翌朝、肌を刺すような寒さで目を覚ました瑞希は少し離れたところから歌声が聞こえてくる事に気がついた。
空気の冷たさに身体を震わせながらそちらに目を向けると、自分の上着を着た白い髪の少女が岩に腰かけて歌っているところだった。
一瞬その少女が誰なのか忘れていた瑞希は、一旦申し訳なさそうそうに視線を逸らして再び、少女―――メルヴィアに視線を向けた。
どうやら、瑞希が目を覚ました事に気がついていないらしい。日が登りかけているほの暗い空を見上げながら足をプラプラと動かしている。綺麗な歌声を辺りに響かせる彼女の表情はとても嬉しそうで、和むと同時にどこか浮世離れした美しさを感じる。
「*@☆〜♪」
しばらくメルヴィアのその姿を見つめていた瑞希の視線に気づいたのか、突然こちらに振り向いて満面の笑顔で何かを言ってきたが、異世界語で話しかけられては全く意味がわからない。
メルヴィアも言ってからそれに気づいたのか、恥ずかしそうにはにかむと岩から飛び降りてこちらに駆け寄ってくる。
和むなぁ……と思いつつ彼女がこちらに来るのを待った瑞希は、朝の挨拶を口にしようとしてちょいちょいとシャツの袖を引っ張られた。
和むと同時に強烈なインパクトを食らった瑞希は内心の動揺を出さないように気をつける。
「『どうした?』」
「@$*――『屈んで』」
異世界語を言いかけて日本語で言い直したメルヴィアに疑問符を浮かべつつ、言われた通り上半身を少し屈めた。
「『もっと』」
首を傾げながらも言われた通りにする瑞希。見上げてくるメルヴィアの顔が間近になったところでシャツを引っ張っていたメルヴィアの両手が優しく瑞希の側頭部に添えられ、幼くも美しい顔が急接近してきた。
思わず身を引きかけた瑞希だが、メルヴィアの額が軽く自分の額に重なったところで緊張から身動きできなくなった。
「*☆%♪」
目の前で瞳を閉じ、何かを呟くメルヴィアを自然と高鳴る鼓動を自覚しながら見つめる。
「―――っ!?」
数秒そのままの状態でいたが何かしらの違和感に気がついた瑞希は、次いで襲いかかってきた頭を割るほどの頭痛で弾かれたようにメルヴィアと距離をとった。が、その頭痛は気のせいだったのかと思うほどほんの一瞬で収まり、後に残ったのは不思議な感覚だった。
「私の言葉、わかる?」
「え?………ん、ああ……?」
呆然とした様子でメルヴィアを見つめていた瑞希だが、生返事を返した瞬間にハッとした表情へと変わった。
メルヴィアの話す言葉が理解できるのだ。
「これ、は……一体……?」
しかも、自分の話す言葉がメルヴィアと同じ、異世界のそれへと変わっている。頭の中では日本語なのに、口から出るのは異世界語という些か混乱を招きそうな不思議な感覚だった。
「うーん……。こっちの言葉がわかるように妖精さんにお願いしたって言えばいいのかな。ちゃんと成功してよかったよ」
笑顔で説明するメルヴィアの言葉に半分も理解できないまま相槌を打つ。理解はできないが、ここはファンタジーな異世界である為そんな馬鹿げた事ができてしまうのだろう。
と、そこで何かに気がついた瑞希がメルヴィアの両肩に優しく手を置いた。
「成功してよかった?」
「あっ………」
笑顔から一転。いたずらがバレたような顔になったメルヴィアは反射的に両手で口を塞いでいた。
「メルヴィアさんよ〜。それは一体どういう事かな〜?」
静かな口調で問い質す瑞希にメルヴィアの身体がぷるぷる震える。
「みっちー、顔が怖いよ?」
「みっちー言うな。てかなんだ。今さっきのは失敗する可能性があったって事か? 失敗してたらどうなってたんですかメルヴィアさん?」
「だ、大丈夫だよ。うん。だって、動物さんの時は失敗なんてしなかったから。人間にするのは初めてだけど、多分成功するって思ってたから」
「あああああーーーー!!」
ひきつった笑みで言い訳するメルヴィアの耳元で大声を出す瑞希。地味な攻撃ではあるが、その威力はバカにはできない。
「み、耳が……キーンって…あうぅ……」
尖ったエルフ耳を押さえながら涙目になっている白髪エルフを見て一応満足したのか、瑞希はふんと鼻を鳴らして腕を組んだ。
失敗した場合の事を考えると沸々と怒りが沸くが、自分の為を思ってやってくれたのだと考えるとなんだか暖かい気持ちになった。
「ふむ……美少女に尽くされる、か……」
瑞希のその呟きは耳のダメージが抜けきっていないメルヴィアに聞かれる事はなかった。
「メルって呼んで、ミズキ」
それからしばらく。太陽が朝の冷たい空気を暖めている中、ぼんやりと空に浮かぶ雲を見つめていたメルヴィアが突然そんな事を言った。
「どうしたんだよ、いきなり?」
二度寝をしようと寝転がって結局眠れなかった瑞希は首だけ怪訝そうに傾けメルヴィアを見やった。
「メルヴィアじゃ長いでしょう? だから、メル」
こちらを見ずにぼんやりと空を見つめて言うメルヴィア。その表情はどこか憂いを帯びているように見え、瑞希は彼女のその横顔に目を奪われていた。
「ミズキ?」
返事がない事を不思議に思ったのか、空を見上げていたメルヴィアの顔が突然こちらに向いた。
見とれてしまっていた事を悟られないよう自然に目を逸らし瞼を閉じる。
「別にいいぞ。好きな呼び方で呼んでやるよ」
そう言うとメルヴィアが笑顔を浮かべたように感じた。目を開けてみると、案の定笑顔のメルヴィアがそこにいた。
「決まりだね。これからよろしくお願いします、ミズキ」
そう言って頭を下げてくる彼女に、瑞希は照れ隠しをするように話題をふっかける。
「そういや、腹減ったなぁ」
ふと思い返せば、昨日の夜から水以外口にしていない。かと言って食料を調達しようにもどうすればいいのか全くわからない。
「そういえばそうだね……。川に魚がいるかも知れないよ?」
暗に獲りに行けと言われているような気もしないが、幼い少女に川に飛び込めと言うわけにはいかないだろう。
「よし、ちょっくらチャレンジしてみますか」
「おー、がんばれ〜」
ここは男の見せ場だといきり立ち、すっくと立ち上がって川へと向かう瑞希を拍手で迎えるメルヴィア。
しかし、どうやって魚を獲ればいいのかわからない。素手でやろうにもそんな経験が全くない彼には、かなり難易度の高い事になるだろう。
「釣竿があればなぁ……」
水中には確かに何匹か魚がいたが、そう簡単には捕まえられそうにない。
「私も手伝うよ」
いつの間にか隣にやって来ていたメルヴィアが瑞希を見上げながらそう言った。
瑞希の半分ほどしか身長がないメルヴィアはそうしないと瑞希の顔が見れない為仕方ない事なのだが、こう美少女に見上げられると無性に頭を撫でたくなったり抱き締めたくなりそうになる。
「そうだなぁ。カッコつけたいところだけど、俺だけじゃちと無理そうだ」
試しに頭を撫でながらそんな事を言ってみると、頭を撫でられるのが心地よいのか頬を緩ませながらこちらを見上げてくる。
なんだか妹か娘ができたみたいだと和むと同時に、昨夜彼女が話した『自分は元男だ』という事がまるで嘘のように思える。こうして見る彼女はどこからどう見ても女の子であるのだ。
「いや、『元』だから強ち間違いじゃないのか……」
「ミズキ?」
瑞希の呟きは幸いな事に聞き取られなかったらしく、メルヴィアはこちらを見上げたまま首を傾げていた。
なんでもない、と言って少し乱暴に頭を撫でる。目を細めながらもしっかりこちらを見上げてくるメルヴィアに暖かい気持ちになった瑞希は、靴と靴下を脱いで朝飯こと魚を確保するべくズボンを捲りあげ川へと入っていく。
ふと視界をずらせば膝元まである瑞希の上着をギリギリまでたくしあげてそろそろと川に入ってくるメルヴィアが見えた。水が冷たいのか、ひゃあ〜とか言いながらゆっくりと瑞希に着いていこうとしているのはなんとも微笑ましい光景だった。
「あ、あ! ミズキ、足元に魚いるよ!」
メルヴィアの言葉に我に返った瑞希が彼女の指差すところに目を向けて見ると、確かに足元に小さな魚が一匹泳いでいた。
「よっしゃ任せろ!」
勢い付けて魚を引っ捕らえるべく水中に熱い拳を突きつけるが、赤い彗星の如く紙一重でそれを避けられる。
「にゃろう……逃がすかっ!」
はっ! そいや! と気合いを入れつつ魚を引っ捕らえようと無駄に頑張る瑞希だが、一向に捕まえられそうにない。
「あ、そっち! そっちいった!」
バシャバシャと水しぶきを上げるだけの瑞希に魚の位置を教えるメルヴィアだが、そっちやらあっちだけで的確な位置が教えられる訳がない。しかし、魚と格闘している瑞希を見て興奮しているのか、それに気がつく事はありそうになかった。
「メル! そっち行ったぞ!」
水面に手を差し込んだところでこちらに振り向き叫んだ瑞希。水面を見てみると、確かにこちらに向かって来ている魚が確認できた。
「ま、任せて」
かなり緊張しているのか、真剣な顔で水面を凝視するメルヴィア。ここで逃がしたら朝食抜きだ、と自分に言い聞かせ何時でも捕まえられるように身構える。
しかし、瑞希の上着が濡れないようにと片手で服をたくしあげている為、片手しか使えないメルヴィアが魚を捕まえられないのは目に見えていた。小さな女の子となると尚更片手では無理である。
それに気がついた瑞希がメルヴィアにそれを指摘しようと口を開くが、
「捕まえ―――いやぁあ!!」
それが言葉となる前にメルヴィアは行動を起こしていた。
宙を舞う魚。身体が後ろに傾いていくメルヴィア。
宙を舞った魚はボトリと音を立てて岸に墜落し、体制を崩したメルヴィアはすっとんきょうな悲鳴を上げながらバシャン! と尻餅を突いてしまう。
どうやら何とか魚を掴んだのはいいが、にゅるんとした感触に悪寒を感じたらしいメルヴィアは勢いでその魚をすくい投げたらしい。
「ぷっ……何やってんだよメル!」
川に倒れ込んでびしゃびしゃになったメルヴィアを見て、瑞希は腹を抱えて大笑いした。
「……ふふっ、あはは、あははは!」
何が何だかわからないと、キョトンとした表情で瑞希を見ていたメルヴィアも、瑞希の笑い声に釣られたのか冷たい川に座り込んだまま笑い声を上げた。
二人の笑い声が辺りに響いている中、川辺に墜落した魚はバタバタと身を跳ねさせていた。
サブタイトルを『妖精さんの〜〜〜』で統一しようかどうか悩んでいたり
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