1―6.早池峰家の屋敷
色把に用意された部屋の中には、大方の生活用品が揃えられていた。女物の服さえも、タンス内に用意されていた事に驚いた。一通り部屋内を見終えた為、屋敷の中を歩き回ってみることにした。
広い。右手には、大きな庭。庭園というのだろうか、松の木の下には砂利が敷かれ、池もある。
(こんな大きな屋敷……一体誰のものなんだろう?)
「あらぁ! こんな所にいらしたんですか!!」
張りのある、大きな声が色把に届く。振り返ると、女性が一人立っていた。四十代位だろうか、格好からして菊塵が言っていた女中だろう。
「色把さんですね、私、こちらで家政婦をしてます、筒井 マキと申します。お部屋のお洋服、大きさとか大丈夫だったかしら?」
にこにこと愛想の良い顔が、色把に挨拶する。なるほど、この人が自分の部屋の物を用意してくれたのだ。
「ここの方々、色々難しい方多いでしょう? 急にいらした方は皆さん戸惑われるんですよぉ、何か困った事があったらすぐ仰ってくださいね。特に旦那様のお孫さん、哭士さんなんかはちーーっとも愛想が無いし、にこりともしないから、皆さん、最初は恐がられるんですよねぇ、出されたご飯を残さず食べてくれる辺りだけは、十七歳らしくて可愛いんですけどねぇ……。あら、色把さんご飯は召し上がりました? すぐにでもお作り致しますけど?」
くるくると変わる表情に半ば驚きながら、色把は食事を首を振って断った。しかし、あの哭士が自分と同じ十七歳という方が色把にとっては驚きだった。
(……絶対年上だと思ってた)
色把の思考はどこへやら、マキは喋ることが好きなのだろう。色把に構わず話し続ける。
「ご存知だったかしら? こちらのお屋敷ね、ブリリアントっていう会社の会長、早池峰修造さんのお宅なのよ。今は旦那様、お出かけしていていらっしゃらないんだけどもね。ほらCMでよくやってる薬の会社の……」
そう言って、テレビでよく聞くCMのフレーズまで口ずさみ始めるマキ。
ブリリアント、色把にも聞き覚えがある会社の名前だ。確か、薬品だけでなく、医療器具にも精通している会社だったはずである。そう、菊塵が言っていたアービュータスと同じ規模で、お互い競り合っている印象がある。
「やっぱり、大きな会社の会長さんでしょう? 色々物騒らしくてね、それで孫の哭士さんと、それから秘書の菊塵さんとで警護やってらっしゃるんですよ。旦那様は哭士さんが小さい頃から武道を習わせて、それで今は哭士さん、立派に旦那様のボディガードのお仕事されてるんですよ。お若いのに、頼もしいですよねぇ」
警護……。要人の護衛をする人間が、何故自分を救いにきたのだろうか。
「あらやだ! 私また話し込んじゃって……。ここね、大きい屋敷なのに、旦那様と哭士さんと、たまに来る菊塵さんしかいらっしゃらなくて、男性ばっかりなんですよぅ。お話する相手もいないし、こんな可愛らしいお嬢さんがいらっしゃるとつい……ねぇ。私、そこらへんで洗濯物を干してますから、御用がありましたら呼んでくださいませね」
そう言い残してバタバタと去っていくマキ。いい人だがそそっかしそうだ。
実家の使用人にも、マキに似た人物が居たのをふと思い出す。
今頃どうしているだろう。あの日、色把が連れ去られた日、恐らく屋敷内に居たはずだ。
ガラスが割れる音、微かに悲鳴が聞こえてきたように思える。
あの時を思い出すたび、色把の心がざわりと、どよめく。
見知らぬ家で、見知らぬ人物、色把は日常から遠くはなれた所に来てしまったように思う。
連れ去られて監禁されるなんて、数日前の自分には想像もしていなかった事だ。
和やかな使用人たちの会話、祖母の温かさ、今になってすべてが懐かしい。
(声だけでも、聞けないだろうか)
祖母の声だけでも聞ければ、説明のあった菊塵の言葉が信じられる。そう思い立って、電話を借りようと、先ほどマキが走り去っていった先を探したが、マキは見当たらない。
多分、先ほどの調子で、家中を走り回っているのだろう。屋敷の内部を把握していない色把は、マキを探すのを諦めた。
屋敷内は廊下がひたすら続いている。広いのだ。
用意された自分の部屋に戻ろうと廊下の角を曲がった時、トスンとなにか高いものにぶつかった。色把がよろめく。と同時に腕を掴まれた。
(あ……)
哭士だった。廊下の角で、出会い頭にぶつかってしまったようだ。哭士は色把が転ばないよう、腕を掴んでくれたのだった。色把が体勢を立て直したところで、哭士はゆっくり色把を放す。そういえば、哭士はそのまま口を動かせば、話が通じることを思い出した。自分が一番気になっていること、祖母のことを聞こうと思った。
『菊塵さんとお話されてたんですか?』
「……そうだ」
無口な印象を受けていたが、受け答えには応じてくれるようだった。
『あの、電話で、お婆様の声を聞くことは出来ませんか?』
哭士の右の瞼が少し動いたような気がした。少しの間を空けてから、哭士が答える。
「菊塵から説明があった筈だ。今は待て」
『落ち着かないんです。自分で、本当に大丈夫なのか、確かめたい。電話がダメなら、私、自分で……』
屋敷内の散策は許されているが、外出はまだ許可されていない。了承を得られたらすぐにでも、自宅に戻りたかった。だが、色把の期待に反し、哭士は首を横に振る。
「奴らにも言われただろう、危険だと」
哭士や、昨日の会社内で言われた『危険』という言葉は、いまいち色把には理解できなかった。
『一体何が危険なんですか? 私は今まで普通に生活していただけなのに』
二日前のあのことが無ければ、色把は今もきっと祖母達と実家で平穏に過ごしていたはずである。それを突如として誘拐され、訳もわからぬまま危険だ、危険だと外に出してもらえない。それが色把には不思議でならなかった。まっすぐ色把は哭士を見つめる。言葉に詰まった哭士。
哭士は何か話をしようとした様子だったが、言葉が見つからなかったのだろう、口を閉じ、色把から視線を逸らす。押し黙った哭士に、色把は何かを感じ取る。
『何か、あったんですか?』
色把の問いに、哭士は複雑な表情を浮かべる。
「……とにかく、指示があるまで此処に居ろ」
哭士の眉間に皺がよっている。早く会話を終わらせたい様子だった。その場を立ち去ろうと、哭士が足を踏み出す。
『待って下さい!』
すれ違っていく哭士の袖口を思わず掴んだ。その瞬間だった。
『!!』
哭士の腕に触れた瞬間、電気のような衝撃が体を駆け巡る。
ビルの屋上、飛び降りる景色、暗いビルの廊下、写真を差し出す菊塵。
色把が体験した事が無い映像と声が一瞬のうちに頭の中を駆け巡った。
『うっ……』
今までにない事態と、突然の衝撃に、色把は自分の体を支えられず、哭士の腕を掴んだまま、その場に座り込んだ。
※
急にしゃがみこんでしまった色把、哭士は驚いた顔で、色把を見下ろした。
「おい」
しゃがみこんでからぴくりとも動かなかった色把は、哭士に声を掛けられ、一瞬身を強張らせたが、ゆっくりと顔を上げた。その目には、うっすら涙が浮かんでいる。こういう時に如何すればいいのか、哭士は心得ていない。窮した結果、哭士はその場を動けずにいた。 色把が口を開く。
『……何故、何も教えて頂けないんですか……? 貴方達と私は、何も関係無いはずでしょう? お婆様に会いたいのです……』
祖母が死んでいることは話してはならない、だがこの少女は祖母に会いたいときかない。板ばさみになっているこの状態は、哭士の焦燥を掻き立てるのには充分な材料だった。既に、この少女の護衛を任せた菊塵に、この上ない怒りを感じ始めている。不必要な人間関係は、自分を苛立たせるだけだ。
「……なら、勝手にしろ」
色把が掴んだ袖口を乱暴に振り払う。そのまま色把の横をすり抜け、その場を立ち去った。
背後に感じる少女の気配は、歩みを進めるほどに遠ざかっていく。
彼の鋭い聴覚は、少女のすすり泣く音を捉えていたが、寧ろ哭士はその音を振り切ろうと、屋敷の奥へと消えた。
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