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綾子さんとその周辺の人々

息子がいきなり自分は勇者だと言い出したんですが、どこの病院に連れて行けばいいんでしょう。

作者:高山直
勢いだけで書いた作品。特に意味はない。



「……母さん、オレ」

 勇者なんだ。


***

 夕御飯を食べながら、おもむろに改まってそんな事を言う息子に、箸と茶碗を持つ手はそのままに、おもわず固まってしまいました。
 幻聴でしょうか。いいえ、そんなはずはありません。何より息子はとても真剣な顔をしています。この顔を見たのはそう、息子の部屋を掃除していて母子相姦もののエロ本を見つけてしまった私に全力で弁解していた時以来です。「この前うちに遊びに来た先輩が置いてったんだって!オレのじゃねぇから!」と言っていましたが、それが嘘であれ本当であれ、「母さんをそんな目で見たことないから!犯罪ダメ絶対!それにこれ血が繋がってないから倫理的には多分セーフ!」とも言っていたので、読んだ事には変わらないのね、と呟いたら、顔面蒼白な息子に土下座で謝られた記憶があります。
 いえ、今それはどうでもいい事でした。わたしの幻聴でも幻覚でもなければ、息子の発言は現実のものという事になります。真っ直ぐ見つめてくるその瞳には、からかいの色はひとかけらも含まれていません。18年も息子の母親をやっているのです。息子が冗談を言っているのかいないのかくらいは分かります。――つまり、息子は本気。本気で、心の底から、真面目に、「自分は勇者だ」と言っているのです。

 ……なんてことでしょう。

 息子がおかしくなりました。






「――それで、オレは魔王を倒すため召喚されたってわけ。夏休み中、オレ、先輩の家で勉強合宿する事になってたけど、実はずっと向こうの世界にいたんだ。なんとか倒して昨日帰ってきたんだけどさ、母さんに隠し事なんて出来ないし。……と言うか、前先輩のエロ本隠してすんげぇめんどくさい事になったし……」

 息子の話は、すらすらと、まるで本当の事の様に紡がれます。吃ったり詰まったり矛盾したり、そんな事は少しもなくて、やはり息子は嘘をついてはいないと再確認しましたが、反面とてつもない絶望感に見舞われました。

 息子は、自分が勇者であると、心底信じ切っている……!

 目の前が真っ白になりました。受験勉強のストレスでしょうか、そんな妄想を現実と認識してしまうなんて……。息子はこんなに追い詰められていたのです。今までそんな息子に気付いてやれなかった自分が不甲斐なくて涙が零れます。

「え、母さん!? ちょ、何で泣いてんの!?」

 わたわたと近くの布を引っ掴み、わたしの涙を拭おうとしてくれる息子。ああ、こんなにも息子は優しいのに。布が台拭きだろうと、慌てた拍子にお味噌汁の入った器を倒そうと、そんな事は気になるはずもありません。息子は優しい子なのです。そんな優しい子が、現実逃避という名の妄想にどっぷり浸かってしまっていた事に、わたしは全く気付いていなかったのです。
 ……泣いてばかりはいれません。なんとか、息子を現実に戻さなくては!

「母さん?」

 母としての義務に目覚め、カッと目を見開き姿勢を正したわたしは、真摯に息子に尋ねます。まずは、自分が勇者であるなんて馬鹿げた考えを、どうにか打ち砕かなくては。

「召喚されたと言っていたけど、どうしてあなたが選ばれたの?」
「え?」
「世界には、何十億という人がいるのよ。勇者というからには、やっぱり腕っぷしが強くなければいけないのでしょう?わざわざ日本の学生を選ばなくたって、世界にはもっと、強くて人生経験も豊富で、勇者となるのに相応しい人がいるんじゃないかしら」

 もしわたしが勇者を召喚するのだったら、少なくとも普通の男子高校生は選びません。ただでさえ、日本人は体格も恵まれていなくて、純粋な力での格闘技やスポーツより、技術や頭脳戦が得意なのに、勇者なんて荒事が勤まるとは思えません。だから息子が勇者に選ばれるなんて、60億分の1よりも低い確率です。ほら、現実が見えてきたでしょう? そう言おうと思ったのに、息子はあっさり言いました。

「オレもよく分かんないけど、トリップ特典でチート能力貰ったし、チートや勇者っていうゲーム脳は日本人の専売特許なわけだから、別におかしくないんじゃない?」

 チートの意味は分かりませんが、息子が自分が勇者に選ばれた事を疑問に思っていない事は分かりました。
 どうやら息子の自己暗示は、かなり強力なもののようです。これはマズい、私は再び決意を固めました。このままでは息子は自分が勇者だと思い込んで生きていく事になります。受験勉強に専念して欲しいから、という気持ちは確かにありますが、そもそもそれが息子をおかしくした原因かもしれないのですから、無理強いは出来ません。でも、息子の今後の将来を考えると、あまり悠長な事は言っていられません。妄想と現実を区別出来ないような人間は困ります。いざとなったら病院に連れていくしかありませんが、まずは母として、わたしがきっちり責任を負わねば……!
 ひっそり使命感に燃えていると、息子が「ごちそうさま」と食器を片付け始めました。やはり息子はいい子です。ママ友達からよく聞く「うちの子食器洗いもしないのよ〜」という言葉から察せられる高校生のお手伝い事情とは、全く様子が違います。息子は掃除も洗濯も炊事も手伝ってくれるので助かります。本当にいい子です。
 ……そう言えば、わたしの弟は、「姉貴の息子ってラノベの主人公みたいだよな。いやー、さすが俺の甥っ子」と言った事がありました。その時も「チート」という言葉を聞いた様な気がしますが、今思えば詳しく聞いておけば良かったです。ラノベもチートもどんな意味なんでしょう。弟の表情は、素直な感嘆と言うよりは、やや呆れが混じっているように思いました。あまり良い意味ではないのでしょうか。

「母さんも突然こんな事言われたって、混乱するだろ?オレ、今日はもう寝るからさ、母さんも寝た方がいいよ。何か質問あったら明日聞くからさ」

 それだけ言うと、息子は自分の部屋に向かいました。息子の提案は、わたしにとっても悪くないものです。息子を説得する内容を、煮詰めて考える事が出来ます。
 それにしても、相も変わらず息子は気が利くいい子です。なのにどうして勇者だなんて言い出したのでしょう。何かストレスを抱えているのでしょうか。原因は受験勉強だと決め付けていましたが、もしかしたらわたしが理由なのかもしれません。母親に愛想を振りまくのが疲れたとか、ウザイとか、キモいとか……、死ねクソババァなんて言われてしまったらどうしましょう。ママ友達は、「言い返してやんのよ! このクソガキ! ってね」と言ってカラカラ笑っていましたが、わたしにはそんな事出来そうもありません。ああ、思えばあのエロ本も、息子の積もりに積もったストレスの捌け口だったのかもしれません。原因がわたしだとしたら、一体どうすればいいのでしょう。

 ピリリリリ

 携帯電話の着信音が響きました。沈みそうな意識を救い上げ、発信者の名前を確認すると、弟の名前が表示されています。
 噂をすれば影、と思いながら四苦八苦して通話ボタンを押すと、『よぉ姉貴』と、快活な声が聞こえました。

『まだ携帯慣れないのか?まぁ通話終了ボタンと間違えなくなったのは進歩だけどな』

 言っている内容は失礼ですが、事実なので何も言えません。用件を尋ねると、『ああ、用があんのは俺じゃなくてコイツ』という言葉と、少し間があって、『こんばんは』という、弟に似た、けれど弟より若い声が聞こえました。

『久しぶりです、叔母さん』

 弟の子供、わたしにとっても甥にあたる青年は、息子の言う「先輩」です。従兄弟同士ですが、息子の中学、高校、部活と、常に先輩という立場にいたため、いつしか息子が周りに配慮して「先輩」と呼ぶ様になりました。今は一人暮らしをしている彼の元に、息子は昨日まで勉強合宿に行っていたはずで――、

『叔母さん、あいつ、ちゃんと帰ってきてます?』
「ええ。昨日まであの子がお世話になりました」
『え!?あ、イヤ、そんな事ないっすよ!……ぶっちゃけマジ世話とかしてねぇし』
「? ごめんなさい、最後がよく聞こえなくて」
『いや、たいした話じゃないので気にしないで下さい。…――あー、それで、その、あいつ、何か変わったとことか、ありました……?』

 タイムリーな話に、驚いてしまいます。わざわざ電話で聞いてくるなんて、息子は従兄弟の前でも勇者がどうのと言っていたんでしょうか。

「それが、オレは勇者だとかなんとか……」
『は!?ちょ、アイツマジで――まさかオレが賢者なのも……――いや、流石に……でも』
「もしもし?」
『!! 叔母さんすんません! えっと、いや、何でもないっす』

『失礼しましたっ』と通話が切れました。結局、どうして電話を掛けてきたんでしょう。所々聞こえないところもあって、謎は深まるばかりですが、1つだけ分かった事がありました。

 やはり、息子の勇者発言は息子の妄想です。

 息子が世話になったと言ったら、甥はそんな事ないですよ、と謙遜した定例句――つまり、“一緒にいた”事を認める発言をしたのです。息子は向こうの世界にいたと言っていましたが、甥は自分の部屋にいたと言っています。やはり、息子の言葉は現実と妄想の境目が分からなくなって発した言葉に過ぎません。

 勇者を信じていたわけではありませんが、確証がとれると、悲しい気持ちが沸き起こります。息子がおかしくなってしまった原因の一端はわたしにあるのかもしれないと思い到ったばかりなので尚更です。でも、だからこそわたしが息子を元に戻さなくてはならないのです。カウンセラーより、母の愛の方が効くに決まっています。わたしに専門的な知識はありませんが、愛する息子のため、きっと現実を見せてあげます!


 決意を胸に秘め、わたしは就寝準備に取り掛かりました。


***

「きゃあああああ!勇者様!お会いしとうございました!」
「ちょ、静かに!リフィエ、静かにしてくれ!」

 わたしの朝は、けたたましい叫び声によって起こされました。寝起きでぼーっとする頭を振り、時計を確認すると時刻は4時。いつもの起床時間の1時間前です。洗面所へ行って顔を洗い、髪を梳かし、着替えを終えたところでふ、と気付きました。

 今、女性の声がしなかったでしょうか。

 我が家は3人家族です。仕事で家を空け世界中を飛び回る旦那さまを覗いて、今この家にいるのはわたしと息子以外いないはずです。それなのに、女性の声が……あろうことか、息子の部屋から聞こえます。私は息を呑みました。そんな馬鹿な――しかし、生憎とわたしの聴力は人並みです。叫び声を聞き間違える程、耳は遠くありません。
 おそるおそる息子の部屋に近付きます。「何でリフィエがここに!」「勇者様にお会いしたくて!」「ったく、カイロはどうした!?お前の教育係は!」「置いていきましたわ!」「はぁっ!?……って、ちょ、リフィエ静かに!」「んむぅ」――ぱたん。


 息子が金髪碧眼の美少女の口を手で押さえ、押し倒していました。

「………」
「………」
「………」

 お互い沈黙のまま、時間だけが過ぎます。わたしはドアノブを掴んだまま棒立ちでしたが、足がプルプル震えてきたのを感じました。息子は石化しています。女性は何やら話そうともがいているようですが、息子に押さえ込まれているため無意味に終わっています。しかし暴れたためか、その豊満な胸は息子に押し付けられていて、ひらひらとした衣服は乱れて白い肌が覗いています。…――ああ。

 息子が不純性行為を。

 わたしは崩れ落ちました。なんてことでしょう。勇者発言なんてたいした問題ではなかったのです。強姦、という2文字が浮かびます。早く女性を助けなくてはいけないのに、身体が動きません。
 のろのろと息子へと視線を向ければ、女性から離れた息子が、必死の形相で何かを訴えていました。ああ、3度目に見ます。過去2回よりも、必死さが滲み出ていましたが。

「母さん!リフィエは向こうの世界の王女!なんでかこっちに来ちゃったんだけど……、とりあえず、母さんが今思ってるのは誤解!誤解だから!」

 誤解ってなんでしょう。外国の美少女を誘拐して自宅で無理矢理コトに及ぶ息子。こんなテロップがわたしの頭をぐるぐる流れているのですが、それが誤解という事でしょうか。

「勇者様のお母様でいらっしゃいますの?お初にお目にかかります。リフィリエント=ヨルシュアと申します。どうかお義母さま、リフィエとお呼び下さいませ」

 女性は平然としています。という事は、合意の上での行為だったのでしょうか。丁寧な挨拶に育ちの良いお嬢様だと分かりますが、わたしはいったいどんな返事を返せばいいのでしょう。
 女性の日本語はすらすらと淀みなく――、もしかしたら、わたしが知らなかっただけで、息子と女性は長い付き合いなのかもしれません。なら息子が誤解と言うのも分かります。わたしは若い男女の営みを邪魔してしまったのでしょうか。いえ、でもさっき「勇者様」と……。息子も王女がどうのと言っています。もしや、言い方は下品ですが――そういったプレイなのでしょうか。世にはたくさんの特殊性嗜好があると聞いています。だから……、

 息子が、変態に。

 さっと顔が青ざめました。なんと言う事でしょう。女性のご両親に顔向け出来ません。確かに日本は性の情報が氾濫していますが、育て方を誤ったつもりはありませんでした。しかし、それはわたしの思い上がりだったようです。現に息子は、朝から女性を連れ込み、特殊な設定をつけて行為に及ぼうとしていました。ほろり。1度流れたそれは、とめどなく溢れて零れます。涙でぐしゃぐしゃになってしまったわたしを見て、息子は「やっぱ誤解したまんまだ母さんーっ!」と叫びました。同時にさっとハンカチを渡されます。こんなにいい子なのに、どうして……。

「お義母さま!泣かないで下さいませ!勇者様、お義母さまは涙もろい方なんですの!?ハッ!もしや勇者様との結婚に喜んで歓喜の涙を……!」
「リフィエちょっと黙ろうか。今喋ると絶対ややこしくなるから!」

 女性はよく分からない事を口走っています。あまり人に言ってはいけない事だけれど、少々変わった方のようです。ぽろぽろ流れる涙をハンカチで押さえ――別の考えが過りました。

 もしかして、女性も、おかしいひと?

 息子と一緒で、女性も妄想の激しい方なのかもしれません。昨日息子が言っていた「向こうの世界に召喚されて」に当てはめると、「こっちの世界にトリップしちゃった」という言い分なのかもしれません。息子の妄想によれば、「魔王を倒して王女様を助けてこちらの世界に帰ってきた」そうなので、女性の妄想も、「勇者に助けられて恋して想うあまり来てしまいました」というあり得ないものの可能性は十分にあります。…――ああ、もう、どうしたら――。


 わたしには何が正解なのか分かりません。このまま2人を病院に連れていくのがいいのでしょうか。見なかった事にして2人の仲を応援すればいいのでしょうか。くしゃり。顔が歪みます。「母さん!」「お義母さま!?」どうすればいいのでしょう。しゃくりあげながら伸ばした右手が掴むのは、苦手な携帯電話。苦手ですが、「ケータイは携帯しないと意味ないから」と弟に口を酸っぱくして言われ、たいして使いもしないのに、いつも持ち歩いています。それを開き、発信履歴の1番上を押して――、

「あなた、お願いします。ひっく、すぐに帰って、帰ってきて下さい……ひっく、帰ってきて、よぉ……っ」

 もしもし、もなしで、相手が出たかも分からないでそれだけ言って通話を切ったのに、わたしは彼は聞いてくれていたと、自信を持って言えます。仕事で忙しい旦那さま。わたしは滅多に我が儘なんて言いませんが、どうしてか、旦那さまはわたしが「きて」と言えば、どんなところに居てもやってくるのです。


「――……綾子あやこ


 ほら、こうやって。

「あなた、聞いて、下さい……!あの子、勇者になったって言うんです!女性は王女様と!わたしたちの子供が、変な事を言い出すようになってしまったのよ!そんな、ゲームのやり過ぎ、よね。召喚だなんてそんな馬鹿な事がありますか……!」


 ぎゅっと抱き付いて思いの丈を吐き出します。息子と女性が口々に、「宰相!?」「は? 父さんが宰相!? オレを召喚した挙句結局オレの前には1度も顔見せなかった宰相!?」などと言っていますが、自分たちの妄想に他人を巻き込むのはよくないと注意するべきでしょうか。でも、今はもう少しこの温もりを感じていたいの。髪を撫でる手に、うっとりと目を閉じて。



「王女。押し掛け女房はやめて下さい。私も政務がたまってるんで、綾子愛でた後はとっととあんた連れて帰りますからね」



 ――……あぁ、旦那さままでおかしくなってしまったわ。
おそまつさまでした。

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