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降下する五芒星

遊園地の恐怖

作者:小倉蛇
Pentagram Falling 4.
"The Horror in the Playground"
 真木悠也(まきゆうや)はテンキーのカバーを開くと、暗証番号を打ち込んだ。
 電動ゲートがゆっくりと開きだす。
 車に戻り、前進させる。
 このBMW X6は社長の私用車だったが、真木がハンドルを任せられるのは、これが初めてというわけでもなく運転は慣れていた。
 真木は〈ドリーム土地開発〉という主にリゾート施設の開発・管理を行っている会社で苦情処理係をやっていた。それも通常の苦情対応ではなく、家賃の滞納をしているテナントに対する取り立てや、建築現場での強硬な反対派の排除など、場合によっては違法すれすれのきわどい対応が必要とされる仕事だった。
 駐車スペースに別の車が止められているのが見えた。ドリーム土地開発のロゴの入ったダイハツ・ミラだった。
「うちの営業車ですよ。溝中のやつ、やっぱりここにいるようですね」
 真木は助手席の社長に言った。
 彼らはこの廃墟になっている遊園地へ、行方不明になった社員を探しに来たのだった。
 ここはもと〈ドールズ・アイランド〉という遊園地だったが、運営会社が倒産したためドリーム土地開発が破格で買い取ったものだった。しかし、長引く不況のせいで自治体が進めていたニュータウン計画が破綻し、予定されていた鉄道の開通も中止になり、一向に経営再開の見込みが立たずにいた。それがここへきて遊園地経営に興味を持っている企業がいくつか現れたはじめ、改めて説明会を開くことになった。
 そのためのプレゼンテーション用の資料作成を命じられた社員が溝中友夫だった。昨日彼は資料作成のためには現地の写真が必要だと気づき、午後三時ごろ一人でドールズ・アイランドへ向かったという。同室の社員らはあらかじめ、帰りは遅くなるだろうと知らされていたので、定時になって溝中が戻っていなくとも特に気にせず退社してしまった。そして、今日の朝になって彼が帰社していないことが判明し騒ぎになった。
 だが、スポンサーが決まるかどうかという大事な時期になるべくなら警察沙汰にはしたくないというのが社長の意向だった。そこで他に手の空いてるものもないため社長の徳山慶介自らが、真木を伴ってこの遊園地の廃墟へ捜索に訪れたのだった。
「ちっ、降ってきやがった」
 徳山社長が言った。
 車から出ると霧雨が降っていた。雨具が必要なほどでもないが、空は暗くなってきていた。
「こりゃひどくなるぞ」
「予報じゃ午後からだって言ってたんですがね」
 徳山は車の後部を開けていた。そこから取り出したのは狩猟用のライフルだった。ご丁寧に頭にはハンチングを被っていた。
「まずいですよ、社長」
 弾丸を込めはじめた徳山に真木は言った。
「こんなところ何が棲みついてるかわからんからな」
 この社長は今でこそ真面目にやっているが、バブルのころは悪質な地上げをやっていたという噂もあって、時々ヤクザっぽいセンスがあらわになるのだった。
「あいつ、野犬に食われちまったんじゃないだろうな」
 入口に向かって歩きながら社長は言った。
「それは先月、毒入りの肉をまいて処分しました」
 と真木は答えた。 
 どこから入ったのか大量の野犬が棲みついていると、巡回の警備員から報告があったので毒薬を使うよう真木が指示したのだった。
「何しろ広いからな、まだいるかもしれないだろ」
「ええ、鳴き声はしなくなったっていってましたが……」
「だいたい、犬じゃなきゃどうしたんだよ、溝中は?」
「さあ、転んで頭でも打ったのかも」
「それに、馬鹿でかいネズミがいるらしいじゃねえか」
「ネズミは人を襲わないでしょう」
「わかるもんか、そんなこと」
「あとカラスも沢山いるんですが、警備員の話では白いカラスがいるらしいですよ、一羽だけ」
「あ、白かったらカラスじゃねえだろ」
「白子じゃないすか、アルビノってやつ」
「ふん、犬にネズミに白いカラスか……おい、それアヒルの見間違いじゃないだろうな?」
 徳山は立ち止まって尋ねた。
「いや、アヒルとカラスは間違わないでしょう」
「アヒルだったらまずいぞ」
「えっ、何がですか?」
「だってお前、犬、ネズミ、アヒルだぞ。それじゃ、まるでディズニーランドじゃねえか」
 そんなことを言いながら徳山と真木は、券売所の横の入口を抜けて遊園地の中へ入っていった。


「おい何だありゃあ?」
 徳山が言った。
 入口を入るとすぐに「ようこそドールズ・アイランドへ」と書かれたアーチが設置されているのだが、そこに人の姿をしたものが五体、まるで自殺したかのように首を吊られていた。
 アーチの上には何羽ものカラスが集まっていた。
「人形ですよ。いたずらでしょう。暴走族なんかが時々入り込んでるらしいですから」
 遊園地の周囲は背の高い鉄製のフェンスで囲われていたが、急造のアスファルトが陥没するなどして、どうしても人が出入できる隙間が生じてしまうのだった。
「人形はわかってるけどよ」
 徳山はおもむろにライフルの照準を合わせると引き金を引いた。
 銃声が響くとそこらじゅうにいた大量のカラスがいっせいに飛び去った。一羽はまともに弾丸を食らって地面に落ちた。
「やばいですよ社長、こんな所で発砲しちゃ」
「誰も聞いてやしないよ。それより、白いカラスはいたか?」
「いや、見ませんでしたけど」
「ふむ、そういや、溝中のやつ、銃声を聞いて姿を見せるかもしれんな。もう二三発ぶっ放してみるか」
「いやいや、銃声なんか聞いたら、よけい隠れるんじゃないすか」
「まったく、面倒くせえなあ」
「とにかく回ってみるしかないでしょう」
「ああ。それにしてもひでえなあ、ゴミだらけじゃねえか」
 枯葉に、ビニール袋や新聞紙のまざったものが風に舞っていた。
 さらに、売店やレストランの入っていた建物の壁を見て徳山は言った。「あーあ、落書きだらけだよ」
「アーチスト気取りであちこち書いて回ってるやつもいるらしいですがね」
「はっ、これじゃバスキアにはなれそうもないな」
 その壁にはアートっぽく形を崩して読み取れない文字もあったが、その一方で「殺す」とか「SEX」といった馬鹿な若者がただ思い付きをスプレーで書き殴ったようなものも多かった。
 その中で真木は緑のスプレーで書かれた文字に目を止めた。
「ウォルマヴァロフ……か、何だろう?」
「そりゃ、族のグループ名かなんかだろ」
 徳山が言った。
「グループ名にしちゃ妙だな」
「ああ、あれだ。アニメのタイトルだろ、『宇宙戦士ウォルマヴァロフ』っての、知らねえのか」
「知りませんよ」
 真木はアニメのことなど何も知らなかった。


 ドールズ・アイランドは、東西南北で四つのエリアに区切られていた。
 それぞれ〈アドベンチャー・ランド〉〈ミステリー・ランド〉〈ホラー・ランド〉〈ファンタジー・ランド〉と名付けられ、エリアごとのテーマに沿った等身大の人形が大量に配置されていた。
「しかし不気味だよなあ、人形だらけの遊園地なんてのはな」
 アドベンチャー・ランドに踏み込みながら徳山は言った。
「まあ、少し不気味なぐらいのほうが受けるんでしょう。メキシコには人形の島ってのが実際あって、そこは供養のために人形を集めてたんですけど、今じゃ観光地らしいですからね」
 彼らはアポロ宇宙船の模型と宇宙服を着た人形たちの間を抜けて歩いた。しばらく行くと、茂みの中にアダムスキー型の空飛ぶ円盤とグレイ・タイプの宇宙人の人形が展示されていた。
 その中の一体に、赤黒い飛沫が付着していた。
「何だこりゃ、血だらけじゃねえか」
 真木は指で触れ感触を確かめた。
「本物の血ですね」
「本物って、お前……」
「溝中か、あるいはほかの誰かがここで襲われたんでしょう」
「誰に襲われたんだよ?」
「さあ……、あっちにも血が」
 敷石の上にも血痕を見つけ、真木は近づいて調べた。すると、植え込みの下に銀色の物体が見えた。
 手に取ってみるとデジカメだった。
「溝中のか?」
「ええ多分、会社で支給したタイプですよ」
 カメラのモードを再生に切り替えると、液晶画面に最後に撮影した画像が表示された。
 そこにはパラシュート・タワーを背景に緑の木々が写っていたが、真ん中あたりの一部だけ奇妙にゆがんでいた。
「何でしょう、ここだけゆがんでる」
「カメラがぶっ壊れてるんじゃないか?」
 真木は画像を前へ遡ってみた。遊園地の入り口周辺の風景が何枚か写されていたが、画面に異常はなかった。
 さらに手前の画像を表示すると、そこには溝中が同僚の社員ふざけてピースをしている姿があった。服装からするとだいぶ前に撮影されたもののようだ。
「溝中……」
「やっぱりあいつのだったか……」
 周辺をよく調べてみると、さらに大量の血液が飛び散っている場所があった。
「これだけ出血してるとなると、もう生きてはいませんね」
「うわっ、なんだこりゃ!?」徳山が近くの植物の葉に触れて声を上げた。彼の手には粘つく透明な液体がべったりと付着していた。「ひでえ臭いがする」
 気がつくと、そのあたりには生ぐさい異臭が漂っていた。
「くそっ、臭いがとれやしねえ」
 徳山は手を拭いて粘液まみれになったハンカチを投げ捨てた。
「あいつ……、いったい何に襲われたんだ……?」
 真木は周囲を見渡した。立木の一本が風もないのに妙に左右に揺れているのが目についた。まるで重い動物が枝に飛び乗ったような感じだった。やがて木の揺れは収まった。だが、よく見ると枝の上の一部だけ微妙に風景が揺れ動いて見えた。陽炎のようにも見えるが、そんな気温ではなかった。
「社長、なんでしょう、あれ?」
 真木は指差して言った。
「何だ、何かいるのか。見えないぞ」
「いや、よくわからないんですが、風景がゆがんで見えませんか?」
「ああ、おかしいな、何だありゃ」
 徳山はライフルを構え、陽炎が立っているように見える木に近づいて行った。
「気をつけてくださいよ、社長」
 怪異の木まで十メートルほどの距離まで接近した時、徳山の身体は突然宙に浮いた。
「うわあぁぁっ!」
 悲鳴とともに社長は陽炎のような何かに急速に吸い寄せられていった。
 そして血をまき散らしながら身体が押しつぶされ、透明なゆがみの中に飲み込まれてしまった。最後にペッと吐き出すように銃身の曲がったライフルだけが投げ捨てられた。
「な、何だ、何が起こったんだ……!?」
 真木は思わず後ずさっていた。
 すると、透明な何かは木の枝から跳躍して彼の目の前に着地した。
 ぐちゃぐちゃと口を動かして、唾液が滴っている音がしていた。姿こそ見えないが、今や透明な怪物がそこにいることを真木ははっきりと認識していた。それは一口で人間を丸呑みにする怪物なのだ。


「ば、化け物だ!」
 真木は全力で逃げ出した。
 一瞬の差で、その場に粘液にまみれた触手のようなものが叩き付けられた感覚があった。
 あまりに現実ばなれした出来事に思考がついていかず、ただ全力で走ることしかできなかった。
 できることならこの遊園地から一刻も早く逃げ出したかったが、地形と怪物の位置の関係で自然と奥へと向かうしかなかった。とにかくあの怪物から遠ざかりたかった。
 彼は、ナポレオン時代の騎兵部隊が突撃しているジオラマの中を駆け抜けた。人形が蹴散らされることで怪物が追ってきていることがわかった。
 そして、真木は迷路状の植え込みに入り込んだ。通路の影でポケットからスマートフォンを取り出した。
 とりあえず警察を呼ぼうと考えた。怪物がいると言っても信じてまらえまいが、人が死んでると伝えればパトカーをよこすだろう。
 スマホを操作していると、植木の枝の間から、透明な触手が飛び出してきた。直撃は避けられたが、スマホが触手に貼り付いて奪い取られてしまった。噛み砕いて吐き出す音が聞こえた。
 真木は走り出した。迷路なので、出口がわからずに焦ったが、怪物からも獲物の姿は見えず、植木を次々に引き倒し始めた。その隙に出口を見つけ、距離を稼いだ。
 その先は丘を昇る階段だったが、怪物から遠ざかるためにはそこを駆け上がるしかなかった。
 丘の頂上に達した頃、怪物が獲物を見つけジャンプをくりかえして迫ってきた。
 追いつかれそうだ。そう思ったとき前方に滑り台が見えた。真木は頭からそこへ飛び込んだ。すぐ背後に透明な触手が伸ばされて来ていた。
 それは公園にあるような滑り台と変わらなかったが、丘の斜面を利用しているのでやたらと長かった。滑っているだけでどんどんスピードが上がった。途中にはトンネルもあった。トンネルを抜けたころには追っ手をかなり引き離していた。怪物はトンネルの入り口あたりで暴れている気配があった。
 真木は滑り台の終わりで投げ出され砂場の上を転がったが、すぐに起き上ってさらに走りつづけた。
 そこから先は〈ホラー・ランド〉だった。
 最初の区画はヨーロッパの城を思わせる装飾をされた広場だった。ドラキュラの棺や、フランケンシュタイン博士の手術台の傍らを通り抜けると、目立たないところに地下への階段の入り口があった。地下はメンテナンス用の空間なので一般客が入らないようにドアは施錠されているはずだったが、その時は開いていた。
 真木は地下通路に入っていった。ドアのカギは内側からつまみを捻って掛けることができた。しばらく外の気配を探っていたが怪物の近づいてくる様子はなかった。
 気づくと、服も髪もびしょ濡れになっていた。いつの間にか雨が強まりだしていたようだ。
 地下は真っ暗だったが、手探りで階段を下りていくと非常用の懐中電灯を見つけた。点灯すると足元で突然、何かが激しく動いたので真木は心臓が止まるほど驚いた。楕円形の明かりに一瞬浮かび上がったのは逃げ去っていく大きめのネズミの姿だった。
「くそ、びっくりさせやがって」
 考えてみれば、ここも安全とは言えなかった。
 相手は透明な体で人を襲う怪物なのだ。常識ではありえない存在だった。鉄のドア一枚ぐらい簡単に破壊してしまうかもしれない。あるいは超常的な方法でくぐり抜けてしまうかもしれない。第一、あの怪物が一体だけとも限らないのではないか。この地下道にも別の怪物が潜んでいるかもしれない。とにかく早く別の出口を見つけて、この遊園地から逃げ出さなければ。
 懐中電灯の明かりを壁に向けると、ここにも落書き小僧が入り込んでいたことがわかった。スプレーを噴射しながら走り回ったらく、緑の線が描かれていた。
 線を辿るように地下道を進んでいくと、「電源室」と書かれたプレートのついたドアがあった。そのドアにも緑のスプレーによる落書きがあった。書き殴ったような文字で「キチガイのへや」と書かれていた。
 ドアを開くと異様な臭いが漂ってきた。明かりで照らすと部屋中ゴミだらけだった。空き缶やビニール袋、食べ物のかすなどが散乱していた。浮浪者でも入り込んで生活していたようだ。一見してキチガイの部屋と言いたくなるのもわかる。
 真木は部屋に入ると、配電盤の「主電源」と書かれたスイッチを入れた。照明が点き、どこかでモーターの回りだすような音が響いた。これでホラーランド全体の電源が回復したはずだった。
 部屋を見渡すと、ゴミに紛れて灰色の表紙の一冊のノートが投げ捨てられているのが目についた。手に取ってみる。角が折れずいぶん汚れていた。ページを開くとどうやら日記のようだ。書かれているのは世間への不満とオカルトじみた妄想ばかりのようだった。ぱらぱらとめくっていくと「白いカラス」というフレーズが目にとまり、そのページを開いた。

  7月29日
 今日も『無名祭祀書』の呪文を試す。
 午前二時。北の空に向かい第五の呪文を三度詠唱する。
 すると、北の空が怪しく発光し、白いカラスのような鳥が現れる。
 白い鳥は木の枝にとまりしばらくこちらを見下ろしていた。
 やがて飛び去ると、鳥は北へ向かい、ふたたび空が発光するとともに姿を消した。
 これが呪文の効果か? 明日も同じ呪文を試す。 


 真木は前のページへ戻ってざっと読んでみる。
 この日記の書き手は、東北のとある廃屋で床下に隠されていた『無名祭祀書』の翻訳ノートなるものを偶然見つけたらしい。それは魔術の解説書のようなもので、この人物は以来、魔術の実験をつづけながら旅をし、この遊園地に住みつくようになったのだった。
 途中、保健所から野犬を盗み出し、連れて歩くようになったとも書かれており、ここへ犬を連れ込んだのがこの日記の主ということも判明した。
 続きを読む。

  7月30日
 予定通り第五の呪文を再度試す。
 昨夜同様に、午前二時に北の空に向かい三度繰り返す。
 すると、やはり空の発光があり、白い鳥が姿を見せる。
 同じ木の枝にとまりこちらを見る。
 一分ほどして飛び去る。北の空へ消える際、やはり空が輝く。
 これは本当に呪文の効果なのか?
 魔術?
 あれは単なる白子のカラスではないのか?
 毎夜あの場所で翼を休める習性なのかも……
 空の発光は? 自然現象か?
 明日、同じ時間に呪文を唱えずに待てば確かめられる。
 しかし連続して唱えることに意味があるのかもしれない。
 明日も試す!

  7月31日
 ついに異常な事態が起こった!
 これこそ奇跡だ!
 それともいよいよ私の気が狂ったか

 いや、落ち着いて記そう。
 午前二時。第五の呪文を三度。北の空へ向かい詠唱。
 例によって夜空の発光とともに白い鳥が出現。
 だが、今度は木にはとまらず、おぼろな青白い光に包まれながら私の近くまで舞い降りてきた。
 そして、地上に降り立った時には、美しい女の姿に変身していた。
 全身から微光を発した白い皮膚の女。
 女は囁くような声で何かを話していた。
 聞いたこともない言語だ。
 意味が分からずとまどっていると、やがて女はふたたび白い鳥の姿に戻り、空へと飛び去ってしまった。

 これが呪文の効果であることは、もはや疑いようがない。
 しかし言葉が通じないとすると、この先どうすれば……?

  8月1日
 今日も、同じ時間に同じ呪文。
 鳥が現れ女に変身した。
 驚いたことに彼女は今度は流暢な日本語を話した。
 「あなたの望みを叶えにきました」女は言った。
 望み? 私の望みとは何か?
 とっさに答えることができない。
 「あなたの望みが何かはわかっています」
 女がそう言ったかと思うと、私の身体は、自由が利かなくなった。
 白い肌の女が迫ってきた。
 わけのわからない感覚に満たされ、意識が遠のき、気がつくと私は射精させられていた。
 白い鳥が飛び立ち、北の空へ去っていった。

 一体何が起こったというのか?
 あの女は望みを叶えると言いながら、一方的に射精させ飛び去った。
 それが私の望みだというのか?
 いや、断じてそんなはずはない!
 そもそも私は催眠術が得意で女に不自由したことはないのだ。
 現にこの遊園地に侵入できたのも、巡回に来る警備員に催眠術をかけ入口の暗証番号を聞き出したためだ。
 騙されたような不愉快さだけが残る。


 日記には、このあと数日にわたって、呪文を唱えても一向に鳥も女も現れなくなったと書かれていた。
 男はいらだちをつのらせている様子だ。
 だが、一週間後、ふたたび女が登場する。

  8月8日
 無駄だとは思いつつまた呪文を唱えてしまう。
 だが無駄ではなかった、あの女が現れた。
 もっとも呪文など関係なく向こうから来たのかもしれない。
 何しろ彼女は胸に赤ん坊を抱いていたのだ。
 「あなたの子です」
 そう言って、彼女はそのみどりごをこちらへよこした。
 まさか一週間で、と思ったが相手は異界の女だと、疑問は口にしなかった。
 見るとそれはとても人間の子とは思えなかった。内蔵の透けた半透明の皮膚に、関節の向きやバランスがおかしい手足。
 小さな頭部は首がなくほとんど肩の間に埋もれていて、目鼻もなく鋭い歯の並んだ口だけがあった。
 「これは《ヨグ=ソトースの落とし子》。何でも食べるから、好きに育てるがよい」
 女は言い、さらに重要な呪文を二つ私に告げた。
 私はそれをしっかり記憶した。
 女は鳥に変身し飛び去った。

 私の腕の中には半透明の赤児が残されていた。
 まさかこの私が自分の子を持つことになるとは!
 それも怪物の子だ。これが成長すれば世界を滅ぼすことになるのかもしれない。
 では世界を滅ぼす怪物を育てること、それが私の望みだったのか?
 そうかもしれない……
 先のことはわからないが、とりあえずしばらくは、この子を育ててみようと思う。


 その翌日から男は呪文を唱えるのをやめ、怪物の子を育てるのに没頭しているようだった。
 日記には子供の成長過程が記録されていた。子供は異常なスピードで成長していて、二週間ほどでもう小学生ぐらいの大きさになっている。凶暴で手が付けられず父親であるこの男にも噛みついてくるので、別の部屋に閉じ込めておかねばならなくなった。
 さらに、大きくなるにしたがってその体は次第に透明になっていったとも書かれている。つまり、今この遊園地内をうろついているあの透明な怪物の正体は、この日記の主が白いカラスに変身する異界の女との間に産んだ子であるということらしい。
 日記を読み進む。最後から二番目の日付。

  8月29日
 あの怪物はもう私の身体より大きく育ってしまった。
 その上、私のことなどまるで親などと思っていないようだ。
 この先も育て続けるのはどう考えても危険だ。あいつは私を食い殺そうとしている。
 どうするべきか?
 方法は二つある。
 一つはあの女から聞いた呪文を使うということ。そうすればあの怪物はこの世から消えるはずだ。
 もう一つは、怪物をこの遊園地から外へ解き放つということだ。そうすればあいつは勝手に人間どもを食って成長を続けるだろう。
 だがそんなことをしたら、どこまで災厄が広がることか……
 これはよく考えてみなければならない。


 そして、最後の書き込み。

  8月30日
 今日、私はあの怪物を呪文によって消し去る決心をした。
 だが、外へ出てみてその考えを変えた。
 ともに旅をしてきた愛犬たちが死んでいたのだ。警備員が投げ込んだ毒入りの肉を食べたためらしい。
 罪もない犬たちを毒殺するとは、卑劣な人間どもに罰を与えなければならない!
 あの怪物を解き放ってやる。
 だが、私も人類が滅んでいいとまでは思わない。
 そこで二つの呪文をここに書き記し残しておこうと思う。
 運よくこの日記を見つけ出すことができたなら人類は救われるだろう。
 私は旅に出ることにする。
 これから忌まわしき『無名祭祀書』の「翻訳ノート」を焼き捨て、その後あの怪物を遊園地の外へ出す。

  怪物の姿を見えるようにする呪文 → “イーヴセーアム”
  怪物を消滅させる呪文 →


 そのページは途中で破かれていた。まるで肝心な呪文を読ませないためにと狙いすましたようにその部分が破り取られているのだった。
 部屋の中を探してみたが、それらしい文字の書かれた紙片は見つけられなかった。
 誰かこの日記を読んだ者が、怪物にあった時の用心として破って持っていったのかもしれない。
 他にもおかしな点があった。
 日記の書き手は、怪物を遊園地の外へ出すと書いているが、実際にはあれは遊園地内にとどまっている。
 男が気を変えたのか。いや、それよりありそうなのは、あの落とし子の親は、怪物を閉じ込めていた部屋から出したとたんに食い殺されてしまったということではないか。自分の生み出したものが、思った以上に凶暴だったのだ。
 真木にはもう一つ気にかかるところがあった。
 日記には、犬が毒殺されたのがきっかけで、怪物を解き放つことに決めたとある。
 二週間前、毒入りの肉で野犬を処分するように指示を出したのは真木自身なのだ。もしこの時、別の対応を考えていたらあの怪物は呪文により、人知れず消し去られていたかもしれなかったのだ。
 自分の判断ひとつで世界を滅ぼす悪魔が世に放たれてしまったのではないか、そう考えると、そら恐ろしい思いがした。
 しかし、あの怪物は呪文以外では滅ぼすことができないのだろうか?
 いや、そうと決まったわけではないはずだ。真木は行動を起こすことにした。


 電源室を出て通路を先に進むと、すぐに「倉庫」と書かれたドアが半開きになっていた。
 金属製の扉が内側から重いものを何度も叩き付けたように歪んでいた。よく見ると、黒ずんだ乾いた血の跡があった。大量に飛び散ったようだ。近くに履き古されたスニーカーが片方だけ落ちていた。
 倉庫の中は備品を詰めた段ボールが食いちぎられ、めちゃめちゃに荒らされていた。
 どうやらここが怪物を閉じ込めていた場所らしい。
 そして、思った通りあの日記の書き手は、ドアを開けたとたんに怪物に食い殺されてしまったのだ。
 真木は倉庫の中を調べると、大型のスコップを見つけた。武器代わりとして持っていくことにした。
 倉庫を出てさらに進むと、地上へ出る階段があった。
 ドアのロックは内側から手動で解除できた。そっと開け、様子を窺う。雨が激しくなっていた。
 外へ出ると、すぐ近くにゾンビのような男が立っていて焦る。が、すぐに人形だと気づいた。
 その周辺はゾンビに占領されたショッピング・モールとしてディスプレイされていた。
 警戒しながら歩いていくと、視界の隅で何かが動いた気がした。
 その方向をへ目を向けると、ばしゃりと水溜りで見えない何かが跳ねた。
 すぐ近くに着地した気配があった。雨のせいで陽炎のようなゆがみもよく見えない。だが、異様な臭いが漂いだした。
 奴は近くにいる。だが、姿が見えない。どうすれば?
 その時、真木は日記の記述を思い出した。怪物を見えるようにする呪文だ。
「イーヴセーアム!」
 真木は叫んだ。
 右前方で、稲妻のように何かが光り、悍ましい姿があらわになった。
 五メートルほどのところへ、足を忍ばせて接近していたのだ。
 巨大なゴリラほどの体躯に、様々な生物の内蔵を混ぜ合わせたようなものが剥き出しになっていた。左右に突き出た手足は妙に人間じみて見えたが、関節は蜘蛛のように地面を這うのに適した向きについていた。頭部に当たる部分には大きな口だけがあった。
 開いた口からカメレオンのような長い舌が飛び出してきた。触手と思われたのは、舌だったのだ。
 粘液まみれの無数の突起があるその先端を、真木はスコップで打ち返した。
 衝撃で手がしびれた。スコップは舌に貼り付いて奪い取られた。
 真木は遁走した。
 再度、怪物の舌が襲ってきたが、何とかゾンビ人形を身代りにして難を逃れた。
 地下道のドアをくぐり、すぐにロックをかける。
 ドアを背にして息をつく。すると、外からドアに何かが激しく叩き付けられた。
 あの怪物が体当たりしているらしい。
 何度も体が叩き付けられるうちにドアが変形してきた。
 真木は階段を下り、別の出口を探すことにした。
 通路を進むと新たに階段の昇り口を見つけた。その近くには「火気厳禁」と書かれた倉庫があった。
 ドアを開けるとガソリンの臭いが漂っていて、中にはドラム缶が並んでいた。そこは燃料の貯蔵庫だった。
 遊園地は営業していなくても、メンテナンスのために定期的に各機器の運転をする必要から燃料が備蓄されているのだった。
 キャップを開けたドラム缶を横倒しにするとガソリンが流れ出した。すぐに部屋いっぱいに広がっていく。
 さらに携行用のジェリ缶に入っていた分を廊下に撒きながら階段の下まで行った。
 怪物の体当たりの音はまだ繰り返し響いていた。やがて一際大きな音をたてドアが破られたのがわかった。
 濡れた肉をコンクリートに叩き付けるような音が接近してくる。
 真木は階段を昇ると、ドアを九十度まで開けて、開いたまま固定した。ポケットからジッポー・ライターを取り出し、耳をすました。怪物は確かに近づいてきている。
 ガソリンを撒いたあたりまで気配が近づいたのを見計らって、点火したライターを投げ込んだ。
「くたばれ、化け物!」
 火焔が輝き、熱風が吹き上がった。
 いっそ、爆発すればいいと思ったが、そのためにはガソリンと空気の混合比を調節しなければならず、偶然にはうまくいかなかった。
 それでも激しく燃焼はする。
 真木はドアの外へ逃れた。そこは建造物の内部だった。暗い通路を進むと、二体のガイコツが宝箱を運んでいた。
 ここは〈パイレーツ・オブ・ザ・デッド〉というアトラクションの内部だった。木造の海賊船にガイコツの人形が配置されている。
 地下道のドアから噴き出した火が船体に燃え移った。骸骨乗務員たちがつぎつぎと炎に包まれていった。


 真木はミステリー・ランドの丘の上まで逃れて、炎上する海賊船を眺めた。
 炎の中から「ギィイイイイイッ」という怪物の絶叫が聞こえた。このまま焼け死ぬだろうか。
 帆柱が燃えながら倒れた。その時、崩れ始めた船体から、火の塊が飛び出した。
 あの怪物が燃えながら地面の上を転げまわった。やがて火は消えたが、黒焦げの体で横たわって動かなくなった。
 だが、それはまだ死んではいないことを真木は見て取った。体の各部が力強く脈打っていた。まるで全身が巨大な心臓と化したかのように。力を蓄えるため、ほんの一時的に休息しているだけではないか。
 奴に地上の生物の常識は通用しないのだろう、そう思うと、また恐ろしさがこみあげてきて真木は走り出した。
 モアイ像のレプリカが並んだ斜面を駆け下り、ネッシーが首を出した池の傍らを過ぎるとファンタジー・ランドに入る。
 トランプの兵隊の間を通り、妖精の森を抜けるとエントランスにたどり着いた。車を止めたところまであと数十メートルだ。
 だがその時、後の方から森の木々が激しくざわめく音が聞こえてきた。振り返ると、ジャンプした怪物がまた森の中へ降下していく姿が一瞬見えた。
 真木は全力で走った。BMW X6の茶色のボディが見えた。車に乗りさえすれば逃げ切れる可能性はある。
 頭上を越えてジャンプしていった怪物が、BMWの手前に着地した。その身体は、最初に見た時よりも大きく成長していて、乗用車と同じほどのサイズだった。カメレオンのような舌がBMWを抱え上げると、逆さにして地面に叩き付けた。ルーフが潰れて、ガラスが飛び散った。
 怪物はシャーシを踏みつけながら口だけの頭部を真木に向けた。
「フゥヒィイイイィィ」
 威嚇するような唸りを上げた。
 怪物なりの知性で、おのれを焼き殺そうとしたのが誰か、理解しているようだった。
 黒焦げだった表皮は大部分回復していたが、焼けただれていっそう悍ましい外見になっていた。
 真木は思わず後ずさった。しかし、もう逃げることも隠れることもできなかった。足がもつれて尻もちをついてしまう。
 怪物はわざともてあそぶかのようにゆっくりと近づいてきた。
 わずかでもチャンスはないかと真木はあたりを見まわした。落書きだらけの壁が目に入った。無数に重なり合った文字の中に、緑のスプレーで「ウォルマヴァロフ」と書かれている。今まで気にしなかったが、そう言えば、ホラー・ランドの地下道の落書きも緑のスプレーだった。ということは電源室のドアに「キチガイのへや」と書きつけた者と、この落書きをした者は同一人物なのではないか。だとすれば、日記のページを破いたのも同じ奴かもしれない。そして破り取った紙片に書かれていた呪文を悪ふざけでここに書き記したのではないか。徳山社長はアニメのタイトルだなどと言っていたが、いい加減なことを言ったのだろう。
 怪物がよだれを垂らしながら間近に迫ってきた。
「ウォルマヴァロフ!」
 真木は叫んだ。
「グ……ウウウゥヒィイイイイィィィ」
 怪物が唸り声を上げた。
 そして、その全身がアイスクリームのように溶けだした。溶けた部分は煙を上げて蒸発していった。残った骨も灰のように崩れ落ちるともう跡形もなく消えてしまった。
 あたりは嘘のように静まり返っていた。雨はいつの間にか止んで、雲の切れ目から陽が射していた。
「た、助かった……のか?」
 真木は信じられない思いでつぶやき、立ち上がった。
 目の前には人形が吊られたアーチがあった。
 そこへ、どこからともなく白い鳥が舞い降りて止まった。白いカラスだ。
 鳥はじっと真木を見下ろしていた。日記の記述によれば、あの鳥は異界の女の変身した姿なのだ。
 やがて白い鳥は音もなく飛び立ち、空へと消えた。


 それから二日後、真木悠也はドールズ・アイランド近くの住宅造成地で、右足を切断され、心臓を抜き取られた死体で発見された。
予告
第五話「アクアリウムの遺産」
――丘の上の白い建物、君はあれが何か知っているかね?
公開中

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