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2―39.焚火の音
 パチ、パチという何かが爆ぜる音で目が覚めた。
 なにやら体が言うことをきかない。うっすらと目を開けても、あまり明るさが感じられない。
 体は芯から冷え、うつぶせになっていた胸は、体をよじると軋みを上げた。
「いてて……」
 床は氷のように冷たく固く、ざらざらとしている。
 少しずつ感覚が戻ってきたところで、苑司は自分の置かれた状況にようやく気づく。


 パチ、パチという爆ぜる音は、錆びた一斗缶に廃材が突っ込まれ、焚き火が炊かれていたからだった。
 自身の両腕は後ろ手に縛られ、冷たいコンクリートの床に投げ出されていた。
「何、ここ!? え! え!」
 頭の中は混乱し、口から出る言葉はほとんど意味を成さない。

「五月蝿いわね、静かに寝て居ればよかったのに」
 女の声が苑司の耳に届く。バタバタともがく足が止まり、苑司の視線が泳ぐ。
「色把……さん?」
 姿は色把そのもの。だが、普段の様子とは全く違う表情を見せるその姿に、苑司は色把であると確信が持てなくなってしまっていた。早池峰家から連れ出されたときから、感じていた違和感が、苑司の中で再燃する。
「色把さんなの?」
 そう訊ねてしまうほど、雰囲気が違うのだ。何より、声を出すことが出来ないはずなのに、強い口調で苑司に語りかけたのだ。

 少女は、焚き火から離れたドラム缶に座り込んでいた。苑司に訊ねられた少女は、一度冷たく笑った。
「本物の色把は、私」
「!?」
 少女の言い放つ言葉を、苑司は飲み込めない。
「あの女は、私から名前を、未来を、全てを奪ったの」
 少女の両の目に、憎しみが宿る。
――全てを、奪った?
 普段見ていた柔和な、言葉を話せない『色把』、彼女が誰かから何かを奪う、というその言葉自体がそぐわない。
 状況が全く把握できない苑司を見かね、少女は口を開いた。
「悔しいけれど、今の私の名前は取那トリナ
 取那は、座っていたドラム缶から音も無く飛び降りると、横たわっている苑司の前にしゃがみこんだ。
「貴方には悪いことをしたわね。巻き込んでしまった。傷つけるつもりは無いから……今は運が悪かったと思ってあきらめて頂戴」
 取那は立ち上がり、顔を上に上げる。工場の廃屋は、天井も朽ちて穴が開き、下弦の月がうっすらと光っている。
「……今夜で全てが片付く。もうすぐここに哭士が来るわ。彼を私のものにして、それでおしまい。貴方も無事に家に帰してあげる」
 苑司は、後ろ手に縛られた状態で体を引きずり、何とか上半身を起こした。



「……哭士君が、誰かの言いなりになるわけ無いよ」
 哭士の、孤高の獣のような人を近づけまいとする普段の様子。たとえ色把と同じ姿をしていようとも、彼を手懐けるなど、出来るわけが無い。
「アンタは、狗石のことを知らないのね。狗石さえ手に入ってしまえば、どんな狗鬼でもいうことを聞く」
 狗石、という聞きなれない言葉。苑司は黙って取那の次の言葉を待った。
「早池峰家の男と契約を結べば、私は早池峰の狗鬼の花嫁として本家に迎え入れられる。……私を見捨てた本家が、間違っていたことを思い知らせてやるわ」
 取那の両こぶしが固く結ばれる。
「哭士が契約を結べないのだって、あの女が偽者だからよ……。本物の本家の籠女である私だったら、彼を解放できる。あの夜だって、あの女が哭士に何かしたに決まってる。今度は哭士の狗石を手に入れて契約を結べば、絶対にうまくいく」
 取那は、苑司に語りかけているものの、その言葉は自身に言い聞かせているようにも取れた。



 ぱちん

 焚き火の廃材が爆ぜる。
 オレンジ色の明かりに照らされた取那の横顔。色把と全く同じ顔立ちをしているのに、彼女が苑司に与える印象は間逆のものだった。
 外から聞こえる木々のざわめきと、焚き火の爆ぜる音のみの空間。


 苑司はゆっくりと息を吸い込んだ。
「僕は、狗鬼とか、籠女とか、そういうのは良く分からないよ。……でも、哭士君を自分のものにして、本家ってところを見返して……それから何が生まれるって言うの? 空しいだけだよ……、こんなことをしたって、絶対に誰かが幸せになるとは思えない。復讐なんて!」
「五月蝿い!」
 取那の声が、苑司の言葉を遮る。
「何で……何でアンタがあいつと同じ事を言うの……!」
 強い口調とは裏腹に、取那が数歩後ずさる。表情は明らかにうろたえ、動揺し、顔を僅かに左右に振っている。
「……私はもう、戻れないのよ。約束された幸せを根こそぎ奪われて……、死ぬより辛い辱めを受け続けて!!……それを、何もしないで忘れるなんて……私には、出来ない……。出来るわけ……ない」







 ざざ


 苑司の耳に、聞き覚えのある嫌な音が届いた。
「今の音……」
 静まり返った廃屋の中で、苑司は周囲を見渡す。
「……影鬼(エイキ)よ」
 取那は自分の調子を取り戻したようだ。ゆっくりと苑司の近くに歩み寄る。
 苑司は、影鬼という言葉に身をこわばらせた。
「大丈夫、籠女の私の気配に近づいてきただけ。明かりの近くにさえ居れば、餌でもない限り襲ってこない」
 取那は、影鬼から身を守るための焚き火の近くに立ったようだ。
「……エサ?」
「籠女の血。影鬼を寄せる芳香を放つ。今、私は怪我をしていない。大丈夫」
 冷たい目で、苑司を見返す取那。だが、苑司の心中には、ざわめきが生じる。
「……まずい、まずいよ……」
 無理だとは分かっていても、自身の両腕を拘束している縄から開放されようと身じろいでしまう。
「僕の体には、今、影鬼って怪物を寄せる薬が掛かってるんだ」
 苑司が話す間にも、耳障りな音は、徐々に近づいてきている。
「何ですって……!」
 取那の表情が瞬時にこわばる。

 今、影鬼を狩れる狗鬼は居ない。身を守れるのは、明かりの近くに居る、ということだけ……。


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