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第7話 事情
第7話 事情 P.29


――外は日が暮れかけている

ここから、落ち掛けている茜色の夕日を何度見たことだろう

しかし飽きない

ここからの景色は決して飽きることがない

明快な空に、すっきりと透き通った自然が見渡せる街

夕焼けに染まる山々を背景に、哀愁漂わせる街

夜に見える自然のプラネタリウム

そのどれもが飽きることなく、そしてそれらが麗奈に不思議な感情を抱かせる

今もそうだ

この夕焼けを見ていると、物静けさを感じる

するとそっと、醜く薄汚れた心を綺麗にしてくれる

そんな感覚を覚える

だからこの街の景色は好きなのだ


……私の心は汚れている

醜く、薄汚れた社会の中で、私は酷く汚れてしまった

それを隠すために、私はこの町に来たのだけど……

結局何も変わってはいない

私自身

何も変わってはいない

それを竜平さんに、初めて他人に打ち明けることが出来たとき

悲しみと切なさよりも

安堵や喜びを感じた

それは、あの日

自分の想いを伝えたときに感じた想いに似ている

それをどう捉えるかは自分次第

私には……

私は、竜平さんにこのことを打ち明けたことで

私は、少しだけど、前に一歩進めたような気がする

だけど、やはりいつかはちゃんと話さなくてはならない

一番身近な人に

ちゃんと話さなきゃいけないのだ

最初は話す気なんて、これっぽっちもなかった

だって話す必要なんてないから

今が楽しければそれでいい

大好きな人が傍にいてくれて

大切な家族がいて

信頼し合える友達がいて

大切な人を失い、信じていたものに裏切られたことのある麗奈にとっては

それがどれだけ幸せなことなのか、よく分かっている


だから、だからそれでいいと思っていた

だけど、違うよね

過去を過去と置いて、そのことから目を背けて、自分の切ない想いを抑えるだなんて、もっと辛いだけ

だったら、ちゃんと向き合わなきゃ

健斗だって、そのことが原因で気にかけてしまっている

だったらちゃんと話して、過去と向き合うべきなのだ

そう頭で分かっていても、実際のところよく分からない

過去と向き合うって……一体何なのかな

どうすれば、ちゃんと向き合うことが出来て、この苦しみ、悲しみから解放されるの

忘れなきゃ

忘れなきゃ

でも、その答えを探して探して探して……結局何も分かっていない

それが現状だ

人は人と支え合うことで、強く生きることが出来る

竜平さんからそう教わった

だから、私は弱い人間だとか、そんなこと考える必要なんてないんだよね

大丈夫

私の周りには、たくさんの支えてくれる人がいるはずだから

だから……

そう考えたときに、麗奈はあることを密かに思っていた

健斗が傍にいてくれる

それは、果たして本当の意味で傍にいてくていることなのだろうか

確かに、健斗とは日常的に置いて、常にいっしょにいる

必然的にいっしょにいる形になっている

健斗と会話をする

健斗の笑顔に

笑い声

健斗の怒った顔に

怒声

健斗の照れ臭そうにした表情に

強がり

健斗の仕草、表情、声、匂い、そのどれもが、愛しい

だから、傍にいると幸せを感じることが出来て、毎日がきっと楽しく思える

けど、最近気がついた

それは表面上に過ぎない……と

健斗は確かに麗奈の傍にいるが、そこにいるのは、言わば脱け殻だ

心はそこにいない

何故なら、健斗が想いを寄せているのは、麗奈ではなく、結衣だからだ

いくら麗奈が、健斗のことが好きで、傍にいて、支えてもらっていると言っても、それは本当の意味では違うと思うし、偽りのものだと思う

本当に支えてもらうにはどうすればいいんだろう

健斗の想いがいつの日か、麗奈へと向けられる日が来るのだろうか

……結局私は……何を望んでいるの?



……静かにドアがノックされる。麗奈は素早く反応を見せて、ドアの方へと視線を変えた

ノックとほぼ同時にドア越しに聞こえてくる、聞き慣れた声

「麗奈ちゃん」

その呼びかけに、麗奈は素早く返事を返した

「はァい」

麗奈の返事の後の数秒後、ドアは開き、そこから健斗の母が、エプロンを腰に巻いた状態で入ってきた

麗奈の顔を見ると、すぐに微笑んだ

「あら。起きてたの?」

「はい」

麗奈もにっこりと微笑み返す。すると母さんは、軽くため息を吐くと、麗奈に近づいてきた

「具合はどう?熱も下がったんじゃない?」

母さんにそう訊かれて、麗奈は素直に頷いた

「はい♪今すっごく気分が良くて、今もちょっと風に当たってたの」

麗奈が元気であるような素振りを見せると、母さんはゆっくりと笑って、麗奈の前髪を掻き分ける

するとその手のひらを麗奈の額に当てた

この温もり……

遠い遠い昔のように感じられた

実質、四年しか経っていないのだが、麗奈には長いことのように感じられたのだ

本当に長い間、この温もりを忘れていたような気がする

麗奈の母親、夏奈の顔を思い浮かべる

暖かく、優しさに満ち溢れた笑顔の夏奈を、麗奈は今でも鮮明に覚えている

うん……覚えている

あのときの幸せは、あれ以上の幸せはなかった

まだ麗奈の家族が、確かにそこにあった頃のこと


「うん。熱も下がってきてるみたい。薬が効いてるみたいね」

健斗の母さんが麗奈の額から手を離して、安心するようにそう言ってきた

麗奈はそれを聞いて、にっこりと笑った

「明日からまた部活に出られるかな」

「うーん……そうね、このまま咳も無くて、熱も出なければ大丈夫よ。きっと」

それから続けて、母さんは言ってきた

「でも……また無理して、調子を崩さないこと。いい?」

そう言いながら、母さんは麗奈の額を軽く小突いてきた

麗奈は頬を赤く染めて、にっこりと微笑むと、小さく頷いた


するとだった

母さんが微笑んだまま、麗奈を見つめて言ってきた

「麗奈ちゃん。ちょっと起きれるかしら?」

「え?」

母さんにそう言われた麗奈は、不思議そうな顔をして、戸惑いを見せた

すると母さんはふふっと小さく笑うような様子を見せた

「きっとびっくりすると思うわ」



母さんにそう言われたので、麗奈はしっかりとした足で一階へと降りていく

久しぶりに歩いたような感覚で、少し足がふらついた

しかし母さんと共に、麗奈は何も知らぬまま、居間へと向かった


居間に入ると、すぐ目の前に、父さんがテレビの横で電話を持って話をしていた

「そっか。ははっ、お前は相変わらず頭が硬いんだな。ああ。ああ」

親しげに話す様子を見せる父さんを見て、麗奈は体の芯から緊張するような感覚を覚えた

推測出来たからだ

何故、母さんが麗奈をここに連れてきたのか

そして、父さんは一体誰と話しているのか

「あぁ。そうだなぁ。まぁ俺は課長になれるよう頑張るさ。ははっ、バカ言え、死んでもお前のとこでお世話なんかにはならないよ」

父さんは話しながら、チラッと後ろにいる麗奈を見た

「あぁ。じゃあ、頑張れよ?おぅ。……あー、今すぐ傍に麗奈ちゃんがいるから。あぁ。今代わるな」

そう言い終わると、父さんは麗奈に受話器を差し出してきた。指差して、ちょいちょいと受話器を受け取るように仕向けてくる

麗奈は受け取れずにいた

何を話せばいいのか分からない

照れ臭い気持ちと、緊張が麗奈の感情を高ぶらせる

手を出そうとしても、この電話を受け取れば、あの人と話すことになる。それが上手く実感出来ずにいた

そんな麗奈の戸惑いに感づいた、健斗の母さんがそっと麗奈の背中を後押しする

麗奈は一度、振り向いて、笑っている母さんを見た

自分はきっと強ばらせた表情をしているのだ、そう自覚出来るような笑顔だった

麗奈は大きく息を吸い込み、大きく息を吐き出した

少し落ち着いた

改めて父さんを見て、麗奈は受話器を受け取った

そっと受話器を耳に当てる

何も聞こえない

「……もしもし?」

麗奈が小さな声で、受話器に向かって話しかける

しばらくそこからは何も帰ってこない

と、そんなことを思っていると……

「もしもし。麗奈か」

久しぶりに聞く、懐かしいような声が、電話の奥から聞こえたとき、麗奈はふと体中に強ばらせていた力が、まるで風船の空気が抜けていくように、無くなっていく

「お父さん?」

本当にお父さんから電話が来たことに、麗奈は改めて困惑していた

そう、電話の主は、ニューヨークに滞在しているはずの、麗奈のお父さんであった

久しぶりに会話をする

そのために困惑を隠しきれずにいた

その低く、やけに落ち着いた声

その声から、麗奈の知っている常に冷静で、無頓着な父親の雰囲気を漂わせている

間違いなく、お父さんである

「久しぶりだな」


「……うん」

そんな風に言ってくるお父さんに、麗奈は電話越しながら薄く笑みを浮かべた

「本当に久しぶりだね」

「……あぁ。そっちには慣れたか?」

「まぁね。山中さんもスッゴくいい人たちで……お父さんの言ってたように、暖かくて良い町だと思う」

「そうか」

麗奈は軽く笑い声を挙げる

あぁ……本当にお父さんなんだ

たった数ヶ月の間、それだけの時間会っていないだけで、こんなにも懐かしく思えるなんて

不思議にも、嬉しさや喜びよりも、驚きが大きかった

麗奈の知っているお父さんは……一途だから。無頓着なとこがあって、今のように電話をくれることなんてなかったのに……

「風邪、引いたんだってな」

お父さんにそう言われ、麗奈は苦笑しながら答えた

「うん……山中さんにも迷惑かけちゃってる。でも、もう平気だよ」

「そうか……それならお父さんも、安心していられる」

意外だった

麗奈は軽く笑って見せる

「自分の娘が風邪を引いてるって聞いたら、やっぱり心配になるんだ。お父さんでも」

「当然だろ」

「私の心配してる余裕なんてあるの?お仕事は順調なの?」

お父さんは電話の奥で、呆れるようにため息をついているようだった

「そうだな。実は中々上手くいってない。今も、仕事の合間で電話を入れているから。あまり長話は出来そうにもない」

麗奈はそれを聞いて、お父さんに聞こえないようにため息をついた

「そう……じゃあ、まだニューヨークなんだ」

お父さんは返事をしなかった。それは事実そうでも、正直に答えづらいときや、誤魔化しのときに使う、お父さんの癖みたいなものだった

変わってないね、お父さん

あなたはいつもそうだった

「……それで、どうかしたの?」

麗奈が要件を訊ねてみる

あのお父さんが何の要件もなしに、わざわざ忙しいのに電話をしてくるだなんて、考えにくかった

その通りだ

「……時間がない。要件だけ手短に言う」

お父さんはそう言い放ってきた

変わってないね、お父さん

いつもそうだった

そういうところ……

変わってないよね……

ずっとそうだったね

余計なことはしない、言わない

それほど忙しいのは分かってる

でも、変わってないよね

言いづらいことがあるときの誤魔化し方

要件だけ手短に言う、無頓着なところ

変わってないよ

あなたは何も

何も変わっていない









「やっべ……結構暗くなってきたなぁ」

健斗は黒に染まっていく空を見上げながら、自転車を漕いで行った

この前のことがあったから、今日はずいぶん頑張ったような気がする

こんな時間まで、ずっと働いてたんだ

さすがに疲れてしまっている

Ryuに赴いたとき店長に即刻麗奈の容態を訊かれた

昼出るときは、寝ていたようだったからどうか分からないが、多分よくはなっているとは思う

今も帰路に着いていて、実際麗奈の容態が気になる

昨日より良くなってるといいのだが……

風邪か……

健斗なんか、風邪なんてもうずいぶん長いこと引いていない

むしろ、病気をしていない

普段、特に運動をすることもなく、中学に比べれば怠惰な生活を送っているのだが……

それでいいのだろうか

時々考えることがある

自分は……今やりたいことがある

心の奥底にしまって置いた、確かな衝動

最近になって……いや、もしかしたらそれは、ずっと抱き続けてきたものなのかもしれない

けど、松本事件がきっかけで改めて自分の気持ちを再確認出来たことは、確かなものだった

俺は……やっぱりサッカーが好きだ

サッカーをやりたい

久しぶりに味わった、あの感覚

身震いするような、歓喜に満ちた声

忘れかけていた、サッカーに対しての想い

俺の歩む道の上で、サッカーは欠かせないんだ

あの感覚を

あの喜びを

もう一度……


健斗は家に着くと、自転車から降りて、庭へと運んだ

小屋の中からゴンタが出てきた

健斗はゴンタの頭をゆっくりと撫でてやる

「ただいま」

健斗は再び玄関へと周り、軽くため息をついて戸に手をかけた

開けながら、ため息と共に

「ただいま〜」

と、息を吐くように言った

すると、暗い廊下の先に光が見える

居間からは笑い声と、何やらいい匂いがする

今夜はシチューだろうか……

健斗が帰ってきたことに気がついたのか、居間から顔を出してきたのは……

麗奈だった

「あ、健斗くん♪お帰りー」

その意外な様子に健斗は驚いていた。麗奈は何でもない顔をしているようだが、健斗にとっては充分な驚きだ

昨日まで唸りながら、苦しんでいるようなやつには見えない

いつものように、それこそ無頓着で、いつもの悪戯な笑顔を振る舞っている

「お帰り。遅かったね?」

「あぁ……うん……」

「晩ご飯出来てるよ?今日はクリームシチューだってー」

呑気そうに晩ご飯の話をする麗奈に、健斗は半ば呆れるようにため息をついた

「お前なぁ……風邪は治ったのかよ」

健斗がそう訊くと、麗奈はいつもの調子で言ってきた

「あぁ、風邪?うん。もうすっかり良くなったみたい♪きっと薬が効いたんだと思う」

「そっか……」

さっきまでこいつの心配をしていたのが恥ずかしく思えるほどの元気よさだった

しかし、それと同時に安堵感も覚えていた

心配していたが、もうすっかり良くなったみたいだった

「ったく……心配かけんなよな」

そう呟いてみる

「え?何?何て言ったの?」

「何でもねー」

そう言って照れ臭そうに笑いながら、健斗は二階へと上がっていく

そんな健斗を後ろで見ながら、麗奈は少し声を張り上げた

「お腹空いてるんだからぁー。早く降りて来てよねー」

「んー」


二階へと上がり、自分の部屋へと入る。鞄を放り投げて、大きくため息をついた

ふと、自分の机に飾ってある、一枚の写真を目にした

手に取って、それを見ながらベッドに腰を下ろす

神乃中の頃、大会で記念に撮影した写真だ

見慣れた顔に、懐かしい監督やコーチ

白魔導士ホワイトマジシャン”の由縁になる大会で、自分はその白いユニフォームを着ている……

さらにエースナンバー10番を背負っている自分を見ると、何故か誇らしげに感じる

そして……その両端には……

黄色のユニフォームに、グローブをつけたヒロに……

9番の白いユニフォームを来た、見慣れたはずの、翔の笑顔

みんな笑っている

健斗も含めて……みんな……みんな笑ってる

健斗はその写真を見ながら、また思い出した

松本絢斗に勝ったときの、あの感覚

荒くなる自分の吐息

嬉しさのあまりに、それを表現するかのような、歓喜に満ちた叫び声

グランドに立ったときに感じた、あの汗の匂い

全てを思い出す

あの感動を

あの感覚を

あの喜びを

もう一度……

そう思いながら、健斗は未だに決心つかずにいた


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