん。クルミちゃんのこと許せとはもう言わない。その代わり、一つ勝負を受けてくれないかな」
「……勝負?」
「そう。クルミちゃんをめぐって、あなたと春樹が戦う。もしあなたが勝ったらもうこれ以上、わたしたちは口を出さない。もしハルキが勝ったら、あなたとクルミちゃんは仲直りする。どう?」
いったいどこからそういう発想が生まれてくるのか。それもそれ。しかし、もっと驚くべきことは、打ち合わせなくいきなり持ちだしたことであっても、兄が平然としていたということ、そして、小太郎がそれを受け入れたということだった。
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