「じゃあ、またあとでねー」
母さんと麗奈はルンルン気分で、女湯の方へと入っていった。健斗と父さんも、親子揃って男湯へと向かう
「久しぶりだなー。親子で風呂に入るのは」
「久しぶりって……半年前にもここに来たじゃん」
「だったけ?」
父さんは愉快そうに笑いながら、ロッカーの前に立つと、服を脱ぎ始めた
「ふい〜っ♪」
健斗と父さんはいっしょに極楽天然温泉に浸かった。ここは風呂が種類豊富だから、色んなとこに入れるけど、健斗たちはとりあえず、露天風呂から入ることにしたのだ
「あぁ〜……日々の疲れが癒される〜♪」
父さんは本当に気持ちよいのか、そんなことを言った
程よい気温にほどよい温度。今日の夜は涼しかった
「夏に温泉ってのもいいもんだなぁ」
父さんにそう言われて健斗は寛ぎながら頷いた
「……俺は冬の温泉の方が好きだけどね」
「ん〜……そりゃあ、そうだなぁ〜」
健斗と父さんはそう言ってから、また深くため息をついた
日々の疲れがこのため息となり、体外へと出て行くような感じを覚えた
血行がよくなっているというのが、身に染みて感じる
「いや〜……温泉に浸かってるとあの歌を思い出すなぁ〜」
「何の歌?」
「ほら、あれだよ。ババンババンバンバン、ババンババンバンバン、ババンババンバンバン、ババンババンバンバン、あそれ、い〜い湯だなぁ〜♪アハハン♪い〜い湯だなぁ〜アハハン♪」
健斗はそれを聞いてふと馬鹿にするようににやけた
「ふっ……父さんも、ありきたりだな」
「う……ありきたりで悪かったなぁ、ありきたりで」
父さんはそう言うと歌うのを止めて健斗に言ってきた
「そういえば健斗、もう学校夏休み入るだろ」
父さんにそう言われて、健斗はゆっくりと頷いた
「うん……明後日から夏休みに入るよ」
「そうか。今年の夏はどこに旅行に出かけようか……今年は麗奈ちゃんも混ざるからなぁ」
父さんがそんなことを考えている中、健斗はある思いにふけていた
ぼーっと……頭がぼーっとする。決してのぼせたわけではないが、ある映像が健斗の頭の中から離れない
『……好きだよ……健斗くんのことが……好きだよ……』
健斗の体全体が火照る。温泉のおかげではないことは分かっている
麗奈は……どういうつもりであんなことを言ってきたんだろうか……健斗と、付き合いたいって思っているのか?
でもどうして?健斗なんかよりも、いい男はいっぱいいるだろう。先輩とか同級生にも、麗奈に優しくしてくれる人なんていっぱいいるはずだ
なのに……どうして“家族”である俺なんかに……
健斗が複雑な想いを抱えている理由その2がこれだ
麗奈に告白されて、戸惑っている自分がいる。それ自体がもう怖いのだ
麗奈がこの街にやってきて、2ヶ月半ばかりの時間が過ぎた
その間で麗奈と築いてきた関係は何か?
くだらない話をして、笑い合える仲
ケンカばかりして、仲違いばかりする仲
泣いたり、喜んだりする仲
そう……それが出来るのは……麗奈は健斗の“親友”であり、“家族”だから
その関係を築き上げてきた結果……今がある。それを壊れることが健斗にとって一番怖いことだった
正直……麗奈が“恋人”になるなんて、今の俺には考えられない――
健斗はそう自分で考えながら、はっと気がついた。今、自分の中で何て考えた?
今の俺……
じゃあ、もう少し時間が経てば、健斗は麗奈を……恋愛として見ることになるのか?
健斗はそんな自分に身震いをした。そんなこと……一生ないだろう。麗奈にだぜ?麗奈を……好きになることなんて
健斗がそう考えた瞬間、脳裏に浮かんだのは、早川結衣の顔だった
健斗は早川が今でも好きだ。それは揺るぎない気持ちだ。間違いない
それを、麗奈は知っているのに……どうして?
「どうした?浮かない顔して」
父さんにふとそう訊かれて、健斗ははっと我に返って父さんを見た。父さんは純粋な目で健斗を見ている
そう訊かれて健斗は深くため息をついた
「別に……何でもない」
「嘘つけぇ。何か悩んでるだろ?七夕祭り以来からずっとだ。父さんに話してみろ」
健斗はそれを聞いて少し意外に思えた。父さん、ちゃんと気がついていたんだ。健斗の変化に……やっぱり、父さんは俺の父さんなんだなぁっと健斗は感じていた
「父さん……誰にも言わない?」
「言わないよ」
「とか言って……母さんに言っちゃったりするでしょ」
「だから言わねーって……」
「じゃあ……男同士の約束だからね」
健斗がそう言うと、父さんはきりっとした表情になった
「おぉっ」
父さんは「男」という言葉に敏感だ
健斗は深くため息をついた。さすがに全てを打ち明けまい。麗奈に告られただなんて、口が裂けても言えるようなことではない
けど、健斗は父さんになら何でも言えるような気がしてならなかった。だから、健斗は恥ずかしそうに……呟くように言った
「……この前の七夕祭のときにさ……俺……」
「うん」
父さんが相槌を打ってくれた。健斗はじらさずに一気に言ってしまおうと考えた
「麗奈に……“好き”って言われた……」
健斗の言葉に父さんはしばらく唖然としていた。どんな反応をするんだろう
やっぱりびっくりするだろうなぁ……
「麗奈ちゃんに?告白されたってことか?」
「多分……そう」
父さんは意外にも平然としていた。表情が穏やかだった
「なんだ。そんなことか」
健斗はその反応に、何とも言えない想いを感じていた。父さんはそれだけ言うと高らかに笑った
「そんなことって……」
健斗からすればかなりの問題なのだ
「そんなの父さんから見れば、今更って感じだけどな」
「……何で」
健斗が怪訝そうなそう訊ねると父さんは微笑みながら答えた
「昔と同じだからさ。昔は二人とも、お互いのこと好きだったみたいだぞ?」
その話はもう何度も聞いた。いくら違うと否定しても、覚えてないのだから完全否定なんか出来ない
百歩譲って、昔は健斗も麗奈のことが好きだったとしよう。でも……
「……昔は昔だよ。今は違う。俺らもう高校生だぜ?子どもの好き嫌いとは違うよ」
「同じさ。健斗はどうなんだ?麗奈ちゃんのこと、好きなのか?」
健斗はそれを訊かれてしばらく黙り込んだ。
健斗だって……麗奈のことは好きだ。けど好きという意味の種類が違う。麗奈はただ、“家族”として“友達”として好きなんだ
早川みたいな好きとは全然違う
「麗奈は……今はただの“家族”だよ……そうとしか思えない」
父さんはそんな健斗を見て、ふぅっとため息をついた
健斗はまたはっとして、自分が恥ずかしくなった。また言ってしまった。今は……っていう言葉
父さんは顔をばしゃばしゃとして、それからまた言った
「まぁ、だとしても……何でそんなに思い詰めてるんだ?いいじゃないか別に。あんなに可愛い子に好かれるなんて、そうそうないぞ」
父さんの言うとおりだった。そんなに思い詰めることではない。正直、今は家族だろうが、麗奈はただの“居候”。故に……“他人”だ
女の子が出会った男の子を好きになった。どこにでもあるような、普通の恋なだけ
けど健斗にとっては、そう簡単に考えることなんて出来ない
それに……
「まぁ、他に好きな子でもいるんだろうなー。健斗は」
父さんには本当に驚かされる。そこまで分かっているなんて。父さんは目を見開いて驚いてる健斗を見て、ふと可笑しそうに笑った
「じゃなきゃ、そんなに悩んだりしない」
健斗は俯いて、温泉の中へと顔を隠す。父さんにそのことを見破られていたと言う事実に戸惑いと恥ずかしさを感じたからだ
健斗は顔を上げると、ゆっくりと話した
「……今、同じクラスで、早川結衣っていう女の子……」
「あぁ〜……チヨバァのお孫さんだろう?あの可愛い子か……中学もいっしょだったろう?」
父さんはそう言うと健斗は素直に頷いた
「俺……早川のこと……中学のときからずっと好きで……高校入ってから、早川と仲良くなってきて……だけどまだ、告ってない」
父さんはそれを聞くと納得したように、呆れた顔でため息をついた。
「なるほど……健斗は結衣ちゃんのこと好きなんだけど、麗奈ちゃんは健斗のことが好き。そりゃ、悩むよな」
「しかもそのこと……麗奈、ちゃんと知ってんだぜ?」
健斗がそう言うと、父さんはまた可笑しそうに高らかに笑った
「クハハハハ♪麗奈ちゃんも素直な子だなぁ」
そのことは健斗はあまり意味が分からなかった。けど特に気になどしない
「結衣ちゃんは、健斗のこと好きなのかな?」
父さんにそう言われて、健斗は顔を赤く……まぁ、どうせ元々赤くなってるんだろうけど、とにかく気恥ずかしい思いになって首を横にふった
「い、いや、それはないってっ!……早川も……好きな人いるっちゃいるんだけど……」
「ほ〜……お前も苦労なさってるんだなぁ」
「まぁね……」
父さんは決して早川の好きな人のことを訊いてこようとはしてこなかった
デリカシーがあるというか……
「ねぇ、俺どうしたらいいと思う?」
父さんに健斗は訊ねてみた。すると、父さんは困った顔をした
「そんなこと父さんに訊かれてもなぁ〜……」
父さんの答えに健斗は深くため息をついた
「ふ〜……相談に乗ってやると言っときかながら、役に立たない父さん」
「な、何だよその言い方……」
父さんはタオルで顔をふくと、また可笑しそうに言った
「ははっ。でも、今の健斗を見てたら、父さんも昔のことを思い出すなぁ」
健斗はそれを聞くと、父さんの言う昔のことに少し興味を持った。
「父さんにも青春な日々を送ってた時代があったんだ」
「当たり前だろ?父さんだって、若かった時代があったんだから」
「でも今は、こんなにぶよぶよ三段腹だね」
健斗がそう言いながら、父さんの中性脂肪が溜まったお腹を掴む
「腹を掴むな腹を……」
「父さんはどんな恋愛をしてきたの?母さんと知り合ったのは、高3のときでしょ?」
健斗がそんな風に訊ねると、父さんは昔を思い出すように答えた
「そーだなぁ〜……」
父さんはそう言うと、空を見上げた。今日は天気がいいから、夜空満天に星が見えた
「……父さんが中2のときだったかなぁ……そのとき、同じクラスの女の子に、父さん惚れてたんだ」
健斗はそれを聞いて、微妙に自分の待遇と似ているような気がした
「中学に入ってから、父さんずっとその子のこと好きでさぁ、ある日思い切って告白しようとしてさぁ」
「おぉっ!父さんすげーっ!」
健斗が素直に感心したのは、父さんの告白しようとした、その勇ましい心にだった。健斗には告白なんて、本当に勇気のいるものだ
松本事件の日の放課後、早川に勇気を出して告白しようとしたあのときの緊張を、リアルに覚えている
「で、告白してどうなったの?」
「それがなぁ」
父さんは苦笑した
「その子、父さんが告白する何日か前に彼氏が出来ちゃったんだよ」
「あらら……父さんドンマイだねぇ〜」
健斗がそう言うと、父さんは可笑しそうに笑った
「カッカッカッカ♪本当にドンマイだったよ。あんときの父さんは」
「父さん、落ち込んだでしょ」
「落ち込んだどころじゃなかったぞ。たった何日か前に、もっと早く告ってればこんな想いをせずに済んだのにってな。告って散るならまだ踏ん張りはきくけど、想いを伝えないままその子のこと見てると、すごく切なくて……苦しかったなぁ」
健斗は黙り込んだ。何故黙り込んだのかと言うと、そう言った父さんの表情がすごく寂しく見えたからだった
昔の懐かしい記憶を思い出す父さんの表情の中で、一番悲しげな表情だった
「父さん、帰り道とかでユーミンの曲ばかり聞いてさ。ずっと泣いてたよ、ハハ♪」
「ユーミン……かぁ。俺、ユーミンの曲よく知らねーもん」
「世代が違うからさぁ。父さんにとって、ユーミンの曲は失恋のときに一番身に染みた曲だったんだぞ」
「ふ〜ん……で、父さんの中2の甘い恋の青春は儚く終わったと」
「いやそれがさぁ」
まだ続きがあるような言い草をしてきた。父さんは笑いながら話の続きをした
「そんな傷心中の父さんを励ましてくれた人がいたんだ。空手部のマネージャーの子で、すごく仲の良かった……そうだなぁ、今の健斗と麗奈ちゃんみたいな関係かな?」
今の健斗と麗奈みたいな関係?本人はそう言われても、あまりピンと来なかった
「励ましって言ってもそんな優しいもんじゃない。それどころか、“いつまでクヨクヨしてんだ、このダメ男”“空手は強いくせに、女には弱いのかっ”って感じ。きっついやつだったなぁ」
健斗はそれを聞いて、苦笑しながら呟いた
「かなりの毒舌だなその人……性格きつそう……」
健斗がそんなこと言うと、また父さんは吹き出して笑った
「アッハハハハハ♪そんとおり、本当に性格のきっつい女だったよ。帰り、そいつといっつも帰っててさ、その度喧嘩して……クックック♪」
そんな風に笑いながら、楽しそうに話す父さんを健斗は複雑な思いで見つめていた
「毒舌で、きっついことばかりいうやつだったけど……今思えば、落ち込んでる父さんを励ましたかったのかもな」
「……ふぅ〜ん……」
「でさ、そいつと話してると、次第に父さん……その好きだった女の子のことなんかどうでもよくなってたわけだ」
「えぇっ!……父さん、軽い気持ちだったんじゃねーの?」
「違う違う。本当にその子のこと好きだったんだけど……何ていうかなぁその〜……そいつと話してると、いつまでもクヨクヨしてる自分が本当に情けないような気がして、いつの間にか元気を取り戻していたんだ」
「ふぅ〜ん……」
「チャンスなんて、また幾らでもある。そのときに今度こそ、告ろうって」
「ふぅ〜ん……」
健斗がそう言うと、父さんはゆっくり笑いながら首を横に振った
「……でさぁ、中2の冬に……父さんのことを励ましてくれた人が、引っ越しちまったんだ」
「えぇっ?どこにぃっ?」
「さぁな。どこに引っ越すのかなんか聞かなかったし……いや、
聞きたくなかったのかもな……中2の冬が最後で、そいつとはもう会ってないよ。今頃どこで何してるんだろーなぁ」
「寂しかった?」
「そりゃ寂しかったさ。もう帰りにきっついことを言ってくれるやつがいなくなったんだから……何て言うかなぁ?喪失感ってやつ」
父さんはふぅっと小さくため息を吐いた
「……そのあとな、父さん……好きだった子が彼氏と別れたって言う話を聞いたんだ」
「おぉっ!父さんチャンス到来じゃんっ?もちろん、告ったよな」
健斗がそう言うと、父さんは首をまた横な振った
「いいや……まったくそんな気にはならなかった」
父さんの返ってきた意外な答えに、健斗は少し驚いた
「何で?父さんその人のことずっと好きだったんでしょ?」
健斗がそう訊くと、父さんはゆっくりと首を傾げた
「何でかなぁ〜?父さんにとっちゃ、もうその人のことなんてどうでもよくって……引っ越しちまったそいつの方が気にかかってたから」
父さんはそう言うと、またため息をついた
「無くしてから気付くんだなぁ〜人間ってやつは……“本当に大切な人”のことをさ」
健斗は何も言えず、そんな風に言って夜空を見上げる父さんに素直に感動した
「……父さん、その人のこと好きになったんだな。多分……その人も」
父さんはそう言われると、照れくさそうに苦笑した
「まぁ……な。何で気づかないんだろーな?いなくなるまで」
健斗は何も言えなかった。そういうものなのだ。人間ってやつは……
「みんなそうさ……いつもいっしょにいて、ずっといっしょにいて、相手のことを全部分かっているつもりでも……本当は気づいてないんだ。その人がどんだけ大切なのかってことをさ」
健斗はその言葉がどれだけ胸に残ったか、本当に感動していた。父さんの言うとおりだと思う
人間は、大切な人の大切さに気づけない
「父さん……」
「ん?」
「男って……辛いね」
「……まぁな」
そう言うと、父さんは大きく息を吸った
「でも父さんは、今が一番幸せさ」
「……何で?」
父さんにそう訊くと、父さんは笑って答えた
「家族がいるからに決まってるだろ?」
と言ってから、父さんは目をゆっくりと瞑った
「母さんがいて、健斗がいて、麗奈ちゃんがいて、ゴンタもいて、みんなで笑って飯を食う。みんなで笑って話をする。みんなで笑って毎日を過ごす。みんなで笑って……なんて、普通のことに思えるけど、父さんは実はそれを味わえることが一番幸せなんだと思うなぁ」
健斗はその父さんの言葉に素直に頷いた。その言葉には深い意味など存在しない……そう、父さんがいう本当の幸せって、まさにそのことを言うのだ
健斗は素直に父さんを見直した。いつも呑気な父さんだけど、このとき恥ずかしながら、自分は父さんの息子で本当に良かったと感じた
父さんがカッコいいと素直に感じた
「さぁて、父さんはサウナに入って、このブヨブヨに溜まった中性脂肪を落としてくるかな……」
と言いながら、父さんは自分の三段腹をブヨブヨと触った
「無駄な努力ご苦労様です」
「このやろ〜……どうだ?お前もいっしょに入るか?」
「俺いいや。あと百数えたらもう上がる」
「そっか。じゃあ父さんは、一人でサウナに入ろウナ〜。なんちゃって♪ワッハハハハハ♪」
父さんはそう笑いながら、露天風呂から上がり室内のサウナへと足を進めた
「……今のギャグのつもりか?あのオヤジ……」
健斗は呆れながらも、急に身震いがした
「……やっぱり百二十にしよう……」
そう呟いてから、健斗は深くため息をつき、温泉の中で潜った
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