2―43.再会の約束
静まり返った工場跡。焚き火はすでに火が消えようとしている。
蓼原は、端にまとめられていた廃材を幾つか抱えあげ、一斗缶にくべる。湿気ていた廃材は、やがてじわじわと炎に飲み込まれ、周囲は再びオレンジ色の光に照らされた。
「とりあえず、彼を下まで運ぼう。顔色は良くなったようだが、一刻も早く体を休められる場所に連れて行ったほうが良い」
今まで事の成り行きを見守っていた蓼原が、苑司を背負おうと、身を屈めた、その時だった。
「待て!」
何かの気配に気づいた哭士が短く叫び、素早く上を見上げた。全員に緊張が走る。
それとほぼ同時に、大きな穴が開いた工場の屋根から、大きな塊が落下してきた。
全員が身構える。
ドサリ、という重い響きと、そして僅かに聞こえたうめき声。
哭士の目は、それを捉えた瞬間に、大きく見開かれた。
「……友禅……!」
二度と見紛うことの無い、血を分けた自身の兄。
全身は痛々しいほどに切り傷が走り、着衣は元の色が分からぬほどに血と泥で赤黒く染まっている。
地面に両腕をつき、体を持ち上げようとするが、既に体は自由に動かないらしい。力なく崩れ落ち、色の違う両目が弱弱しく哭士を映す。
「……取那が……」
息も絶え絶え、放った言葉に、哭士は眉をひそめた。
「何だと」
哭士が友禅の傍らにしゃがみこんだ。
「只者では無い……気をつけて、下さい……」
蚊の鳴くような細い声で、友禅は哭士に訴える。
負った傷が体に響くらしい、息を大きく吸うたびに走る痛みを、必死に堪えているようだ。
「……一体、何が起きたというのだ」
「おそろいのようですね」
聞きなれない声が、建物内に響き、哭士は声の方向に視線を投げた。
工場跡は、二階部分が吹き抜けのようになっている。二階部分に姿を現したのは、若い男女が一人ずつと、そして色把と同じ顔の少女、取那だった。
「友禅!」
傷ついた友禅を見つけ、後ろ手に縛られた取那が叫ぶ。その様子に、若い女が振り返り取那の口に布を当てる。必死に抵抗する取那であったが、両手が自由に利かない状態では、その目論見は無駄なものに終わる。
「お久しぶりですね、早池峰様」
栗色の髪、整った顔をした青年が、哭士に向かって静かに微笑む。青年は、胸に手のひらを当てると、一度、哭士に向かって頭を下げた。
「誰だ、貴様」
哭士には見覚えの無い男だった。男は、哭士の言葉を待っていましたとばかりに楽しげな表情を浮かべる。
「……忘れてしまったのですか? 本家であの夜、またお会いしましょうと約束をしたばかりではないですか」
青年の浮かべた笑みが、本家で見たある一人の人物と重なる。栗色の髪、そして自信に溢れた双眸。
――また、会いましょう。早池峰様
月明かりに照らされた堂の中で、その人物は同じように静かに笑んでいた。
「……レキ……?」
思わず哭士は一人の人物の名を口にした。
哭士が出会ったレキという人物はどう見ても十二歳程の子供だった。今、自身の目の前に立っているのは、二十歳を超えた青年である。
だが、本家で見たレキの姿が、何故かぴったりと、目の前の青年と重なった。
青年の笑みは崩れない。そして、ゆっくりと哭士の問いに首を縦に振った。
「以前の姿の方が、お気に召しましたでしょうか?」
青年が目を瞑り、ゆっくりと息を吐き出す。すると、ほっそりと背の高い青年の姿は見る見る縮んでゆく。身を包んでいた衣服の布が余り、顔立ちが丸く、幼くなっていく。やがて青年は、本家で出会った、『子供のレキ』の姿に変貌を遂げた。
『子供のレキ』は、身体に合わなくなってしまった大人の衣服に包まれたまま、眉を下げて言い放った。
「早池峰様、……僕のこと、忘れてしまわれたんですか?」
声も子供特有の甲高い声になり、びくびくした佇まいで哭士を見つめる。
「本家での演技、なかなかのものでしたでしょう?」
怯えの表情を浮かべていたのもつかの間、レキは瞬く間に子供の姿から成長し、青年の姿に戻った。乱れた襟を正し、息を小さく吐き出した。
哭士の驚愕の表情を、楽しんでいるようだ。
「……それが、お前の能力なのか」
姿を変えられる能力であれば、先に自宅で見たシイナのものとさほど変わりは無い。哭士はレキを睨み付ける。
「いいえ、これは私のみに与えられた『力』。狗鬼の能力とは全く異なります」
小さく首を振るレキ。哭士ら全員を一瞥すると、レキは静かに語りだした。
「さて、本題に入りましょう。この取那という少女は、私達にとっての重要な存在。……そちらにおわす、色把様よりも……。そんな重要なお方を、そこに転がっている御方が、大事に大事に隠していらっしゃった」
レキは順に取那、色把、友禅に視線を投げかける。体の自由が利かない友禅は、観念したように目を閉じた。
「私たち保守派は、この少女を探し続けていました。大人しくこの少女を私共に引き渡して頂けるのであれば、貴方達は怪我をすることなく無事に帰ることが出来ます」
レキは、哭士らを見渡す。レキの目に見つめられた狗鬼達は、彼を睨み返し、その場で構えた。その様子にレキはにやりと笑みを浮かべる。
「やはり、タダでは帰しては頂けないようだ。……絡音」
「はい」
レキは背後の女に声をかける。すらりとした女が、一歩前に歩み出た。
「この方たちのお相手を」
「かしこまりました」
長い睫毛の目が、ちらりとレキを見つめると、絡音と呼ばれた女は、哭士らの前に飛び降りた。胸元が大きく開いた衣服を纏い、赤い口紅が目を引いた。哭士達よりも歳は上であろう。
「……女を殴る趣味なんてねえぞ」
ユーリが絡音を見、呟くように言い放つ。
「ご心配なく。貴方達は私に触れることすら出来ず、敗北を味わうことになるでしょう」
哭士は女を睨み付けた。哭士が目を留めたのは女の両手。両手の赤い爪が不規則に動いている。
「哭士、気をつけろ」
菊塵が耳元でつぶやく。
「そちらのお二方は気付いたようね。でも、もう遅いわ」
「貴方たちは、蜘蛛の巣に掛かった獲物同然なのだから」
そう言って絡音は妖艶な笑みを浮かべ、哭士らを見つめるのだった。
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