さよならサンタ・クルス
隣に誰もいないなら
ぼくはいないのと同じなんだ
最も尊敬されるべき人間には、名前の前に『サンタ』をつける慣わしだったらしい。色んなものを読み、様々な文化の断片を知るにつれ、ぼくは、かつてはそういうルールがあったのだ、と何となく理解していた。だからぼくは、彼のことを『サンタ・クルス』と呼んだ。すると彼は、「そんな年寄りじゃねえ」と言って笑った。
彼と初めて会ったのは、いつのことだっただろう。ぼくは、アーマーギアの記録野を呼び出し、その時の戦闘ログを読み返す。そう、三年前だ。
あのころは、ぼくは沢山の人たちの中で暮らしていた。森の中で、空に光る目に怯えながらだけれど、それなりに楽しかった。いや、今だってもちろん楽しい。クルスはぼくの知らない色んなことを知っている。彼と話しているだけで、自分の中の何かが満たされるような気がするんだ。「そいつはお前の知識欲だ」とクルスは言っていた。
話が逸れた。三年前の話だ。今はクルスと二人だけれど、あの時は、ぼくは数ある人間のコロニーの一つに属していた。光の下に身を晒すと、空の目に焼かれて死んでしまうから、普段は鬱蒼と茂る森の中や、闇深い洞窟の底で暮らし、雲の厚いときや雨の降っているときだけ、外へ出て食料を集めた。でも、主食はいらなかった。どうしてって? ぼくらがねぐらにしていた洞窟には不思議な箱があって、ボタンを押すと、白い塊を吐き出すんだ。誰からともなく、ぼくらはその白いものを『マナ』、と呼び、箱は『お櫃』と呼ばれた。
そのコロニーに、ある日クルスがやってきた。そしてこう言ったんだ。
「軌道都市の連中は、地上掃討用自動機械を大量投下した。このままでは地上の人間は全て殺される。おれと共に戦ってくれないか。たかが機械だ、人が力を合わせれば、絶対に勝てる」
だけど、誰も信じなかった――いや、何を言っているのか分からなかったんだ。あのときのぼくは軌道都市はおろか、機械とは何かすら知らなかったし、それはコロニーのみんなも同じだった。そして、むしろクルスのことを追い出そうとしたんだ。災いを持ってくるに違いない、って。
折りしも、数日前に空から火の矢が降ってきたといって大騒ぎになっていたところだったから、みんなはクルスのことを悪魔だって言った。彼の持っていた火を噴く銀の筒が『銃』という道具だなんて知らなかったし、火の矢は即ち降下する自動機械のコンテナが大気との摩擦で赤熱したものだなんて、知る由もなかった。そして次の日の夜、奴らがやってきたんだ。
今のぼくは、奴らの名が『オートマタ』だと知っている。その由来であるからくり人形についても。だけどあの時は何も知らなかった。頭に光る四つの目が収集した映像が、機動衛星とリンクしていることや、両腕から放たれる光がリチウム系バッテリーで駆動するレールガンであること、圧縮プラズマを加速する機構、四つの脚。何も知らなかった。だからみんな、あれを悪魔とだけ呼んだ。クルスが呼び寄せたのだ、とも。
みんな殺された。洞窟に逃げ込んだ人たちは、圧縮プラズマ砲で蒸発した。森に隠れた人は、赤外線センサで炙り出されてレールガンで吹き飛ばされた。それでも走り続けた人は、低軌道上の三重環状構造体を走る二六の機動衛星の一つにレーザー照射を受け、塵の一つまでも消されてしまった。
そして気がついたときには、コロニーの中で、生き残ったのはぼく一人になっていたんだ。黙って隠れていれば見逃すかもしれない、と淡い希望をぼくは抱いた。だけどオートマタたちは執拗に茂みを漁り、立ち去る気配がない。ぼくは死を覚悟した。怯え、すくみ、もうできることは何もないと、膝を抱えてうずくまった。
だけど悔しかったんだ。何がって? もちろん、みんなを殺されたことだってある。でも、それ以上に、何も知らないままに死んでしまうのが、ぼくは嫌だったんだ。せめてあいつらの正体だけでも知りたかった。それと、クルスの言ったことの意味。『地上の人間は全て殺される』って彼は言った。でも、その時のぼくは、地上以外に人の住める場所なんて知らなかったし、全てが殺されなければならない理由だって分からなかった。だから、ぼくは悔し涙を流した。
その時だ、クルスがぼくの肩を叩いたのは。彼は「戦わなきゃならないんだ」と言って、ついてくるように指示した。ぼくは何となくだけれど、彼はぼくの気持ちを完全に分かってくれてる、と思った。きっと、クルス自身も同じ目にあったことがあるから、悪魔と罵られようと、ぼくらに戦えと言ってくれたんだ。
そして、彼はぼくに――ぼくが今まとっている――アーマーギアをくれた。
これは、その名の通り、鎧のように身に着ける機械だ。機械化されたスーツ、と表現した方がしっくり来るかもしれない。身に着けると、自動的に周囲の景色を観測し、溶け込むのに適した色に装甲色が変化する。あの時は森の中だったから、深い緑に変わった。目線は一回り高くなり、装着者自身の動きを補助するので、自分がものすごい力持ちの巨漢になったみたいな気分だ。でも、大きい図体に見合わず、素早い動きもできる。速度感覚は、自分の本物の手足とほとんど同じだ。
視界はヘルメットのバイザー越しだ。ヘッドマウントディスプレイとしての機能も持ち、オートマタが視界に入るたびにロックオンマーカーが追いかける。右前腕の下には小型のプラズマ投射機構が搭載されていて、引き金を引けば、オートマタは易々と吹き飛ぶ。今でこそ数体相手にも立ち回れるようになったが、あの時は、クルスの背中を追いかけるのが精一杯だった。
クルスは強かった。ぼくのコロニーを全滅させた二〇体からのオートマタを、ほとんど一人で倒してしまったんだ。正確な射撃で胸部の中枢演算回路を撃ち抜き、近づかれても、決して力任せでない格闘術が、四脚の白い化物をスクラップへ変えていく。ぼくは彼のように戦いたいと思い、クルスも、ぼくに戦って欲しかったんだ。
以来、ぼくはクルスと二人で旅を続けた。地上掃討用自律機械・オートマタが投入されて、地上に僅かに残っていた人間もほとんどが殺されてしまった。一人でも生き残りがいれば助けよう、一体でも多くのオートマタを破壊しよう。そう思ってぼくはクルスの教えを受け、アーマーギアの扱いを叩き込まれた。そうしなければ、ぼくは生き残れなかった。
やがてぼくは、クルスにはもう一つの目的があることを知った。それは、『文化の保全』だ。初めて聞いたとき、文化という言葉の意味が分からず、クルスに尋ねたことを覚えている。彼はこう言った。
「マナとかお櫃とか、そういう言葉が生まれる土壌、みたいなものさ。人間が人間である証だと、おれは思ってる。だからおれは、文化の断片を集め続けてるんだ。完全に失われてしまう前にな」
「でも、コロニーにいたときだって、ぼくは人間だったよ? こんな機械なんか知らなかったし、食べて生きることしか頭になかったけれど」
「もっともだ。おれたちがこうして喋っていられるのだって、言葉という文化が失われずに受け継がれているからだ。だけど、トモ、よく考えてみろ。お前たちは、何かを作り出そうとしたか? 食べて寝てセックスして、生きることしか考えていなければ、新しい文化は生まれない。そして文化とは、時間とともに緩やかに失われていくんだ。その結果はどうなる?」
「……何も、なくなる」彼は時々こうやって、結論だけをぼくに言わせる。
「そうだ。おれたちは人間じゃなくなってしまう。だからせめて、この地球の上にかつて生きていた人間たちが残した文化を、失われる前に救い集めなきゃいけないんだ。そして次の世代へ受け継ぎ、発展させていくんだ。おれたちは人間なんだから」そう言って、彼は大きな掌でぼくの頭を撫でた。
彼はオートマタと戦う傍ら、人間がかつて残した施設の断片を見つけては、そこから様々なデータを回収していた。中でも彼が熱心に捜し求めていたのは、文学作品――いわゆる小説、物語だ。
ある時、「軌道エレベータや、それに伴う軌道都市の成立を二〇〇〇年も前に予見していた作品があるんだ」と言って、彼は大量の文書データをぼくのアーマーギアに送信してよこした。確かクルスと出会って一年くらい経った頃で、ぼくにも字の読み書きができるようになっていた。作品のタイトルは『楽園の泉』。著者名はデータの欠損で分からなかった。
文書を目で追いながら、クルスは空にそびえる柱を示した。
「この星には今、八つの軌道エレベータが存在している。軌道エレベータってのは、宇宙まで繋がってる柱だと思えばいい。で、こいつを支えにして、高度三五〇〇〇キロの静止軌道上には、中心を共有する三つのリング状構造体がある。地球を球に見立て、その球の中心を通るような、対称な断面三つを考えろ」クルスは地面に指で模式図を描いた。球の周りに輪が一本。ややずらしてもう二本。いずれも、そこを断面に球を切断したら綺麗な半球になる配置だ。「最初期には、こいつはただのステーションだった。だが軌道エレベータの利用価値が上がるとともに、居住のニーズが増大し、やがてとんでもない規模のリングがエレベータ同士を繋ぎ、その内部の空洞にはこれまたとんでもない規模の都市が建造された。これがおれの言う『軌道都市』だ」
「そんなでっかいの、落っこちてこないの?」ぼくは訊いた。
「静止軌道ってのは、自転する地球から外に吹っ飛ばされようとする力と、地球の重力が丁度つりあってる場所なんだよ」クルスは紐の先端に小石をくくりつけ、反対側を持ってくるくる回し始めた。「いいか、今、おれの手と石との距離は変わってない。静止してるな? これは、振り回すことでできた外向きの力と、紐が張る力が釣り合ってるからだ。張る力を重力に置き換えてみろ。簡単だろ?」
「うん。でも、重力って何? ぼくは地面と紐で繋がってないのに、どうして吹き飛ばないの?」
「それはな……全ての物質の間に働く、ものすごく小さな力だ。でも、物質が集まれば、とても大きな力になる。おれとお前の間に、引力は感じるか?」
「ううん、別に」
「そうだろう。でも、天体くらい質量が大きくなると、ものすごく小さな力も、大きくなる。イメージしろ。一つでは弱いが、多く集まれば強いもの。何だか重力というものは、人間に似ているんだ。一人では何もできないが……」クルスはぼくの肩を組んだ。「二人なら戦える」
そんな風に誤魔化されてしまって、一体重力というものがなぜ生まれるのかは、クルスは答えてくれなかった。そして今もまだ分かっていない。もちろん、質量に比例し距離の二乗に反比例するという、万有引力の法則自体は知っている。でも、なぜを突き詰めてしまうと、何も分からなくなってしまう。この世を司る四つの相互作用がなぜ生まれたのか。なぜ光の速度は毎秒三〇〇〇〇キロメートルなのか。クルスに訊いたら、きっと「それはお前の知識欲だ」と言うのだろう。
知りたいという欲望を持つ動物は人間以外にいない、とクルスは言っていた。だからなのか、ぼくが何かを知りたいと言うと、クルスはすごく喜んだ。何かを知りたいと思うことで、動物であるヒトは人間になる。文化の収集も、ヒトの人間性を保つために行っていることだ。ぼくがいたコロニーの人たちは、きっと、ヒトではあっても人間ではなかった。生きることしか考えられず、常に何かに怯えていた。
人間は退化してしまったのだろうか。クルスに尋ねると、「そうかもしれないな」と言った。
「地上に残っているものなんて、焼いてしまっても構わない、というのが軌道都市の連中の決定だ。地球に人間はいらない。自然環境の保全のためには、人類は軌道都市に登り、地上の環境をコントロールしなければならない。こんな決定がなされたのが、大体二三世紀ごろと言われてる。その決定に従い、三重環構造体上には、太陽光発電で駆動するレーザー照射衛星が、合わせて二六基建造された。こいつらが絶えず地上を走査し、見つけた人間の集団にレーザーを撃って焼き払う、なーんて狂ったことを、延々と続けてきたのさ」
空に光る目の正体を知ったのはこの時だった。今では信じられないが、かつて人間は、作物を生み出す土をアスファルトで固め、木々を切り倒して次々と都市を生み出していた。地球上の森林面積は減少の一途を辿り、地球は、系として破綻しかかっていた。「万に対する一〇の変化は対したことない。だが、人間の活動は、万の地球に千単位の変化をもたらしてしまったんだ」とクルスは喩えた。
だから人々は技術の粋を尽くして軌道都市を拡大し、こぞってそこに住み始めた。だが、当時百億を優に超えていた地球の人口を全て収めきれるはずもない。結果として、宇宙に昇ったのは当時の富裕国の住人ばかり。残った者たちは、混乱した経済と政治の下に、次第に文化的生活を失っていった。即ち、終わりのない、同時多発的な紛争だ。軌道都市の人間は、武器を与えることでそれを煽った。今ぼくやクルスが戦いの道具にしているアーマーギアも、その時代の名残だ。
そして機動衛星の完成である。互いに殺しあうのみならず、天の光が彼らを焼いた。常に死と隣り合わせな世界で、人間はヒトへと回帰していく。同時に、軌道都市からは遺伝子操作により成長能力が異常に高められた植物の種子が投下された。自然環境の早期回復を目的としたものだ。これにより、三〇〇〇年代の半ばには、ユーラシアやアフリカ、南北アメリカの非赤道下地域までもを密林が覆った。
「だったらもう十分じゃないか」ぼくは――いや、この頃はもう、自分のことをおれ、と言っていたっけ――クルスに言った。「地球環境は回復された。今度は自然を破壊しないでも、調和した開発が行えるよ。みんな地上に降りてくればいいんだ。技術は進歩しているんだろう? 人を全て殺し尽くす必要が、一体どこにあるんだ?」
「その通りだ。まともな人間ならそう考える。人間なら、な」
「人間? 軌道都市で地上の虐殺を指揮しているのだって、人間なんだろ?」
「いいや、違う。実行を決定したのは人間だが、指揮はコンピュータが行っている。そりゃそうだ。地上にいる数多の人間を全て狩り尽すのは並大抵の作業じゃない。自動化できるならそちらの方がいいだろうよ。
二六基の機動衛星も、全てコンピュータの自律指揮によって動いている。発射にも照準にも充填にも、人間の手は介在していない。とにかく人を地上から一掃できればいいんだ。そのためのスケジュールを作ったのも、コンピュータだ」
「止めればいい! 人間の作ったコンピュータなら、止められるだろう!」
「これが、そうもいかないんだ。軌道都市の連中は、世代を重ねるにつれ、自分たちが地上の人間を殺すよう命じたことを忘れてしまっている。軌道都市に生まれ、軌道都市に育った彼らにとって、地球はないと同じなんだ。だから、そこに生き延びている人間のことなんか、微塵も関心がない。でも、コンピュータは忘れていない。地上に人間はいてはならないという、遥か昔の命令を忠実に実行し続けている。オートマタの投入だってコンピュータの判断だ。大まかに狩るのはおしまい、ここからは残った少数をピンポイントで狩る方が効率がいい。そんな考えだろう」
「じゃあ、今のおれたちは理由もなく、殺すために殺されてるってのか!? 冗談じゃない!」
「コンピュータに冗談は通じない」と言って、クルスは苦笑いを浮かべた。
それでも、ぼくらは戦い続けた。アーマーギアのバッテリーを、オートマタが使っている、発電衛星からのマイクロウェーブをジャックすることで充填するシステムを、ぼくが作った。クルスは、オートマタの残骸から携帯可能なレールガンや、移動用の多脚機械を作った。
果てのない、誰に受け継げばいいのかも分からない文化保全も続けた。図書館の跡地を見つけたときは小躍りして喜んだものだ。大量の蔵書のデータが、ほぼ無劣化で保存されていて、ぼくらは嬉々としてそれらを片っ端からマイクロチップに移し替えた。そこでぼくは、『楽園の泉』の著者が、アーサー・C・クラークという名であることを知った。
様々なものを集めるにつれ、断片的だったかつての世界の有様が、少しづつだが分かってきたのだ。かつてこの地には、雪という天候があったのだそうだ。そしてその雪の夜に、サンタクロースという白ひげで赤装束の老人が、家々の子供たちにプレゼントを配って回るのだという。クルスのことをサンタ・クルスと呼んだとき、確か彼は「そんな年寄りじゃない」と応えた。その理由がぼくにもようやく分かったのだ。
ある雨の日に、雪を見たことがあるかとクルスに訊いた。
「ないよ。もっと高緯度地域なら見られるかもな」
「でも、雪って削った氷みたいなのが降ってくるんだろ? なんか想像つかないな。何か、空想の産物みたいだ」
「ちなみに、サンタクロースは空想の産物だぞ?」
「ええっ?」ぼくは思わず声を上げ、大きく息を吐いて言った。「まあ、よく考えればそうか。わざわざ一銭の得にもならないのにプレゼント配って回る物好き、いるわけないか……。でも、信じられてたんだろ?」
「おとぎ話ってやつさ。みんな嘘だと分かってるけど、敢えてそれを嘘だと騒ぎ立てるものはいない。人から人へ口伝される、文化の極致だよ。サンタクロースはいないけれど、いるってことにしよう、という暗黙の了解さ。今、過去の人間から、お前に伝わった」
「つまり、いるって思えば、いるってことだろ?」
「まあ、そうなるな」
「じゃあ、おれにとってのサンタクロースは、今、目の前にいるよ」ぼくは脱いで地面に横たえたアーマーギアを親指で示した。「あんたは、あれをくれた」
「ふむ。いつぞやのサンタ・クルスか。だがな、本来サンタクロースは子供が寝ているうちに、こっそりプレゼントを置いていくものなんだそうだ。冬の寒い夜に、な」クルスは額の汗を拭った。「おれは騒がしすぎるし、ここは常夏だ」
違いない、とぼくは言った。プレゼントを背負って走るより、戦う背中の方が、彼には似合っている。
ぼくらは戦い続けた。少しずつ装備を改良し、オートマタの行動ルーチンを分析し、時にはこちらからも討って出た。でも、奴らの数は一向に減らず、むしろ戦うたびに、どんどん敵の数は増えていった。
絶対数は増えていない、むしろ減っている、というのがクルスの分析だった。あれ以来、降下するオートマタコンテナの流星は見ていない。遠くから、機動衛星への欺瞞工作を行った上で時折観察していた軌道エレベータにも、稼動の兆候は見られない。だから倒した数だけ減っているはずなのだ。にも関わらず、一回の襲撃毎に相手にするオートマタの数は、確実に増えていた。
「おれたち二人を先に潰すべき敵、と認識したんじゃないのか?」ぼくは言った。「だから戦力を集中させてるんだ、あいつら」
「或いは、もう一つの分析ができる」
「もう一つ?」
いつものように、結論だけをクルスはぼくに言わせようとした。でも、そのもう一つが何なのか分からないまま有耶無耶になり、ぼくらはまた戦いに明け暮れた。
だが、ぼくは思わぬ形でその『もう一つ』を知った。敵を退け、使えるパーツを残骸の中から回収しようとしていた時のことだ。戦闘機能を喪失したものの、中枢回路と発声器の生きていたオートマタが、こう言ったのだ。
『You are the last TWO』
最後の二人。ぼくとクルスが、地上に生き残った最後の人間。他に排除すべき人間がいないから、ぼくらが相手をする敵の数が増えているのだ。地上の人間は全て狩られてしまった。
諦めるなとクルスは言い、諦めるものかとぼくは返した。だけど、内心では、もう駄目かもしれないと思っていた。どんなに戦ったって、たった二人で勝ち続けられるはずがない。仮に今地上にいるオートマタを全て破壊しても、きっと軌道上のコンピュータは、新規に生産したオートマタをまた大量に降下させるのだろう。今度はピンポイントにぼくらだけを狙って。
文化保存も無為なものに思えてきた。だって、どんなに沢山の書物や映像を集め、保存したって、それを受け継ぐ相手がいないのだ。地上にはぼくらの他に人間はなく、ぼくもクルスも男だ。世代を重ねることもできない。ぼくはクルスのことが好きだったが、その『好き』は性愛には転化し得ないタイプだった。兄弟愛、隣人愛、家族愛。色々な本を読み映像を見、愛という言葉の幅広さをぼくは知ったが、それを知らせる相手がクルスしかいないのは、やはり寂しかった。
それでも、クルスさえいればそれでいい、とぼくは思った。クルスはぼくにとっての父であり、師であり、兄であり、友であり、サンタクロースだった。クルスと二人なら、きっといつか希望の光が見えると思った。コンピュータは地上の人間をぼくら二人だけだと言ったが、ひょっとしたら他にも残っているかもしれない。地球は広いのだ。だから決して希望を捨ててはいけない。使用過多で灼けたレールガンのバレルを見ては、ぼくは自分にそう言い聞かせた。
クルスがどこから来たのか、訊いたことがある。すると彼は、空の柱――軌道エレベータを指差した。
「あの根元だ。それ以外にもいろんな場所にいたが、覚えていない。今のおれが始まったのは、あそこだ。
きっかけは偶然だったんだ。軌道エレベータの麓には、普段は大量の警備用オートマタが配備されていて、近づくこともできない。防衛システムも高度に自動化されてて、生身の人間が接近したらあっという間に殺されてしまう。だからおれも、おれがいたコロニーのみんなも、絶対に近づこうとしなかった。でも、おれが変な気を起こして潜り込んだ、その一日だけは、なぜか防衛システムが停止してたんだ。後々調べて、その時はたまたまマイクロウェーブの受信施設が故障してて、それも中々厄介な壊れ方だったから、長期に渡って電源供給がストップして、防衛システムが作動しなかったんだ。
そこでおれはこのアーマーギアを見つけ、お前に教えた色々なことを知った。頭がパンクしそうだったよ、あの時は。とりあえずギアを着て、適当にコンソールを弄ってみたら、宇宙と地球と軌道エレベータと軌道都市の模式図やら何やらが大量に表示されたんだ。魔法にしか思えなかったよ。
おれは寝食も忘れてそれの解読に没頭した。図を理解して、字を理解して。多分、一ヶ月くらい中に篭っていたんじゃないかな。その過程で、どこか変なところを触ってしまったらしく、防衛システムを完全停止してしまってたのが、壊れ方が『中々厄介』になった理由なんだ。つまり、おれがこうして知識を得て、それでも尚こうして生きているのは、ほとんど奇跡も同じことなんだ。内部には例の『お櫃』もあったから、餓死せずに済んだしな。
それで、おれの中の人間が目覚めた。ヒトじゃない、人間だ。おれは一日が二四時間であることを知り、地球が自転し公転していることを知った。今の世界がこうなった原因も知った。光る空の目に怯えながら、見上げた空にかかる橋のようなものの中には、都市があり人も住んでいることを知った。青天の霹靂とはこのことだよ。おれは、あの時生まれ直したんだ。
でも、生まれ直すには、代償が必要だった。おれが、この知識をみんなに伝えなきゃならないと思ってアーマーギアを身に着け、外に出ると、もう防衛システムは復旧していた。それどころか非常警戒態勢で、おれは死ぬ思いをしながら逃げた。ひたすら逃げた。建物……アースポートの中では、まだ人間が管制を行っていた頃の名残で、アーマーギアを身に着けた人間は適性と認識されなかったんだが、外じゃそんなことお構いなしだ。侵入者が現れたと言って、周辺の焼き討ちを行ったんだよ、奴らは」
そこでクルスは一度言葉を切った。ぼくは、初めてクルスに会った時のことを思い出していた。なぜぼくは彼とともに戦おうと思えたのか。それは、彼にもぼくと同じ経験があると、何となく悟ったからだ。
「焼き討ちってことは、あんたのコロニーは……」
「ああ、全滅だったよ。上手いとこ隠れて生活していたんだけどな、おれのコロニーは。アースポート警備の資材を掻っ攫ったりしてさ。でも、死んだ。つまるところ、おれのせいさ。おれが変な気起こして忍び込み、知識を得て人間になった代償に、奴らはおれの大切な人たちを皆殺しにしたんだ」
「やっぱり、おれと同じだったんだな、あんた。あのときおれが感じてた、一人で何もできない悔しさを知っていたから、おれに戦えと言ってくれたんだろう? だからおれもあんたを信じることができた。あんたにならついていけると思った」
クルスは目を丸くし、そして微笑んで今度は目を細めた。
「デカい口を叩くようになった。あの木の陰で泣いてた小僧がなあ」
「おれだって、いつまでも小僧じゃないんだ」
「分かってるよ」と言って、クルスはぼくの頭を撫でた。「男の顔になった」
その掌は、前より少し小さくなった気がした。ぼくは変わる。クルスも変わる。じゃあ、小さくなっていくクルスは、いつか――。ぼくはその先を考えるのが怖くなり、クルスの手を振り払った。クルスは寂しげな笑みだった。
「お前はもう一人の人間で、一人前の男だ。自分で考え、自分で行動することができる。生きるためだけに動くからくり人形じゃないんだ。もう、おれがいなくても、お前はやっていけるな」
そんなことはない、とぼくは言下に否定した。でも、「大丈夫さ」とクルスは言う。
「お前は自分の知識を持ち、自分の考えを持っている。単なる生存本能じゃなく、理性によって、自分の意志の下に行動することができる。もうお前におれの助けは必要ないよ、トモ」
「違うよ、クルス」ぼくは言った。「あんたがいるから、おれはおれでいられるんだ。あんた以外におれの名を呼んでくれる相手はいないんだ。確かに、あんたが言うように、おれは一人でもやっていけるかもしれない。だけど、一人で戦ってたら、それはからくり人形と同じだよ。おれたちは二人だから人間なんだ。自分で考え自分で行動しても、周りに誰もいなきゃ意味がないんだ」
一人でいたら、何を考えていようがいまいが変わらない。考え、思ったことを、隣にいる誰かに話し伝えることで初めて、自分の存在には意味が生まれる。やがて人の集団の中には文化が生まれ、守り伝えられていく。今ぼくがこうしているのは、その積み重ねがあってこそだ。たとえ一人前の男で、一人で生き抜くことができても、本当に一人ぼっちになってしまったら、ヒトではない『人間』から、遠ざかってしまう。
クルスは腕を組んで考え込み、「少なくとも、おれにはお前が必要だってことが、よーく分かった」と言って大声で笑った。オートマタに見つかるかもしれないという危惧はあったけれど、ぼくもつられて笑った。
クルスと一緒ならどんな場所でも笑い合える。どんな絶望にも立ち向かっていける。どんな敵でも負けない。この大きな星に二人だけでも、寂しくなんかない。ぼくはそう思った。
でも、だけど。
クルスはいなくなった。
クルスは消えた。いなくなった。姿を消した――。いや、そんな婉曲表現はやめよう。クルスは死んだのだ。ぼくはこの事実を受け入れなければならない。そのために、アーマーギアの口述筆記機能を使って、ぼくはこの文章を記録している。
三日前のことだ。クルスは空の目に焼かれて死んだ。機動衛星のレーザー照射。骨も残らず灰になった。地面の焦げ痕の中にクルスを見出そうとしたけれど、分からなかった。でも、風に吹かれて森の中に還っていく灰の中にクルスがいることだけは、はっきりと分かった。もうぼくの隣にはいない。クルスは死んだ。死んだのだ。ぼくのせいで。
ほんの些細なミスだった。ぼくはあの『楽園の泉』を読み返そうと、マイクロチップを探っていた。そのとき、ちょっとした手のもつれで、チップを落としてしまった。岩に当たって転がり、草の上を跳ねて日なたに転がった。
それを拾おうと、ぼくは愚かにも手を伸ばしてしまったのだ。折りしも、アーマーギアの欺瞞装置は故障中で、どうにか修理する手段はないかと探っていたところだった。ちょっとしたくせ、何のことはない習慣。だが、空の目はそれを見逃さない。地上にたった二人の人類であるぼくらを殺すために、衛星兵器は集中配備されていた。だから、一瞬でも姿を陽の下に晒すことは危険だと、分かっていたはずなのだ。でも――。
手を伸ばしたぼくは、次の瞬間、身体ごと横へ吹き飛んでいた。同時に、天上からの猛烈な光。ぼくを突き飛ばすクルスの姿が見えたような気がした時には既に、ぼくの視界は光に埋め尽くされ、そしてその光が止み、ぼくの眼が視力を取り戻した時には、クルスの姿はどこにもなかった。彼の抜け殻である使い込まれたアーマーギアだけが、充電中の赤ランプを明滅させていた。
ヒトとして生きていたときは、空の目に常に怯えていたから、ぼくは決して太陽に身を晒さなかった。でも人間として暮らすようになって、機動衛星の地上走査を欺瞞できることを知り、それに頼った。そしてぼくは、ぼくがどう変化しようと変わらないはずの機動衛星の恐ろしさを忘れ、クルスが死んでしまった。
これは代償なのかもしれない。ヒトであることをやめた代償として、ぼくとクルスは元いたコロニーの仲間たちを全員殺された。そして今、ぼくは人間として生きた代償として、ぼくを人間にしてくれたクルスを失った。でも、そうだとしたら、余りにも重すぎる。クルスはぼくの全てだった。クルスがいなければぼくは戦えない。生きていけない。クルスは大丈夫だと言ったけれど、大丈夫なはずがない。
クルスが死んだ次の日の夜、ぼくはオートマタの軍団に遭遇した。もちろんぼくは戦い、敵を退けた。一人で。でも、クルスと二人だったときと同じようにいくはずもなく、ぼくは移動用に使っていた多脚歩行機械を失った。オートマタの残骸から、クルスが作り上げたものだ。修理する資材や時間、体力――なにより気力がなく、ぼくはそれを打ち捨てて森の中を彷徨った。
明くる朝も襲撃があり、今度は携帯型レールガンの弾体が底を着いた。元々はオートマタの武装だ、補給するには機能停止した個体から無事なものを奪わなければならない。ぼくは、木々の焦げた臭いが漂う戦いの跡へと戻り、白骨のようなオートマタの残骸を掻き分けた。
すると、足元から声が聞こえた。
『You are the last ONE』
ぼくはレールガンを捨てた。
この世界にたった一人――言葉を交わす相手も、笑い合う相手もいない世界を、これを読んでいるあなたは想像できるでしょうか。
もしクルスが死んだら、という想像が、旅と戦いの最中、幾度となくぼくの脳裏を過ぎった。でも、実際に突きつけられた孤独は、こうして文章に表そうとしても、言葉に詰まってしまうくらい重くて辛い。
一人では何もする気になれなかった。食べて眠り、戦うだけ。クルスと二人だったときは、下らないことを話し、下らない物を作り、下らない時間をすごした。回収した文書も読んだ。でも今は、話し相手もいなければ何かを作ろうにも資材がない。そして、文化保存も怠り、クルスが死んだ日以来、蓄えた人類の記憶はデータの劣化や紛失で減る一方だった。『楽園の泉』も失ってしまった。ただ生きるだけのからくり人形。
結局、ぼくはクルスほど強くなかったのだ。彼は、自分のコロニーを皆殺しにされてからぼくを助けるまで、ずっと一人で戦い続けていた。文化保全もしていた。でもぼくは、何もしていない。自分の命を守るために、襲ってくるオートマタと戦うことや、餓死しないために動物を捕らえることはした。でもそれは、生きるために必須の活動であり、ヒトでもできることだ。ぼくは人間から遠ざかっていた。
じゃあ、どうしてぼくはこんな文章を残しているのか。残すことができているのか。それは、マイクロチップのデータ内に埋もれたクルスの日記を見つけたからだ。そこには、彼の人生の歩みが全て記されていた。軌道エレベータのアースポートで全てを知った日も、その後の長い放浪生活、ぼくと出会った日。
最後の日付は四日前、死ぬ前日だった。そこには、こう記されていた。
『トモに一杯食わされるとは、おれも老いたものだ。もっともおれの年齢がいくつかだなんてよく分からないが。昔の人間は生まれた日や死んだ日を全て記録していたのだそうだ。一括で扱う組織があったらしく、人が生まれるか死んだら書類をそこに提出しなければならなかった。面倒なことだ。だが、無駄で面倒に思えるものほど美しく、文化的とも言える。機能美という言葉もあったそうだが、これはひとまず横に置いておこう。
サンタクロースの話だってそうだ。プレゼントを渡したいなら真正面から渡せばいい。まっすぐな感謝というものは、受けて悪い気はしない。貰った方だって同じだろう。自分が、プレゼントをくれた誰かに大切にされている、と実感できるのだから。ならばなぜ、サンタクロースなどという面倒なものを介する必要があるのか。
おれにはまだ、明確な答えは分からない。だが一つ確かなのは、そのほうが美しい、ということだ。いや、夢がある、ロマンチック、素敵、面白い? うむ、余り確かではなくなってしまったが、とにかく、サンタクロースの伝説はあったほうがよいのだ。父母が子供に隠れてプレゼントを渡すことで得られる心の輝きは、きっと直接手渡したときには得られないものだろう。そして、からくり人形でない人間たちの間でなければ、生まれ得ないものだ。
軌道都市の人間たちの中に、サンタクロースの伝説は受け継がれているのだろうか。宇宙は過酷だ。壁一枚隔てた向こうに死の世界が広がっている恐怖は、精神の交流を妨げるのではないか、とおれは思う。だから、サンタクロースのような不毛な嘘は、消えている可能性が高い。今軌道都市に生きる人間たちに、宇宙開発当初のような冒険心は残されていないだろう。軌道都市が生活の場所として余りにも自然になり、彼らは地球を忘れているのだから。眠っている子供の枕元にプレゼントを置いて回る老人なんていないと、一笑に付されるのがオチだろう。ロマンチズムに欠けるというものだ。
だが、ロマンチズムに欠けているだとか、面白みがないだとか、そういうヒトとしての生活しか軌道都市にはない、のならば構わない。いや、構わないわけではないが、最悪ではない。もし、もしもだ。ここから先はおれが最近思いついたことで、トモにも話していないのだが――もし、軌道都市には既に誰もいないとしたら? どうも、時を経て地球に無関心になった宇宙の民、よりはこちらの方が仮説として収まりがいいような気がするのだ。
いかに軌道都市が巨大であろうと、世紀単位でバイオサイクルを保つには、どう贔屓目に見ても小さすぎる。必ず破綻する。そして破綻したなら人々は新天地を求め、地球に降りるに違いない。人間は地球で生まれたのだから、それが最も自然な流れだ。だが、現実として、地上の人間はおれとトモの二人だけであり、機動衛星もオートマタも攻撃をやめず、地上環境保全のために人間を消す、というカビの生えた命令を実行し続けている。
だが、軌道都市の人間が既に死に絶えていたとしたら? いや、もっと突っ込んだことを言おう。環境保全を至上命題とするコンピュータが、軌道都市上の人間をも排除対象と認識したら?
ありえない話ではない。長い時を経て、軌道都市が環境の一部としてシステムに認識されたならば、そこに住む人間は軌道都市という環境を保全するためには邪魔な存在でしかない。だから殺す。一人残らず。地上への脱出を支援する構造は軌道都市にはないだろうから、完全に殺しつくすことも不可能ではないだろう。仮に地上に降下できても、オートマタを大量投下して掃討すれば済む。そもそも、軌道都市での生活に慣れた者がいきなり地上に降りても、野垂れ死ぬだけだ。
もしこの仮説が真ならば、おれたちは、この世界で正真正銘最後の人類になる。男と男だから、もう人類は滅んだも同然だ。外れていて欲しいが、否定する材料は何もない。そう思う度に、おれは忘れていた絶望の味を思い出してしまう。トモと二人で旅をするようになって、長らく感じていなかった、絶対的な孤独と恐怖。
しかし――もしこの世界に他に誰もいないとしても、おれたちにはやるべきことがあるんじゃないのか? そうだ、おれたちにしかできないこと。それは、文化という名で脈々と受け継がれてきた、人類の存在の証を残すことだ。それともう一つ。この世界におれがいた記録を残すことだ。
おれが最初にこの日記をつけたのは、確か、おれという人間の記録を、おれ自身が後で見返そうと思ったからだ。だが、ここからは違う。おれは、おれがいた証を保存するためにこの日記を書く。マイクロチップを構成する高分子の経時劣化がどの程度なのかは分からない。物理的に破壊されなければ、きっと素材の耐久限界までデータは保存されるだろう。
おれもトモもいつかは死ぬ。この星から人間はいなくなる。だが、記録として存在の証を残している限り、人間がいないことはこれまでもいなかったことと同義にはならない。いつか、遠い未来、誰かがこのデータを復旧してくれれば、おれたちはいなかったことにはならないのだ。宇宙人かもしれないし、軌道都市が崩壊した遥かな未来に、新たにこの星に生まれた知的生命体か、それとも軌道都市の生き残りか。希望はある。可能性はゼロではない。だから、絶望するにはまだ早い。
たとえ周りにいるのがからくり人形みたいな奴ばかりでも、人間は、一度でも存在すれば本当の意味で孤独になることはありえない。つまりはそういうことだ。なかなかロマンチックだろう?
西の空に流星が見える。どうやらまた新規のオートマタが投下されたらしい。戦いはますます苛烈を極めるだろう。全くもって、生きることとは戦いである』
自分がいた証を残さなければならない。ぼくはクルスの残した文章を何度も何度も目で追った。ぼくがこの地上に存在していたという記録を残せば、それは未来への希望になるのだ。逆に言えば、何も残さなければ、いないのと同じ。
儚い希望であることは分かっていた。もしぼくが死んで、ぼくらが収集した文化やクルスの日記が藪の中に打ち捨てられたとして、それが再びこの地に現れた知的生命体によって、保全――丁度ぼくらが行ったように――される可能性は、どれほどだろうか。恐らく、ゼロに限りなく近い。だが、ゼロではないのだ。
だからぼくはこの文章の記録を始めた。日記でもよかったのだが、ぼくは敢えて、クルスの愛した小説という形式を取った。日記だなんて、ロマンチズムに欠けている。ぼくは人間なのだ。そして、ただの記録でない、小説という文章を生み出せるのは、人間だけだ。からくり人形にはできない。
一般に、小説とは仮想だ。だからぼくがここに綴ったことも、空想の出来事かもしれない。でもその判断は、ぼくがするものではないと思う。サンタクロースがいるかいないのかを問うことが愚かであるように、虚実の曖昧さは時として美しく、人間的だ。
*
どうやらオートマタの集団に包囲されたらしい。最後の一人であるぼくを狩るのに、敵は総力を挙げてきた、ということだ。クルスの日記にあった新規投下分が、ぼくと交戦可能なエリアに到達したからかもしれない。
アーマーギアの充電は完了している。プラズマガンの整備状態も良好。ある程度は戦えるだろう。ある程度は。だが如何せん、多勢に無勢だ。歩行機械を破壊されたことによるぼく自身の体力の消耗もある。レールガンも投棄してしまったから、絶対的に火力が不足していることもある。ディスプレイの調子も悪い。
もしこの戦闘に勝利することができたなら、アスタリスク以降の文は削除しようと思う。こんな文章を残しておくのは恥ずかしい。
だが勝とうが負けようが、ぼくは確かに存在している。或いは、幸運にもこの文章を読んでいるあなたからすれば、存在していた。ぼくはいなかったことにはならないのだ。
冒頭に、『隣に誰もいないなら、ぼくはいないのと同じなんだ』と書いた。今、ぼくの隣には誰もいない。クルスは死んだ。だけど、ぼくは、いないのと同じではない。だから、もう二行を付け加えようと思う。
隣に誰もいないなら
ぼくはいないのと同じなんだ
でも、それでもあなたが覚えていてくれるなら
ぼくは存在し続ける
最後の人類であるぼくが言おう。この世界に、真に孤独な人間なんていない。たとえ周りがからくり人形のような、言葉を返さない虚ろなヒトばかりでも、どこかに必ず、あなたのことを覚えてくれている人がいる。あなたはいなくならない。いてもいなくても同じ人間なんかじゃない。だから、絶望するにはまだ早い。
でも、正直に言えば――クルスがいないこの世界は、少し寂しい。ほんの、少しだけ。サンタ・クルス。ここにあなたがいてくれたなら。日差しが強い。ディスプレイが汗で曇っている。
敵の第一射が来た。そろそろ口述筆記は終了しようと思う。さようなら、未来の友よ。

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