「珍しいな。お前から行くって言い出すなんて」
ヒロが笑いながら、健斗にそう言ってきた。片手には花束を持って、悪戯気ににやけていた
そんなヒロの視線を、健斗はわざと無視する。確かに今のように、自分からヒロを誘ったことはなかった
いつもと違う自分を悟られて、健斗は気恥ずかしい思いになった
「別に……いいだろ?たまにはさ」
「まぁな。そろそろ行こうかと思ってた頃だし」
これから健斗とヒロは、とある場所に向かっていた
とある場所とは、翔の墓……つまり、これから墓参りに行くつもりなのだ
涼しげな風を受けて、周りの木々から降り注ぐ蝉時雨、葉の隙間から差し込む零れ日、その中、健斗とヒロは山道を歩いていた
「しかしなぁ、お前から言い出すなんて思ってなかった」
「うるさいなぁ」
「何か思い悩んでることでもあんの?」
詮索するように訊いてくるヒロに察しられぬよう、健斗はなるべく心に隙を作らないようにした
健斗がこのように翔の墓参りに自分から行こうと言うなんて、今まではなかったことだった
それ故に、いつもと違う行動を取る理由に、ヒロも薄々感づいているみたいだ
それが何かなのかは、もちろん分かるまいが
実際、その通りだった
健斗から墓参りに行くなんて言い出すのには、やはりあのことが理由に挙げられる
原因……とは言っては悪いのだが、健斗がサッカーを辞めることになったのは、翔のことがあったからだ
翔に対しての申し訳ないという気持ちに罪悪感、そして無気力のせいで冷め切ってしまった情熱……
しかし、その情熱は再び熱くなり始めた
もし、再びサッカーをやるのなら、やはり翔に報告をしておきたいと考えたのだ
「……別に何にもないって。しつこいぞ、お前」
「あっそ」
ヒロにはまだ、そのことを告げていない。翔に告げるのなら、ヒロにも告げるべきだって言うのは分かっている
しかし、今はまだ、ヒロの言う通り“思い悩んでいる”だけだ
ちゃんと決断を下すまで、ヒロに言うつもりはない
別に罵声を浴びさせられるということを恐れているわけではない
中途半端な気持ちのまま、ヒロには言いたくない
ただそれだけなのだ
この時期で良かった
「ただ、そろそろ行くつもりだった」
こう言った口実で、真実を曇らせることが出来た
この前も来た
だから懐かしいとは感じられない
けど、ヒロにとっては約1年振りだ
「懐かしいなぁ。ここ」
そう言ってくるヒロに、健斗は小さく頷くことしか出来なかった
ふと思い出したことがあった
ほんのちょっと前、健斗は偶然早川とここで出会った
その帰り道、早川の隠された思いを聞いた
そのことをまだヒロには話していない。話したくなかったから
早川が誰にも話すことのなかった思いを、そう軽々と口にはしたくなかったし、それよりもあの事実は健斗にとって、嬉しいことでもあり、悔しいものでもあった
早川は未だに翔に思いを引きずっている
言い方は悪いがそういうことである
好きな女の子は、まだ自分を見てくれていない
遠回しに言えばそういうことになるのだ
それは健斗にとってショックなことだったし、悔しかったことでもあった
あのことをヒロに話すと、それらの思いまで零してしまいそうで嫌だった
カッコ悪いから……話したくなかったのだ
あれから、1ヶ月半は経った……早川は今でも、同じ思いでいるのだろうか
健斗とヒロは、ゆっくりと墓地の中を歩いて行く。綺麗に光沢を帯びた大理石の墓石に、良い香りのする花が供えられている
きっとここの遺族の人たちが、死んだ人を弔うために供えたものだろう
その中に、翔の墓は確かにそこにあった
以前健斗が供えた花も、線香も今では形を無くしている
きっとここの管理をする人が掃除をしてくれたのだろう
“空”という単調な文字が刻まれている
翔の好きだった、空が刻まれていた
ヒロは手に持っていた花を供えて、健斗は持ってきたお線香を炊いた
そしてそれらと共に、生前翔の好きだった牡丹餅も供えた
健斗とヒロはしゃがみ込んだ
「……久しぶりだな、翔」
ヒロが笑いながらそう呟くように言って、ゆっくりと目を瞑ってから手を合わせた
健斗もそんなヒロに続いて、目を瞑って手を合わせた
胸に寄せていたあのことを、あの思いを翔に話すために……
口には出さずに、心で会話をする
涼しげな風が吹き出した
……なぁ、翔
また来たぜ?
今日は、聞いて欲しいことがあって来たんだ
俺な
また……サッカーがやりたいんだ
前来たときに、俺が言ったことを覚えてるか?
俺は本当に今を生き続けていいのか、迷うばかりの日々を送ってるって
けどな、あの日からずっと思ってたんだ
俺は、やっぱりサッカーが好きなんだ
あのことで良く分かったから
だからきっと、またサッカーをやり始めたら、俺はきっと毎日が楽しくって、生きていることが実感出来ると思う
分からなかった。生きている意味が出来て、きっと俺は毎日が楽しくなって、今よりもっと“今”を生きていけると思う
でも……な……
やっぱり悩むんだよ
俺は、本当にサッカーをやってもいいのかって……分からなくなるんだ
お前ならどう言う?
こんな俺に、何て言葉をかけてくれる?
なぁ、翔
麗奈が言ってくれたんだ
サッカーをやるかやらないか、それはどっちが正しいのかは分からないし、むしろどっちも正しいと思う
けど、結局どちらかを選んで、自分が後悔しないようにちゃんと選べばいいって
その通りだと思う
だから、今すぐ決めるなんて出来ないんだ
時間をかけて、ゆっくり考えたいから
後悔したくないんだ
もう……二度と……
なぁ、翔
俺は、どうすればいいと思う?
健斗はゆっくりと目を開いた。返事が返ってくることはない
そんなことは分かっていた。もちろん分かっていたのだが、健斗は語りかけ続けた
心の中で……
この前来たとき、同じことを言うことになるけど……
もし……今お前が生きてたら、今の俺に何て言うんだろうな……
「……なぁ、健斗」
傍らで健斗と同じように、しゃがみ込んで手を合わせていたヒロが突然口を開いた
いつもと雰囲気の違う、どこか静けさがある重みのある声色だった
健斗は返事をせず、視線をヒロの方へと向けた
ヒロは健斗を見ておらず、墓石を見つめたまま動いてなかった
「この前さ、俺お前に訊いたじゃん」
「ん?」
「麗奈ちゃんのこと、どう思ってるのかってさ」
健斗はそれを聞いて、再び墓石を見つめた
つい最近のことだ。真剣な面向きでヒロにそう訊かれた
「うん」
健斗はゆっくりと頷き返した。麗奈のことをどう思っているか……
健斗は答えた
麗奈はただの家族だから、特別な感情なんて別にないって
ヒロはそれを訊いて、素直に納得してくれた。健斗の言葉をそのまま受け入れて、それ以上妙な詮索もしては来なかった
健斗は何のためにあんなことを訊いてきたのか疑問だったが、特別に気にすることはなく、むしろすっかり忘れかけていたということが正直な話である
何故、今更そんな話をしてくるのか、健斗は不思議に思っていた
「実はさ、俺あれお前にかまかけてたんだ」
「は?」
突然ヒロにそんなことを言われて、十分に理解することが出来なかった
何、かまかけてたって……
そんな健斗の反応を見て、予想通りだと言わんばかりにヒロは可笑しそうに笑っていた
「お前は早川のこと、どんくらい好きなのかなぁってさ。だからかまかけてた」
「……それで?」
「それでって?」
ヒロが聞き返してきたので、健斗は怪訝そうに顔をしかめた
「知れたの?俺がどんだけ早川のこと好きなのかって……あんだけのやり取りの中で」
健斗がそう言うと、ヒロはまた可笑しそうに笑った。健斗に向けて親指を立てて見せた
「バッチシ。十分過ぎるほどよく分かった」
そんな風に言ってくるヒロに、健斗は不満気にため息をついて見せた
正直、あんぐらいのやり取りだけで自分が早川に対して抱いている想いの大きさを量られるなんて……
なんかむかつく……
「俺が思うに、お前の恋愛ってこれから先面白くなりそうだしな」
「……ヒロ」
「ん?」
健斗はヒロを睨みつけるようにして見ていた
「何が言いたいんだ?はっきり言えよ」
いつもヒロはこうなのだ。本当は真剣に話したいことがあるはずなのに、それをわざと遠回しにして曇らせる
そのくだりに健斗は苛々する
言いたいことははっきり言ってもらわなければ、混乱するだけだ
思った通りヒロは急に真剣な表情になった
何も言わず、また前を見つめていた
しばらくの間、沈黙の空気が漂う
涼しげな風が枝の葉を揺らす音すら聞こえてしまうほど静かで、そこには音のない世界が広がっていた
健斗はただ待っていた。ヒロが話してくるのを、ただ待ち続けていた
「……翔のやつ、早川のこと、すごく好きだったみたい」
「え……」
ヒロから翔の話が出てきて、健斗は少し驚いた
あまりヒロの方から翔の話なんてしないから、健斗は少しびっくりしたのだ
「翔が早川のことを好きだったように、早川も翔のことが、すげー好きだったと思う」
健斗はそれを聞いてしばらく考えたあと、翔の墓石を見つめた
「……そういえば早川が言ってた」
「何を?」
健斗はゆっくりと息を吐く
「早川、翔が死んだあの日にな、翔に告ってたんだって」
ヒロは目を丸くしていた。驚いているんだということがよく分かった
けど、健斗はヒロの反応を待たずに続けて話した
「でもな、翔……早川のこと振ったんだって」
「は?」
ヒロはまたその事実に驚いていた。健斗は黙って、小さく頷くことしか出来ない
ヒロはしばらく考えたあと、可笑しそうに笑った
「変な話だな、それ。翔も早川も両想いだったくせに……何で翔は振っちゃったんだろう」
健斗も同じことを思った。お互いのことを想い合ってるのに、どうして翔は……
「……多分」
健斗は呟くように口を開いた
「俺のせいだと思う」
「え?」
健斗は空を見上げてから、小さくため息をついた
「あの日さ、俺翔のこと怒ってたんだ……あいつ、委員会の仕事があるからって部活にも出ずに、女とイチャイチャしてるって……そう思ってた」
ヒロはそれを聞いて、ゆっくりと頷いた。そのことはヒロにも話したから、ヒロも知っているだろう
「翔は多分、そのことに気づいてたんだと思う。だからあいつは……」
「そっか……」
ヒロは納得したように頷いていた
「もし早川と付き合うことになってたら、きっとサッカーが疎かになっちゃうかもしれないって考えたんだな。好きな女の子からの告白を断るほど……それくらいお前との約束が大事だったんだ」
健斗は頷きはしなかったが、そのとおりかもしれないと思っていた
『……俺は、お前とずっとサッカーをやっていく。そう約束したべ?』
翔は……確かにそう言っていた
健斗は大きくため息を吐いた
「……馬鹿だよ。あいつは」
本当に馬鹿だ。馬鹿だよ……
「あんなに早川のこと好きだったくせに、サッカーと両立が出来ないかもしれないからって振っちゃうなんて……本当に……馬鹿なやつ」
そんなの翔らしくない
健斗の知っている翔は、そんな弱くて情けないやつじゃなかった
あいつなら、好きな女の子を大切にしながら、サッカーも頑張り続ける道を選ぶと思っていた
両立出来るはずだった
どちらも疎かにせず、どちらも精一杯やるやつなのに……
なのに……あいつは……
ヒロはそんな風に言う健斗を見て、口を開いてきた
「……お前さ、早川のこと……その、本当に好きか?」
不意にヒロにそんなことを訊かれて、健斗は睨み返すように聞き返した
「どういう意味?俺はあんまり早川のこと好きじゃないってこと?」
「そういうことじゃなくって……その……何て言えばいいんだろ……」
ヒロは大きくため息を吐いて、不意に立ち上がった。健斗はそんなヒロを見上げるようにして見ていた。ヒロは頭を掻いて、ため息ばかりついていた
「……ずっと思ってたんだけどな」
「うん」
「お前さ……その……翔に対して罪悪感を抱いてるから、翔のためにとか……そういうので早川を好きになったとか、そういうことじゃないよな?」
健斗はそう言われて、きょとんとした
しばらくその意味を捉えることが出来なかった
翔に対する罪悪感?
翔のために?
だから俺は、早川を好きになった?
「お前は優しすぎるんだよ」
ヒロにそんなことを言われて、健斗は首を傾げた
「誰にでも優しすぎるんだよ、お前は。悪く言えばただのお人好し」
「な、何だよ急に」
健斗は少し困惑していた。ヒロにそんなことを言われるとは思ってなかったから、不意を突かれたような想いだった
ヒロはまたため息を吐いた
「麗奈ちゃんにだってそうだよ。お人好しなお前は、すぐに麗奈ちゃんを受け入れた。麗奈ちゃんといつもいっしょにいる。でもなぁ、そんなの他人から見れば……」
ヒロははっと我に返って、頭を抱え込んだ
「わ、ワリィ……今のは忘れてくれ……」
「え……」
ヒロは悔やむように唸っていた。そんなヒロの様子を健斗は畏怖するかのような目で見る
どうしたというのだ
一体……
ヒロは仕切り直すかのように大きく息を吐き出した
「……そんなお人好しなお前だから、もしかしてって思ってたんだ。お前が早川のことを好きっていうのって、罪悪感から生まれたもんなんじゃないかって」
健斗は何も言い返そうとはせず、ヒロを見つめていた
「言っとくけど、本当にそうなら、俺はお前を許さねーぞ」
ヒロは睨みつけるように健斗を見て、そう冷たく言ってきた
「そういうことなら、俺はお前を許さねー。早川を好きだなんて、絶対言わせねーからな」
健斗はそのヒロの瞳を見ていた。何とも轟々しく鋭いものだろう
健斗は少し考えた
俺は……誰のために人を好きになっているんだろうか
翔のため?
あの日、事故で失った親友の思いを自分が代わって早川を大切にしたい……
そういう気持ちから生まれたのだろうか……この気持ちは……
違うはずだ
そんなんで早川に惹かれたわけじゃない
誰にでも優しい早川に恋をした
自分が早川に惹かれて、いつの日か恋をしているんだと知った
翔のためじゃない……
そう、自分のために……
「……分かってる……」
健斗はしゃがみ込んだままそう呟いた
健斗はそれ以上何も言わなかった。ヒロもそれ以上何も言って来なかった
再び訪れる沈黙
涼しげな風が吹いて、葉を揺らす音が静かに聞こえる
自分はお人好し……
罪悪感を感じて
人を好きになった
……健斗は目の前の墓石に刻まれた文字を見た
どうしてか分からないが……何故かそれが忌々しく思えた
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