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1―10.もう一人の少女
 深夜の為、バスも電車ももう走っていない。
 哭士が先になって歩き、色把が数歩後を追いかけるような形で大通りまで出た。
 タクシーを拾い、哭士が住所を告げる。十代の男女が深夜に出歩いている事に、運転手は少し訝しげだったが、黙っていても滲み出す哭士の威圧感に、運転手は口をつぐんだようだった。
 重い空気の中、タクシーでしばらく走る。
 窓から外を覗く色把の横顔に、夜の街の明かりが反射していた。


 哭士の屋敷も、町の中心部から離れているが、色把の自宅は山道を越えた先にある。
 色把の足の流血も治まっていた為、哭士の助けが無くても、一人で歩く事が出来た。色把が一生懸命哭士の歩幅に合わせていることに気が付き、少し歩くスピードを緩めた。
 ほんの気まぐれに、哭士は色把に尋ねてみた。
「……お前、友禅ゆうぜんの許婚だったそうだな」
『はい、本家に居るときから、そう決められていました』
「お前の婚約者は、どんな男だったんだ」
 一度も顔を見たことが無い自分の兄、本家での振舞いはどのようなものだったのか。
『実は、私も、お顔を拝見した事が無いんです』
 色把の言葉に、哭士は僅かに怪訝な表情を浮かべる。
「顔を見たことも無い奴と、婚約を交わすのか」
『小さい頃から、友禅様と結婚をするのだ、といわれて育ちました。それが、当たり前だと思っていました。友禅様が、行方不明になるまでは……』
「……そうか」
 かける言葉が見つからず、短い会話は終わってしまった。


 しばらく歩くと、立派な門が見えてくる。色把が早足になり、哭士を追い抜く。
 門から入り、建物へと近づく。明かりは灯っていない。
 近づいていった色把の足が止まった。横に哭士が追いつく。
 建物は哭士が見る限りでも荒らされているのが分かった。色把の肩が震えている。一度大きく息を吸い込み、家の中に踏み込む。慣れた手つきで、電気を灯す。人の気配は無い。
 中を見渡せば、家財は倒れ、畳は泥だらけだった。二日前までは、確かに人が住み、整然とされていたのだろう。
 色把の後を、哭士が続く。とん、と哭士の胸に立ち止まった色把が当たった。
 その場にへたり込む。
 床には、黒ずんでしまっているが、血痕があった。へたり込んだ色把が手に持っているのは手のひらにおさまってしまうくらいの小さな巾着。匂い袋だった。
 ゆるりと哭士を見上げ、色把が話す。
『これ、お婆様の……』
 袋を持つ手が震えている。匂い袋にも、僅かながら血が付いていた。色把の目の前の黒ずみは大きく広がっている。大量の血が流された事を物語っていた。祖母の物、そして大量の血の跡、祖母の身に何かがあったことは誰でもわかる。
 しばらくの間、色把は匂い袋を握り締め、床に広がる黒いシミを見つめていた。その様子を、哭士は黙って見守った。

 色把は哭士に向き直る。
『もう少し、一人で家の中を見たいです……きっと、ここにはしばらくの間、戻れないから』
 哭士は家の中を見渡す。自分と色把以外に誰もいない。
 山道を歩いていて周囲に感じた影鬼えいきの気配も、色把の家の敷地内に入ったとたんにぴたりと止んだ。
 恐らく、哭士の家に施されている影鬼除けが、この家にもあるのだろう。近くに居なくても大丈夫そうだ。
 荒れ果てた家の中を歩き、祖母の死を受け入れるつもりなのだろう、哭士は色把の希望を了承し、哭士は一人、庭へと出た。

 庭から、色把の家を見上げる。
 哭士の屋敷ほど大きくは無いが、がっしりと立派な日本家屋だ。かなり前の物だろう。
 色把がさらわれたのは庭だと言っていた。そうすれば、色把をさらった金髪の男、というのは、今、哭士が見上げている屋根の上から降りてきた事になる。
 人間に出来るはずもない。その男も同族、狗鬼こうきである事に間違いは無い。



 庭に丁度良く置いてあった岩に腰掛け、色把が出てくるのを待った。
 屋敷内から物音がする。色把が屋敷内で歩き回っているようだ。

 すぐ近くで、庭の砂利を踏む音がした。
「!?」
 岩から立ち上がり、気配の方へと素早く向き直る。
「なんだ、家はもう見終えたのか」
 立っていたのは色把だった。家内で一旦別れたときと少し様子が違っているように思えた。哭士はその場に立ち、自分に近づいてこない色把を不思議に思いながらも歩み寄る。
「!?」
 そこに突然、哭士の耳に水が掛かった。何事かと思い、辺りを見渡すが、変わった事は何も無い。夜露が落ちてきたのだろうか。袖口で水を拭った。

「……ッ!?」
 突如、視界が大きく揺らいだ。激しい眩暈めまいが哭士を襲う。
 地面が上に、暗闇が横に、世界が不安定に動いている。その場に立っていられずに、膝から崩れ落ちた。腕を付いて耐えたが、それも長くはもたず、肩から砂利へ倒れ伏す。
「何……だ……」
 手の平で目を覆う。が、体全体が揺らぐ感覚は収まらない。体が言うことをきかない。
 目の前の色把は何故、何の反応も示さないのだろうか。
 やっとの事で、正面の色把に顔を向ける。
 少女は、微笑んでいた。


「貴方を、貰いに来たの」
 言葉を話すことが出来ないはずの少女が口を開く。
「……色把?」
「違う、私は色把じゃない」
 色把と同じ姿をした少女は、哭士がやっとの事で顔を上げているのが分かると、詰め寄った。
「早池峰 哭士、貴方と契約を結びに来た」
 身体の自由が利かない。迫ってくる手を振り払う事すら出来なかった。ひたいに乗せられる少女の手、哭士の前髪を寄せ、額をあらわにされる。
「や……めろ」
 最早言葉すら、発する事が難儀だ。これから少女が行おうとしている事に、必死に逆らう。だが、哭士の僅かな抵抗も効を成さなかった。
「私と、契約を」
 哭士の額に、少女の額が重ねられる。
「止めろ……止めろ……!」
 額と額が接触したその瞬間、哭士の身体は大きく仰け反り、咆哮ほうこうが周囲に響き渡った。

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