「さてさて。改めて現状の把握をいたしましょう」
薄暗い牢の中。まだ10歳ぐらいであろう幼い少女が顎に手を当て暢気にそんな事を呟いた。
疲弊しきった顔なのに明るく振る舞っているのは彼女なりの最後の砦なのだろう。
「……妖精さんは見えない。いるっぽいけど見えない。いや、もともと見えないけど……」
か細い首に巻かれた首輪を指で叩きながら頭の事を心配しそうな事を呟くまだ幼い少女は別に精神がとち狂った訳ではない。生まれつき身近に感じていた『何か』が首に巻かれたその首輪のせいで捉えられなくなっているのだ。
「あー! なんでこうなっちゃうかなぁー!」
冷たい石の壁に反響する少女の叫び。換気の為に設けられた鉄格子付きの小さな窓から声に驚いてテイクオフした鳥達の翼を羽ばたかせる音が聞こえてきた。
彼女―――メルヴィア・ティレット・ルシール・オルグレンは不幸な事に王家に言い伝えられている伝承のせいで牢屋にぶちこまれていた。
曰く、白髪紅眼のエルフは強大な力持つが故に国を滅ぼす。その力が具現する前に滅せよ。
そんな訳のわからない馬鹿馬鹿しい言い伝えのみで彼女はこの牢屋に閉じ込められているのだ。
訳もわからずファンタジーな世界に生を授かり、物心が着いた時には王女として教育を受けていた彼女にとってこんなはた迷惑な話はない。
彼女、メルヴィアは俗に言う日本人であった。しかも、まだしがない高校生男児である。
彼女が彼女として生まれる前、大学入試を目前にちょっとした息抜きのつもりで街に繰り出した時。
お目当ての品物を買い求め、ホクホク顔で帰りの電車に乗ろうとした時だ。駅のホームで大事そうに抱えた『ソレ』の中身をこっそり拝見しようとした時、どこからか走ってきたお子ちゃまに強烈なタックルをお見舞いされたのだ。あ、と気づいた時にはもう遅く、視界の端には目前まで迫った鉄の塊が見え走馬灯を見る間もなく彼の意識は途絶えていた。
「不幸だ……」
改めて悲しき過去を思い出し、当時ハマっていた某小説主人公の口癖を呟き項垂れる白髪エルフ。
誠に腹立たしい事この上ない出来事なのだが、一人怒り狂ってもしょうがないと両親や姉たちの期待に応えようと懸命に生きてきた彼、もとい彼女。
しかし、晴れて10歳の誕生日を迎えたその瞬間に誕生会に使われていたホールでそれなりに大人数の騎士や精霊術士、魔術士たちに取り押さえられたのだ。事故死の瞬間と同じようにあ、と思った時にはもうすでに床に屈強な騎士サマに組み伏せられており彼女の力を抑える特別製の首輪を付けられていた。
その時ホールにいた全員の顔を鮮明に彼女は覚えている。
悲しそうな、辛そうな、それでいてほっとしたような複雑な表情。
過去の記憶等を受け継ぎ、ある程度人の考えが理解できる彼女ならば彼らの心情は理解できる。理解できるが、ハイそうですかと受け入れたくはない。
メルヴィアの人生はとても窮屈なものだった。
物心ついた時から馬鹿みたいに広い部屋から出して貰えず、外の景色と言ったらテラスから見える庭と広い空ぐらい。脱け出そうと思えば脱け出せただろうが、その庭には必ず監視役の精霊術士と魔術士が三人から四人はいるので脱け出せなかった。それに、少しでもそのような素振りを見せれば父と母にものすごく悲しげな表情を向けられるのだ。
異世界とは言え、そこに生んでくれた母やかなりの愛情を注いでくれた父に恩を仇で返すような事などできず、大人しく生きてきた。前世の学生能力と今世の脳の出来の違いをフル活用して教えられた事を全て頭に叩き込んだ。家族の期待に応えてみせようと今まで頑張って生きてきたのだ。
しかし、彼女が生きてきたのは彼女が思っていた事とは少々違っていた。
王や王妃たちは、いずれこの手で殺めなければならない小さな命を期限付きで愛情を注いでいたのだ。
もちろん、それは彼女なりに理解はできるのだがせっかく新しい人生を歩み始めた彼女にとってはとてつもない苦痛でしかない。
現にこうして処刑までの猶予を与えてくれたのも子を思っての事なのだろう。だが、中途半端に生かすぐらいならば生まれた瞬間に首を絞めて欲しかった。
「…………………はっ」
思わず暗くなりかけた気持ちを振り払うかのように首をブンブン振るメルヴィア。背中まで伸びた綺麗な白髪が薄暗い牢の中でふわりと舞う。
「恨んでもしょうがない。恨むとしたら、自分の不幸を恨むのよ」
そう自分に言い聞かせすっくと立ち上がる。
「そしてその恨みを力に変えるの。そう、マイナスな感情を今を生き延びるという力に変えるのよ!」
虚空に握りこぶしを振り上げ自身を元気付ける。しかし、言ってて自分で恥ずかしくなったのか白い頬が若干の赤みを帯びている。
「も、ものは試し。まず手始めにこの扉を………」
鋼鉄の扉に手をかざした瞬間に響いた解錠音。思わず惚けた顔になるメルヴィアの目の前でゆっくり開かれていく扉。
別に彼女が何かをした訳ではない。ノリで手をかざした瞬間に、誰かがこの扉を開けたのだ。
決して開く事のないその扉が開かれるという事はそれすなわち審判の時間が訪れたという事。そして、彼女を処刑台に送るべく迎えにやってきたその者は――――
「ちぇいやぁー!」
「ぐぼあっ!?」
少女の可愛いらしい掛け声と共に放たれたドロップキックによってあっさりと蹴り飛ばされた。
「へ………?」
少女の目線の先には蹴り飛ばされ壁に激突した騎士が。その身に付けていた鎧は、恐ろしい事に蹴られた部分が陥没していた。
サッと血の気が引く白髪エルフ。一緒にいた二人の若い騎士も同じように顔面蒼白となっており、目の前の光景に目を見張っている。
それもそうだろう。年端もいかない少女が屈強な騎士の鎧を陥没させるほどの蹴りを放っているのだから。
「ぐ、お………」
うめき声ではっと我に返るメルヴィア。どうやら奇跡的に致命傷は負っていないようだった。
「ごめんなさいっ!」
とりあえず謝って一目散に駆け出す。細長い廊下を裸足でぺちぺち音を立てて走る走る。
遅れて我に帰った騎士の一人も慌てて白髪エルフを追いかける。
あっさりと追いつかれてしまい早くも捕まるところで角を思い切り曲がる。背後でガンと音を立てて壁にぶつかった新米騎士を尻目に、彼女はようやく見えてきた外の景色に向かって走った。
そして、石で出来た柵らしきものを飛び越え、彼女はあんぐりと口を開けた。
「た、高い高い高いぃ〜!」
およそ十数メートル先にある地面を目の当たりにし涙目の白髪エルフ。しかし、もうすでにハリウッド真っ青の身投げをしてしまっている為どうしようもない。
「きゃああああ!」
悲鳴を上げてポロポロ涙を流しながら落下する白髪エルフ。しかし、どういう訳か彼女の身体は地面に勢いよく激突せずに、まるで羽が落ちるかのように地面スレスレでゆっくりて舞い降りた。
またもや惚けた顔になるメルヴィア。しかし、すぐ様我に返った彼女は一目散に近くの森へと逃げ込んだ。失禁しなかったぶん大したお嬢様である。
メルヴィアが脱獄した事はすぐに王都まで伝わっていた。
城内はかなり騒がしくなっており、怒号やら何やらが飛び交っている。
そんな中、メルヴィアの父でありオルグレン王国の王であるオースティンはほっとしたような表情を浮かべていた。彼の隣にいる王妃クラレンスも同様の表情を浮かべているが、その表情はどこか悲しみを帯びているように見える。
老いが目立ちながらもまだ若さを感じさせる凛々しい顔立ちの王は、報告に参った騎士が王座の前にやってくると威厳のある顔立ちへと変わった。
「報告致します。件のエルフが城壁に現れたとのこと」
それを聞いた王は予想をしていた事なのか、ただ重々しげに顔を俯かせた。まだ悲しみに満ちた表情の王妃はそんな彼を心配そうに見やる。
「如何致しましょう?」
「城下には入れさせるな。やむを得なければその場で処刑せよ」
「はっ」
ほんの短い沈黙を挟み、静かに告げた王の言葉を受け騎士は足早に去って行った。
王と王妃以外がいなくなったその場で、悲しみに満ちた空気が充満する。
見れば、エルフの特徴である尖った耳を持った美しい王妃が静かに涙を流している。
「私たちに復讐しにきたのでしょうか」
クラレンスの言葉にオースティンは唸るしかできなかった。
生まれてから一歩も外に出して貰えず、ようやく出して貰えたと思った矢先のこの事態。いくら心穏やかな娘であっても、それに怒りを覚えないはずがない。
こちらの言う事を我慢して聞き、一度の反抗もなく部屋の中で過ごしたメルヴィア。
10歳の誕生パーティーに初めて部屋から出して貰えた事に感激し、花咲く笑顔を辺りに撒き散らした。一度も外の世界を見せなかったのに、感情表現が豊かだった彼女の今までの中で一番の笑顔だった。
しかし、パーティーが終わって彼女を騎士たちに取り押さえさせたその時の娘の表情は王の心をえぐってしまいそうな表情だった。
何も感情を感じさせない、人形のような冷たい表情。それでいて、何もかも理解していたような達観めいたその表情。感情表現豊かで愛嬌たっぷりだった娘からは想像できない表情だった。
幼い頃から聡明だった娘の事だ。恐らく全て察していたのだろう。それ故に、自分が裏切られた事に気がついた時の怒りは計り知れないだろう。
伝承が真実ならば今宵、列強四国の一つとして栄えた王国オルグレンは滅びゆく事となる。
もちろん、伝承が虚実であればと彼らは切実に願っていた。しかし、娘の異常な知能発達とその特異な力ははるか昔から言い伝えられていた伝承が真実である事を裏付けさせてしまっている。
一国の王として君臨してしまっている以上、王国の民をみすみす危険にさらす訳にもいかない。
……が、本音は愛する我が娘の復讐を受け入れるつもりでいた。
もし彼女が怒りに身を任せその力を振るうのならば、彼は数多くの民を引き連れ彼女より先に向こうで王国を作るつもりでいる。それが、不幸な伝承の下に弄ばれている娘の為としようとしているのだ。
「………当時の王たちは、皆同じような心境だったのかもしれぬ」
そんな事を呟きながら、王は静かに審判の時を待っていた。
王都の城壁付近。
無我夢中に走り続けていた彼女は、こんなところにたどり着いてしまった己を恨みに恨みまくった。
「しっと! 箱入り娘な自分を恨みに恨むぜ!」
そんなハイテンションな事を口走る白髪エルフの目の前に、巡回中らしき近衛の騎士が現れた。
どうやら、脱獄した時点で王都に戒厳令を敷いたらしく近衛騎士サマはメルヴィアを見るや否や器用に指笛なんかを鳴らしてくれた。
「おお……」
こちらに生まれて久しく指笛なんかを見る事聞く事ができたメルヴィアは、天使のような顔立ちで可愛らしい小動物のような反応をしてみせた。
可憐さを失わせる服装であるにしろ、彼女の魅力に一時囚われた近衛騎士は指笛の体制のままメルヴィアを夢見心地のように見つめた。
「あ、待て!」
近衛騎士が我に返った時、メルヴィアはすでに脇を通り抜け全力で逃走していた。
近衛騎士に追われ城壁に沿って逃げ回る事数分。なぜ城壁に沿って走っているのかに漸く疑問を抱いたメルヴィアは、直ぐ様森に逃げ込もうてして目の前の光景に目を見開いた。
「来たぞ! 各個注意!」
いつの間にかたどり着いた王都内への城門を前にずらりと並んだ軍の皆様方。
騎士隊、魔術隊、精霊部隊と本格的なその防衛ラインにメルヴィアは自身の立場が変わりつつある事を嫌でも理解した。
あるぇー、あたし脱獄犯から国家一級危険分子にグレードアップしてないかなー?
冷や汗たらたらにそんな事を思っていると、ズドンと彼女の足下に何かが炸裂した。
ぶわっと燃え上がる炎の壁をそのまま突き抜け、身体の向きを無理やり変えて彼女は森の中へと駆け込む。
「不幸だー!」
某黒髪ツンツン頭を頭の中で描きながら走る彼女の肩を矢が掠める。
さすがに余裕がなくなり軽口を叩かなくなったメルヴィアは、自身の生存本能をフル活動させ森を疾走する。
「はぁ……はぁ……」
さすがに疲れが見え始めたのか、彼女はふと茂みの中に駆け込むと木を背にして呼吸を整え始めた。
「……はぁ……恐るべし、ファンタジー…はぁ……」
前世では全く考えられない自身の体力と足の速さ、そして初めて目にした攻撃魔術。何か神憑りな存在に助けられているのか、今のところかすり傷以外のキズはどこにも見当たらない。
「……この事を、父様たちは危惧してたのかな」
ふと視線を落とした先には小刻みに震える自分の小さな手。それを何度か握っては開き、今まで自分の周りに起きた超常的な現象を振り返る。
初めて自分の周りにある『何か』を感じた時、彼女は部屋の中で空を飛んだ。。それを王である父に話すとものすごく驚きの表情を浮かべ、次いで悲しげな表情を浮かべていた。
他にも色々やろうと張り切り、力の使い方を間違えうっかり部屋に大穴を開けた時もあった。
いつしか姉にそそのかされた王家の伝承。白髪紅眼のエルフは国を滅ぼす。まさか、本当にそんなバカげた事があり自分がその立場に立つなど思いもしなかった。
だから、王は自国の民を思って自分を処刑する事に決めたのだろう。そう思うと自分は逃げるべきではないという思いが浮かぶが、それ以上に死にたくないという思いが強くなる。
「うっ……うぅ……」
どうしようもない運命に彼女は涙を流す。いっそこのまま暴れてしまおうかという黒い感情が渦巻くが、メルヴィアはそれを理性で押さえつける。
「そっちは!」
突然響く怒号。次いで、慌ただしくしかし、静かに響く複数人の足音。
精神的に弱くなっていたメルヴィアは悲鳴を上げそうになって寸で両手で口をふさいだ。
自然と呼吸も止まり、全神経が耳に集中する。緊張で心拍数が増えた自身の心音がやけに煩く聞こえた。
やがて気配と共に遠ざかる足音。しばらくその状態のままでいた彼女は、誰もいないと思い溜めていた息を吐き出した。
僅かに身動ぎした事で響いた衣擦れの音。
ハッと息を飲み、そろそろと木陰から辺りを伺おうてする。そこでまだ近くにいた魔術士とバッチリ目が合い、彼女は無意識に叫んでいた。
「いたぞ!」
「ばかぁああ!」
その言葉は誰に向けられた言葉なのか。とりあえず、甘く高い声でいきなり罵倒された魔術士はあまりのインパクトに思わずその場に立ち尽くしてしまっていた。
しかし、すぐに我に返った魔術士は照明系の魔術を行使しいつの間にか白髪エルフを捕まえるべく魔術士の隣を追い抜いていた騎士のサポートに回る。
お約束の事態にテンパっていたメルヴィアは、精霊術を使おうとして上手くいかない事で更に混乱しはじめていた。
魔術的な力を抑止する首輪と精霊との交感術を抑止する服装によって彼女の力が抑えつけられているのだ。
『助けて助けて! 妖精さん助けて!』
涙を流しながら心の中で懇願するが、何も起きる気配がしない。
そして涙でぼやけた視界のせいで地面の僅かな窪みに気づかなかったメルヴィアはそこでつまづき盛大に前転した。
一瞬、絶望感が彼女を襲ったが右足に感じた強い衝撃に我に返った彼女は、逆さまな視界の中で自分の踵が騎士の顎に直撃しているのが見えた。
『妖精さんありがとう!』
精霊の加護なのか、とにかく思わぬ幸運に激しく感謝したメルヴィアは前転の勢いを殺さず体制を整え森を疾走する。
やがて鬱蒼とした視界が開けた瞬間、彼女は先ほどの感謝の気持ちを撤回したくなった。
「う、そ………」
途端に襲いかかる脱力感に抗えず、その場に膝を付く。メルヴィアの目の前には、先日久しく降った大雨によって水位が増した川がそこにあった。
ほどなく追い付いた騎士たちの気配を背後に感じるが、振り返るのも億劫な彼女はそのままごうごうと流れる川を見つめた。背後で何か言っているようだったが、彼女の耳には届いていない。
やがて、徐に立ち上がったメルヴィアはゆっくりと背後に振り返った。
反撃されるかと騎士たちが身構えたが、彼女は何もせず騎士たちの顔を一人一人見るだけ。
『……妖精さん、頼りにしてるから』
自嘲めいた笑みを浮かべ、メルヴィアは背後の川に身体を傾けた。
何かを叫びながらこちらに駆けつけようとしている騎士たちを見ながら、彼女はこの10年間を振り返る。せめて前世で見れなかった走馬灯を見ておこうと彼女なりに考えてみたのだ。
窮屈ながらも何もかもが新鮮で退屈しなかった日々。裏があったとは言え、精一杯の愛情を注いでくれたこちらの両親には感謝している。思えば、反抗らしき反抗は全くしてなかったように思える。
『なら、これが初めての反抗だね……』
冷たい川の水が身体の芯を凍えさせるなか、メルヴィアは微かに笑みを浮かべた。
やがて脳裏に浮かんだのは、こちらの世界にはないコンクリートだらけの世界。
遥か遠い故郷の情景を眺めながら、彼女は意識の川底に吸い込まれていった。
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