狐者異(こわい)
「私にも一口ちょうだい」
遅めの夕食を一人とっていると風呂上がりのユミコが言った。
「お前はもう食べたあとじゃないのか」
「なんだか、あなたが食べてるの見たらお腹すいちゃって」ユミコはそう言うと私の皿から肉じゃがをひょいとつまんだ。「やっぱり、今日の肉じゃがは美味しいわ」
「手でつまむんじゃない。少し分けるから箸くらいもってこい」はーい、とユミコは台所へ箸を取りに行った。「こんな時間に食べると俺みたいに太るぞ」
「あら、大丈夫よ、私は。あなたと違って今日もスーパーまで自転車で買い物に行っているから」
ユミコと結婚して二年、私の体重は年三キロのペースで増えている。一方でユミコも私ほどではないが太ってきているように見える。少なくとも結婚した当初はもっとクビレがあった。
「じゃ遠慮なく」そう言うとユミコは私の肉じゃがを半分ほど小皿に奪っていった。「あなたのダイエットに協力しているのよ」
「昨日もそう言って食べてなかったか」
「そう? そっちのタコの酢の物も一口欲しいな」肉じゃがの味に飽きたのだろう、私は酢の物の入った小鉢をユミコの前に置いてやった。「味の濃いもののあとは、酸っぱい物が美味しいわ」
「あれ、お味噌変えた?」
味噌汁の味がいつもと違う感じがした。
「あっ、わかる? 佐藤さんの奥さんに教わったの。ほんの少しみりんを入れるのが秘訣ですって」ユミコは時より近所の奥さん連中から料理を教わってくる。中には驚くぐらいに不味い料理もあるが、今回は合格点と言ってよかった。「他にも今日のコロッケはいつもと違うわよ」
自信満々に笑うユミコであったが、私の目にはいつものコロッケとあまり大差ないように見えた。
「それはそれはすごい自信だね。心して食べるよ」確かに衣はサクサクして美味しい。しかし、どことなく酸味があってポテトサラダのような味がした。「何が入っているの」
「マヨネーズ。入れると酸味が加わって油ものでも飽きずに食べられるの」
「へぇ、そうなんだ」
私の好みではなかったのだがそれは言わないことにした。
「あ、そうそう。ちょっと聞いてよ」ユミコが思い出したとばかりに私に迫ってくる。「今日ね。冷蔵庫の中身が調味料以外からっぽになったからスーパーにいったの」
ユミコには在庫管理という感覚がない。新婚の頃、ユミコは大量の食材を買い込んだ挙句に腐らせるという大失敗をしたことがある。そのため、私はできる限り今日使うものだけを買うように言った。それ以来、ユミコはその日の献立分だけ食材を買ってくるようになった。
「何買いに行ったの?」
「肉じゃが用に人参、じゃがいも、しらたきと豚肉、お豆腐にわかめ。あとコロッケつくるからパン粉とひき肉に卵。卵は特売だったからいつもより五十円安かったの」ユミコが指を折りながら答える。「って食材の話じゃないの」
「違うの」私はてっきり何それが安かっただの何が美味しそうだったけど高かったからやめた、という話だと思っていたので驚いた。「なんの話だったの」
「あのね、スーパーでタコとか干し魚とかすごいまとめ買いしているおばさんがいたの。あんなに買い込んで食べられるのかな? 私みたいに腐らせちゃうんじゃないかって見ていたの。そしたら、あまり近所で見かけない派手目な女性が来て」
――そんないっぱい食べられないでしょ? 私がもらってあげる。
「って、おばちゃんの買い物袋から商品盗って帰っちゃった。もう、すごい迫力で私もおばさんも固まっちゃって……。呆然ってああいうのを言うんだね」
「そんな人いるんだね。ユミコも気をつけなよ」
「大丈夫だよ。うちはまとめ買いなんてしないし」
「そうだな……」私はタコの酢の物に手をつける。確かに他の料理が味の濃いものなのでさっぱりして美味しい。「ユミコ、今日は何を買いに行ったんだっけ?」
「えっ、さっき言ったじゃない」ユミコが不貞腐れた顔で私を見る。もう、私の話、ちゃんと聞いてないでしょ、と思っている顔だ。「もう一回言うよ。今晩の夕飯用に人参、じゃがいも、豚肉、お豆腐にわかめ。あとコロッケつくるからパン粉とひき肉に卵。卵は特売だったからいつもより五十円安かったの」
「そうなんだ。じゃーこれは?」
私が食卓に並んだタコの酢の物を指差すとユミコは微笑んだ。
「ごめん、盗ってきちゃった。でも、あなた好きでしょ、タコ」