彼らと周囲の事情
飲み物や食べ物も行き渡り、皆もそれなりに落ち着いてきた頃。高坂の後輩────ちょうど高坂と祐真の間の学年の青年だ────が挙手と共に声を上げた。
「先輩たちーっ 何となくわかる気はしますけど、どっちから告ったんですかーっ!?」
「俺からに決まってんだろ、男として、女に先に言わせるなんて情けないことできっかよ」
開き直ったらしい高坂の答えに、皆が色めきたった。
「おおーっ 高坂先輩、男らしーっ」
「ホントに男らしかったら、もっと早くに告ってんじゃないの」
辛辣な茜の言葉に、高坂が胸を押さえて俯いてしまったので、亜衣子は慌てて肩に手を置いて声をかける。
「こ…慎吾さん、大丈夫?」
「『慎吾さん』? 姉ちゃん、いつの間にんな呼び方になったんだよーっ」
「祐真、うるさい」
姉らしくたしなめるように言うと、「はいはい」と言いながら祐真は肩をすくめた。
「…本橋先輩、何か今日は棘がありませんか?」
何とか立ち直ったらしい高坂が顔を上げて問いかけると、茜があからさまに不機嫌そうな表情を主に高坂に向けてきたので、亜衣子はどきりとしてしまう。
もしかして……この先輩も慎吾さんのこと好きだったのかしら。仲のいい先輩後輩の関係を壊すのが嫌で告白できなかったとか…?
そんなことを思っていた亜衣子の目の前で、茜は思いきり拳を握って、憎々しげに言葉を発した。
「あんたがいまごろ告白したせいで、あたしゃ大損ぶっこいたじゃないのっ!!」
「──────はい?」
これには亜衣子のみならず、高坂まで目が点になってしまっていた。茜の言葉に何かを思い出したらしい渡部が、バッグから何かを取り出してくる。
「そういや、五年目に賭けてた奴って、誰かいたっけかー?」
渡部が皆に向かってそう告げたとたん、一人の青年がス…ッと手を上げた。高坂と同じく、いまどき珍しく真っ黒なままの髪を中央で綺麗に分けて、眼鏡をかけた人あたりのよさそうな青年だった。
「えー、服部の一人勝ちかよっ」
「えっ マジでかっ!?」
…賭け? いったい何のことだ?
「あーあ、あたし本人たちの卒業時に賭けてたのにな~」
「大半の人がそうじゃないの? だって最高のロケーションじゃん」
「賭け…? おい渡部、いったい何のことだ?」
やはり高坂も知らなかったらしい。
「いまだから言える話だけどさ、お前らがいつくっつくかって、剣道部・合唱部合同でトトカルチョ大会やってたんだよな。ちなみに元締めは俺と結花だけど」
その言葉を聞いた瞬間、亜衣子は開いた口がふさがらなくなってしまった。合唱部の皆が自分たちの行く末を見守ってくれていたことは未唯菜から聞いていたが、まさかここまでされているとは思わなかったのだ。思わず隣の未唯菜に視線を向けると、未唯菜はばつが悪そうな顔ですーっと視線をそらした。笑顔を浮かべたまま、その肩をしっかり掴んで振り返らせる。
「─────未唯菜ちゃん? これはいったいどういうことなのかしら?」
「亜衣子先輩、未唯菜を責めないでやってくださいっ 未唯菜は先輩たちが大学に入学した年の夏に賭けてたんですけど、それでも自分の得のために動こうとしないで、先輩たちのペースに合わせようと、よけいな手出しは控えてたくらいなんですからっ だから、それに免じて許してやってくださいっっ」
未唯菜の向こう側から必死に言い募るのは、アイ・マイ・ミートリオの残りの一人、七尾舞香だった。うのは約二年ぶりだが、相変わらず年下とは思えないくらい凛々しい────髪を伸ばしてだいぶイメージチェンジしていたが、凛々しさは相変わらずだ。が、言っている内容はそれはフォローになるのだろうか?
「……もう。しょうがないわね。未唯菜ちゃんには、何だかんだいって協力してもらったし」
「亜衣子せんぱーいっ だから好きーっ!!」
うるうると涙をにじませながら亜衣子に抱きついてくる未唯菜を、きっかり二秒の間をおいて高坂がひっぺがす。不思議に思って振り返ろうとした亜衣子の肩を、高坂が力強く引き寄せてきたので、更に驚いて思わずその顔を見上げた亜衣子の視界に、少々不満そうな高坂の顔が飛び込んできた。
「たとえ女の子でも、俺でさえそうそう触ってないのに抱きつくなんて、悪いけど禁止な」
心が狭くて悪いとは思うけどなと付け足す高坂の目は、真剣そのものだった。
「何だよ、ものにしたとたんにそれかよっ」
「嫉妬深い男は嫌われるぞーっっ」
既にアルコールが入っているらしい面子から野次が飛ぶが、高坂はすっかり開き直って「何とでも言えっ」と返している。高坂の意外な一面に驚いている亜衣子の眼前に、マイクが差し出されてきたので思わずそちらを見ると、面白がっているのを隠しもしない結花のニマニマ顔。
「あーいちゃんっ いかがですか、こんな独占欲の強い彼氏。正直に答えてねっ」
ふと気付くと、高坂のみならず店にいる全員に注目されていて、亜衣子は顔が急激に紅潮していくのを自覚した。「彼氏」という単語を初めて使われたせいもあるのかも知れないが、この時の亜衣子にはそこまで考えが至らなくて、とにかくどことなく不安そうな高坂の瞳が気になって、自分でも気付かないうちに唇が勝手に言葉を紡いでいた。
「……嬉しい、です…………」
蚊の鳴くような声でしか答えられなかったけれど、マイクはしっかりその声を拾ってくれていたようで、周囲の人間が一気に盛り上がった。
「何だよ、結局のろけかよーっ」
「あー、もう似合いのふたりだよ、勝手にやってろよ、けっ」
「いいなあ、亜衣ちゃん、私もあんな彼氏欲しいーっ」
「ねーっ」
皆のさまざまな反応が恥ずかしくて、俯いてしまった亜衣子の肩を、ぐっと引き寄せる存在。反射的にそちらを見ると、ほんとうに嬉しそうな顔の高坂が眼前に迫っていて、もうパニック寸前だ。そのまま、耳元に唇を寄せられてささやかれる声。
「──────ありがとうな」
ああもう、高坂のすべての中でもかなり上位に位置するほど好きな声でそんな風に耳元でささやかれたら、動悸が止まらなくなってしまうではないか。この調子で甘い言葉なんてささやかれたら、まず腰がくだけて立ち上がれなくなる自信がある。
「あー、何かやらしーっ 高坂ってやっぱむっつりすけべだったんだあ」
「本橋先輩、もうできあがってますね?」
気恥ずかしそうなのをごまかすように高坂が言うと、茜はダンっと空になったジョッキをテーブルに置いて、すわった目を見せながら吐き捨てるように答える。
「ああそうだよ、飲まなきゃやってらんねーよっ てめーがあと五年告白を我慢してれば、服部じゃなくてあたしの一人勝ちだったってのによっ」
「五年って…二十五、六歳って、既に告白じゃなくてプロポーズするような歳じゃないですかっ」
「お前らのペースなら、そんくらいで十分だと思ったんだよっ」
五年後……恐らくはもう大学を卒業して働いているだろう自分たちを、亜衣子は想像してみる。自分で言うのも情けないが、あまり積極的に前に出るような職には就けないだろうから、どこかの会社の一般的なOLだろうか。高坂は、持ち前のバイタリティや読経のよさもあるから、意外に営業などもいけるかも知れない。大人になった高坂のスーツ姿など、想像するだけでもう熱が出そうなほどに顔が熱くなってくる。
週末の仕事の後には、途中で待ち合わせてデートなんてしたりするのだろうか。高坂はきっと、よその女性にもモテるだろう。社会に出て周囲に魅力的な女性も増える中、自分のような何の特徴もない「彼女」など、すぐにつまらなくなってフラレたりしないだろうか。高坂はそんなひとではないと思う反面、不安の種は次から次へとあふれてきて止まらない。
「どうですか、服部さん、ご自分で思う勝因は?」
その声にハッとしてそちらを見ると、茜の背後で他の部員が当の服部にインタビューをするさまが、亜衣子の目に飛び込んでくる。いけない、現実に戻ってこなければ。
「いや、皆が言うように卒業時に告白、というのもありそうだとは思ったんだけどね。高坂先輩の性格ならそれでもまだ告白できなさそうかな、と。で、聞いてみたら、笹野先輩には祐真という伏兵がいるっていうじゃないですか。この祐真がうまいことうちの剣道部に入って、高坂先輩を慕うようにでもなれば、こっちの線からふたりの仲が急接近、なんてこともあり得るかな~っと。ついでに言うなら高坂先輩の第一志望の大学にまで追っかければ、祐真のアパートでふたりがバッタリってこともあり得るし、だとすると五年後あたりが妥当かな、と。まあもちろんそれは机上の空論で、まず祐真がうちの高校に来るとも限らないし、更に剣道部に入って高坂先輩を慕う、なんてことも祐真がどんな性格かも知らなかったから可能性はゼロだったかも知れないし、でもどうせ賭けるならそれぐらい大胆にやってみても面白いかなーなんて思ってたら、ものの見事にビンゴだった訳ですよ」
そこまで一気に言いきってから、「いや~、御三方のおかげで稼がせてもらいましたよ」などと実に楽しそうに言う服部に、亜衣子は今度こそ何も言えなくなってしまった。確か服部は、自分たちの一学年下で祐真の一年上だったと思ったが……たかだか十九歳かそこら、否、賭けを始めた時期がいつだかはわからないが、服部が賭けたのは少なくとも三年かそこらは前だったろうに────祐真の性格を知らなかった上での推測らしいから、祐真が入学する前ということはそういうことになる────その歳の少年がそこまで考えていたとしたら、非常に末恐ろしい。
「ね、ねえ…?」
高坂の服の袖をくい…と引くと、高坂が不思議そうな顔でこちらを向いた。
「ん?」
「服部くんって…元からああいう性格なの?」
「あ、ああ…確かにうちの部には珍しく理論派ではあったけど、俺もあそこまでとは思ってなかったな」
高坂もさすがに驚いたらしく、驚愕と感嘆が入り混じった顔で勝ち誇ったような表情とポーズを見せる後輩を見つめている。
「服部先輩、すげーっ!!」
祐真も純粋に驚いているようだ。
「いや、お前が顔だけじゃなく性格までお姉さんに似て素直だったから勝てたようなもんだよ」
「あいつ、希代の詐欺師になれるんじゃねえ?」
「こらそこ。詐欺師とは失礼な。せめて、身一つで成り上がる実業家くらい言ってほしいね」
そんなこんなで、宴は盛り上がり。「主役だから」という理由で支払いを完全に免除されたふたりは────さらに「記念品」という名のプレゼントももらって────通行人も少なくない衆人環視の中、皆に万歳三唱で見送られて非常に恥ずかしい思いをしながら帰路につくこととなった。
「あ…別に家まで送ってくれなくても大丈夫なのに」
「いや、俺も今日は実家に帰るつもりで親に言ってきてるから。それに……今日は全然ふたりきりになれなかっただろ。最後くらい…誰にも邪魔されないでふたりきりで過ごしたいんだけど……ダメか─────?」
荷物も持ってくれて、もう片方の手で亜衣子の肩を抱き寄せながら、少し淋しそうに顔をのぞき込んできて告げる高坂に、亜衣子は慌ててかぶりを振って、高坂の服を指先できゅ…っとつまんだ。
「そんなこと…ない……」
ふたりで過ごしたかったのは、亜衣子も同様だったから……だから、家まで帰る道すがら、心の中で懸命に勇気を振り絞って、ひとつの決意を固める。
「さっき渡部から聞いたんだけどさ」
「え?」
「高二の時だったかに…渡部とか児島とかその周りのメンバー何人か集まって、映画観にいったことあったろ」
「そういえば……」
高坂の言葉に、亜衣子はそっと記憶をさらう。あれは確か、高校二年になったばかりの春だったか。結花に誘われて、クラス関係なく何人かで集まって────関係なかったのはクラスだけで、ほとんど剣道部と合唱部のメンバーだったけれど────街中に映画を観に行ったことがあった。後でそのメンバーの中に高坂もいると知って、内心で小躍りしたいほど喜んだことを覚えている。そこまで思い出したところで、高坂が苦笑いを浮かべる。
「あれも、俺たちを接近させようとしていた渡部たちの画策だったんだと」
「え」
亜衣子の頭の中が一瞬にして真っ白になる。けれど、思い返すと結花や渡部がさりげなく動いて、自分と高坂をやたら近くの席に座らせようとしていたような…気が、確かにする。映画の座席など真隣だったものだから、隣の高坂が気になって映画の内容が半分程度しか頭に入らなかったことも……思い出してしまった。
「言われてみれば……そんな気も…」
頬が、かあっと熱くなる。
「そんな前から俺たちの気持ちは外野にバレバレだったなんてな。いま思うとめちゃくちゃ恥ずかしいぜ……」
「…………」
亜衣子ももちろん、高坂と同感だ。ぎこちないながらも、高坂と話ができて内心で喜んでいたのも、皆にバレバレだったとは……。
結局その日はそれ以上のことはとくになくて、その後はなかなか皆の都合が合わなくてもう二度と皆ででかけることはなかったけれど…。あの日の映画の半券やパンフレットは、いまも亜衣子の部屋で大切にしまわれている。
「我ながらすげー単純だと思うけど、あの日買ったパンフや半券、俺実はいまもとってあるんだよな。実家に置いてきちまってるけどさ」
「…っ!」
自嘲的に笑って言う高坂に、次の瞬間、亜衣子は勢いよく顔を上げていた。
「わ、私もっ ふたりっきりじゃなくて、ただ皆で遊びに行っただけなのに、馬鹿みたいって自分でも思ったけど…。どうしても、記念になるものが欲しくて……」
それを聞いた高坂の顔が、驚愕の表情から満面の笑みに変わって…それからすぐに、やはりどこか苦々しげなものを含んだそれに変わった。
「ホントに…そんな昔から、何やってたんだろうな、俺たち。回り道しまくりじゃねーか……」
「ホントにね…いまやっと、周りの皆の気持ちがわかった気がするわ……」
本人たちでさえこうなのだから、周囲の皆のやきもきする気持ちはこんなものではなかったのだろうなと、亜衣子はいまさらながらに申し訳ないと思う気持ちでいっぱいだ。
…でも。だからこそ。
再び顔を上げると、亜衣子の視線に気付いた高坂もこちらを向いて、優しい微笑みを見せてくれる。
やっと訪れたこの幸せが……今度こそどこかに行ってしまわないように頑張らなければ、ね。
そんなことを思いながら、亜衣子もそっと微笑んだ……。
そして、例の公園の前まで来たところで、そっと高坂から身を離して。
「あ、あのね、まだ両親にちゃんと話してないし、ここまでで大丈夫よ」
「…そうか?」
少々残念そうに答える高坂から自分の分の荷物を受け取りながら、一生懸命自分の中の勇気を奮い立たせる。
頑張るのよ、私っ ここが踏ん張りどころよっっ
できるだけ何気ない様子を装いながら、「髪の毛にゴミがついてるから、ちょっと屈んでくれる?」と告げると、高坂は素直にその言葉に従った。「いまだ!」と思いながらその片頬にそっと唇を押しあてて、愛しい想いをこれ以上ないというほど込めて口づける。高坂が驚いてこちらを見返すと同時に顔が噴火していくのは止められなかったが、それでも言わなければいけないことがあると思い、想いの丈を口にする。
「…………誰よりも、大好き、だから───────」
もう、限界だった。そのままくるりと背を向けて、「送ってくれてありがとう、おやすみなさいっっ」とだけ告げて、家に向かって走り始めてしまったから。後に残された高坂がどんな反応をしているのか、亜衣子は知らない…………。
それぞれの、周りの皆さま方の反応です。
これだけバレバレのようだったのに、どうして本人たちだけが気付かない……。