第115話
薄暗い執務室の中、男はひとり紫煙をくゆらせていた。実用一本で通された飾り気の無い部屋は鉄の鈍いグレーで統一され、その中で唯一色彩を放っているのは額縁に飾られた家族写真くらいのものだった。
「サクラめ……おもしろい男を連れてきたものだ」
サクラの父であるゲンゾウはそう言うと、手元の端末に映し出された間抜けな顔の男をじっと眺める。映像の下にはここ最近の華々しい経歴がずらりと列挙されていたが、それより前の経歴は一切不明とされていた。公的身分証には適当な学歴や出身地が書かれてはいたが、そのどれもが虚偽の記載だった。彼自身が調べさせたのだから、間違いようが無かった。
「あれには何の期待もかけていなかったが、いやはやわからんものだ。孫に期待していたが、そうでは無く伴侶の方で来るとはな」
独り言のようにぼやき、大きく背もたれに寄り掛かるゲンゾウ。粘化処理されたスプリングが音も無く体重を吸収し、適度な姿勢で止まる。
「恐らくではありますが、先の戦いも彼による所があったと推測されます。お嬢様はこう言っては何ですが、人望はあれど戦いの才能はありません」
ゲンゾウの机の上に表示された青いホログラフが、慇懃丁寧な姿勢で発する。ゲンゾウはそのホログラフへ向けて視線を上げると、ふんと鼻を鳴らした。
「そう考えるのが妥当だろう。船外に対する正体不明の通信記録が残されていたからな。情報部が通信暗号の解読にやっきになっているようだが、芳しくないとの事だ。鍵が必要な使い捨ての暗号なのだろう。原始的だが、効果的だ」
ゲンドウは手にしていた端末を机の上に放り投げると、まだ半分以上残っている1本500クレジットもする葉巻を無造作に揉み消す。単に味が気に食わなかったからだ。
「諜報関係の人間でしょうか。それも軍に近い場所での」
ホログラフの男が、何やら手元の資料を見ながら発する。それに首を振って答えるゲンゾウ。
「近いどころか、そのものだろう。大した実績も無いのにも関わらず、急に帝国軍関連会社との大口取引が開始されている。普通はありえんからな」
情報部が調べた資料には、明らかに帝国軍との関連が深い企業との取引記録が記されていた。腐敗した帝国軍相手に袖の下を通すのは容易な事だが、これだけ大口となると勝手は異なる。まずい取引をした場合、斡旋した軍人が責任を追及される事になるからだ。彼らは自らを持ち上げるより、自分より上にいる人間が下落する事での相対的な地位向上の方がずっと楽な事を知っている。
「そのものですか……それも多額の資金を動かせる地位となると、最低でも下士官。ひょっとすると士官クラスの可能性もあるという事ですか。しかしそうなると、目的が不明ですね。なぜお嬢様に?」
卓上に表示された10センチの人影が、腕を組んで考え込む仕草を見せる。
「さぁな。だが、単なる興味本位という事はあるまい。何らかの理由によって、出来るだけ帝国軍の介入を避けていると考えるのが妥当だろう。地方軍でも動員すれば、同盟など簡単に蹴散らせるのだからな……アレは腐ってもEAP第二主力艦隊の司令だ。利用価値はあるのだろう」
娘の事をアレ呼ばわりした男はそう言うと、「現に」と続ける。
「エンツィオに対する計略として、わざわざこんな回りくどい手法を用いてきたのだからな。食糧とその製法に関する大量の無償援助……しかし一見馬鹿げてはいるが、これによりエンツィオが負った損害は計り知れんぞ。それに総力戦についての知見自体も、間違いなくこの男からだろう。リトルトーキョーのリンにそこまでの才覚は無い」
しばらく前にEAPで開かれた総会議。そこでリーダーであるリンから発表された総力戦についての概念と警戒を聞かされた時、ゲンゾウは頭を棒で殴られたかのような衝撃を受けた。その場にいた人間でそれについての価値を理解していたのは極僅かな人数だけだったようだが、ゲンゾウは理解出来ない人間は企業人を名乗る資格は無いとすら考えていた。それは、致命的な結果をもたらす概念だった。
初めは若い人間特有の新しい発想かと訝しみながらも納得したものだったが、調べを進める内にこのテイローという男へと行き着いた。短期間で終結した為にタカサキは加わっていなかったが、対ディンゴ戦線における決定打を作ったのも彼だという事らしい。帝国への迂回経路を作成したのも、また彼だ。これらの驚くべき経歴は、ゲンゾウに小型農業ステーションの緊急大量生産を決意させるには十分なものだった。
「では、そのように?」
ホログラフの男が、覗き込むように伺いを立てる。ゲンゾウはそれに「うむ」と鷹揚に頷くと、ホログラフの男へ向けて人の悪い笑みを向けた。
「EAPが潰えても、タカサキが倒産する事はあり得ない。しかしトップであるリトルトーキョーは別だろう。リンの所と心中させるには、こいつは惜しい人材だ。逆に、もしEAPの勝利で終わるような事にでもなれば――」
浮かべていた笑みを、さらに強くするゲンゾウ。
「この男の影響力は計り知れない物になるぞ。なんとしてでもこいつを手に入れろ。娘ひとりで手に入るのならば、安い買い物だ。色気も金になるのであれば、捨てたものでは無いな」
「というわけで、お前との婚約をせっつかれている。どうだ、もらってみてはくれないか?」
色気も雰囲気も何も無い堂々とした声色で、サクラがおもむろに発する。プラムの調理室で焼き飯を作っていた太郎は、危うく手元が狂って全てを床にぶちまける所だった。
「いやいやいやいや、え? いやいやいやいや。どういうわけっすか。つーか、俺の事おもいっきりバレてるじゃん」
いったいどうなっているのかと、眉をひそめてみせる太郎。サクラとの間で交わされた約束は、サクラ側から秘密にして欲しいという要請を受けてのものだったはずだと。
「うむ。確かに父上にはバレてしまっているようだが、あえて知らぬふりをされた。見なかった事にするからそのまま続けろという事だろう。怒られるかと思ったが、むしろまた褒められたよ。あっはっはっ」
いかにもご機嫌だといった様子で、笑い声を上げるサクラ。太郎はフライパン――マーケットに存在していなかったので特注した――にかけていた火を止めると、中身を人数分の皿に取り分けていく。
太郎はエンツィオ領に対する食料爆弾への追撃として、米やジャガイモを使用した様々な料理のレシピをレジスタンスへと送り届けていた。地球人類が肉とパンを食べるようになってからサンドイッチやハンバーガーを発明するまでに数千年の時を要したように、新しい料理というのはそうそう簡単に作れるものでは無い。いずれは様々な場所で新しい料理が発明されていくのだろうが、その点で銀河帝国には大きな問題があった。
料理人がいない。
銀河帝国における食事は全て合成食料から賄われていた為、地球にいたような料理人が存在しなかった。普通に料理人といった場合、それは太郎からすれば科学者に近い存在だった。焼く、煮る、炒めるといった調理法はもちろん存在したが、それはオートメーション化された工場で行われるものだった。それゆえ料理法とレシピの存在は、この作戦において必須のものとなっていた。
「これも受けが良かったらレシピ化して放出だな……ていうか、俺こっちの家族制度の事とか全く知らねぇぞ。婚約とかあるの? 結婚も?」
そういえば考えた事が無かったなと、改めて思い出しながら太郎。
「もちろんあるとも。あぁ、古くからの家や企業でないと、近頃ではもっぱら無くなったようだがな。婚姻に関してはお前の知っている制度がどうだかは知らないが、共有財産を作成し、子をもうけ、それに相続させる事が出来る権利だな……にしても、良い香りだな。何という料理だ?」
恍惚とした表情で、皿に盛られた焼き飯を眺めるサクラ。
「チャーハンやね。動物は増やすのに時間がかかるから、具はほとんど合成食料だけど。劣化プリオクタニアンとトリアノトランス酸エクチュニオンだったっけかな……なんだよそれ。どこの化学物質だよ。タマネギでいいじゃねぇかよ。味一緒なんだから」
ぶつぶつと文句を言いながら、炒めたゴマをチャーハンへと振りかける太郎。そんな太郎に、「それで」とサクラ。
「どうなのだ。私と結ばれれば、末はタカサキのトップだぞ。帝国貴族の末席に加われるし、自分で言うのもなんだが良い物件だと思うぞ?」
胸を張り、太郎へ笑みを見せるサクラ。太郎はそれに気圧されながらも、「いやいや」と頭を振って見せる。
「け、結婚ってのはほら……こう、ね。ほら、好きになった者同士が行き着く到着点というか、なんというか。ていうか貴族とかもいるのね」
少ししどろもどろになりながら、太郎。そんな太郎に、「む?」と首を傾げるサクラ。
「好き合う者同士であれば、末永く恋人でもなんでもやっていればいいだろう。わざわざ婚姻をする必要は無いはずだ。婚姻というのは、社会的、法律的なバックアップを得る為の手段だ。普通、恋愛とは無関係では無いか? というか、君は私が嫌いか?」
腕を組み、不満そうな表情のサクラ。太郎は「嫌いってわけじゃないけど」と苦笑いをしてみせる。
「未来だけど、むしろそういった所は前時代的な考えなのかな……あぁいや、言ってるのがサクラだしなぁ。一般的にそうなのかは不明だな」
ぶつぶつと本人に聞こえないように、横目でサクラを見やる太郎。太郎が思うに彼女は少し常識はずれの所があり、情報源としてはいくらか信用出来ない所があった。恐らく育ちが良すぎるせいなのだろうが、時折マールやアランが彼女の発言に呆気にとられている事がある。
「ねぇテイロー、ご飯まだぁ? さっきから良い匂いがしてて、お腹ぺこぺこよ」
隣の談話室から聞こえる、マールの声。太郎は「今行くよー」と声をかけると、ちょっと引く位ゴマが多く振られた皿を手に取る。マールは炒りゴマにえらくご執心で、余分に盛ると喜んでくれるものだった。
「えっと、まぁ。ありがとう。でも婚約云々はちょっとね。今は戦争の事でいっぱいいっぱいだから」
彼女を傷つけなければ良いがと、申し訳無さそうに太郎。そんな太郎に、「わかった」と気にする風でもなくサクラ。
「お前は、恋愛と婚姻とを同格で捕らえているのだな? であれば、むしろわかりやすくて良い。惚れて、惚れられれば良いのだからな。ふふん、楽しみにしていると良い」
サクラはそう言うと、得意げな顔で皿を手にして歩き出す。太郎はそんな彼女の後姿を見つめると、面倒事の予感に小さく震えた。