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2―18.神の器
 冷たい風が、色把の横をすり抜けた。菊塵は、僅かな気配に、ゆっくりと後ろに振り返った。
「……どうやら、いらしたようです」
 菊塵の言葉と同時に、背後で靴音。色把も菊塵に倣い、靴音に目を向けた。


「ご足労をおかけいたしましたね」
 色把と菊塵に丁寧に頭を下げる人物。四十代後半位の、上品な女性が立っていた。
 黒いレースの手袋をした細い手には白い百合の花束。
「いいえ、とんでもありません」
 菊塵は、女性に向かってゆっくりと礼をする。色把も続いて女性に頭を下げた。
「色把さん、ですね。本当にお綺麗になられました」
 優しい笑みで、色把に声をかけるこの女性。色把の記憶に、この女性の姿は無かった。
「最後にお会いしたのは、貴女が本当に小さなときでしたから、私のことは覚えていらっしゃらないでしょう」
 色把は、困ったような表情を浮かべ、女性に向け頷いた。

「すいません、先にお参りさせていただいて宜しいでしょうか」
 色把と菊塵は、女性に道を譲る。
 全身を黒い洋服に包む小柄な女性の動向を、色把と菊塵は静かに見守った。
「今日子さんは、百合の花が大好きでしたね」
 墓前に花束を供え、手を合わせた後、静かに女性はつぶやいた。

「自己紹介が遅れて申し訳ございません。私は、桐生きりゅう 彩子さいこと申します」
 彩子は、色把に向き直り、まっすぐに名を名乗った。
『桐生……』
 名を聞き、真っ先に浮かんだのが、町医者の「桐生」だった。色把の様子を察したのだろう、菊塵が色把に説明する。
「この方は、『あの』桐生さんの奥様です。そして、僕たち『革新派』の主幹となるお方です」
「夫の桐生 祥吾しょうご)がお世話になっています」
 深々と頭を下げる女性に、失礼とは思いながらも『あの』桐生は不均衡に思えてしまう。色把の驚いた視線を感じ取ったのだろう、節目がちに彩子は薄く笑みを浮かべた。
「また、狗鬼、狗鬼と追いかけているのでしょう。まったくお恥ずかしいことです」
 が、それもつかの間、彩子は色把にまっすぐ視線を向け、言い放った。
「色把さん、私は……いえ、革新派の代表としてお話ししたいことがあり、こちらにいらしてもらったのです」
 ただならぬ彩子の雰囲気。色把は身を硬くし、次の言葉を待った。




「貴女はすでに【神】についてご存知なのでしょうか?」
 問われた色把は、困惑する。鼎から【神】という単語は聞いている。本家が奉る、狗鬼と籠女を生み出した強大な力を持った【神】。
 だが、贄の箱の中で、【神】の力をもってしても哭士の制約を外す事は出来ないということを知らされた。どこまでが本当のことなのか、色把に判断など出来るわけがなかった。
 困っている様子の色把に、菊塵が助け舟を出す。
「イエス・ノーで答えられなければ、仰ってください。彩子様に貴女の言葉を伝えます」
 色把は菊塵に頷いた。


『本家の当主から、お話がありました。ですが、詳しいことは、何も。わかったのは、【神】にも狗鬼の寿命の制約を外すことが出来ないと言うこと……です』
 色把の唇を読んだ菊塵が、彩子に告げる。彩子は色把の目を見つめながら、菊塵の言葉に頷く。
「本家が『所有』している【神】が、籠女と狗鬼を生み出したということは確かです。そして、影鬼も」
『影鬼……!』
 あの恐ろしい生き物も、同じ【神】から生み出されている、ということなのだろうか。色把の衝撃は計り知れない。
「そう、私たち籠女も、狗鬼も、あの影鬼も、一つの存在、【神】の創造物。その【神】は、まもなく寿命を迎えます」


 ――寿命?
 色把が思う『神様』とは、全てを超越し、恒久的に人々を見守っている、そういうイメージを持っていた。人間や他の生物が持つものと同じく『寿命を迎える』という言葉に、色把は違和感を覚えた。
「およそ百年に一度、【神】は死に、新たに生まれ変わるのです。そして、今また、【神】の生まれ変わりの時が迫っているのです」
 そこで色把は納得をする。生物が一度ずつしか体験しない生と死を繰り返し行い、永い時を生きているのであれば、それもまた『神様』に相応しい存在の仕方だ。色把の顔に浮かんだ表情を見つめ、彩子は続ける。


「【神】の寿命が迫るとき、本家は【神】に贄を差し出します」
 『贄』という言葉、色把の身体にあの夜の恐怖が僅かに蘇ってくる。色把の心中を察したのだろう、彩子は声の調子を僅かに下げた。
「【神】は、百年の間に朽ちた体を再生させるために、若い娘の身体……『器』を欲するのです。身体を挿げ替えながら、何年も……何百年も……」
『そ……んな……!』
 彩子の言葉に色把の体中の血の気が引いていくのが分かった。


 色把の想像していた尊い『神様』の姿は、彩子の言葉により、朽ちかけた女の形をした恐ろしいものへと変化してしまった。
 哭士があの時、助けに来なかったら……百年という永い月日の間、自分の身体が【神】の器として使われることになっていたというのだ。色把の想像の中の女の顔が、自分の顔に変わる……衝撃のあまり、足元がふらつく。菊塵は駆け寄り、色把の肩を支えた。


「今日子さんは、それを察し、懸念していました。【神】の滅する時期がちょうど重なる貴女が、贄にされるのではないか、と」
 祖母のことを話すとき、彩子は遠い目をして言葉を紡ぐ。
『おばあさまが……』
「通常、本家に召し上げられた籠女や狗鬼は、男女別々に生活をしながら婚姻の日までを本家で過ごします」
『あ……』
 色把は気づいた。十の誕生日を迎え、友禅との婚約を公表した時、祖母は比良野家へと自分を連れ出した。
「早池峰友禅との婚約を、生まれたときに取り付けたのは今日子さんです。そして、記憶が無かった貴女に、一から生活の基本を教える、と貴女を本家から連れ出した。少しでも『贄』の可能性から遠ざけるために……いざというときに、すぐに自分が貴女を守れるように……」
 乾いていた涙が、またこみ上げてくる。祖母は、そうまでして自分を守ろうとしてくれていたのだ。

 彩子の表情が曇る。
「……ですが、【神】の寿命が迫ったことで、保守派の者たちに焦りが生じた。保守派……彼らは、狗鬼・籠女の恒久の存続を願っている者たち……。【神】を失うわけにはいかなかったのです。保守派の一人、結城啓二は、朱崎家の狗鬼、ユーリ・ヴァルナーを使い貴女を攫わせた……。恐らく、今日子さんは、貴女が攫われた後に比良野家を襲撃した狗鬼に殺されてしまったのでしょう」
 彩子の背後で、菊塵が頷く。ユーリは今日子を殺してはいない。菊塵から彩子にそれは伝わっているらしい。 
 息を詰まらせながら、色把は彩子の言葉に一つ一つ頷きながら聞いていた。【神】の所為で、祖母は死んでしまった。そう思ってしまうと、やりきれない。色把の胸は張り裂けそうだった。
 色把の心中を察したのだろう。暫くの間、今日子の墓前には、沈黙が流れていた。


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