王子様の呪い
王子様に愛を囁かれた人は幸せなのかな。
例えばその相手がお姫様だったらとても幸せなハッピーエンドのお話だと思う。
でも相手が下働きの人間だったら?神に全てを捧げた修道女だったら?結婚している人妻だったら?
心に想い人がいる恋する乙女だったら?その囁きに答えた瞬間にたくさんのものを失うと思うんだ。
それらのものを失ってまで手に入れるほど王子様の愛は素晴らしいことなのかな。
わたしには解らないな。でもその想いを断っても失うものが多いんじゃないかな。だって”王子様”の告白を断るんだよ?その先に幸せな未来なんて想像できる?結局どちらを選んでも幸せになれないのなら諦めるしかないと思うんだよね。断って責められ続ける人生も受け入れて罪に苛まれ続ける人生も嫌。
だから、わたしは”わたしらしく生きる事”を諦めた。誇りも優しさも怒りも過去も夢も想いも全部全部捨てた。そうして未来を与えたの。わたしから全てを奪った男にわたしの未来をあげる事で男を一生愛さない事を正当化した。それがわたしの最初で最期の恋で愛だった。
「ちぃにはやっぱりこの色が似合うね。白い肌にとってもあってる」
わたしの足を持ち上げ毒々しい程の赤色に染まった爪を愛おしげに見た男は塗ったばかりのマニュキュアに気をつけながら自然の流れとでも言うように自分の唇を寄せ口づけを落としていく。指の付け根から始まったそれは徐々に上がっていき足首の所まで来たところで、まだ塗られてないもう片方の足で男の体を突き放す。勢いよく蹴りつけたのに男は僅かにバランスを崩しただけでもわたしの足をけして落とさず残念そうにそっと地面に下ろした。
「はやくもう片方も塗って。いつまでも出かけられないよ」
わたしは男の方は見ずにソファに深く腰掛けたまま雑誌をめくる。あ、この服カワイイ。でも高いな。
女子中学生舐めてるわ。お小遣いいくらだと思ってるんだろ、何カ月分だよ。雑誌に集中してると膝に重みを感じてその重さに不快感を示しながら雑誌をずらして自分の膝に目をやる。其処には人の膝に顎を乗せニコニコと笑顔でこちらを見る男の姿。
「なに?つーか、続きは?」
「やっぱり、お出かけやめよう?ちぃのこんなカワイイ姿他の人が見るなんて嫌だもん」
「はぁ?片足だけとか嫌だよ。別に出かけなくてもいいから塗って」
「じゃあ、俺の事見て。ちぃ、さっきから雑誌見てばっかりで俺の事見てくれない」
美しい顔が子供が駄々をこねた時のような不満顔に変化しわたしの服をぎゅ、っと握りしめ薄らと涙目になる。その様子に全く心が動かされる事はなかったけど後で面倒になるのはゴメンだと雑誌を閉じて横に置く。そうすると、ぱぁ、と笑顔に戻り再びわたしの足にマニュキュアを塗る行為を再開させた。
あぁ、ほんと、めんどうな男だ。それにしても中学3年生の14歳に似合う色が血のような赤ってどうなんだろ。其処はピンクとかオレンジじゃないのかな。
「アヤ。なんで赤なの?」
「ちぃに一番似合うから」
「・・・・・びみょーな答えどーも。喜んでいいのか悩むとこだけど」
「なんで?ちぃには赤がとっても似合うよ?赤が一番ちぃの美しさを引き出してくれる。他の色は駄目。
ちぃの美しさを邪魔しかしない。そんなものちぃが身につけたらちぃが汚れちゃうでしょう?」
「・・・・・・あんたは赤が似合わないよね」
「当然だよ!赤はちぃの色なんだから、ちぃ以外に似合うわけないんだから!!!」
”それって刷り込みだよなぁ”なーんて口には出さずに心の中で呟く。赤=血。ほんと単純な話だよね。
わたしにとっては生きるか死ぬかぐらいの事だったのにアヤの中じゃどんだけ神聖化してるんだろ。思えばあれからだよなー、アヤがわたしに赤を進めるようになったの。自業自得ってことか・・・・・・・。
過去の自分に言ってやりたい。『その選択は困った未来につながるぞ』と。
わたし、柊千世は現在14歳の中学3年生だ。サラリーマンの父親と専業主婦の母親、6歳上の姉の4人家族で何処にでもいる普通の一般人。そしてアヤこと柚木彩人は現在24歳の会社員。一代で会社を興した起業家の父親と美容室を経営するオシャレな母親、6歳年下の弟の4人家族で少女漫画の王子様設定な選ばれし人。そんな柊家と柚木家は家族ぐるみでお付き合いをしているとても仲が良い御近所さんだ。階級があきらかに違うのに何故か2家族はとても仲が良く家族旅行も一緒にいくぐらいディープな関係を築いている(旅行費は向こう持ちだけど)
わたしの家族で一番良識的な姉曰く『うちの両親も柚木のおじさんおばさんも一般的な感覚を持ち合わせていないからよ』で柚木家で一番良識的なアヤの弟曰く『うちの両親は殴りたくなるくらいおかしいけど柊のおじさんおばさんは殴る事すら意味がないと思わせるくらいおかしいよね』らしい。
そんな2人は口を揃えてこう言う。
『『一番おかしいのは千世(兄貴)達だけど』』と。なんて失礼なんだろう。
アヤは家柄が良いだけではなく容姿も頭の良さも運動神経もとにかく全てがトップクラスだった。そのため中学・高校と生徒会長を務めあげ街を歩けば芸能人にスカウトされ、告白は毎日という学生人生を送ってきた。人によってはバラ色の人生というやつだ。もはや次元が違いすぎて妬まれることすらなかったらしいが。話しておいてなんだけど、わたしはアヤのこの頃の事はあまり知らない。今話した事も姉と弟君から聞いただけだし。だってわたしとアヤの年齢差は10歳。バラ色人生を理解できる脳はまだなかったから中学生になって初めてこの話を聞いた時はドン引きした。真剣に”怖いわ!!”と思ったのだ。
一方のわたしは何の事件もなく普通に小学校を卒業し普通の中学に入学し中学1年生の10月。自分の13歳の誕生日に自分の手首を切るという自殺未遂をうっかり起こした程度の一般人である。
今でもあの日の事は覚えている。自分の手首にカッターを当てて震えながら、死にたくないと訴えながらそれでもそれしかないと刃を引いたのだ。
わたしはアヤが怖かった。アヤから逃げたかった。アヤをわたしから解放したかった。だから死ぬしかなかった。
結果としては見事に失敗した。血だらけで泣きじゃくっているわたしを見てアヤは微笑んでこう言った。
『とっても綺麗だ・・・・。ちぃには赤がとても似合う』と。
茫然とするわたしは学校から帰ってきた姉によってすぐに病院に運ばれ手当てを受けた。
姉は怒って悲しんで泣いて、そしてわたしに謝った。ごめんね、ごめんね、と泣きながら、それでも
死なないで、死なないでと訴え続ける姉にわたしは何も言えなかった。駆けつけた弟君はアヤに殴りかかり、やはり姉と同じように泣きながらわたしに謝った。ごめん、ごめん、と。そして”逃げろ”と真剣に言ってくれた。頷く姉と不思議そうなアヤ、懇願する弟君。それらを見つめてわたしは笑った。
そして呟いた。『もうむりだよ』と。
アヤは言う。産まれたわたしを見て運命だと思ったと。この子のために俺は生きて死ぬんだって。
この子は俺の神様。俺だけの神様。だから神様の願いは何でも叶えてあげないとって。
それを聞いた4人の大人はとても喜んで同じ事を思った。”将来2人を結婚させましょう”と。
私は産まれた瞬間に王子様の婚約者になった。そしてそれはけして破棄できない重い呪いになる。
「そうだ、もうすぐ誕生日だね。今年のプレゼントは何がいい?15歳だもんね。何がいいかなー」
「去年くれた洋服のお店は好きだよ」
「でも、あそこの服はいっぱい持ってるでしょう?ちぃにはもっと似合う物いっぱいあるから今年は別の お店にしょうかな。アクセサリーもいいよね。ピアスはまだ駄目だからイヤリングかなぁ。
指輪はいっぱい持ってるしネックレスはちぃ苦手だもんね」
「あ、こないだお姉ちゃんが持ってたブーツ可愛かったなぁ。あんなの欲しいかも」
「ブーツ・・・・。後で聞いてみないと」
アヤと姉はほとんど接点がないから知りもしないだろうな。でもあれはかわいかった。傍から見ればずうずうしい子供だけど欲しいものを言わないとアヤはあり得ない量のプレゼントをくれるから困る。お金持ちの感覚は理解できないし中学生が高級ブランドの服や靴、鞄、アクセサリーなど何十点も貰って喜ぶと思ってるのが怖い。去年は其処まで高くないお店でフルコーディネートしてもらって終わり。それも相当な額だと思うけど安すぎると不満らしく何件も連れて行かれるからね。大人になったらランクアップするんだろうと思うと今から気が重い。わたしからのプレゼントは中学生のお小遣いから買ってる安物なのにね。
「やっと15歳か。あと、1年。あと1年の我慢だね」
「そうだね」
「もう準備はしてるんだよ。ちぃの好みは解ってるから安心してね。でも最終的にはちぃが全部決めてい いんだからね?俺はちぃの選択肢を増やしてるだけだもん」
「アヤのセンスに不満はないよ」
「楽しみだなぁ。後1年、そうすれば俺は完全にちぃのものになれるんだ」
ソファに上がりわたしを簡単に持ち上げ自分の膝に乗せ向かい合わされてぎゅっと抱きしめられる。幸せだと全身で告げられて、でもわたしはその背に腕は回さない。ただ、落ちないようにアヤのシャツを掴むだけ。
「愛してる、大好き、ちぃが好き。おれのちぃ、俺だけのちぃ。あいしてる」
「わかってるよ」
「幸せだね。早く一緒に暮らしたいな。そうすればもっと幸せになれるのに」
16歳の誕生日の日にわたしはアヤと結婚する。式場はもう予約済みで新居も決定してる。ドレスも作らせて何もかも準備万端だ。婚姻届はすでに記入済み。結婚式の前に2人で出しに行く事が確定している。
アヤは幸せの真っただ中にいる。両親もアヤの両親も喜んでいる。
姉は出席しないとわたしに言った。そんな結婚見たくもない、絶対に認めない人間が此処に1人いることを行動で示してやると。
弟君は出席するとわたしに言った。そんな結婚止めさせたい、それが出来ないから自分の罪をこの目に焼きつけると。一生背負って生きていくからと。
高校には行けない。アヤが嫌だと言って両親も専業主婦になればいいと受験することすら認められなかった。友達は式に呼ばない。アヤが嫌がるから仲のいい子は作らなかったから。
「ずっと一緒だよ。死んでも一緒。ね、ちぃ」
「そうだね。そうだろうね、アヤ」
胸の奥で育つ憎しみは時折アヤに向けられる。それでもアヤは笑う。わたしが殴っても罵っても幸せだと笑う。わたしが何をしてもアヤは幸せなんだ。そのたびにわたしは絶望して諦めていく。
いつか、この憎しみすら消えてしまうのかもしれない。それでもわたしがアヤを愛する事は一生こない。
好きだよ、でも愛してない。愛せない、愛さない。
そんなもの生まれないんだよ、アヤ。箱庭に閉じ込められる日が来てアヤしか見れなくなってもわたしはアヤを愛さない。それがわたしの精一杯の復讐で抵抗だから。