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レディー・バグについてのエトセトラ 作者:須々木正(Random Walk)
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#004 モザイクコンパスの帰結② - Stray off into the Library - ●○○●●○○●●○●●●●○○○●●●●○○○○



 普通の住宅街がなく人の少ないメモギ区東部で活動。カノハ高校の生徒を主なターゲットとしている。用意周到で自らの姿はさらさず、さらに関係する人たちにも互いの姿を見せないようにしている。悩みを持った人間が訪れる。しかも、彼らは最終的に一定の満足感を得ているようだ。カノハ高校の三年を中心に流れているらしい噂との関連性も疑われる。そして、()()易者(えきしゃ)と名乗ったらしい。
 ユウトは、イツキから話を聞いた時点で、この怪しげな活動をしている者が複数人であると仮定していた。決定的な根拠はないが、一人でやるには手が込んでいる印象を受けるし、「一人だと仮定して複数人」よりは、「複数人だと仮定して一人」の方が、何かと都合が良い。死角があったとき、白黒つけられないなら、とりあえず警戒するべきということだ。
 ユウトは、帰宅するとパソコンをつけた。情報収集である。
 膨大な情報を抱えるネットの海は、指針となるものを持たずに飛び込めば、必要な情報に辿り着く可能性は極めて低くなる。しかし、ある程度のヒントがあれば、あとはコツの問題である。断片的な情報から仮定し、それを順に検証していく。
 因果律は、ネットの世界でも逃れることのできない大原則だ。火のない所に煙は立たず。いくつかの仮定を検証しながら、よく目を凝らし煙を探す。
 ユウトは、より正解に近い仮定を見つける能力も、実際に煙を見つける能力も長けていた。故に、核心的な情報に至るのにあまり時間は必要なかった。
 〈トキメの易者(えきしゃ)〉。
 それが、その者たちに対応する固有名詞であるようだった。

 メモギ中央駅の裏手、すなわち駅東口の脇にある、低い石塀にユウトは腰かけていた。
 メモギ中央駅の一帯は、メモギ区の中では一番栄えていると言われるが、それはあくまで西口前の話。市街地のほとんどは駅の西側に広がる一方で、東側を訪れる人は少ない。必然的に、西口は表の玄関口として栄え、逆に東口は落ち着きある趣を残していた。
 ユウトは、学生服に学生鞄という格好。学校が終わって真っ直ぐここに来ていた。当然、昨日イツキから聞いた話に関連して、現場を自分の目で確認したいと思ったからだ。
 頭の中で情報整理をしながら時間を潰していると、ケータイにメールが届く。なかなか現れない待ち人からのものかと思ったら、そうではなかった。
「エレナさんか……」
 申し訳ないけれど、数日は忙しいから大人しくしていてください。そんな内容を、オブラートに包んで、妙なトッピングを添えてメールの形にする。送信。
 人が近づいてくる気配がする。ユウトは顔を上げる。今度こそ、待ち合わせの人物だった。
「ごめん、待った?」
 アサミの言葉に、ユウトは腕時計を見る。
「13分くらい待ちました」
「………。あっそ。それは悪かったね」

 ユウトとアサミは、駅から東に向かって歩き出した。メモギ図書館へと至るメインストリートだ。
「今日、学校でイツキと会ったんだってね」
 イツキは、連休明けの木曜以来久々に登校していた。休んだのは二日間だが、土日を挟んでいるので、アサミには随分長く感じられた。
 ユウトは、廊下にいたイツキとたまたま会って、一緒に歩いていたクラスメイトを先に行かせ、少し言葉を交わした。
「ちゃんと回復して登校してきてくれて良かったですね」
「もともとただの腹ペコでしょうが」
 アサミは短く憤懣(ふんまん)する。しかし、すぐに切り替えて言った。
「それより、ユウト君、なんで私に何も言わないの?」
「何が?」
「何がじゃないよ。現場に行くのになんで私に声かけないの?」
 学校で立ち話をしたとき、イツキに話した内容がアサミの耳に入ったのだろう。ユウトは本当は一人で行くつもりだったが、学校が終わる前にアサミからメールが入って一緒に行くことになった。
「言ったらついてくると思ったので」
「そりゃついて行くよ。何考えてるか知らないけど、得体の知れないものに一人で首突っ込んじゃダメだって」
「今後気をつけます」
「本当に分かってるんだか……」
 アサミは小さく呟く。
「というか、せめてケイゴくらい連れて行けば」
「ケイゴは予定があるので」
 ユウトがそう言うと、アサミはハッとする。何かを思い出したようだ。
「そう言えば、何か聞いた。サッカー部に体験入部だって? うちのクラスに部長がいるから言われたよ。これ、お前の弟か?って」
 ケイゴは、今のところ部活動には所属していない。運動神経は良いと思われるが、学校の活動に進んで取り組もうという姿勢を見せることはまずないので、アサミは意外に思っているようだった。
「倉麻先輩ですね」
「あれ、面識あった?」
「いえ。ただ、その妹がうちのクラスなので」
 ユウトは、もう数分歩けば図書館という場所で立ち止まった。アサミも立ち止まる。
「ここからはメインストリートを外れるので注意してください。順番に現場を回りますが、キョロキョロしないように。ただ散歩している感じで」
「分かった。怪しまれたらまずいもんね」
 ユウトは歩き出した。手に何か持っていると目立つので、地図は頭の中に入れていた。アサミもついてくる。
 メインストリートからほんの数メートルはずれただけで、雰囲気はみるみる変わっていった。道路は普通のはずなのに、人が行きかう様子が想像できない。住宅は皆無で、あまり規模の大きくない工場や倉庫や雑居ビルが多かった。その大部分は、今も使われているのか、すでに放棄されているのか、判断に困るものだった。
「やっぱり、私が一緒に来て良かったでしょ」
 隣を歩くアサミが、ユウトの耳元で囁くように言った。ユウトとアサミは、ほとんど同じくらいの身長なので、普通に喋るだけでもそういう位置になる。
「なぜ?」
 ユウトは、振り向かずに答えた。
「いや、だってさ、こんなところを高校生が一人で歩いていたら、それだけで十分怪しいでしょ。その点、私が一緒にいれば、人気(ひとけ)のない所でデートしてる高校生カップルにしか見えないし。完璧でしょ?」
 ユウトは少しだけ言い返したい気持ちになったが、面倒なのでやめた。
「まあ、そうですね……」
 ぽつりぽつりと会話していると、最初の目的地を見つけた。
 二階建ての雑居ビル。色の抜けた看板。
 他にその条件に合致する建物はなかったので、間違いないだろう。イツキが呼び出された場所だ。
 二人は立ち止まらなかったが、歩く速度を落とした。
「やっぱり人がいる感じじゃないね」
「そうですね」
「入るの?」
「いえ、それはやめておきましょう。今日は様子見です」
 どんなにゆっくり歩いても、あまり大きくない建物なので、すぐに通過してしまう。結局、イツキの説明通りの建物がそこにあったということしか分からない。
「イツキさんは、よくあんなところに入っていきましたね」
「んー、イツキはそういうところあるんだよね。静かに不思議なことをするというか、何考えてるのか分かりにくいというか」
 外観だけ見ても、多くの人は入ることを躊躇(ためら)いそうな感じだった。一人だけで平然と踏み込む感覚というのは、確かに少々特殊かもしれない。
 イツキは何を考えていたのか、もしくは何も考えていなかったのか。ユウトは考えあぐねる。
 続いて二人は、イツキが三日間で計十一人の相手をした待機スポットに向かった。
 ただでさえメインストリートを外れているところで、さらに細い路地に入っていく。頭上は開けているので薄暗いということはないが、建物の壁が迫っていて水平方向の見通しは悪い。
「これはカップルでも近づかないわ」
 アサミが呟く。
 言いたいことは分かる。単純に、明るいけれど人気のない穴場スポットと言って片付けるのは少し違うと感じる。不思議、というか異様だと、ユウトは思った。どこがと問われると答えづらいが、現実感を薄める何かを感じる。
 細い路地が合流し、道幅が少し広くなった区間に立ち木が現れる。待機スポットだった。
 少し広くなった区間はあまり長くないが、そこにいくつかの細い路地が交差していた。イツキは深くフードを被っていたはずなので当然分からなかっただろうが、実際にこの場所に立っても現れた人たちがどの道を辿ってきたのか判断することはできない。
 もちろん民家があるわけではないので、生活道路ではない。誰が通るのか、誰か通るのか。そんなことを思わずにはいられない路地だった。
 二人はやはりそこでも立ち止まらずに、次に向かう。
 イツキが来訪者たちに告げた目的地。これはイツキも行っていない場所だ。
 ユウトはすでに、イツキの証言を地図に照らし場所を特定していた。十一人の来訪者が歩いたであろう経路を辿り、その場所に向かう。徒歩で二、三分のところだ。
 すぐに目的地()()に到着する。
「で?」
 アサミが短く言う。その意図は明白だ。
「さあ」
 ユウトも短く答える。
「え?」
 アサミは(いぶか)しむようにユウトを見る。
 ユウトは、歩くペースをさらに落とした。もう少しで止まってしまうくらいだ。
「イツキさんの道案内で、ラストはどうだったか覚えてますか?」
 アサミは、斜め上空に視線を泳がせ首を傾げた。
「角を曲がった後は、その路地をゆっくり歩け」
「あー」
 アサミも思い出したようだ。二人は、改めてこの場所を眺める。
 今いるのは、100メートルくらいの直線的な路地。両端がT字路になっていて、遠くを見通すことはできない。幅は10メートルくらいあるが、薄汚れた雑居ビルや平屋の箱型の建築物がほとんど隙間なく並んでいて、閉鎖的な印象はぬぐえない。
 ゆっくり歩け―――。道案内のラストは、この路地の特定の地点を指定していなかった。
「つまり、場所はピンポイントには分からないんですよ。来れば分かるようになっているのかもしれないとも思いましたが、どうやらそんな感じはしませんしね」
「確かにそうだね」
 どの建物も一様に薄汚れていて、重苦しく、人気がなかった。雑多に様々なものが放置されているようだが、その割に、かつての面影を想像することは難しい。
「ということは?」
 アサミは、ユウトに説明を求めた。
「少し考えれば分かるでしょ」
「うん、分かりそうだけど、一応説明して」
 二人は、路地のちょうど真ん中あたりに辿り着く。ユウトは、小さく息を吐くと、説明を始めた。
「来訪者が来るとき、少なくとも一人、〈トキメの易者〉の人間がこの路地のどこかで待機していたんでしょう」
「ほう……?」
 アサミの頭の上に小さな疑問符が浮かぶ。ユウトは、順を追って説明することにする。
「案内役だったイツキさんのところに来訪者が来るとき、来訪者が場所を正確に知っていて、逆にイツキさんは知ることを制限されていた。この場合、〈トキメの易者〉はイツキさんをより信用していないということです」
「ま、ただの短期バイトだしね」
「一方、この路地では、来訪者の側の情報が制限されていた。ピンポイントに目的地が分からない状況から推測するに、来訪者は、誰かに見つけてもらうことで先に進めたんです。そして、その誰かは、当然来訪者のことを知っていて、それをどこに誘導するべきか理解していた」
「この路地に面したどこかに潜んでいて、来訪者が来たら声をかけて連れて行くってことだね」
 ユウトは頷く。
「そうです。そして、持っている情報の優劣から考えると、その誰かはイツキさんのような短期バイトではない。さらに、来訪者の証言によれば、ここら辺のどこかの建物から地下に入り、目隠しと耳栓をされて最終目的地である部屋まで行っています。そこは恐らく〈トキメの易者〉の核心部。であるならば、そこまで案内できる人物も、関係者と言えます」
 ユウトは一息に説明した。数秒間会話が途切れるが、アサミが小さく声を上げた。
「なるほど」
 アサミはすっきりした顔をしていた。どうやら内容は伝わったようだ。
 路地の終点につく。T字路の右を見ると、一区画挟んだ先に運河があるようだった。
 メモギ区とドゥープニ区を隔てる運河で、幅は40メートルくらい。メモギ区のあたりにある運河の中では最大の幅だ。そして、向こう岸は訪れることのない未知の領域。僅かに視界にとらえただけで、異様な気配を感じてしまう。
「確かに、運河からも近いんだね」
 隣でユウトと同じ方向を眺めているアサミが言う。
 来訪者の証言にもあったとおり、地下道をある程度歩いたということは、その経路によっては、あの対岸に至ることは十分考えられる。そして、もし本当に部屋が境界の向こうにあるのなら、この話は途端に異様さを膨張させることになる。はっきり言えば、手に余る案件となる。
「ドゥープニ区は行っちゃダメだよ?」
 アサミが言う。
「行きませんよ」
 ユウトは、言いながら左折した。運河に背を向け離れる方向に細い道を進む。
「今、子供がショーウィンドウの向こうの玩具を物欲しそうに眺めるみたいな顔してたよ」
「してませんよ……」
 言いながら、ユウトは小さく口角を上げた。
 別にドゥープニ区に行きたいわけじゃない。でも、確かに物欲しそうな顔をしていたかもしれないと、ユウトは思った。そうでなければ、こんなところに来たりはしないだろうとも。

 道はすぐにメインストリートに合流した。周囲の景色は、途端に現実の色を帯びてくる。
「図書館だ」
 アサミが指差す。
 通りの向かい側に並ぶ背の低い建物越しに、堅牢な石造りの壁面が見えた。メモギ図書館だ。
 ユウトは時刻を確認した。16時38分。暗くなるまでまだ二時間くらいある。
(せっかくだから、もう少し情報収集していきたいな……)
 ユウトは、特に何も言わずに図書館に向かって歩き始めた。アサミも黙ってついてくる。
 メモギ中央駅とメモギ図書館を結ぶメインストリート。線路の東側の地域で、ある程度の人通りがある唯一の道だろう。その意味では、メインというよりはオンリーだとも思う。
 道の両側の建物も、多くは現役で機能しているようだ。食堂、古書店、工房、雑貨店、骨董品店、喫茶店、宿泊施設。他にも、小さな店舗がいくつか見られた。
 あとは時々、石造りの頑丈そうな建物が見られる。雰囲気から想像するに、図書館の関連施設かもしれない。
 通りには、先程までとは違い人の姿も見られる。メインストリートと呼ぶにはあまりに少なかったが、見える範囲に人の姿があるというだけで、不思議と安心感を覚えてしまう。
「そう言えば、進路希望調査、アサミさんはどうするんですか?」
「いきなりだねえ」
「昨日、結局言ってなかったので」
「さすが、抜け目がない」
 アサミは笑っているが、同時に苦々しさも見てとれる。
「気になる?」
 質問で返される。ユウトは一拍おいて答えた。
「別に」
 アサミは乾いた笑みを浮かべた。
「君は相変わらず可愛くないやつだね」
 ユウトは少しの間、続きを待ってみるが沈黙だけが続く。助け船を出そうという気にはならなかった。
 もういいかと思ったタイミングで、アサミが口を開く。
「なんかさ、オススメとかない?」
「進路のオススメですか?」
「そうそう」
「カノ高は、半分進学、半分その他って感じらしいですね」
「進学かあ」
「大学とかは行かないんですか? メモギ区にはありませんが」
「大学ね……私、そんなに勉強好きじゃないんだよね」
「知ってますよ。ただ、言い方は悪いけど、モラトリアムだと思ったら大学もありかもしれないですよ」
「それはいいね。でも、大学に入るためには、勉強をしなきゃいけないわけじゃん?」
「そうですね」
 アサミは小さく唸る。
「もう半分のその他っていうのは? 就職ってこと?」
「働いたり、働いてなかったり、働いてるんだか働いてないんだか分からなかったりという人たちの合計だと思いますよ。カノ高を卒業していきなりちゃんと就職する人間が、そんなにいるとは思えませんし」
「確かに。親の仕事を手伝ってるって人も多そう」
 アサミはまたしても小さく唸る。
「別に、うちは家業とかないから、そういう働き口はないんだよね。何が一番いいんだろ?」
 それは、明らかにユウトに意見を求める口調だった。
 ユウトは、何を言うかの前に、何か言うべきなのかと考えた。しかし、結局は思ったことを伝えることにした。
「そうですね。まずは………」
 アサミは耳を澄ましている。すべてを解決する魔法の言葉を期待するように。
 ユウトは、そんな期待の眼差しを感じながらも、冷淡に刺々しく言った。
「人に流されずに、自分で考えれば良いんじゃないですか」
 ユウトは、その正論が人を苛立たせる種類のものであるということは十分に理解していた。
 アサミは一瞬呆けたような表情になるが、すぐに強張った顔をする。
「なるほどね……」
「何か分かりましたか?」
「分からないから聞いてるんじゃん」
 語尾が微かに震えている。しかし、ユウトは気にせず言った。
「分かろうとしたんですか?」
 強張った顔に、イライラが募っていく。突き刺すような視線がユウトに向けられる。
「もういい……。ホント、ムカつくやつだね。そんなんじゃ友達できないよ」
「ご心配どうも」
 二人は、いつの間にか図書館の入り口前まで来ていた。アサミは、図書館の建物を見上げて、それからユウトの顔を見ると、何も言わずに(きびす)を返した。
「どこ行くんですか?」
 ユウトはその背中に言った。アサミは立ち止まる。
「別にどこだっていいでしょ。ここからは別行動。じゃあね」
 アサミは歩き出そうとするが、ユウトがすぐに制止する。
「ダメです」
「ダメって……」
 アサミは身体を半分ユウトの方に向ける。ユウトの言葉の意味が分からなかった。
「僕と別行動するなら、選択肢は二つです。図書館にいるか、真っ直ぐ駅に向かうか」
「なんで強制されなきゃいけないの。どこに行こうと私の勝手でしょ」
「このあたりは、不用心に一人でフラフラするような所じゃありません。面倒なことになるのは御免です」
 アサミは一瞬言葉に詰まるが、再び背中を向けて言った。
「あのねえ、これでも私の方が先輩なんだけど」
「図書館か駅、どっちです?」
 ユウトに譲る気はない。他に聞く耳は持たないようだ。
 アサミは根負けする。肩の力が抜けていく。
「図書館。戻るとき連絡ちょうだい」
 アサミは、ユウトとは目を合わせず石段を上がり、図書館の中に入っていった。
 残されたユウトは、図書館の入口にある大きな周辺マップを見た。街路を網羅しているわけではないが、図書館周辺の主要な文化施設の位置が示してある。
 図書館地区という言い方をすることもあるこの一帯は、メモギ図書館を中心に、文化施設が多い。人の姿は少ない代わりに、知る人ぞ知るという趣で、完全に玄人向けだ。
(さて、どこから当たるべきか)
 ユウトはおおよその見当をつけると、図書館を後にした。


   *


 メモギ区東部の街路は複雑だ。
 様々な幅の路地が、直線曲線織り交ぜて広がり、しかもそれらは実に自由な角度で交差している。碁盤の目状と形容されるタイプとは、完全に対極にあると言える。
 その中で唯一といっても良い分かりやすい道が、メモギ中央駅からメモギ図書館へと至るメインストリートである。何らかの正式な名称はついていると思われるが、必要なときは「図書館に行く道」で事足りる。
 大通りというほどの広さはないが、直線的で分かりやすいのが最大の特徴である。しかも、東側の地区で目的地となり得る施設は、たいていこの通りの近くにあるから、利便性という意味でも重要だ。
 葉脈のような路地が広がるこの地区においては、移動は極力メインストリートで済ますというのが暗黙の了解になっている。だから、そこから外れるには、それがごく短い距離であったとしても何らかの確信が求められる。素人には少々手厳しい地区だ。
 駅から始まるメインストリートは、図書館に至ってそこで終わりというわけではない。そこから先、極端に人通りが少なくなるため、あまり知られていないが、多少幅を狭めた上で、最後は運河沿いの道に至るのだ。
 メインストリートで図書館を少し過ぎ、道幅が狭くなった直後、図書館の向かい側の区画に食い込むように伸びる狭い路地がある。路地の入口を挟み込む形で古書店があり、しかもそれらがただでさえ狭い道をさらに狭めるように、古書を乗せたカートを並べている。そのせいで、そこは知っていても不安になるくらいの分かりにくい路地となってしまっている。
 二つの古書店の隙間を縫うように細い路地に進入すると、すぐに直角に曲がる。分岐するわけではないので、L字型になっているだけだが、おかげでほんの少し入っただけなのにメインストリートから完全な死角となってしまう。
 小さな工房や空き店舗を分け入るように奥に進むと、一分足らずで行き止まりに辿り着く。そこには、古いレンガ造りの二階建ての建物があった。一階の土台が少し高いので、通常の二階よりも背が高い。入口には、〈ホテル・ビブリオ・ブリック〉と書かれている。

 ホテル・ビブリオ・ブリックのフロントは狭い。
 古びたソファー、小さな木のテーブル、人の背丈より高い重厚な本棚が窓際にあって、それ以外に目ぼしいものはない。そして、ソファーから伸ばせば手が届きそうな距離を開けて、ホテル業務を担う小さなカウンターがある。
 窓から差し込む光がカウンターの方にまで伸びてくる。カウンターの中には、初老の男性が一人いた。フロントには、それ以外誰もいない。
 男性は眼鏡をかけていて、読書灯の光の下、アームチェアに収まり分厚い本を開いている。ページをめくるとき、アームチェアは小さく軋み、首の後ろに回る眼鏡のチェーンが揺れる。
 男性はカウンターの上に手を伸ばした。細密な装飾の施された細い長方形の物体を手に取る。それは薄く加工された真鍮(しんちゅう)で、一方の端にあいた小さな穴に、色のついた短い紐が通されている。
 男性は、それを抱えている本の谷間に置き、名残惜しそうな視線を落としながら閉じた。カウンターの内側の一段低くなっている所の脇に、その本を置く。そのとき、扉が開いた。
 木の扉の上部についている小さな金属製の鐘鈴がカランと鳴る。扉が静かに丁寧に開かれたと分かる音だった。そこには、学生服を着た男が一人立っていた。ユウトだ。
 二人はすぐに目が合う。ユウトは、扉がしっかり閉まるのを確認してから会釈し、カウンターの方に歩いて行った。
「宿泊……というわけではないな」
 初老の男性が静かに言う。
「はい。少しお話を伺いたいのですが、大丈夫でしょうか?」
 男性は、ユウトに向けていた視線を、一瞬だけそらす。そして、再びユウトのことを真っ直ぐ見ながら言った。
「大丈夫だが、どんな話だ」
 男性の口調は客に向けるようなものではなかったが、心地良い落ち着きを含んでいる。
「この界隈が関係している、とある噂についてです。カノハ高校の生徒も関係していると思われるのですが」
 男性は、数秒間探るような視線をユウトに向ける。思考を読み取るように、じっと見ている。それから、一回大きく(まばた)きをして言った。
「ホテル・ビブリオ・ブリックのガレン・アンダーパスだ」
 男性は名乗りながら立ち上がり、右手を出した。ユウトも手を伸ばし、握手を交わす。
「カノハ高校の一年生、七津ユウトです」
「コーヒーを淹れてこよう。そちらのソファーで待っていてくれ」
 ガレン・アンダーパスは、カウンターを出て奥の方に姿を消した。
 ユウトは振り返り、こげ茶色の古びたソファーに腰かけた。表面の皮革が小さな音をたてる。正面の本棚はほぼ完全に埋まっていて、その大半は時間経過を感じさせるものだった。それぞれが、本屋に並ぶ本と同じ括りにできないような独特の存在感を放っている。
 ユウトはアサミと別れた後、付近の路地を徘徊し、目にとまった店などで話を聞こうとしたが、やっているのかどうかも分からない所が多く、ほとんど収穫はなかった。そこで、最終的には図書館の近くの宿泊施設に目をつけた。
 メモギ図書館や周辺の文化施設は、メモギ区の外からも人がやってくる数少ない場所だ。そのため、付近には数軒の宿泊施設があった。人の出入りもあるし、何らかの情報を持っているかもしれないとユウトは思った。調べたところ、ホテル・ビブリオ・ブリックは比較的しっかりとしていて、メモギ区の外から図書館を目的に長期滞在する客もいるようだった。
「ここに若い人が来るのは珍しい。客の大半は、気ままな一人旅をする根なし草だ」
 ガレンがマグカップを二つ持って戻ってきた。
「わざわざありがとうございます」
 ユウトは礼を言う。
 ガレンは、ユウトの隣には座らず、窓際に小さな椅子を置いて腰を下ろした。視線がユウトに向けられる。
 そこに言葉はなかったが、話をするよう促されているのだと解釈したユウトは、不思議な趣をまとった空間で事の顛末を語り始めた。
 実際にカノハ高校で流れる噂話を切り口に、イツキの体験談や、ユウトがネットで目にした情報、さらには本日この界隈を歩いて感じたことなど、順序立てて丁寧に話した。イツキやアサミの名前は具体的に述べなかったが、〈トキメの易者〉という単語は口にした。ガレンは、その単語に思い当たるものがないと首を横に振った。
 ほとんど一方的にユウトが話し続け、ガレンは表情を変えることなく聞き入っていた。フロントに現れる人は他に誰もいなかったので、ユウトが声を出さないと異様に静かになる。潮の満ち引きのように、一定のリズムを刻んで、ユウトは伝えたいことを一通り述べた。
「それで、こちらに至ったわけです」
 ユウトの語るここ数日のエピソードは、いま現在のホテル・ビブリオ・ブリックに辿り着く。数秒間の沈黙の後、ガレンが言った。
「話は分かった」
 ガレンは、姿勢を正そうと、椅子に座り直す。
「確かに私は、ここで長く過ごしているから、様々な噂を耳にすることがある。メモギ区の外の人間とも話をする機会が多いから、この界隈に限定されるものではないが」
 ガレンは、抑揚の少ない()いだ海のような口調で話をする。
「君は、その〈トキメの易者〉とやらに関心があるようだが、それは好奇心によるものか、正義心によるものか、もしくはそれ以外か」
 イントネーションはただの語りだったが、それは一応疑問を投げかけるものだった。不意に問いかけられたユウトは、一瞬考えてから言った。
「好奇心……ですかね」
 歯切れの悪い返答になってしまう。
「好奇心か。まあいい、好奇心にも幅がある」
 ガレンの言葉は、どこか核心を不明瞭にする性質があった。ユウトは、その意図をはかりかねる。
「さて、その〈トキメの易者〉に対する私の印象だが、少なくとも極悪非道な組織犯罪がなされているとは思えない。この界隈でそのようなことがあれば、まず間違いなく私の耳には入ってくる。昨日今日に動き始めたものでないなら尚更だ」
 ユウトは、昨晩ネットで調べた結果として、昨年の同時期にも同様のことが起きていたことを伝えていた。規模は今年より小さく、〈トキメの易者〉という名称も登場しなかったが、今回の件と関連している確信はあった。
「ところで、君の知り合いは実際に被害を被っていると言えるが、具体的にはいくらだったんだ?」
 ユウトは、イツキから聞いていた金額を告げた。報酬として口座に振り込まれるはずだった額だ。
 ガレンは、テーブルの端の方に置かれていたメモ帳にその数字を書いて眺めた。
「こういう言い方は少々(はばか)られるが、所詮はこの程度とも言える。警察に相談しても動いてくれないだろう」
 もともと話が旨すぎたこともあるが、犯罪だと騒ぐほどのものではないという意見には、かなりの人が同意すると思えた。ユウトは、やんわりと話の打ち切りを告げられたのだと思った。しかし、その推測に反してガレンは言葉を続けた。
「ただ、それにも関わらず、興味をひかれる部分は確かにある」
 ユウトは意外に思い、改めてガレンの表情に視線を向けるが、やはりその意図は読み取れない。ガレンの言葉はさらに続く。
「彼らの動機はなんだろう? なぜメモギ区なのだろう? なぜ高校生を相手にするのだろう?」
 並べられた疑問は、いずれもユウトが昨日から今日にかけて少なくとも一回はぶち当たったものだった。それらが今、改めて目の前に首をもたげる。推理の糸口として、これらの疑問には価値があると、お墨付きをもらった形だ。
 ユウトはまだ答えを持ち合わせていなかった。それを察したガレンは、一つ別のヒントを与える。
「このあたり一帯をさして、俗に図書館地区と言うことがある。あまり知られていないことだが、この呼称は、本来、図書館の近隣という意味とは少し違う」
 ユウトは、図書館地区という言い方は知っているが、それ以上は知らなかった。当然、ガレンの言わんとすることを予測することもできない。
「図書館地区というのは、実は、図書館そのものだ。もともと、メモギ図書館の敷地内を図書館地区と呼んでいた。敷地内にも図書館と直接関係のない施設が間借りして建っているため、外部からは非常に分かりにくくなっているが、あくまで土地は図書館に属する。かく言うこのビブリオ・ブリックも、図書館の敷地に建てられた施設の一つだ」
「〈トキメの易者〉の訪問者たちが呼びだされた路地は……」
「察しの通り、図書館地区に該当する」
「ということは、仮に、そこにある程度の規模の地下道があるとしたら」
「図書館の関連施設だという線が濃厚になる」
 ガレンは、マグカップにまだ少しコーヒーが残っていることに気付き、それを啜る。
「なかなか興味深い」
 ガレンは、窓の外、図書館の建物がある方角に目をやった。

 ユウトが去るのを見送った後、ガレンは扉の鍵をかけた。フロントの窓辺に戻り、椅子を元の場所に戻す。それから、テーブルのメモ帳の一枚目をはがした。その下に、まっさらな紙が現れる。
 ガレンはカウンターの中に行き、読書灯をつけアームチェアに腰かける。紙を手元に置くと、横にある棚に手を伸ばす。観音開きになっていて、中には年季の入ったパソコンモニターがあった。続いて、観音開きの下の段を引くと、棚がスライドして、そこに大きめのキーボードが現れた。
 ガレンは、モニター横の内壁に掛けられている小型のヘッドホンを耳にあてがう。そこから口元にマイクが伸びている。コンピューターを起動すると、片手でキーを叩く。
 程なくして、ヘッドホンから声がする。
 ――はい、こちらKC。
「こちらBB。今、ちょっと大丈夫か?」
 ――問題ねーですよ。何か壊れちまった感じですか?
「いや、そういうわけじゃない。ただ、ちょっと気になる訪問者がいたのでな」
 ――どこから来たやつです?
「それが、珍しいことにメモギ区の住人で、しかも高校生だ。今からフロントの録画映像を送る」
 ――了解っす。
 ガレンは簡潔な会話を済ませると、キーを素早く叩いてから、ヘッドホンを元の位置に掛けた。体勢を直す。読みかけだった本を手にとり、開いたページから真鍮製のしおりをはずした。


   *


 メモギ区で生まれ、メモギ区で育ってきたにもかかわらず、アサミはメモギ図書館に来た記憶はなかった。立地からして、子供が気軽に訪れるような場所ではないので、当然と言えば当然かもしれないが。
 メモギ区の小学校、中学校、高校のいずれも、それなりに充実した蔵書を誇る図書室を備えていたので、余程マニアックな本を求めない限り、わざわざ大図書館に近づく必要はない。ヒビカ各地からの訪問者がいる一方、地元民からすれば少々敷居の高過ぎる場所だった。
 入口から奥に進んでいくと、途端に薄暗くなっていく。照明はついているが、自然光は届かなくなる。外から見ると、正方形の箱のように見える堅牢な石造りだが、内部もその印象をそのまま引き継いでいる。
 硬質で趣のある石材が構成する真っ直ぐな廊下からは、不規則な分岐、形状が統一されない扉、中途半端な階段が見える。頭上も、いきなり天井が高くなり、そこの壁面に小振りな窓がついていたりする。そんなところに部屋があるのだろうかと思ってしまう不思議な構造。
(ヒビカ三大図書館の名はだてじゃないわね。図書館と言うよりは、ちょっとしたダンジョンだわ、これは)
 アサミは、図書館としては明らかに不必要な要素に覆われた空間に戸惑い、落ち着きなく視線を移していく。
 廊下には、短い間隔で案内表示がされている。横道にそれず、ひたすら真っ直ぐ進むことを求めるものだ。ただし、真っ直ぐ進まないとどうなるのかは書かれていない。
 アサミは、廊下の前後を見た。ちょうど誰もいなかった。アサミは、手近な扉を開けてみる。見た目通りの重さで、体重をかけて押し込むようにした。
 扉の向こうにも廊下が続いていた。幅は少し狭い。やはりいくつもの分岐があるように見えた。
 扉を押さえて覗き込んでいたアサミは、その情景を見ながら、背筋に悪寒のようなものが走るのを感じた。日常空間から隔絶された異様な領域が突然現れたみたいで、どこか怖さを感じた。
 それでも、普段のテンションなら構わず中に踏み込んでしまいそうだが、今はそこまでの気分ではない。アサミは扉を閉めた。
 廊下の末端、石のブロックが形作るアーチ状の構造物の下をくぐると、視界が開ける。巨大な書架スペースだ。
 まずその本の数に圧倒された。上から下まで無数の本が見える。もちろん、見えていない所にも大量にあるはずだ。
 見たこともない背の高い本棚には、鉄製の梯子がついている。本棚にとりつけられたレールに引っ掛けてスライドさせられるようだ。他にも、小さな(やぐら)のように組まれた台もあった。
 アサミは、見上げてから見下ろす。入口で石段を上がったことを思い出した。恐らく、辿ってきた廊下は中二階くらいの高さだったのだろう。とすると、この高い天井は三階くらい、一番下に見える床は地下二階か。
 いくつも見える太い柱は、見事な装飾が施されている。見る人が見れば、立派な建築様式の名前をあげてくれるだろうと思う。フロア、吹き抜け、それらを連結する渡り廊下や階段の配置はあまりに不規則で、何階なのかという質問がバカバカしくなるほどだ。必然性を感じない半端な段差がフロアを分割し、螺旋(らせん)階段は矛盾を巻き込みながら視界を横切る。
 フロアには所々本棚のないエリアがあって、そういう所には長椅子や机がある。図書館の規模に比して人はまばらだが、分厚い本を積み上げ熱心に読み込んでいる人が何人も見える。
 アサミは、随分場違いなところに来てしまったというような感覚になるが、それでも一番近い机に向かった。吹き抜けに沿って湾曲した通路のすぐ横には、高い本棚がそびえ立っている。間近で見るとかなりの迫力だ。
 カーペットの上を重い木の椅子がなめらかに滑るのに小さく感動しつつ着席。机に置いた学生鞄を抱いて周囲を見た。同じ空間なのに、景色はガラリと変わっていた。そのダイナミックな変化に翻弄される。
 アサミは、フワフワした気持ちのまま、しばし見惚(みと)れていたが、ふと我に返る。
(ダメだ。ボーっとしている場合じゃない……)
 少し暗いように思えたので、とりあえず机に備え付けられている照明を灯した。
(進路希望調査かあ……。ていうか、進路希望って、そもそも何よ。いったい何をどう希望すればいいの)
 アサミは頭を抱えて突っ伏した。頭の中ではグルグルとまとまりのない思考が渦巻く。追いかけようとすると、たちまち船酔いのようになってしまう。
(あー、ダメダメ。そうじゃないんだ。違う。いや、違わないけど……)
 アサミは、静かに悶えた後、数秒間停止し、ガバッと身体を起こした。
「勉強しよう……かな」
 自らに言い聞かせるよう、敢えて小さく口に出してみる。半眼のスッキリしない表情のまま、学生鞄の中を(あさ)る。問題集、ノート、筆記用具を取り出した。
 開かれたページには、見たことがあるような見たことがないような文字列。この薄っぺらな数式たちが将来を切り拓く力を秘めているとは、とても思えない。こうすれば解けるという情報が、自分の文字でノートに残っている。まるでダイイングメッセージのようだと思った。
 アサミは、自分の無気力をひしひしと感じながらも、余計なことは考えず努めて機械的に問題を処理していった。なぜと言われても答えようのない解法。これで答えが出るんだから別にいいじゃないか。
 しかし、それで手を動かせたのは結局10分くらいだった。息を止めて長距離走をするようなもので、どこかのゴールに向かっても、辿り着くことはあり得ない。息切れは必然だ。
(無理だ……)
 アサミは深く溜め息をつきながら、書架スペースのより高い所を見上げた。
 視界にとらえる騙し絵のような光景は、安らかに勉学に励むことを妨げているように思えた。むしろ、落ち着いて読書することすら厳しい気がする。大図書館の得体の知れない凄みは、ちっぽけな訪問者を宙吊りにしてしまう。
(ここで落ち着いて読書していられる人の気が知れないわ)
 アサミは、問題集とノートを閉じてしまう。それから、ふと以前ユウトが言っていたことを思い出した。
(そう言えば、大図書館は、落ち着いて勉強したり読書をしたりできる所じゃないって言ってた気がするな。ホント、その通りだわ)
 アサミは、筆記用具も片付けた。問題集とノートを重ね角をあわせ、その上にペンケースを乗せた。
(ユウト君は、どこに行ったのかな……。ま、何だっていいけれど)
 背筋を伸ばし視線を正面方向水平に延長していく。上下のフロアと左右の柱、本棚に囲まれた狭い空間を通り抜けていく。その先は、薄暗くてよく分からない。
(ていうか、人の行き先を制限したくせに、自分は好きに動いちゃって……いったい何様なんだっつーの。今更だけど)
 アサミは、机の上に広げていたものをすべて学生鞄に戻し立ち上がった。
 時刻を確認する。驚くほど時間が進んでいなかった。この空間では、時間の流れまで狂っているんじゃないかと思えた。

 アサミは歩き出した。探したい本があるわけでも、行きたいスポットがあるわけでもない。ただ、好き勝手に歩き回りたかった。
 当てもなく本棚の隙間、組まれた足場、柱にとりつくようなカーブを描く階段を進む。次々に新たな情景が現れるが、書物の波が尽きることはない。圧倒的な分量だということは分かるが、それがどの程度圧倒的なのかは想像することすら難しい。タイトルを目で追うだけでも数年かかりそうだと思った。
 何も考えず、ただ感覚に従ってしばらく歩いていると、広い空間に出た。しかし、人の姿はなかった。相変わらず本棚はそびえ立っていたが、人の気配がない。
 アサミは、不気味に思い辺りを見回した。案内表示のパネルを見つけた。
 そこには、今いる空間から行けるいくつかのポイントへのルートが記されていた。しかし、図書館全体は描かれていないので、記されていない所がどうなっているのかは全く分からない。
 アサミは、〈付属研究院〉という小さな表示を見つけた。それは、覚えのある単語だった。
 カノハ高校を卒業した後、進学する場合、大半は大学か専門学校を選ぶことになる。しかし、高校ですら一つしかないメモギ区には、そのいずれも存在しない。よって、進学する人は、メモギ区外の学校に通うのが普通だ。ただ、メモギ区内にも進学先として選べるものが一つだけある。それが、メモギ図書館付属研究院だ。
 アサミは、進路希望調査の関係で聞いたような気がするが、詳細は忘れてしまっていた。とりあえず自分との相性は良くなさそうだと思ったのだけは覚えている。
(でも、これも何かの縁だし、ちょっと見に行ってみようかな……)
 アサミは、言われなきゃ絶対に分からないルートを辿り、付属研究院を目指して歩き始めた。
 通路はますます難解になり、人の気配はさらに遠ざかっていくように思える。いくつもの扉、いくつもの短い廊下を経由し、やたらと時間がかかると思って壁を見上げ、目に留まった時計の時刻があまり進んでいないことに小さく驚く。
 その扉を開けると、目に飛び込む光の種類が変わった。それは太陽光だった。小さな窓が並ぶ廊下だった。日の長い季節なので、まだそれなりに明るい。
 窓の外は石の壁に囲まれた中庭だった。密生する灌木(かんぼく)、彩りの薄い花壇、人のいないベンチ、止まった噴水、地面を(ついば)む小鳥。
 アサミは、小窓の並びを追いかけるように進んだ。突き当たりを直角に曲がり、階段を数段下りて扉を開ける。より太い別の廊下の途中に出た。左右に首を振ると、ついに目的地を発見した。
 付属研究院と大きく書かれた看板。その横に扉があり、さらにその横に受付のような小さな窓口があった。アサミは、窓口から中を覗いてみた。
 すると、中にいた女性と目が合ってしまう。単に中の様子を見たかっただけのアサミはハッとするが、女性は二コリと微笑むと扉を開けて外に出てきた。
「カノ高の生徒さんね。どうかしたのかしら?」
 ふわりとしたボブカットとベージュのロングスカートが、女性の動きに従って小さく揺れる。
「あ、いえ……せっかくなので、付属研究院ってどんな感じなのかなあって」
 せっかくって何がせっかくなんだと、アサミは自己ツッコミを入れる。しかし、女性が気にする様子はない。
「三年生?」
「はい、三年生です」
 何で分かったんだろうとアサミは思った。それが表情に出ていたのか、女性はふっと小さく微笑んで説明してくれた。
「この時期は、毎年カノ高の三年生がやって来るのよ」
 五月のこの時期にカノハ高校の三年生がやって来る。ということは、進路希望調査の関係か。
「カノハ高校から、こちらの研究院に進学する人は多いんですか?」
「そうね、年によってかなりバラつきはあるけれど、多くはないわね。私の学年では、私を含めて二人だけだし」
 聞くと、女性もカノハ高校出身で、アサミの六学年上ということだった。
(ということは、メイさんが一年だったときの三年生か)
「ただね、同学年のもう一人は高校から直接進学したわけじゃないから、同期でカノ高卒は私だけだったわ」
 二人は、壁際にある椅子に腰かけた。アサミは、せっかくなのでいろいろ話を聞いてみることにした。アサミが付属研究院についてよく知らないと分かると、女性は丁寧に説明してくれた。
 メモギ図書館付属研究院は、その名の通り研究機関だ。ただし、教育課程があるので大学や大学院にかなり近い。原則として、高校卒業以上で、諸条件をクリアすると所属できる。
 大図書館の蔵書管理、蔵書研究、来訪者案内等を主な業務とし、それ以外の時間で、研究活動に勤しむそうだ。この図書館でバイトを雇うことはなく、関連業務のすべてを付属研究院でこなしているらしい。館内清掃、花壇の手入れ、案内の掲示などもすべて。
 所属している人数は百人を超えるようだが、毎日通っているわけではない。一部は、別施設へ出向していたりもするそうだ。
「ただし、三年生がよく来るのは、研究院への進学を考えているからじゃないのよ」
 女性は少し苦笑した。
「広くヒビカのアマチュア研究家にとっては、なかなか魅力的な待遇を得られる場所だけど、カノ高の生徒でうちを進学先に考える子は少ないわ」
 それはその通りだとアサミは思った。口に出すことはできないが、正直なところ、地味過ぎて興味は湧いてこない。
「それじゃあ、なんで三年生が?」
「簡単に言うと、悩み相談ってところね。そもそもメモギ図書館が高い独立性を持っている影響で、その下部組織である付属研究院も独立性が高いのだけど、そのために他所で聞ける話とは違ったアドバイスができたりするの。だから、他で受け皿のない悩みを吐露できる場所として機能しているのよ」
 つまり、進路希望調査の時期、将来について悩める三年生がやって来ると。よくよく考えれば、地元の事情にも精通していて、学校とは無関係に真面目な話をできる場所というのは貴重なのかもしれない。
「ただ、これは付属研究院の正式な業務として掲げられているわけじゃないんだけどね。でも、来訪者に誠意をもって相対するというのが根本にあるから、その延長で何人かが対応しているの。たぶん口コミなんだと思うけれど、それが毎年細々と続いているのね」
 女性は、研究院についての説明を一通りすると、どうしてここに来たのかアサミに尋ねた。アサミは、経緯の詳細を話す代わりに、今の自分が内に秘める心境を打ち明けた。女性は静かに話を聞いてくれた。初対面なのに、包み込むような優しさが滲み出ていて、言葉がスムーズに出てきた。
 静かな沈黙が流れ、話が終わったのを確認すると、女性は立ち上がった。
「ちょっとついて来てちょうだい」
 女性は廊下の端まで行くと扉を開けた。その向こうからは日の光が広がる。中庭だ。
 アサミは後ろについて中庭に出た。太陽は徐々に低くなり、建物に囲まれた中庭にも影の部分が多くなっている。
 綺麗に整った石畳の小道を進む。甘い香りを漂わす花の横を抜け、藤棚の短いトンネルをくぐる。
 脇見をしていると、視界が暗くなった。中庭を囲む壁の一つを貫く通路に入ったようだ。
 数メートル歩くと、すぐにまた明るくなる。そこも中庭のようだった。ただし、壁は先程よりも近いので、サイズは一回り小さいようだった。窓のない壁面を(つた)が覆っていて、濃い緑の葉が目立っている。
 前を行く女性が立ち止まった。アサミも立ち止まる。
「ちょっと目を瞑ってくれるかしら」
 アサミは不思議に思うが、目を瞑った。
「よし。それじゃあ、そのままゆっくり歩いて。絶対に目は開けちゃダメよ」
 女性はアサミの手を掴むと、どこかに誘導していく。アサミはしっかりと目を瞑ったまま、こけないよう足元に注意を払いながら歩く。靴が踏みしめるのは変わらぬ石畳だった。
「あと一歩だけ前に……」
 小さく一歩前に進むと、女性はアサミの手を離した。女性が少しだけ離れた所に移動するのを感じる。
「じゃあ、1、2、3で目を開けてね。ただし、その場から動かないように」
 アサミはまだ事情を飲み込めない。距離的には目を瞑ってからあまり移動していない気がするけれど、この人は何をしたいんだろうか。
「1、2、3、はい。目を開けて」
 アサミは目を開けた。目の前に壁面が迫っていた。距離にして二十センチくらい。
「何が見える? あ、まだそこから動かないでね」
 アサミは律儀に足を固定し、視線だけ動かし壁面を観察した。
「壁?」
 正直に答える。女性はクスッと笑う。
「壁に何が見える?」
「いろんな色の小さな石が埋め込まれているみたい……。タイルですか?」
 壁面には、青や緑や茶色が散らばっている。濃淡は多様だが、似たような色のものも多い。表面に平らな面が来ているのでタイルのようだが、砕いてより小さくなっているものもある。艶やかで美しいが、宝石の類には見えない。
 もしかすると何かの模様なのかもしれないが、見える範囲で規則的な並び方をしているわけではなく、ピンと来るものはない。どちらかと言えば、子供がばら撒いたように乱雑な印象だ。
「それじゃあ、ゆっくり後ろに下がって来て」
 アサミは壁面を見たまま立ち位置を下げていく。視界は広がり、一度に見える範囲が大きくなる。同時に、個々のタイルの輪郭はぼやけ、色が混じっていく。部分が不鮮明になるほど、不思議と全体は鮮明になってくる。
「あ……」
「分かったかしら?」
 女性はアサミの隣に来ていた。
「はい――」
 下の方に青の塊。そこに上から覆い被さるように茶色の領域が広がっている。茶色の領域の中には、緑が固まっている所がある。特に、曖昧にぼかされた外縁部に緑が多い。それぞれの領域は、濃淡が折り重なり、玉葱の断面のようになっているところもある。
 青と茶色の境界線は明確で、所々複雑に入り組んでいた。そして、その青の領域の左右二ヶ所から青の曲線が上に伸びて、茶色の領域に侵入している。左の青は、上にあがるとすぐ左にそれて緑の領域に入り込み細くなり消えていく。右の青の方が太く、斜めに上昇してから二つに分かれ、その片方は、大きく回り込むようにイメージの中央部を左に突き進み、最終的に緑の多い左上に消えていく。
「これは……ヒビカの地図ですね」
「正解。ヒビカの地図のモザイク画ね」
 鉄道や運河がないので分かりにくい所もあるが、海岸線や川の形から判断できた。メモギ区のあたりは、運河が省略されると、何の特徴もない薄茶色の領域でしかなかった。でも、まあそんなものだろうとも思えた。
 壁画全体を改めて眺めてみると、シンプルな色合いでありながら、なかなかの美しさだった。最初からこの距離で見ていれば、モザイク画だとは気付かなかったかもしれない。
 ただ、分かったのは、このモザイクの壁画がヒビカの地図を表すというところまで。なぜ自分にこの壁画を見せたのか、なぜこんなステップを踏んで見せたのか、女性が真に意図するところは分からなかった。
「えっと……」
 アサミは、反応に困り、声を上げた。女性の方を見る。
 女性は、アサミとは目を合わさず、モザイク画を真っ直ぐ見据えていた。アサミには長く感じられたが、実際には数秒くらいだったのかもしれない奇妙な沈黙の後、女性は語り始めた。
「あなたみたいに、進路に悩む子たちは少なくないわ。いまいち実感の湧かない選択肢を並べられ急かされ、選択肢を提示したわりにはしっかり自分の意見を持てとか言われ、それで考えて素直に答えると現実を知らないと叱責される。
 そしてみんな自問自答する。自分はどうするべきなのか、どちらに進むべきなのか。自分の中にある方位磁針に必死に目を凝らすようにね。
 でも、肝心なところはよく見えない。だからと言って、聞こえてくる意見をすべて受け取っていくと、それも訳が分からない。それぞれが指し示す方向はまるでバラバラ。よく目を凝らせば凝らすほど、その方向が統一されていないことに気付いていく」
 アサミは聞き入っていた。確かにそうだと思った。大人は、相反する方向を平然と指し示す。
「周囲の人が提示する方角は、混乱を招く。だったら、それらは無視すれば良いのかというと、それは違うと思う。見て欲しい、聞いて欲しい。でも、それに従う必要はない。そもそも、無数の方角を読みとったところで、それに従うことはできない。それでは、どうすれば良いのか?
 このモザイク画、最初、近くに立ったときは、これが何を表しているのか分からなかったでしょう? いろんな色を示すタイルが乱雑にばら撒かれているようにしか見えない。そこに意味なんて見出せない。
 でも、一歩ずつ下がっていくと、イメージが見えてくる。一つ一つは曖昧になるけれど無視しているわけじゃない、むしろすべてを見ている。だからこそ分かるものがある。
 人にはそれぞれ色がある。だから、その言葉が示す方角もバラバラで当たり前。そんな人の間で生きていく上で、もし自分のコンパスを見失ったら、近付いて目を凝らすだけでなく、少し離れて広く見てみるのも一つの手じゃないかしら」
 女性は、言いたいことを言い切ったようで、一息つく。
「あんまりうまい言い方じゃなかったかもしれないけれど、少しは伝わったかしら?」
「いえ、伝わったと思います、たぶん。私もうまく説明できないけれど」
 それは良かったわ、と女性は微笑んだ。
 アサミは、もう一度モザイク画を見た。まだ完全にスッキリしたわけではないが、少なくともその糸口のようなものは掴めそうな感触があった。
「お話、ありがとうございました」
「いえ」
 だいぶ傾いてきた日の光が中庭に斜めに差し込む。女性の髪を夕暮れの風がふわりと揺らした。
「あくまで、私の考え方を話してみただけ。私も、あなたの進むべき道は知らないわ。あなたは、あなたのコンパスを」
「はい」

 程なくして、ユウトから連絡が入った。図書館の入口前で合流とのこと。
 アサミは、来た道を戻ることを考えると、少し気が重くなった。というより、そのまま戻れるような気は全くしない。
「送っていってあげましょうか?」
 だから、女性の提案を果てしない感謝とともに受け入れた。
 この図書館で日々を過ごしているので当然なのだが、一見すると複雑な経路を、女性は何の迷いもなく進んでいく。感覚に従ったら、絶対に辿り着けなかったなとアサミは思った。
 二人は、アサミが最初に上がってきた石段とは別のところから外に出た。
 大きな門柱に背を預けているユウトが、石段の上の方を眺めているのが見えた。しかし、すぐに別の方向から現れた二人に気付いて意外そうな顔をしている。
「今日は、本当にありがとうございました。あの……私、比田アサミって言います」
 アサミは、名乗るタイミングを逸していたので、最後のチャンスと思って名乗った。
「私は、四祭(しさい)アズハ。だいたいいつも研究院にいるから、また何かあったら気兼ねなく来てちょうだいね」
 アズハは、優しく微笑んだ。


   *


「なるほど、だから意外とスッキリした顔をしてるんですね」
「そうよ。アズハさんと話をしてなかったら、ユウト君に出会いがしらの一発を見舞っていたかもしれないよ。私、結構本気でムカついてたからね」
 二人はメインストリートをメモギ中央駅に向かって歩いて行く。
「それは、僕もアズハさんにお礼を言っておくべきでしたね」
「うん、今度言ってきた方が良いよ」
 先程まで進行方向に見えていた残照は、徐々に地面に吸い込まれていった。空の大部分は、すでに夜の色を帯びている。
「ユウト君は、何か収穫あった?」
「んー、そんなには」
「そっかあ」
「でも、今のアサミさんの話は、僕にとっても収穫でした」
「ん? ためになった?」
「いや、そういうことじゃなくて……」




(#004おわり)





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2017.5.28 修正(数か所。内容の差し替え等はなし)

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