変質
変わっていた。元はただの人間だったのだが、いつの間にか変わっていた。
何処でどう暮らしてきたか、何時をいかに生きてきたか、覚えてはいるがいつからか意識はしなくなった。変わってからどれだけの月日が経ったのだろうかと、ふと思うことすらない。はっきりしていることは、きっかけと今、ただそれだけだった。
今では少女は、死を伝える者、であった。
少女が歩いていると、人々は顔を伏せ無言で道をあける。少女は何の感情もなく、あけられた自分の道を歩いていく。誰も言葉を発しない。息を殺し、ただそれが押し込められたように空気を重苦しくさせている。実際避けられているのだが、そんなことはどうでもいいことだった。少女は誰とも関わる気はなかった。
そんな時、少女を避けようとした初老の男が、足をとられつまずいた。
「村長さん・・・」
少女は倒れる初老の男に反射的に口を開いた。相手を確認するだけの何の意味もなく、そして何の思い入れもない言葉だった。しかし、思いもしなかったが言葉が、音として声が出たのだった。
「な、何をいっているんだ!」
そのとき少女は軽い驚きと悲しみを、村長は激しい恐れと怒りを、それぞれ抱いた。
気がついたときには、少女はすでに死の近い人間が相手でなければ、言葉を発することができなくなっていた。それが紛れもない事実であり、それ以上もそれ以下もなかった。
初めのうちは、少女にもわけが解らなかった。誰かと話をしようとしても声が出ない。一人きりでも声は出ないし、泣き声も叫び声も出ない。それなのに中には話ができる者がいて、その者はその後近いうちの死んでいった。しかし、それがどういうことかというのは少女はすぐ理解した。自分が話せるのは死が近い者だけでそれは、言葉を交わした者は近いうちに死ぬ、ということを示唆していることを。
だから少女は、死を伝える者、である。
その日の夕刻、村長宅に人々は集まった。
村長はまだ現れないが、出された茶をすすりながらの会話は始まっていた。
「聞いたか!村長が死神に取り付かれたそうだ」
「またあいつに殺されるのか・・・。どうする、放っておくしかないのか」
「今夜の集会、だぶん死神のことだ」
広くもない村だ。些細なことでもすぐに伝わってしまうのだから、今回のような重大なことはほとんど時間をおかずに広まっている。もちろんそんなことは誰しもわかっている。だが人々は、確認しあい反芻するかのように同じ話を続けた。
他の話がないわけではない。村の政治や農業の話題、生活するうえで話し合うことは山のようにあった。しかしそれらの平和を保つ話題よりも、直接に脅威となりうる問題のほうが遥かに人々の関心をかきたてたのだった。
そして、泣き笑いに怒りを込めたような不思議な表情で現れた村長が、両手で天を仰ぎながら重苦しく話し始めた集会の議題も同じだった。
「みな知っていると思うが、わしは死神に殺される。ふふっ。・・・こんなことがあっていいのか!あの娘を、死神をどうすべきか皆もわかっているだろう!」
村長は話の終わりに、怒りを込めて腕を落とし机を叩き付けた。衝撃で湯飲みが倒れ、茶が机からしずくを作り規則的に床へと落ちる。一瞬静まりかえった薄暗いこの部屋で、いったい何人がそれを見、それをきいていたのだろうか。次の瞬間には人々は口々に自分の意思をさらけ出していた。
少女と言葉を交わした者が次々と死んでいく。そんな状況で、人々は恐れから少女のことを死神、つまり少女が死の原因である、と考えた。人々にとって死神と殺し屋は同義語のようなものであったし、死神という音は畏怖の対象にしかならなかった。だから少女は死神として差別、一種のタブーとして腫れ物扱いされるようになったのだった。それは事実を知らない者とっては自然な考えではあったが、少女にとっては間違った一方的なものであったのは言うまでもない。しかし気にも留めなかった。少女はすでに人々からも、そして自分の運命からも心を閉ざしていたのだった。そんな中でも少女は、近いうちに死ぬ人間と話をしている、という意識だけは決して失わなかった。
少女は、死を伝える者、なのだ。
そんな少女は男と出会った。
「やあ、死神さん?」
男がにこやかに少女の顔を覗き込むが、少女は一瞬不機嫌そうに眉をひそめただけだった。
誰とも関わる気なんてない。そのほうが誰のためでもある。
少女は男を見なかった。
「逃げたほうがいい。近いうちに村長達がここに来る」
きみを殺しに。
少女は理解はしたが、同時にこの男にも不信感を持った。ただの人間が忠告しに来るなんて、それは考えられないことだった。ただひとつ思いつく理由がありはしたが、それでもなぜ忠告かという疑問は残る。それを察したのか男は、
「前からきみに興味があったんだ」
そう微笑みかける。村はずれの家に来る理由はそれで十分だろう、と言わんばかりの思いが込められた男の言葉は、少女にはつまらないものにきこえた。それは少女が今までの何度かの経験から思いつく、ただひとつの理由と同じだったからだ。
なら興味で死ぬか?少女はそう思いながら、今まで興味本位であらわれた者達にしてきたように、男を一瞬だけ見て口を開こうとする。これで逃げなかった者は今までいなかった。所詮自分が大事なのだ。
だが、
「違う。怖いもの見たさじゃない。本当にきみに惹かれているんだ。そんな男が一人くらいいたって不思議じゃないだろ」
男は違った。逃げようともせずに少女に近づいていく。忠告したのも単に心配だったからだと言うのだ。
少女は不思議だった。何とか解ったのは、男が少女の理解者となりうる人間だ、ということだった。それは少女が人間だったとき以来の・・・。
少女が人間だった頃。村でも優しい子だと評判だったこと意外は、さして特徴のない娘だった。だから、親しくしている者は他の者のそれとそう変わりはしない、そんな普通の暮らしをしていた。だがその優しさだけで、少女の運命を決めるには十分だった。
あるとき村で疫病が流行った。それは風のように村中を駆け抜け、疫病だと気がついたときには、村はほぼ全滅していた。少女を入れ数人だけが病気にかかっていないという、そんな絶望的な状況下で少女は自ら病人の看病を選んだ。義務感ではない。他の者のように、病気を恐れて近寄らないという選択肢を選んだほうが利口だったかもしれない。だが少女は放っておけなかった。
死にゆく者とだけの会話。睡眠時間を惜しみ、続ける看病。甲斐なく死んでいく者たち。穴を掘ってそこで燃やす。少女は、無言で焼かれていく人間を包む炎をながめ、そして無言で骨に土をかぶせる。悲しむ間も休む間もなく、再び死に行く者と話をする。その繰り返しだった。少女にはすでに気力もなく、ただ話しかけてくる者相手に答えるだけで精一杯だった。愚痴も何もでない。そんなことを言うくらいなら少しでも勇気付けてあげたかった。
すべての人間が死に、看病する相手がいなくなってからも、すぐには少女の心は晴れなかった。死のにおいが体に染み付いて消えないような、死に取り付かれたような、ともかく少女は死に慣れすぎていた。
自分が生きていることが不思議で、そのことを喜んでいいかも判らない。ただ、死んでいった者達を思いながらも、次第に自然と湧き上がる開放感を抑えることはできなかった。
少女はしばらくしてから他の生き残った者と話をしようとするも、声が出ないことに気がついた。彼らは初めはただの疲れだろうと気を使ってくれたが、村の再建が進む中すぐに、気がついてしまった。
変わっていた。いつの間にか違うものになっていた。
人間とは違う性質を持ったものになった少女の理解者は、死にゆく者たちで最後だった。開放感は次第に何かで塞がれていったのだった・・・。
一度視線を落とし、そして少女は落ち着いて男を見据える。
少女は自分をじっと見つめる男に興味を持った。自ら何かを意識することなんて忘れていたと思っていたのに、それは意外に簡単なことだった。
無表情のままなぜか目頭が熱くなった。
少女は寂しそうに顔を落とす。涙がほほを伝い肩が震えるが嗚咽さえ聞こえない。こんな感情が残っているとは思わなかった。それもあったばかりの男に。
自分を知ってもらいたいと思った。だが文字を知らない少女には、自分の過去も想いも、伝えるすべがない。
「やっぱりしゃべれないんだな・・・。きいたことがあるんだよ。きみが死者と関わりすぎただけの優しい娘だって。呪いはおれが解く。死者とかかわりすぎたから受けた呪いなら、生者と関われば解けるはずだ」
そう何日も寝ずに男は話し続ける。少女が病人に送った言葉よりも強い愛を込めて。
「この村にいたい気持ちは解る。ここなら誰もきみに近づかないからだろ?」
そのとおりだった。新しい環境で自分を避けさせるには時間が必要である。少女が今までやってきたことの大半は、自分に近づかせないことと何も感じないようにすることだった。
「関わらないことが最善なわけはない。今のままでも理解させればいいんだ」
少女もそれを考えなかったことはない。しかし言葉を使うことが恐怖となるのでは、そんなことは到底無理な話と、早い段階であきらめた。
「伝えるすべならおれがなってやる。それでも嫌なら、いや、だから呪いがなくなればいいんだ。そうしたらどこか知らない土地で暮らそう」
終始男の言葉は優しい。全てが全て少女の思いそのものではなかったが、逆にそれが真剣に考えている表れのようで、少女は変われるような思いがした。そして素直に、
「うれしい・・・」
ものであった。
「うれしい、か・・・」
聞き取りにくい小さなつぶやきを、男はかみしめるようにくり返した。それは男にとって初めてきいた少女の声。さながらそれは、闇夜の道を照らす雲の合間から覗いた一筋の月光、のようだった。
「ああぁ・・・。話せるぅ。きこえる?」
少女は落ちる涙も気にせずに男腕をつかむ。
「ああ。呪いが解けたんだ」
男は少女と泣きながら笑いあった。二人だけで静かに語り合うように。言語としての意味はなくても、笑い声は優しさを持った言葉であることを示すように、それぞれの胸に直に響き込む。
こんな時間が何時までも続けばいいと、どちらからともなく思ったはずであろう。だがそれは無意味なことだった。二人の喜びが、怒りをもったどこか異常な笑いにかき消されたのだから。
「くはははっ。出てくるのだ死神!わしとのけじめをつけようじゃないか」
村長は狩猟用の弓を少女の家の窓に向けて絞り、連れの者たちは鋤や鍬といった農具を必要以上に強く握り締めている。何をしに来たかは明らかだった。
「待ってくれ村長!この村から出て行くからっぷっ・・・」
やけに簡単だった。窓から呼びかけた男が倒れたかと思うと、大量の赤い液体が口から嫌な音と共にあふれ出し床を染める。首から生えた細い棒は天を向き、数回細かく動いた後はその軸がずれることはなかった。先端の鳥の羽が妙に色彩鮮やかだった。少女は呆然とそれだけを眺めていた。
「そ、村長!」
連れの者たちの手が始めから震えているのは、恐怖からだろうか、それとも何かしらの罪悪感からだろうか。その震えが大きくなった理由は簡単なのだが、もはや初めの想いなど残ってはいないだろう。
「死神と関わったからだ!これは死神の呪いだ!死神!貴様に居場所なんぞない!!」
「でも村長!」
「うるさい!さあ行くぞ!わしに続け!」
誰かの声がきこえるが耳に入ってこない。
感動的な別れなんてない。ただ絶望が静寂が、少女を支配していた。粘度の高い赤い床に座り込み、少女は何度も何度も短く息を吐き、
「あああああああああああ!」
そして叫んだ。言葉なんかではない。これは感情だ。
「し、死神の声が・・・」
連れの者たちの足がすくむ。
「くくくっ、そうか・・・。お前たちにもきこえたか」
村長は静かに、近くにいた一人の首を斧で落とす。
「村長何を!」
「はっは、死神の声を聞くと死ぬんだよ!」
村長はその場の人間を皆動かなくした。そして、
「まだ死神の声がきこえる。んふふっははははは」
村長は笑いながら自らの頭に斧を打ち込んだ。
外が静かになると、少女は力なく倒れこんだ。
そして全て自分のせいだと理解した。
死を伝える者・・・。
「はははははっは・・・、ああっ・・・、ないよ・・・そんな・・・。あははは・・・」
少女は顔を男で赤く染め、一人泣きながら笑う。
いつからかなんて判らない。気がついたときには変わっていた。ただそうなったきっかけも、いきさつも、今も、すべて解っている。
しかし少女は忘れるという道を選ぶだろう。今までそうしてきたように、これからも変わらない道を選ぶだろう。
少女は、死を呼ぶ者、へと変わっていた。
だが誰も気がつくことはない。人々にとっても少女にとっても、どちらでも変わらない事なのだから。
了 |