ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
2―44.フラッシュバック
 哭士は、絡音に飛び掛ろうと腕を引く。
「!!」
 哭士の腕の動きに呼応するようにユーリと菊塵が同時に叫び声を上げた。
 菊塵の腕、そしてユーリの首筋に、一閃の切り傷が走ったのだ。
 そして哭士の腕は何かに強く引っ張られたようになり、腕を振りぬくことは出来なかった。自身の体を包む不自由な感覚に、哭士は逃れようとゆっくりと肩を後ろに引く。
「哭士……! 動くな……!」
 やはり哭士が体を動かすと、二人の体に負荷がかかるらしい、苦しげな表情で菊塵は哭士に訴える。
 菊塵の首や腕には、細い何かが食い込んでいる様子が見える。
 自分の腕を見つめると、無数の細いものが絡み付いている。気づけばそれは腕だけではなく、哭士の体全身に纏わりついていた。
「なんなんだよ、これ……」
 ユーリは自身に纏わりついている物を振り払おうと身じろぐ。すると哭士の左足が強く締め付けられる。ユーリの体も自由に動かなくなっているらしい。苛立たしげな表情を浮かべ、絡音を見やる。
「……糸か」
 哭士、菊塵、ユーリの三人の間で複雑に糸が絡み合い、誰か一人が動くことで互いに傷つけあうようになっているらしい。
「そう、私の糸から逃れられた狗鬼は居ない」
 絡音はゆっくりと両腕を開いた。同時に哭士たちの身体に纏わりついた糸が締め付けられる。

 ちらりと視線を脇に投げると、蓼原と色把も身体が動かなくなっているらしい。傍らの蓼原が必死に身じろいでいるが、色把が苦しんでいる様子は無い。糸が互いに絡んでいるのは、狗鬼の三人だけのようだ。
 哭士は、氷を鋭い刃物のように生成し、上空から落下させようと天井を仰いだ。
「無駄よ。私の糸は、刃物でも切ることは出来ない」
 哭士の思惑は絡音に見透かされているようだ。舌打ちをして、菊塵、ユーリを見やるも、菊塵の能力では、既に身体へ巻きついているものは跳ね返すことは出来ない。ユーリの能力でも、全ての糸を断つ事は出来ないだろう。


 なす術も無く、糸に縛り付けられている哭士たちを見、ゆらりと、絡音が歩み寄る。
「随分、いい男が揃ったものね」
 絡音が哭士の前で立ち止まる。
「貴方、契約が結べない狗鬼なんですってね。あの娘でも、駄目だったのかしら」
 ちらりと色把に目線を寄越し、哭士の頬に触れる絡音。


「!!」
 だが、その手ははじかれた様に、哭士の頬から離れる。
 哭士に差し出していた右手を開くと、絡音の親指から鮮血があふれ出していた。
 鋭い目で哭士を見返す絡音。その哭士の唇の端にも、ほんの少し赤い斑点が付いている。
「……触るな」
 不愉快な表情を崩しもせず、哭士は絡音に言い放った。
 先ほどまで、余裕とも取れる表情を浮かべていた絡音だったが、その哭士の言葉に浮かべていた顔が一変する。
 パシン、という小気味よい音。頬を(はた)かれた哭士はゆっくりと顔を持ち上げた。



「……置かれている立場が分かっていないようね」
 絡音が大きく腕を広げると、哭士たちに絡んでいた糸が更に締まり、三人は身動き一つ取れなくなる。頚部に強く糸が絡んでいる菊塵は苦痛に顔をゆがめた。
 長い睫の目が、色把を捉える。絡音が色把に手招くような動作を向けると、色把の身体はいとも簡単に引っ張られ、哭士の目の前の地面に叩きつけられた。
「色把!」
 地面に着く瞬間に手をつき、大きな怪我は負っていないようだ。だが、突然の事に色把は起き上がれずにいる。
「その、冷徹な顔が、どう歪むのか、楽しみだわ」
 絡音の両手の指が、複雑に動く。
「貴方達は、私の傀儡なのよ」
「!!」
 狗石に操られているように内在的な力とは異なり、外部からかけられる力により、哭士の身体が、意思に反して、前かがみになる。
 糸を引きちぎろうと、力を込めるも、体中に巻きついている糸が哭士の力を分散させ、その力は全て、菊塵とユーリを締め上げるものになってしまう。
「ガ……ッ」
 菊塵の喉の奥から苦痛の声が漏れ出す。

 操られた哭士は、倒れた色把にのしかかる形となり、両腕が、色把の肩に伸びる。
『……!』
 色把は、哭士の腕を掴み逃れようとするが、哭士の強い力には到底敵わない。おびえた表情で、哭士を見上げる。
「早池峰ッ!」
 ユーリが堪らず声を張り上げた。



「レキ様、この者達は全て始末ても良いのかしら?」
 絡音は、二階の吹き抜け部分に立っているレキを見上げる。
「本物の【神】の器が手に入れば問題は無い。お前の好きなように」
 レキはその場にいる全員を一瞥すると、ゆっくりと頷いた。
 その答えに、絡音は満足げな表情を浮かべ、哭士らに振り返った。


「さあ、始めましょう」
 絡音が両腕を伸ばす。
「……!」
 同時に哭士の腕が色把の白い首へと伸び、少しずつ力が込められた。

『哭……士……!』
 色把は必死に哭士の下から逃れようともがいている。しかし、哭士の指は意思とは無関係に、じわじわと狭まっていく。哭士は必死に糸の力に抗う。
 哭士の手の中の細い首は、激しく脈打っている。ほんの少しでも糸の力に負けてしまえば、狗鬼の力ですぐに色把の命がへし折られてしまう。
「……クッ」
 哭士の手の甲は、糸が皮膚に食い込み、痛々しく血が溢れる。その血は、糸を伝い、地面にパタパタと音を立て、染みを作る。
 徐々に締まる色把の首、苦しさから、色把の足が何度か跳ね上がり、哭士の足に当たる。必死に息を吸おうと、色把の口が苦しげに開く。
「指が千切れるわよ」
 絡音の指が、内側に少しずつ折られると、それにつれて哭士の指の糸も強く締まる。その度に糸が食い込み、小さく血しぶきが上がる。
 色把の表情も、苦しげな物となり、哭士の二の腕を掴んでいる色把の爪が、小さく刺さる。頭を小さく揺すり、少しでも逃れようとするが、色把の首は確実に締め付けられていく。
 薄く開いた色把の目が、哭士の視線に重なった。
「や……めろ」
 自身の身体が全くいうことを利かない。締めている首から伝わる鼓動が早くなる。
「止めろ! ……止めろっ!」
 自らの手で、かけがえの無い人物を失いそうになり、哭士は初めて、心の底から叫び声を上げた。




        ※



 色把の頬に、哭士の鮮血が掛かる。
 哭士は自分を守るために、必死に見えない力に戦っているのが分かる。
 だが、それでも、力は弱まることなく、万力のようにギリギリと締められている。

 ひゅう、と、喉の奥から息が漏れだす。
 目の前は赤黒くなり、苦しみから逃れようと、哭士の腕に伸ばしていた手は無意識に力がこもる。

(哭士が、叫んでいる?)
 強い耳鳴り、哭士の声すら、もう聞こえない。
 目もはっきりと物をとらえることが出来ず、自身にのしかかる大きな男の影と、自身の首に伸びる太く、力強い腕だけが、何とか認識が出来る程度だった。


 だが。
 意識が手放される瞬間に、色把の脳裏に、一瞬にして映像浮かび上がる。

――真っ暗な和室。破られた障子。赤い着物。小さな自分の手。荒れ散らかった畳の上。月光。のしかかる男。首にかけられる強い指。笑う男。



 見えている今の状況が、色把の眠っていた記憶と結合し、一瞬にして、膨大な量の映像が色把の脳内をめぐる。
 浮かび上がってきた映像は、野蛮な笑みを浮かべる男が、自身の首を絞めようとしているものだった。
 蘇った記憶の中の男は、狂ったように同じ言葉を繰り返している。

――お前さえ死ねば、お前さえ死ねば、お前さえ死ねば、お前さえ死ねば


『――!』
 色把に張り上げられる声は無い。だが、色把はそのとき確かに、叫んでいた。





        ※




 色把の目が大きく見開かれ、一度だけ大きく身を反らせると、そのままぐったりと色把は気を失ってしまった。
 哭士の腕を掴んでいた手も、一瞬にして緩まり、ずるりと地面に落ちる。
「色把!」
 色把の名を呼ぶ哭士の声が、工場内に響き渡った。

拍手、コメントお待ちしております!