書類の山を一つ片付けてレイドは、くしゃくしゃと髪をかき回した。
昨年の末に予感のように脳裏をかすめた、一抹の不安。まさかそれがこんなに早く現実の物になるとは想像していなかった。
新年祝賀パーティの最中、強固な警備の目をかいくぐってシェルリナの前に現れた『ユリエル』。城のお仕着せを身につけ侍女として振る舞っていたようだが、その名前の者は存在しない。しかも彼女を見たのはシェルリナただ一人だ。事件の直後から人を使って探させているが、足取りは全く掴めない。
あの夜シェルリナの元にはミルクが二つ届けられた。ユリエルが去った後、王女専属の侍女エリーもミルクを持ってきたからだ。そう、エリーは誰にも頼んでいない――女官長に呼ばれているなど真っ赤な嘘だった。そして先に届いていたミルクには、毒が入れられていた。その意味するところは考えるまでもない。
暗殺を狙っている者がいる。
王位継承論争が盛んだった頃、彼女が小さい頃にはそのようなことが何度もあった。だから特徴のある毒なら見分けられるように、よく使われる毒なら効きにくくなるように訓練を積んでいる。それが役に立った。
やはり国王派か――。
過去に起きた事件は国王派の一部が引き起こしたものだった。関わっていた者たちは既に処罰されているが、子供に毒を盛ろうとするほどの者たちだ。他に同様の考えを持つ者がいたとしてもおかしくない。
そもそも彼らがシェルリナの血筋を疑う根底には、前王妃アリスティアに対する反感がある。
彼女の実家は小さな所領を一つ持っているだけの地方領主だった。無論領主なのだから庶民ではないのだが、特別輝かしい過去があるわけでもなく、古くから続くわけでもなく、つまり名門ではない下流貴族だ。この庶民に近い家という家格の低さが、一部の貴族の不興を買っていた。そんな時に、彼女だけがセルフィスでの公務を取りやめて国に残った。その頃彼女が少し体調を崩していたこと、その状態では一週間を要する長い船旅は無理だと周囲が判断したことから取りやめになったのだが、これにもその一部の貴族たちは仮病だのわがままだのと言っていたらしい。そこにあの事故が起き、二ヶ月が経つ頃に懐妊がわかったのがいけなかった。
――他に相手がいたから、国に残ったのではないか?
彼らはそう噂した。育ちが悪いからやることが違う、と。
それが王位継承論争へと繋がる騒ぎの中で王宮にも届き、アリスティアは心のバランスを崩した。噂を本気で信じた国民がどれほどいたのか分からないが、彼女には皆が自分を疑っているように感じられたのだろう。公の場から身を引くきっかけとなった。
ちなみにシェルリナは四月生まれだ。王家の血を引いていないと言いきれるような時間的矛盾はない。何より成長につれてエクシルの面影が色濃くなってきているのだが、それも彼らは認めないのだろうか。
いや、証明するものが容姿しかないからこそ、彼女が王家の血筋にあることを信じないのかもしれない。信じたくないのかもしれない。いや――もしかしたら。
――アリスティア妃の子というだけで――。
「陛下?手が止まっているようですが」
はっと顔を上げると、目の前にティエリスが立っていた。腕には書類の束を抱えている。
「あ……ああ、ごめん」
思考の迷路に入り込みかけていた意識を慌てて切り替える。
「ちょっと考え事をしてた。――それは?急ぎ?」
「決済済みです」
「そうか」
レイドは一つため息をついて、次の書類に手を伸ばした。あと三十件ほど決裁が残っている。
「香茶でもお持ちしましょうか」
右手にある机に戻ったティエリスから声がかかる。
「あと少しだからいい。……そうだ再来月の視察。シェルリナも一緒に、と思うのだけど」
左手の机に座るギルビーに話しかけた。
「ああ、研究所ですか」
「上級学校は試験前ではないよね?特に聞いてないけど」
「さあ、どうでしょうか。どうなんでしょう?」
ギルビーに尋ねられて、ティエリスは目を瞬かせた。
「えっ……と、それは……調べておきます」
「この時期っていうのがちょっと怖いけどね……ティエリス、今日アイリンはどうした?」
「まだです。今日は少ないので終わってから行けるかと思いまして」
「わかった。あとで行く」
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