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第二章 二つの選択肢
第四話:分岐点
「いい人たちだったなぁ」

 鼻歌でも口ずさみそうなぐらい上機嫌なアリスは、腰元にぶら下げた革袋に触れるとニコニコ微笑んだ。その革袋にはオーク討伐の報酬全てが詰まっている。
 決して良いとは言えない裏の世界しか知らなかった彼女にとって、彼らの好意は感謝してもしきれないものだ。故に、何らかの形でお返しをしたくて粘りに粘ったが逆に困らせてしまうことになり、ミズキが目覚める前にさっさと薬代を払ってしまいたいということもあって、貸し一つということで何とか決着がついた。

 今までどこか灰色の世界を生きてきたアリスにとって、誰かの好意はアリスの世界を色付けるものだった。内心の変化故か、初めてと言えるぐらいの上機嫌さに頬は緩みっぱなしだし、実際世界が違って見えた。

 だからだろうか。
 幸せな気持ちで満たされていたアリスは、その時背後から近づく人の気配に気付けなかった。

 ドン、と背中を押される衝撃にアリスは一瞬で我を取り戻す。反射的に腰元のナイフに手を掛け体勢を立て直すが、その前に近くにいた誰かに抱き止められた。

「大丈夫かい?」

 一瞬身構えたアリスだが、頭上から振り掛けられた優しい声色に警戒を解く。
 その声色に釣られるように目を向けて見れば、優しそうな美形の青年が間近に映った。

「ありがとうございます」

 笑みと共に礼を述べ、一歩離れてアリスは視界の端で足早に去っていく男を捉えた。
 そして人混みに消える瞬間に見た何かを仕舞う動作に気付き、それが何を意味するのか一瞬で理解したアリスは足早にそこから離れる。青年の呼び止める声がしたが、それを無視して人混みに消えた男を追った。




「へ、へへ………」

 薄暗い路地裏に入りチラリと後ろを見て誰も追って来ないのを確認し、男はひきつったような笑みを浮かべる。 つい最近壊滅させられた盗賊集団の一員だったその男は、生き残された他の一員と同じように牢に入れられていたのだが、幸運にも脱獄の機会を得ることができ、こうして彼だけ脱け出してきたところだった。
 今現在町が厳戒体勢に入っているため目立つような行動は出来ないが、金がないままではこの町を出る前に野垂れ死んでしまう。幸い、途中で見つけた薄汚いローブを被った子供から金をスルことが出来たのでしばらく生き延びる分には大丈夫だろうが、町を出るには些か心許ない金額だ。
 あんな身なりの子供が銀貨3枚、銅貨20枚も持っていたのには少々疑問があるが、この金のおかげで町からの脱出の算段はついた。
 あとは運び屋を見つけて交渉すれば、こんな町からはオサラバだ。

「………チッ。あのヤロウさえいなければ今頃俺は」

 ふと、自分が牢に入れられた元凶を思い出し、男は憎そうに表情を歪める。
 脳裏に浮かぶ黒髪赤目の冒険者。
 単身アジトに乗り込み、総勢27名を一人も殺さず壊滅させたのはそれだけ腕も立つということであり、その光景を思い返すとブルリと身体が震えたが、それ以上の憎しみが男の身体を震わせた。
 この町を出て、もう一度帝都に名を轟かせた盗賊団を再興させたら、真っ先にあの冒険者を殺そう。

――――トン

「ん?」

 脳裏で黒髪赤目の冒険者の死に様を思い浮かべ悦に入っていると、ふと頭上から音がした。同時に視界が暗くなり、不思議に思った男は頭上を見上げる。

「なっ―――があっ!」

 そうして視界に入ったのは、頭上から襲い掛かってくる小さな人影。深くフードを被ったローブ姿のその襲撃者は、何もない小さな白い手を真っ直ぐにこちらに伸ばしてくる。
 何もない筈なのに、その手は男に本能的に死を直感させた。それは紛れもない、死神の手だ。

 しかしその死神の手が呆然とする男に触れるその直前に、男は横からの強い衝撃によって強引に弾き飛ばされる。
 何が起きたのか、全くわからなかった。
 瞬間的に意識を失うなか、ただ一つ確信を持てたのは、あの死神の手が自分に触れることはなくなったということだけ。
 そのことに安堵したかのように、男はそのまま意識を失い、冷たく汚い地面に無様に転がるのだった。











――――――見つけた。

 すぐに追いかけたこともあってか、アリスは大事な革袋をスッた男をすぐに見つけることができた。
 どうやって取り返そうかと思案しているところで男が路地裏に入っていくのを見て、アリスは男の後を追って路地裏に入る。
 独特の臭いに顔をしかめそうになるが、何とか我慢して男と周囲に注意を向ける。
 男が路地裏に入ってくれたのは幸いだ。殺人技能はあっても、目の前の男のようなスリ技術を彼女は持ち合わせていないのだ。


 アリスはなるべく音を立てないように屋根へと上り、歩き続ける男を監視する。
 周囲に男の仲間はいない。近くに小さな気配があるが、それがこちらに向かうより早く事を済ませる距離だ。

 安全を確認したアリスは、わざと小さく音を立てて男の頭上から急襲。思った通り立ち止まって頭上を見上げてくれた男を無力化すべく、頭部目掛けて真っ直ぐ手を伸ばす。

 しかし、その手が男の頭部を掴むことはなかった。

 目の前の男が横合いからカッ飛んで来た蹴りによって痛々しい音を上げて吹き飛ばされる。

 驚愕に目を見開くアリスだが、想定外の事態に驚いている場合ではない。

 アリスは着地と同時に男を蹴り飛ばした謎の襲撃者に足払いをかける。当然それは躱され、予想していたアリスは落ち着いて次の攻撃に繋げる。
 屈みながらの足払いを軽く飛んで避けた襲撃者に、既にに抜いていたナイフを投げる。驚愕の気配が伝わり、間一髪でそれを避けられるが、先程のナイフは相手の動きを制限させる為の繋ぎだ。
 アリスの思惑通り、一瞬バランスを崩し着地した襲撃者に向けて、アリスは瞬間的に相手の懐に入り込んだ。
 襲撃者は慌てて対処しようとするが、もう遅い。

 アリスの右手が、襲撃者の胸元に添えられる。

 ぷにゅ

「…………………」
「……………っ…」

 動きを止めた二人の戦いは、最後の瞬間から進展を見せない。
 本来なら、触れた瞬間にアリスが心臓に電撃を流し動きを止めたところで再度頭部に電撃を食らわせ、脳を焼いて終わる筈なのだが、アリスはそうすることができなかった。

 ぷにゅぷにゅぷにゅ

「っあ…………」

 掌に感じるデジャヴを確かめるように、アリスはそれを揉みしだく。同時に、聞き覚えのある声で妙に色っぽい響きが耳に届き、アリスはピクピクと長い耳を動かす。

「あ、あの……っ、アリス、さん…?…っくぅ……」
「ミズキさん………?」

 ゆっくり見上げて見れば、ひきつった笑顔で耳まで顔を赤く染めた黒髪赤目の見知った顔。
 手を動かすと何かに耐えるように表情を変え、どことなく色っぽい。

 …………そろそろ現実逃避は止めよう。

 謎の襲撃者は、宿で休んでいる筈のミズキであった。
 なぜこんなところにいるのかわからないが、あと一瞬でも掌のあの感触が脳に伝わるのが遅かったら大変なことになっていた。

 一瞬で青ざめたアリスは、すぐにミズキから離れてその場に手をついた。そして間髪入れずに額を地面につけ、精一杯謝った。

「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!! ごめんなさい!!!」
「だ、大丈夫だって! ああ、謝らなくていいから、ほら立って!」

 急変したアリスにギョッとしつつ、慌てて彼女を立ち上がらせ、しかしそれでも泣きながら謝り続けるアリスにミズキは苦笑を浮かべてしまう。

 先程まで暗殺者然と無表情にこちらを殺しに掛かってきていたというのに、今では年相応に泣きじゃくっている。その姿は正に、親か兄弟に叱られ泣いて反省する子供の姿であり、ミズキは不思議とそれを微笑ましく思えてつい抱き締めてしまう。
 そうしてもまだ謝り続ける彼女に困り、しばらく優しく背中を撫でながら落ち着くのを待っていたのだが、わんわん泣いて疲れはててしまったらしくアリスはミズキにしがみつくように眠ってしまった。

「……あー、疲れた」

 アリスをお姫様抱っこで抱え直したミズキは、男が持っていた革袋と壁に突き刺さっているナイフを回収する。

 そして、無防備な寝顔を晒すアリスを見て肩をすくめ、ミズキは宿に帰るのだった。








「本当に、ごめんなさい」

 テーブルに額がくっついてしまいそうな程に頭を下げるアリスに、ミズキは笑いながら手をヒラヒラ振った。

「元は俺が気配殺して見てたのが原因だからな。気にしないでいいよ」

 小さな気配は彼女だったらしい。
 何でも、昼食を外で採っていたらしいミズキはその帰りにアリスを見かけたらしく、同時にすられるのを目撃しアリスと同じように男を尾行していたらしい。
 そして、男を見つけた時に男の近くに殺気を感じたらしく、様子見をしていたところでああいう結果になったらしい。
 アリスはその時の自分が冷静さを欠けていたのを知り、恥ずかしそうに顔を俯かせる。
 きっと、ミズキの為稼いだお金を取られたことへの怒りで我を失っていたのだろう。一応感情を押し殺す訓練を受けてはいるが、押し殺すだけでは問題があると教えられていたことをアリスは思い出す。今回がいい例だろう。

「アリス?」
「あ、は、はいっ」

 いつの間にか考え込んでいたらしいアリスはミズキの声で我に返る。
 ミズキの赤い瞳が可笑しそうに細められているのに気付き、アリスは頬を赤く染めたがふと疑問が沸き、控えめながらもミズキを真っ直ぐに見据えた。
 風邪はもう大丈夫なのか、という問いは目を覚ました時に聞いている。そこで自分が稼いだお金も自分の為に使えと言われた。
 ならば、今この場で聞く問いは、胸の内に隠したあの疑問しかない。

「私を、どうしたいのですか?」

 それは、単刀直入な問い掛けだ。
 一瞬だけ赤い瞳を見開いたミズキは、視線をしばらく泳がせると観念したように力なく笑みを浮かべ、椅子の背もたれに身体を預ける。

「そう、だな。色々言いたいこともあるし、聞きたいこともあるけど、まずはこう言いたい」

 ため息を吐きながらそう言った彼女は意識していないだろうが、色っぽくみえる。単にアリスの目にフィルターが掛かっているだけなのかもしれないが、事実どこか色っぽいミズキは自然と宿の食堂で他の利用客から注目を集めていた。

「俺と一緒に旅をしてくれないかな?」
「…………えーと」

 薄着なミズキの胸元に目を向けていたアリスは、ピクピク耳を揺らしながら困惑した表情を浮かべる。

「まあ、アリスの疑問はわかるさ。君は俺の命を狙った暗殺者で、俺の敵ってことになるし」

 敵、という単語に身体を強張らせるアリスだが、ミズキの瞳に敵意など微塵もなく、ますます困惑してしまう。

「でも、アリスは俺の敵じゃない。そして、俺は君の敵でもない。要するに、俺たちは味方ってことになる。なんたって、俺は美少女の味方だからね」
「は、はぁ……………」

 自信満々な笑みと共にそう言われても、アリスは息を吐くような返事しか返せなかった。
 一見ふざけているようなセリフであるが、彼女の言葉は、瞳は酷く真剣なものである。

 ということは。

「ミズキさんは、私を飼いたいのですね?」
「んなっ!?」

 ガタン、とミズキが膝をテーブルに打ち付ける。
 アリスはそんな彼女を気にもせず真っ直ぐ見つめて言う。

「あの人に聞きました。女の人でもそういう人がいるって。ご主人様ってお呼びした方がいいですか?」

 どことなく、ワクワクした様子でそう言うアリス。
 自分でも興奮し始めていることを疑問に抱いたアリスだが、言い切ってしまったからにはもう止まらない。既にその気のアリスは、キラキラした瞳でひきつった表情のミズキを真っ直ぐ見つめている。

「いや……普通でいいから」
「はい、ご主人様」
「こらあああ! いや、ごめん、俺が悪かったから、普通に名前で呼んで!」
「でも、私を飼われるのなら………」
「いや別に飼いたいって訳じゃなくて旅のパートナーとしてですね! ……あ、いや、すんません、騒がしくして」

 立ち上がり顔を赤くするミズキを、周囲の客がコソコソ囁きあいながら興味深くそうに見る。

「っく……アリス、君は疲れてるんだ。とりあえずこの話はここまでにして、もう寝よう」
「わかりました。ご主人様の部屋でお待ちしておりますね」

 座って顔を近づけてくるミズキに微笑みながら立ち上がったアリスは、そう言うと宿の二階に向かって歩いていく。
 どこか必死な声でミズキが追い掛けてくるが、アリスは込み上げてくる笑いに堪えきれず、クスクス笑いながら早足で階段を上がって行った。


 もう、この瞬間からアリスはミズキという冒険者から離れられなくなった。
 それは、あの男とは違い、自分が渇望する何かをミズキが満たしてくれるという確信からか。

 確かなのは、この時二人は既にパートナーとなっているということ。


 奇妙な運命は、今ここに。
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