その1
このしみったれた世界を今こそ変えてやるっ!
革命を志す理想主義者のごとき気勢を上げ、福田胡桃は敢然と世界に立ち向かった。
彼女の世界。すなわち、朝起きて、学校に行って、授業中寝て、友人とおしゃべりして、部活行って、帰って、ドラマ見て、宿題をやらずに寝る。平々凡々な世界。まことにしょうもないと言わねばならない。胡桃はうんざりしていた。彼女は現在中学二年生である。去年の一年間、そういうツマラン生活をして、胡桃は飽き飽きしたのである。
「こんなのは本当のわたしじゃない!」
いったん変えようと決意した彼女の行動は早かった。胡桃はイマドキの女の子である。救いの手が伸びるのをグズグズ待ったりしないのだ。カボチャを馬車にしたり、薄汚れたチェニックを豪華なイブニングドレスにしてくれる老婆を待つには、現実的だったとも言える。
そうして今、五月の中旬、茜射す中学校の校門前、胡桃は世界を変える呪文を唱えた。
「す、好きです。つ、つ、つ、付き合ってくだしゃい」
まともにどもって、あまつさえ噛んでしまった彼女のその心臓は、フルマラソンを走破したマラソンランナーのそれのごとくばくばくと鳴っていた。普段は全く自己主張をしないくせに、こんな大事なときにドキドキドキドキ、何をはしゃいでいるのか、うるさくてたまらない。心臓よ止まれ、と聞こえようによっては怖いことを一心に願っている胡桃の前に、一人の少年が立っていた。
胡桃の呪文を浴びた彼は、彼女のクラスメートである。贅肉を削ぎ落したような無駄のない体つきをしているが、けして不健康なものではなく、それはまるでクリスタルカットされたダイヤモンドを思わせた。
黙考する彼の前で、胸の動悸がおさまらない胡桃。
いわゆる「告白」というものを生まれて初めて彼女はしたわけであるが、こんなに緊張するものだとは聞いていなかった。話が違う! 責任者、出てこい! 胡桃が心の中で怒りをぶちまけたのは、友人に対してである。
というのも、彼女らは揃ってこんなことを言っていたのだ。
「大丈夫、大丈夫、緊張なんてしないって。ただ、呼びとめて、こう言ってやればいいのよ。『もしわたしと付き合いたかったら付き合ってあげてもいいよ』って。大喜びでオーケーしてくれるって。男子の方だってカノジョ欲しいと思ってんだからさ」
ケタケタと豪胆に笑う友人たちに励まされた胡桃だったが、今思えば相談する相手を間違えたような気がする。彼女らがゲットしたカレシとは、髪を染めたりピアスをあけたりすることにしか興味が無いチャラ男である。今目前にいる少年、中沢小太郎は、そういう軟派ヤロウとは一線を画す存在なのだ。参考になどなろうハズがない。
サッカー部の彼は二年生でありながらレギュラーとしてチームの一角を担うほど抜群の運動神経を誇り、しかし、それを鼻にかけることはない。誰にでも分け隔てなく優しく、しかもその優しさたるや、男子クラスメートをして「オレが女だったら惚れるね」と言わしめたほどである。教室の戸を開けてもらったくらいでそこまで言う彼の人生に幸あれ、と言いたくならないわけではないが、とにかく、小太郎は上等な男の子と言って良い。顔立ちも端正であるので、当然女子にも人気が高い。風の噂によると一年のときに何度も告白されているそうである。しかしそのことごとくを断ってきた、ということも聞いていた。
告白を受けなかった理由は杳として知れない。理想が高いのだろうか。
そんな難攻不落の城に挑むのに、正面突破はいささか無謀であったかも知れないが、なんといっても胡桃にとっては初恋である。深遠な恋の駆け引きなど望むべくもない。傍らにいた彼女の参謀役たちも大口開けて笑うことしかしない能無しばかり。当たって砕けるしか手はなかったのである。
どのくらい時間が経ったのだろうか。五月の夕べはまだ明るい。部活動が終わって男友達と帰ろうとしていた小太郎を校門前で捕まえたのである。雰囲気を察したその友達からは冷やかしの声がかけられて小太郎に迷惑をかけたわけだが、これはやむを得ない。ダイレクトに当たるのではなく友人を使って小太郎を呼び出してもらうということも一応考えてみたのだが、
「これはわたしの戦いだ!」
という、恋心を伝えに行くのにまるでタイマンを張りに行くがごとき潔さを発揮して、ひとりで事に向かったのである。
橙色の夕日に染め上げられるなか、胡桃は小太郎の喉元を見ていた。告白した後はまともに目を合わせられず、視線を下げていたのである。喉の少し上にある顎先がこくんとうなずくのが見えて、ついで、「いいよ」という一言が胡桃の耳を快く打った。
それは世界を変える一言だった。夕暮れの景色が俄かに燦然とした黄金色に輝いたような気がした。胡桃にとって、新しい朝が来たのである。半ば信じられない気持ちで確かめるように彼の目を見ると、小太郎もじっと胡桃を見ていた。長い睫毛が縁取る綺麗な瞳に、ちょっと照れた色が混ざった。
「ふつつか者ですが、よろしく」
照れくささを紛らわすような小太郎の口ぶりに胸が鳴った胡桃は、どもりながら、こちらこそ、と返して丁寧に頭まで下げていた。
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