狼の女の子と赤頭巾
「狼は、赤頭巾を襲わなくてはいけない」
そう言われて育った私は、親や親族の前では頷くけれど、本当はそんなことしたくはありませんでした。
何故、襲わなくてはいけないのでしょうか?
そう疑問に思うけれど、人の視線が怖い私は誰かに訊ねることはありませんでした。もちろん、答えてくれる人もいません。
私は異質な存在なんだそうです。
普通、女がその役をやることは稀なんだそうで……。よくわからないのですけど、お父様も度々嘆いていました。
「なんで、コイツが……」
一人、部屋の隅でそう小さくなっていたのを見たことがあります。
実は私は望まれた子ではなかったのだそうです。本当ならば、男の子が欲しかったらしいのです。
お母様はそんなことはないと言ってくださいますが、周りが男を望んでいたことぐらい鈍感と言われる私でもわかります。
皆さん、口々に言うのですもの。「何故、この子が」って。
「お前にその役はもったいないから、おれにゆずれ」
隣の家の男の子にそう言われたこともあります。
はっきりいって、悲しかったですし、悔しかったです。あぁ、いつまで経っても自分は認めてはもらえないのだろうと思いました。
けれど、その役を誰かに譲ることなど出来ないのです。それが決まりなのですから。
私が勝手にどうにかすることの出来るものではないのです。
本当ならば、代われるものなら代わりたいです。人を襲うなんて、そんなことしたくありません。……怖いのです。
だからと言って、そんな気持ちを誰にも言えません。
きっと幻滅されてしまいます。
それに、お父様にもお母様にも嫌われてしまうかもしれませんし、迷惑をかけてしまうやもしれません。こんな私でも育ててくださった両親を悲しませることはしたくはないのです。
だから然るべき歳になった私は、赤頭巾さんを襲うことにしました。
*
私達が住んでいる里から大分離れた森の中。
そこに、私は地図もなしにたどり着きました。覚えているのです、この場所を。
今の私は来たことのない、この場所を。
「赤頭巾さん。赤い頭巾を被った、子供でしたよね?」
何故か懐かしいと思う場所で、これまた懐かしいと思う赤い頭巾を思い浮かべました。おかしいですね。私の里には赤の頭巾を被る人なんていなかったというのに。
森の中でも一際大きい樹の陰に隠れて「赤頭巾」を待ちました。
すぐ近くにはお花畑があります。色とりどりの花が咲き乱れ、とても美しい花々です。風にのって甘い香りが届くのも魅力的です。
「わぁ……!このお花を里に持ち帰ったら女の子が喜びそうです」
近所の女の子が喜ぶ姿を想像し、ついつい樹の陰から出て行きそうになりました。けれど、すぐに言いつけを思い出します。
私はここに遊びに来ているわけではありません。役目を果たしに来ているのです。
だから、そんなことしている暇はないのです。いつ「赤頭巾」が来るのかもわからないのですから。
そう思うものの、女の子の喜ぶ顔を思い浮かべると判断が鈍ってしまいます。人が喜ぶ姿って、とても好きなんですよね。こちらも幸せになるのです。
「ちょっとだけ、なら……」
つい、誘惑に負けて樹の陰から出てしまいました。本当は隠れていなくてはいけないというのに。
白い花、黄色い花、オレンジ色の花、桃色の花、紫の花、珍しい青色の花。本当にたくさんの花が咲いています。
それを数本ずつ頂戴しました。
花を手折るのには躊躇いがありましたが、人の喜ぶ顔が見たいために思い切って折ってしまいました。ひそかに「ごめんなさい」と言いながら折ったのは内緒です。
悪いことだとわかっているのならやっているのだから、本当は私が花に謝るのは矛盾しているのです。
「これくらいあれば、十分ですかね?」
花束となったものを、髪を結っていたリボンで結びます。うん、いい出来映えです。
「きっと、良い顔で笑ってくれますよね」
想像しただけで嬉しくなってしまいます。
そこでふと目に入った、赤い花。
こんなにも鮮やかな色彩で目立つというのに、その時まで私は気が付きませんでした。けれど、見つけてしまったその瞬間から目を離せなくなりました。
だからでしょうか?
私は誰かが近づいて来たことに気が付かなかったのです。
「誰?」
その声につられて、後ろを振り向きました。
居たのは、太陽に照らされてきらきらと輝く髪を持った可愛らしい少女。お人形さんのように可愛らしいお顔の少女が、私を見下ろしていました。
「え、あ……」
思わず見とれてしまった私は、言葉に詰まり上手く返事が出来ません。
それが面白くなかったのでしょう。少女が眉を顰めてもう一度問います。
「誰?」
「わ、私はリントといいます」
少しどもり気味になってしまいましたが、今度はちゃんと答えられました。
けれど、その少女は「あぁ、そう」と言ったきり、黙ってしまいます。はて、私はどうすればいいのでしょう?
そんなことを考えている内に、とあること思い出しました。
「ぁあ!」
急に私が叫んだので驚いたのでしょう。少女は驚いた顔をした後に、訝しげな視線を向けてきました。
「何?」
「忘れていたのです!」
少女の問いに、つい私は答えてしまいます。軽くパニック状態にあったため、言ってはいけないことまで話してしまいました。
「何を忘れていたの?」
「樹に隠れていなくてはいけなかったのです!」
「何で?」
「赤頭巾さんを待っていなくていけないのです!」
お約束でしょうか。言ってから気が付きました。
「あぁぁ!言ってはいけなかったのにっ!」
「へぇ、言っちゃいけないんだ」
少女が私の言葉を繰り返します。またしても私は言っていないことを言ってしまったようです。馬鹿です、とんでもない馬鹿です、私は。
けれどそんなことより、もし「赤頭巾」が既にここを通っていたらどうしましょう!?
今の私は完璧ただの人間の女の子に見える筈なんです。つまり、どこにでもいるような凡人。それでは、駄目なんです!
どうしよう、どうしよう、と慌てていると、少女がクスッと笑いました。
その笑みに目を奪われてしまう。だって、とても綺麗なのです。
「少しは落ち着けば?」
けれど、その言葉に素直に従えられる筈はありません。
「落ち着いてなどいられませんっ。もし、赤頭巾さんが既にここを過ぎ去っていたら……!」
せっかく期待に応えられるチャンスだったというのに。私が一族の期待を裏切ってしまう。それだけは、あってはならない。
大切な人達に迷惑がかかってしまうから……。
「どう、しよう……」
ぽとり、と瞳から何かが落ちていきました。一度溢れたそれは止まることも忘れて次々流れ、落ちてしまいます。
どうしましょう。こんなに自分が“出来損ない”だなんて思いもしませんでした。
泣き続ける私はさぞ情けない姿だったことでしょう。
だからでしょうか。少女が近付いて来て、頭を撫でてくれました。
「泣かないで」
その声も、撫でる手つきもとても優しく温かい。ますます、泣きたくなりました。
「けど、けど、役目を果たせなかったのです」
「役目?」
「赤頭巾さんを襲わなくてはいけなかったのです」
何故、私はこんなことを見ず知らずの人に話しているのでしょうか。完璧に危ない人じゃないですか。
けれど、少女は根気強く私の話を聞いてくれました。
「つまり、リントは赤頭巾を襲いに来た狼なの?」
「はい」
「それなのに、逃してしまったのかもしれないと思って泣いている、と」
「……はい」
本当、どうしましょう。いや、まぁ、どうしようもないんですけど。
諦めが入ってきた私は深いため息を吐きました。もし、既にいなくなってしまっているのなら、悩んでいることも泣くことも意味がないのです。
時間を巻き戻すことなど出来ないのですから。
それなのに、少女は不思議な驚くようなことを平然と答えてくれました。
「リントが泣くことも、責任感じることもない」
「何故ですか?」
「だって、僕が“赤頭巾”だから」
「……はい?」
いや、はい?何ですか、急に。
私は少女が言っている意味を理解できませんでした。
「あなたが、何と……?」
「僕は、あなた、じゃない。ルース」
あ、そういえばまだ名前聞いてなかったですね。……って、そうではなくですね?
「えっと、ルースがなんと?」
「赤頭巾」
嘘でしょう!?というリアクションはありきたりな気がするので言いません。
その代わりといってはなんですが………私、自害しましょうかね。
「何で、そんな思考に至る?」
「だって、恩人を襲うなんて私はできません!」
こんな私を慰めてくれるような可愛らしく優しい少女を傷つけるなど、私には出来ません。
里で待っているお父様お母様には悪いですが、そんなことまでして役目を果たしたいとは思わないのです。あぁ、けど、そうするとお父様達の立場が……。
「リントが僕を襲う?」
独り言のように呟いて、ルースが首を傾げる。
「そうです。赤頭巾さんであるルースを私は襲わなくてはいけないのです」
そう教えられてきた。
「もしかして、リントは知らない?」
「何をですか?」
疑問を投げかけられて、つい聞き返してしまいました。何のことでしょうか?
「もし“狼”が女で“赤頭巾”が男だった場合、狼が赤頭巾を襲わなくてもいいんだよ」
そうなんですか、初耳です。驚きです。それが本当なら、私としては嬉しいです。誰かを傷つけたくなどないですから。
けど、ルースは女ですから、それには当てはまりませんよね……。
「……リント、勘違いしてる」
「え?」
何をですか?
「僕、女じゃなくて、男」
「!?」
嘘でしょう!?その可愛さでっ?
いや、でもこれで私がルースを襲わなくてもいいんですよね、よかったぁ。
ほっとしていると、ルースが私の服を軽く引っ張りました。その顔は何故か心配そうです。
「けどね、その場合はリントが僕の家に来なくてはいけない」
「それくらい、お安いご用ですよ」
私はルースを安心させるためにもにっこりと笑って答えました。それに、ルースを襲わなくていいのなら、こちらも安心ですし、さっき言ったのは本心です。
一緒に家に行くくらいで済むのなら、ありがたいことです。
「じゃぁ、行こうか?」
「はい」
ルースが差し伸べる手を取って、私は立ち上がりました。本当、何事もなくて良かったです。
お父様達にお話ししてからの方がいい気はしますけど、ルースの家に行って帰ってくるだけなのできっと大丈夫ですよね?
「ところでリント」
手を繋ぎながら嬉しい気持ちで歩いていると、ルースが声をかけてきました。
「どうしました?」
返事をすると、少し考えた素振りを見せた後にこちらを向いて「襲うって、何をするつもりだったの?」と訊ねてきました。
そういえば、全く考えてなかったです。というか、お父様達からも一度も聞いたことなかったですよ!?
「何も考えてなかった?」
訊ねられて素直に頷きました。
本当に馬鹿ですね、私。それでどう襲う気だったんですか。まぁ、結局襲わなくて良くなったのでどうでもいいですけど。
「じゃぁ、リントは何も知らないんだね」
なにやらルースが言った気がしますが、私には聞き取れませんでした。
「どうしたのですか?」
「ん、こっちの話」
そう言って、また前を向いてしまいました。一体どうしたのでしょう。けれど、きっと私に関係することならば話してくれますよね?
ルースのことを信じていた私は深く追求しませんでした。大丈夫だと思っていたのです。
だから、前を向いた彼がどんな顔をしていたかも気が付いていません。
この後どんな目に遭うのかなんて、この時の私は全く想像していませんでした。
童話でいいのでしょうか?
とある曲を聴いていたら、急にこんなの書きたくなりました。
その曲とこのお話は全く違うものなので、紹介はしないでおきます。
「襲う」ってどういう意味でしょうね?
ご想像にお任せします。
一応、リントが思っているものとルースが思っているものは違う、とだけ言っときます。
ちなみに、リントは本人の想像とは真逆に両親からも周りからも愛されて育っています。
だからこそ、知らないこともあるのです。
気が向けば、ルース視点も書きたいなとは思っています。
少しでも楽しんでいただけたら幸いです。