集配担当、鴨田です。
ヒトの科学は異種間コミュニケートのために、動物に言語を与えることに成功した。はじまりは「ペットが何を考えているのか知りたーい」程度の研究だったが、その研究の過程で能力を与えられた動物たちは次第に市民権を得るようになり、市民権を得た動物たちは飼われていることに満足しなくなった。そして「うるさいことを言うくらいなら、自分で食ってけ」とばかりに放逐された動物たちは、各々繁殖する。
ヒトと同じ言語を持つものたちは、本来の種族の「本能の赴くまま」の生活には相容れず、自分らしき生活を求めるために、職業を持ちはじめたのだ。
「こんちわーっす!ご依頼いただきましたお荷物を、受け取りにまいりましたー」
背中に紙筒を括りつけたカルガモは飛び上がって、くちばしの先でインターフォンを押した。羽ばたくのには少々、マンションの廊下は狭い。
「お疲れさまです。いつもありがとう。ピアスを一組、入れ忘れちゃったの」
にこにこしながら出てきたのは、手作りアクセサリーのデザイナー、小鳥遊メイ。
「新作の展示会なのに、自信作を出さなくちゃダメよねえ。助かったわ」
そう言いながら、紙筒の中に荷物と配送先をストンと入れた。大きく切れ込んだVネックのシャツがたわみ、ふくよかな胸とそれを押し上げる下着が丸見えになる。
「鴨田さんがいつでも来てくれると思うと、余計に気を抜いちゃうのかしら。頼りにしてるのよ」
「いえ、仕事っすから!」
羽毛があれば、顔に血が昇ったのはわからない。
「私、姓に鳥が入ってるでしょう?だから、鳥さんたちに近しい気がするのよね」
そう言いながら、鴨田の頭を軽く撫でる。膝を折っても尚鴨田よりも丈が高いので、胸は見え放題である。
ああ、その胸に顔を埋めたい。鴨田の願いなんて、メイにはわからない。小さいものを幼いものと思うのは、ヒトだからである。鴨田はヒトの年齢に換算すれば、齢三十を過ぎた壮年だというのに。
「ぐぇぐぇ!」
通路の奥から、無粋な呼び声が聞こえる。ペアの集配係、鴨川である。
「まだ集荷終わんないのか、そろそろセンターに戻る時間だぞ!」
くちばしの奥でちっと舌打ちして、鴨田はメイに頭を下げる仕草をした。
「では小鳥遊さま、確かに承りました」
器用に足の先に集配印を押し、廊下をとてとてと歩く。目にはメイの胸が焼きついたままである。あの肌は暖かくてすべらかなのだろうか。頭のてっぺんに触れた指先と同じように、優しいのだろうか。夢見ることはできても、触れることは許されない。
だって、僕はカルガモなんだから。
「おまえ、あの家に集配に行くと遅いからなあ」
「優しい人だから、丁寧に労ってくれるんだよ」
「惚れちゃったかあ?よせよせ、ヒトだろ?旨いこと言われて近づくと、包丁出てきて鴨鍋だったりしてな」
「そんな人じゃないよ!」
「どうだか」
鴨川は馬鹿にしたように、けっと足を蹴り上げた。
「それより早くセンターに戻らないと、鷲野郎共につつかれんぞ。あいつら、肉食だからなあ」
「ああ、烏森がこの前、尾羽全部抜かれたって……」
「集配したのを忘れて、帰っちまったんだとよ」
二羽が所属する鳥類による運送会社「バーディーズ」は、過去に「バイク便」として扱われていた荷物を扱う会社だ。小荷物と書類を扱い、当日配送を旨としている。飛ぶのが早くない鳥たちは地上で集荷を受け、センターで待機している大型の鳥に引き渡す。大型の鳥たちは素早く上空を舞い、配達担当にそれを渡す。最近は同業者が増えてきて、都会の上空は結構な混み合いようだ。
バディシステムが導入されているのは、言語を持ち能力が高いとは言え、所詮鳥だからである。三歩歩けば忘れるとまではいかないが、哺乳類のような明確な記憶と目的意識は、他に興味のあることの前では霞んでしまう。
「小鳥遊さんって、ヒトの恋人がいるのかなあ……」
「トリには関係ないだろ、俺たちはヒトと恋愛なんてできないんだから」
「そんなの、不公平じゃないか!異種間恋愛も最近多いって!」
「そりゃ、哺乳類同士はアリじゃないか?ウマなんか女に大人気だって聞いたぞ?」
僕だって、鳥類に生まれたくて生まれたんじゃない。せめて哺乳類なら、小鳥遊さんも僕を対象に見てくれるんだろうか?
「ねえ、ちょっと飲みに……」
「忘れんなよ、まだセンターに荷降ろししてないぞ?尾羽抜かれたいか?」
鴨川はクールに言い放ち、翼を広げた。
「鴨田、緊急便!練鹿区水川台、小鳥遊宅にお届けもの。生鮮取り寄せ便だから、注意を払え!」
センターで背に括り付けられたものを、見る時間はなかった。背中にずっしりとした重みを感じ、思わずよろける。上空の風にあおられて場所を見失いそうになりながら、鴨田は歯を食いしばった。メイに会えるという喜びが、鴨田の羽に力をくれる。
会えるだけでいいんだ。そしてできればちょっぴり、頭なんて触ってくれないかなあ。
「この風の強い日に、よく来てくれたわ」
そんな風に胸に抱えてくれたら、その場で捌いて鴨鍋にされても本望なのに。
マンションの通路をとてとてと歩いていると、何故か視線を感じた。バディの鴨川が、心底うんざりした顔で後ろをついてくる。
「よりにもよって、なんで俺たちが配達なんだ……俺は行かねえぞ、おまえだけで行け」
それは願ったり叶ったりの申し出だ。鴨川が一緒でないほうが、メイとゆっくり対峙できる。
「おまえ、背中の荷物知ってる?」
「生鮮取り寄せ便って言ってたよね。美味しいものじゃないの?」
「知らないほうが幸福って本当だな。確かにヒトにとっては、旨いものなんだろう」
通路を通り過ぎたヒトが、また振り向くのが見えた。
「五分しても玄関から出てこなかったら、俺は先にセンターに帰るぜ。まあ、幸運を祈る」
五分で帰らない……お茶か何か出されるほど、感謝されるものなのか?それとも。
「こんちわーっす!小鳥遊さん、お届けものでーす!」
「あら、鴨田さん。今日はご縁があるわねえ」
にこにこしたメイが玄関ドアから顔を出し、そして一瞬戸惑った顔でドアを閉めた。
「小鳥遊さん、何か?」
表情を繕ったメイがもう一度玄関のドアを開ける。
「あ……ありがと。まさか鴨田さんがそれを運んでくるなんて……」
メイが背から下ろした重い荷物を、鴨田はやっと目にした。
「確かに今日指定にしてたんだけど。まさかバーディーズからの配達だなんて……」
緑の部分の美しい、青くて太い葱がそこにあった。
「重かったのに、お疲れさま。まず、お茶でもいかが?」
午前中と同じく、メイの深いVネックからは胸が覗いている。その胸に、今は埋まりたくない。葱を背負って届けに来た配達員は、カモなのである。
「ゆっくりしましょうよ、ね?」
メイはいつも通り優しい微笑で、鴨田の右の羽をとった。
「い……いえっ!仕事中っすから!」
「お仕事は、配達でしょ?」
「ええ!もう配達は済みましたから!」
慌てて踵を返し、狭い通路をとてとてと走る。通路の先に、鴨川の姿があった。
「おう、無事に戻ってきたな。感謝されたか?」
「お茶、お茶に誘われた……」
くくっと鴨川は笑う。
「今までそんなこと、なかったのにな。やっぱり……」
「そんな人じゃないって言っただろ!」
そう答えながら、悪寒が止まらない。なぜならば、送り状を見てしまったからである。そこにはこう記載されていた。
『産地直送!新鮮鴨鍋セット一式』
fin.