雲ひとつ無い青空。
まだ五月の初めだというのに、二十度を越す夏日が続いていた。
「ソーダ日和」
「は?」
香奈の妙な表現に、間の抜けた声を出してしまった。
引いている自転車を止め、振り返る。
「そんな天気じゃない?」
可愛らしく首を傾げて、同意を求められても困る。
彼女の感覚は、いつも良く分からない。
一般に女性の方が男性よりも早熟で、やっぱり僕には、オトメゴコロなんて理解は出来ないけれど。
「熱射病?」
香奈のは、多分天然で、初期仕様なんだと思う。
「違うわよ、バカ」
僕が変なのか?
「こんな天気って、炭酸系のスカッと爽やか飲料のCM向きだよね、ってお話!」
言葉が一言も二言も足りていない、しかもその表現もどうかと思う。
引いている自転車が、カラカラと音を立てる。籠に入った二つの鞄、真上から照りつける太陽の短い影。
確かに、晴れ渡った青空と、少しボーイッシュな香奈は、炭酸飲料のCMには合いそうだと思った。
そよ風が揺らす髪は肩に掛かるぐらい、僕とそう変わらない身長と、すらりとした手足。
「ちょっと、買っていこうよ。駄菓子屋で」
太陽の光に照らされて、眩しく笑う彼女。
素直に可愛いと思ったけど……。
「遠っ! どこで買っても一緒だって」
僕と香奈の家は隣通しで、だけど駄菓子屋は、今居る所からちょうど自宅と反対方向。
「いいじゃん、いいじゃん、雰囲気だいじだよー」
袖を引っ張って、分かりやすく主張する香奈。
「学校からも離れたんだし、二人乗りでビューンとすぐだよー」
「本気?」
一応聞いてみた。
「本気、ホンキ」
「今」
「すぐだよ、すぐに」
「どうしても?」
「こんな良い天気、もったいないじゃない」
空を仰ぎ見れば薄い青一色で、GWでも無ければ、こうして昼に一緒に帰る機会も無い訳で……。
「あー、もう、しょうがないなぁ」
「よーし、行きたくないなんてごねたんだから、智樹の奢りね」
多分反論は聞き入れられないのだろうから、特には応えずに自転車に跨った。
後ろには、二人乗り様の足場もちゃんと付けてある。
「落ちるなよ」
「うん」
肩というか、首筋に近い位置に当てられた掌。気温に負けずに伝わる掌の温度と柔らかさ、少しうるさい僕の鼓動は暑さのせい。
「あのさ、もう少し可愛らしく、ぎゅっと抱きつけない?」
「えっち、何で!」
「首絞められそうで怖い」
ちょっとは自覚があったのか、少しだけ首筋から手を離す香奈。それを確認して、ペダルを漕ぎ出した。
日差しは真夏でも、まだ風は涼しい。
少しだけ浮かれてスピードを出すと、耳の横を過ぎてゆく風の音が聞こえた。
「ちょっと、速いよ〜」
頭の上から降ってくる声、肩に食い込む指の感触。
「痛いって」
握力は、僕よりも強い気がする。
ブレーキを握って、少しスピードを落とす。
「香奈、何か付けてる?」
流れる風に、少しだけ何かの香りが混じっているのに気が付いて、そう聞いてみた。
「えー? あ、うん。今日暑いから、ちゃんとスプレーして来たよ」
「……そっか」
斜め後ろから吹く涼やかな風。
どちらかといえば、身を打つ様な強い風が好きだけど、これはこれでいい気もする。
ハンドル操作に気を使いながらだったので、口数はやや少なめ、駄菓子屋はもうすぐだった。
軋む自転車を店の横に止め、最初に背中の香奈が降りる。
「髪、変になった」
風で乱れた髪を手櫛で梳く香奈。こういうのを見ていると、少しだけど大人になっていっているのかなって思う。小学校の頃なんか、髪が乱れることなんて気にしないで、走り回っていたのに。
「そんなに長くも無いくせに」
そう言いながら僕は、彼女の左耳に掛かったほつれ髪に、手を伸ばした。
さらっとした髪、自分のとは全然違う。ゆっくりと、引っ張ってしまわないように梳いてゆくと、うなじまで真っ赤になった香奈がいた。
「あ……え?」
それを見て顔が熱くなる、きっと僕も赤くなってしまっているんだと思う。
「ち、ちが、ちょっ、待ってよ」
所々どもりながらも、僕が彼女の顔に気が付いたことを知って、何か言おうとしている。
「ああ、もう! 何かさ、これはしょうがないんだよ。異性を意識しちゃうって事、今まで無かったし、免疫が無いから」
半ばヤケになりながらも、一気にそう言った香奈。
「誤解……しないでよ」
そして、急にしおらしくなって、僕の目を真正面から見てそう呟いた。
「うん」
「あ、でも、嫌いじゃないよ」
「結局、どっちさ?」
何だか、僕の方も全然分からなくて、半笑いで答える。
「さあ?」
そう首を傾げて答える彼女は、もう大分いつも通りになってしまっていた。
昔から変わっていない気さえするお婆さんに、硬貨を渡して勘定を済ませる。
二つのラムネ。
「ソーダとラムネは違うんだけどなぁ」
ビー玉を押して、泡が出ないように数秒待ってから、開ける。
「駄菓子屋といえばラムネでしょう」
隣を見れば、溢れそうな泡に口を付けていたのだけど。
「乙女じゃないな」
「いいの、この方が風情あるでしょ!」
適度に詰まるビー玉を舌で押しながら、ラムネを傾ける。
だけど、なんとなくさっきが気になって、今度は僕が隣の香奈を意識してしまう。
意外と長いベンチなのに、くっついて座っているのはどこかくすぐったい。
今の気持ちは、少し色々なものが混ざりすぎて、まだよく分からなかった。
でも、嫌じゃないし、好きなのかもしれない。
もう少し一緒に居てから、自分の気持ちを知ればいい気がする。
夏はまだ先、見切り発車は嫌だから――。
「智樹ー! 香奈ちゃん来たよー! さっさと起きなー!」
母さんの無遠慮な大声が、二階まで届く。また近所に笑われていそうで、気が重い。
昨日は、ちょっとのドキドキに溢れていたのに、連休二日目の今日は出だしからくじけそうだった。
「まだ連休中なのに、寝てても良い時間なのに」
のろのろとパジャマを脱ぎ、Gパンとシャツで何とか取り繕う。
「何か約束したっけなぁ?」
寝癖を撫でながら、一階へと降りていく。
「今日もソーダ日和だね」
玄関の香奈が、階段を駆け下りた僕にそう告げた。
初夏を思わせるブルーの半そでのTシャツと、それに合わせた薄手の白い上着。
思いの外、僕の夏は早く来そうだった。
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