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歴史いろいろ話 作者:辻風一

水戸黄門

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日本で最初にラーメンを食べたのは水戸光圀?

 今や日本の国民食となったラーメン。一般的にひろまったのは明治40年代、浅草の来々軒が始まりといわれています。
 では、そもそもラーメンを日本で最初に食べた人物は誰でしょう?

 それはドラマ「水戸黄門」で有名な水戸光圀といわれています。光圀はじぶんでうどんを打つくらい、生粋の麺好きだったと言われています。
 これはクイズ番組でもよく例題にあがり、ドラマの「水戸黄門」でも紹介されています。

「水戸黄門漫遊記」はフィクションですが、のちに「大日本史」の修史、古典や文化財の保存、また元禄の徳川綱吉時代に徳川一族の長老として幕府を支えました。
 光圀は1665年、長崎に亡命していた明国の儒学者・朱舜水(しゅしゅんすい)を水戸藩に招きました。彼は漢文化をつたえ、水戸学の思想に影響します。
そんな舜水先生が、麺好きの光圀に中国の麺を紹介したという話があります。

 1967年に隠居所の西山荘に招かれた家臣や僧侶が「汁そば」をふるまわれたそうです。黄門様の食べたラーメン「汁そば」はどのようなものだったのでしょうか?

 日乗上人の日記には、1697年6月16日、水戸光圀は朱舜水のつたえた中華の麺・汁そばを、じぶんでつくって家臣にふるまったとあります。
 当時のラーメンの麺は、小麦粉とレンコンのデンプンから精製した「藕粉(おうへん)」の粉を混ぜ合せたものです。レンコンの粉は日本そばでいう小麦粉にあたり、「つなぎ」のことです。
 中華麺にかかせない「かん水」(アルカリ塩水溶液)の代用に、椿の枝を燃やした灰から精製したあく汁を混ぜてこねあげた平打ち麺だったようです。
そして、なるべく美味しく食べるために、必ず五辛をそえるように勧めました。
五辛は漢方医学に由来し、ショウガ、ニンニク、ネギ、ニラ、ラッキョウのことです。
 水戸光圀の文献では、「麺の上に汁がかかっている」と記載されていますので、現在のラーメンとはかなり違うもののようです。この「汁そば」は、その後、流行にならず忘れられていきました。

 現在の水戸の当主・徳川斉正とくがわなりまささんは、記録にあるのは、水戸光圀にうどんをご馳走になった朱舜水がお返しをしたときの買い物の記録だけ。書いてあるのは大量のハスの実の粉などで、麺かどうかもわかりません、と語っています。
 この「汁そば」は、厳密にいうと、今の日本のラーメンからの定義にはずれている可能性もあるようです。「ラーメン」の原型のひとつというほうが、正しいかもしれません。

 正確にきびしくいうと、前述の明治の来々軒が初めてのラーメン。
 おおらかに許容していうと、黄門様の食べた「汁そば」が初めてのラーメンというところでしょうか。
 詳細な製法のメモが残されていないので完璧に復元できませんが、新横浜ラーメン博物館へ行くと、再現された「汁そば」のレプリカがあります。

 また、黄門様はとても好奇心の強い学者タイプの人間で、ラーメンの他にも、ギョウザ、チーズ、牛乳酒、黒豆納豆を日本で最初に食べたとも言われています。また、この時代は仏教の影響で肉食は禁じられていたのに、豚肉、牛肉、羊肉も食べていたとう話もあります。
 南蛮のものにも興味があり、ワインを飲んだことも。外国からインコや朝鮮人参を買い求めて、育成しました。
 そして日本ではじめて靴下をはいた人物ともいわれています。オランダ製の靴下であるメリヤス足袋たびです。黄門様のはいた日本最古の靴下であるメリヤス足袋は、水府明徳会 彰考館徳川博物館で保存されています。
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