視線の向く先
高見は倉橋が好きだ。
風間は確信を持って、そう言える。
高見はクラスの中でもおとなしい方の女子で、クラスの中では特に目立つ存在ではない。
けれど、妙に目に付く。多分、高見がいつも休み時間に、授業中に、ずっと倉橋を目で追っているせいだ。
それに、高見はふとした瞬間に、とろけるような甘い笑顔を浮かべる。高見が特別な笑顔を浮かべるのは、倉橋が何かしているのを見つめている時ばかりだと気付いたのはいつだったか。
そして、ちょっとしたきっかけがあると、高見は倉橋に必死で話しかけている。例えば、先生に頼まれて、プリントを集める時は、事務的な会話しかしないのに、すごく緊張した顔で、「よし」と拳を握って気合いを入れてから話しかけるのだ。
おまけに、回収した倉橋のプリントを見つめて、にへっと笑う。時々、文字を指でなぞって、顔を赤らめている。慌てて表情を戻してもバレバレだ。
とにかく、高見の感情はわかりやすい。
ものすごくわかりやすい。
放課後、風間は先生から職員室へと呼びだされた。成績の低下を嘆かれ、部活禁止にするぞ、と脅され、いつも通りに風間は「中間試験は頑張ります」と約束する。あまり守られたためしがない約束だが、先生は仕方なさそうな溜息を吐いて、解放してくれた。
部活には完全に遅刻だな、と思いながら、風間は荷物を取りに教室へと戻る。階段を一段飛ばしで駆け上がり、弾んだ息を整えながら早足で教室へと入った。
オレンジに光る教室の中にふわりと白のカーテンが揺れた。
グラウンドの笑い声や話し声、音楽室での吹奏楽部が練習している曲が聞こえてくるほど、教室は静かだ。誰もいないと早合点するほどに静かだった教室の窓際の、風間の席に、一人の女子生徒が座っているのが見えた。
一番グラウンドが見やすい特等席に、こちらに背を向けて座っている。
顔を見るまでもなく、風間にはわかる。
窓枠に肘をついて、じっと外を、下の方を見ているのは、高見だ。
何となく、静かなその世界を壊したくなくて、足音を忍ばせて、風間も窓際へと向かった。
大きく開け放たれた窓からは夕方になって少し涼しくなってきた風が吹き込んできて心地良い。高見の柔らかそうな細い髪が風に遊ばれるが、本人は全く気にならないのか、髪を押さえようとも、窓を閉めようともしない。
ただただ無言で高見が見ているのは、いつもと同じ。夕暮れのグラウンドで倉橋が笑いながらサッカーをしている姿が見えた。
倉橋がボールを取ったら、高見は嬉しそうに目を細めて、ボールが誰かに取られたら唇を尖らせる。風間がいることにも気付かずに、あからさまな感情を視線に乗せて、倉橋を見ていた。
「……告白しねぇの?」
風間の口が勝手に動いた。言うつもりなんてなかったのに、ポロリとそんな言葉が出た。
「えっ!?」
自分以外の者がいると思っていなかったのか、高見は飛び上るように驚いて振り向く。零れそうなほどに大きく目を見開き、風間を見上げた。パニックを起こしたように目をきょどきょどとさせて、辺りを見回し、口をはくはくと開け閉めする。
「な、なんで? 何言って……え?」
「状況、変わるかもしれねぇじゃん」
風間はそう言いながら、視線をグラウンドのサッカー部の方へと向けた。そこにはゴールを決めて、仲間達とはしゃぎ合う倉橋の姿がある。
風間の視線を追った高見は、想いを向ける先を完全に知られていることを理解して、耳朶まで真っ赤に染めた。恥ずかしさに目を潤ませて、風間を見上げる。
「なんで風間くんが知ってるの!?」
「バレバレ」
「うそっ!?」
なんと高見はあれほどわかりやすいのに、周囲に気持ちを知られていないつもりだったらしい。
両手で顔を押さえながら、「あー」とか「うー」とか唸っていた高見が、椅子の上で足を抱えて、膝に額を押し付けた。
そのまま動かない高見のつむじを見下ろしながら、風間はもう一度聞く。
「……で、告白しねぇの?」
「しない」
「なんで? 言わなきゃ状況は変わらねぇぞ」
むっとしたように唇を尖らせて、泣きそうに眉を寄せて俯き気味に、高見はやや早口で答えた。
「状況が変わるのが怖いから。……だから、言わない」
「ふーん、そっか」
高見から一応の答えが返ってきたことに満足して、風間は窓枠から手を離した。自分の机の横に引っかけている部活用の荷物を手に、踵を返す。
次の瞬間、くっと風間の制服が引っ張られた。振り返ると、高見は今にも泣きそうな、必死の顔で風間を見上げてくる。
「い、言わないでね」
「何を?」
「……その、わたしが……好きな人のこと……」
「言わねぇよ。わざわざ言わなくても見りゃわかる」
別にそんなことを言いふらしたところで、ちっとも面白くない。
だが、そんな言葉は信用できない、とでも言うように、高見は唇を尖らせて、風間を見ていた。
その日から、高見はあまり倉橋を見なくなった。倉橋を見た後、ハッとしたように風間の方を見て、慌てて視線を逸らすようになってしまったのだ。
休み時間、授業中、高見が倉橋を見ている時間が目に見えて減っていく。それと同時に、楽しそうな笑顔も減ってしまった。
悪いことしたなぁ、と風間は思う。
高見の、あの楽しそうで、幸せそうな時間を奪うつもりはなかったのだ。
キーンコーンカーンコーン……
チャイムの音と共に教室を飛び出して、風間は食堂へと駆けだした。今日の昼休みは部活仲間で集まって食べる約束になっている。昼休みは戦争だ。なるべく早く行って、席を確保しなければならない。
「お、さすが風間。早いな」
「よし、早く食おうぜ」
無事に席を確保した頃には食堂は賑わい、ガヤガヤと騒がしくなってきた。約束した仲間達も集合し、それぞれに食べながら、週末の試合についての話をする。
試合の話が途切れて、一瞬の空白ができた時、日替わり定食を勢いよく食べていた山田が、不意に思い出したような声を出した。
「風間さぁ……」
「うん?」
風間は衣ばかりが厚くて、肉が薄いトンカツにかぶりつきながら、山田の方に視線だけを向けて、先を促す。
ゴクゴクと水を飲んだ山田がトンとコップを置いて、風間を見た。そして、何ということもない軽い口調で言う。
「そろそろ告白すれば?」
「……告白?」
突然の山田の言葉に風間はこてりと首を傾げる。脈絡がなくて、山田が一体何を言っているのかわからない。
「誰が誰に?」
「風間が高見に」
「なんで?」
心当たりが全くない。
高見に余計なことを言ってしまった謝罪をした方がいいかな、とは思っている。だが、告白とは何だ。
風間が眉を寄せて山田を見れば、山田も訝しげに眉を寄せている。一緒に食べている仲間が皆、不可解そうな顔をしていた。
「なんでって、バレバレじゃん。話しかけようとしたら、風間は休み時間も授業中もずっと高見を目で追っているし、高見を見ている時の締まらない顔を見たら、誰だってわかるって」
山田は呆れたようにそう言って、軽く肩を竦める。
「ずっと高見のことを見てるし、目が合っても逸らさないから、最近は高見の方が困ったように逸らしてるじゃん。高見が他の男と話していたら、割って入るように話に加わるし、虎視眈々と話をする機会をうかがってるんだから、ものすごくわかりやす……って、何、その顔? まさか、無自覚、とか!?」
そのまさかだった。
山田に事細かに指摘される今の今まで、風間には自覚などなかった。
「山田! 声、でかい!」
それほどでかい声ではなかったし、でかい声で話をしていても周囲の喧騒に掻き消されるような食堂の中だが、風間は話を打ち切りたくて山田を睨んだ。
「マジ? マジで自覚なし?」
山田だけではなく、周囲の仲間まで目を丸くして風間を見ていた。
視線が痛いほどに突き刺さってくるのを感じて、風間は自分の顔が熱くなっているのを感じる。一緒に昼食を食べていた同じ部活の仲間達が「うはぁ」と驚いたような声を出しつつ、ニヤニヤと笑っているのを見れば、周囲には共通認識ができあがっているのは、一目瞭然だ。
高見をそれほど見ていた自覚など、風間には全くなかった。まさか周囲にそのように見られていたなんて。
山田に指摘されなかったら、多分、風間はずっと気付かなかった。
「……で、告白は? 最近、高見もこっち見ているし、状況、変わるかもしれないじゃん」
「できるか!」
反射的に風間が怒鳴ると、山田が軽く眉を上げた。
「ふーん、あっ、そう」
どうでも良さそうに呟いた山田が立ち上がり、食器を返却しに向かう。
指摘されるまで自分の気持ちにさえ気付かなかった鈍い風間をからかうように、山田のスカートが揺れた。