09 ダンジョンは侵略兵器?
日本で強化人達がその高い知能を駆使してダンジョンについて研究し始めてから二年経った。研究者達は思索の為にダンジョンに籠ったりしていたから実質五十年以上は研究していた事になる。彼等の出した研究成果は多岐に亘るがそれは置いといて最新の研究成果はダンジョンの成り立ちについてだ。
ダンジョンが地球の生物では無い事は分かっていた。どんな進化をしたかは分からないが地球上にダンジョンに成り得る生物はいない。いたとしても今迄は人の目についても居ない生物がいきなり今のダンジョンにまで進化はしないだろう。ダンジョンは地球の生命を腸内細菌の様に体内で養って共生関係を築いている。そしてその死骸や排泄物、外部から入る諸々の物質を栄養にしている。エネルギー的には釣り合っていない気もするがダンジョン内の時間の進み具合が違うのはその辺りも関係するのかな?まぁ、ダンジョンにとっては我々の存在は有用なんだろう。でなければ排除する力が働く筈だ。そしてダンジョンに住み着いた生物は自然のままでは効率が悪いのか変えられる。作物や家畜の品種改良みたいなものなんだろうな。ダンジョンの使い勝手の良い様に変えられる。同時にダンジョン内部は居住する生物が繁殖し易い環境へと変わって行く。そしてこの変化はダンジョン外部にも侵食する。ダンジョンは内部で繁殖する生物と同じ様にダンジョン外部の生物も変えて行く、やがてダンジョン内部で繁殖した生物は外部へと解き放たれて外部の環境も急速に変わって行く。ダンジョンの内外で生物は繁栄し、それによってダンジョンも繁栄する。まぁ、こんな感じだ。
問題となったのはダンジョンについて研究を続ける研究者達の出した結論がダンジョンは宇宙から異星人が送り込んだ環境改造用の生物だって事だ。地球上には係累の生物が居ないと言うだけならダンジョンが進化して能力を身に付け種の繁栄の為に宇宙空間を乗り越えてやってきた可能性も有った。だけど研究の結果、ダンジョンが何者かの手によって改造された痕跡が見つかった。そして今迄は生物を強化しているものが何かは分かっていなかったがそれがナノマシンの一種である事が確認された。このナノマシンは生物の細胞核の遺伝子を改変するのではなく細胞内のミトコンドリアにとり込まれてミトコンドリアに変異を齎していた。そしてこれにより生物は強化されていた。植物の場合は各種の色素体も同じ様に変異していた。色素体は光合成を行ったり、様々な栄養素を貯蔵したり、様々な化学物質を合成したりしている。ここが変異する事で栄養価が高く成ったり、色が鮮やかになったり、薬効が変化したりしていた。変化していない遺伝子をいくら調べても原因は分からないよな。基本設計は弄らずにブースターを付け加えていたんだから。
何が目的かは分からないがダンジョンを送り込んだ異星人は地球の生命を使って地球の環境を改造している。ここで誰でも一番に思い付くのは地球に侵略して移民する為に予めダンジョンを送り込んで環境を整えているのではないかと言う事だ。そしてその可能性は非常に高い。仮に侵略の意図がないにしてもダンジョンを送り込んだ理由が有るのだから送りっぱなしではないだろう。と言う事は何れ異星人が地球に遣ってくる。地球人より進んだ技術を持った異星人が宇宙を渡って遣ってくるのだ。これは相手の侵略の意図の有無にかかわらず地球人にとっては脅威以外の何物でもない。
考えてみよう。もしダンジョンの発生が二百年前なら人がここまで強化獣と対抗可能だったかは怪しい。当時は今ほど銃器は発達してはいなかった。所謂リボルバーすらなかった時代だからな。現在何とか均衡を保っていると言う事は二百年前なら明らかに劣勢だ。人には獣達の陰に隠れて細々と存続する未来しかなかったかもだ。
人が獣と縄張り争いをしながら今の様に文明を発展させる事が可能だったとはとても思えない。少なくともユーラシア大陸、アフリカ大陸、南北アメリカ大陸では猛獣が優勢となっていた筈だ。元々猛獣の少ない砂漠地帯や高山地帯なら何とかなるかな?日本は島国だから少しは状況がましだがそれでも熊や猪、狼が暴れまわっていただろう。猛獣のいないオーストラリア大陸なら何とか人が優勢となれたかもしれない。ただダンジョンの氾濫で海が使えないから移住も難しく人口の希薄な当時のオーストラリアで文明の維持が可能だったかと言うと無理だろうな。仮に文明の維持が可能だったとしても他の地域における劣勢は挽回できないだろう。地表の環境の良い所からは追い出されて猛獣の好まない環境に在るダンジョンに籠ってダンジョンを守りながら生き延びる人の姿しか想像できないな。ダンジョンの浅層を故意に不毛のままにして猛獣達を騙し、奥の方を開拓すれば何とかなるだろう。
いずれにせよ文明の恩恵無くしては犬にすら劣る生存能力しか持てない人は衰退する可能性が高い。絶滅するとも思えないけど今の繁栄を築く事は不可能だったろうな。
日本では異星人が侵略して来るものと想定して対策の検討を始めた。
「このナノマシンは人にもコントロール可能なのかね」
「充分可能だと思いますよ。時間さえあればですけど。今はマウスで実験中です」
「ダンジョンもこのナノマシンで弄られているんだよな」
「ええ、そう考えていますよ」
「ではこのナノマシンがコントロール出来ればダンジョンの改造も可能だな」
「その通りですが、これだけ汎用性に富む有用なダンジョンを弄るんですか?下手に弄ると今ある全てをふいにしかねませんよ?」
「だからコントロールが出来ればの話だ。今更ダンジョンにいなくなられても困るからな」
「慎重に進めないといけません。特にアメリカにはこの情報を流さない様に進めましょう」
「そうだな。今のあの国ならダンジョンを殺す為なら何をするか分からん」
日本人は知らないがアメリカでも以前とは状勢に変化が有って既にそんな事を考えているのは極一部の過激派だけだった。日本から情報の流れたダンジョンによる若返り効果が周知されるにつれて政府のスポンサーでもあるお金持ちなお年寄りたちが考えを替えたのだ。自分に角が生える訳でもないし、子供達に今すぐ角が生える訳でもない。だったら問題は先送りにしておいて有用に利用できるものは利用しようと言った雰囲気となった。日本にはそんなアメリカの雰囲気は伝わっては来ないので反応が過剰気味なのだ。まぁ、過激派がいなくなった訳でもないのでアメリカに情報を流さない方が良い事は確かなんだが。
「アメリカ人の一部はダンジョンさえなければ覇権国家に返り咲きとか考えていそうですよね」
「それも有るが一部のクリスチャンが強化人を悪魔の手先とか言って罵っているだろう?下手な所に情報が流れると強化人を皆殺しなんて話になるやもだ」
「でもこのナノマシンには生物を殺す機能はありませんよ?変異させるだけです」
「……そうなのか?ナノマシンを使って元の形に戻す事は可能なのだろう?」
「このナノマシンはもう組み込まれて我々の細胞と一体化しているのですよ?元に戻す事は研究が進めば可能かもしれませんが今は思いもつきません。でもそれにはナノマシンを作成できるレベルの技術が必要だと思いますよ?」
「我々のと言ったが私の細胞にも組み込まれているのか?だけど私には角は無いぞ」
「最初から組み込まれていないと発動しない様です。一度発動したものを元に戻すのも難しいと考えています。仮に可能だとしても身体が変異に耐えられないと思いますよ?身体の成長に伴っての変異だから耐えられるんです」
「そうか一旦変異した生物を元に戻すのは難しいって事だな」
「ええ、その通りです。研究しているのはあくまでも空気中を漂っているこのナノマシンのコントロールの話で新しいナノマシンの作成ではありません。変異の内容を弄れるかもしれない程度の話です。変異をなしにするのは難しいでしょうね。出来ても角は嫌だからと鬣にする程度でしょうか」
「そうか。私が遣りたいのはあれだ。スライムのコントロールだよ。ダンジョン内の一層でも良いから機械類の設置を可能にしたいんだ。貯蔵施設なんかも作りたいんだ。バイオマスは成功しているけど燃料は外にしか貯蔵できないだろう?凄く不便なんだ」
スライムが栄養素としてダンジョンに吸収してしまう為、現状では機器の設置や加工品の保存がダンジョン内では不可能となっていた。物を無くさない為には身に付けるしか手は無かった。何か良い手はないか探ってはいるのだが今の所は有効な手段は存在しない。
「研究はしていますよ。要はダンジョンに無生物を生物だと誤認させる方法が有れば良いんですよ」
「良い方法があるのかね?」
「だからまだ研究中です。ダンジョンが消化するものを如何やって判別しているのかも分からないんですから」
ダンジョンがどの様な基準でダンジョン内のものを吸収しているのかは明らかになっていない。経験的に生物は生命がある限り吸収しないし生物の身に付けているものも吸収しない。チーズなんかも発酵していれば吸収しないが殺菌すると吸収する。だけど腐敗したものは吸収するのだ。腐敗と発酵どちらも細菌による有機物の分解なのだがどう区別しているんだ?人に都合が良すぎるよな。人に有益かどうかで判別しているとしか思えないのだが道具類は身に付けていないと何故か吸収されてしまうのだ。
「そうか……今の所は無理なんだな。何とかならんもんかな。ダンジョン内に研究施設があるだけで随分と違ってくるのだろう?」
「ええ、その通りですね。ダンジョン内で思索に耽って外に出て来ると実験の進みが遅くて愕然としますから。理解はしていてそれを利用しているんですがね」
「考えるだけならダンジョンの中で可能だからな。でもダンジョン時間も不可思議だよ。外に居住して頻繁に出入りすると体感時間はあまり違わないんだろう?」
「それは奥に進むほど時間がズレてくる話とダンジョン酔いが絡む話の様ですよ。私は専門外ですが層と層を繋ぐ通路で時間の調節がなされているそうですよ」
「……よく分からんな」
「ええ、私も分かりませんでした」
ダンジョン時間については研究中だがよく分かっていない。でも便利で利用可能なものは何でも利用する。そうしないと異星人の侵略には対抗できないだろう。
研究の最優先事項は地球中にばら蒔かれたナノマシンのコントロールで次にナノマシンの開発だな。これが出来ないとどう考えても対抗は不可能だ。侵略者側にナノマシンをコントロールされたらそれで詰みだからな。
次にダンジョンの利用方法の更なる追求だ。我々はダンジョンによって食料の増産に成功し、燃料の量産に成功し、物資のリサイクルに成功し、環境の浄化にも成功した。中に住む生物とダンジョンは共生関係にあり、我々の繁栄はダンジョンの繫栄と連なり、ダンジョンの繁栄は我々の繁栄と連なっていた。
ここで壁として立ち塞がっているのは科学技術文明の利器がダンジョン内に設置が出来ない事だ。ダンジョンの中に研究所や工場が設営可能であれば更なる文明の発展が期待できる。そして侵略者がいつ現れるかは分からないがダンジョン時間を利用すればダンジョン外に対しては四十倍の研鑽が可能なのだ。これを利用しない手はないだろうが現状は思索にしか利用できない。勿体ないよな。
そしてダンジョンの利用なしでの対抗手段の用意だ。ナノマシンでも分かる様に明らかに異星人の技術の方が進んでいる。仮にナノマシンの開発に成功したとして無効化される恐れは充分にある。侵略が始まるまでは活用するにしてもその後はダンジョンなしでも戦えるような準備が必要だ。人口は出来得る限り増やした方が良いよな。ダンジョンの攻略をどんどん進めないとな。日本だけでは無理か?でもどの国も各々国体の保持に手一杯で会談を持つ余裕すら無さそうだ。
余裕が有るとしたらアメリカぐらいなものだがアメリカはダンジョンに対するテロリストの温床だ。ダンジョンに関する情報をアメリカに渡す訳にはいかない。アメリカとの関係も良い訳ではないしな。奴等未だに日本に駐留米軍がいた時の様に振舞う。ダンジョンの氾濫があってもうそんな世界状勢でもないのに。
まぁ、偉そうに振舞うのも分からないではない。アメリカの軍事力は世界一でその軍事力だけで獣達を抑えているように見えるしそう振舞っている。そんな事が出来て居るのはアメリカだけだ。アメリカの強化人も獣達を抑える為に動いている筈でダンジョンの研究も進んでいる筈なのに表には出ていない。対外的には統制された情報を一方的に垂れ流すだけでアメリカ国内の真面な情報は日本に入って来なくなって久しい。
日本には既に海外の詳しい情報が入らなくなっていた。インターネット?そんなものはアメリカが一番に統制に乗り出した。パニックを防ぐ為とか言っていたな。確かにダンジョンの氾濫のデマがインターネットを飛び交ってはいたな。他国の資産の凍結に手を出したのもアメリカが最初だ。経済的な混乱を防ぐ為とか言っていたな。でもそれは一時的なものの筈だろう?日本からの確認要請に対して未だに梨の礫なのはなぜだ?どさくさに紛れて借金をうやむやにし、他国の資産を接収するつもりなのが見え見えだ。覇権を失った今となっては以前のソ連よりも性質が悪い。まぁ、世界状勢が混沌として自国が危機に在ればそんなものかもしれないな。
日本の強化人の挙げた諸々の研究成果は極秘事項として秘匿される事となった。ダンジョンの氾濫後の諸国の振舞いを見るに信用に欠けていたからだ。まぁ、これはお互いさまだろう。他国が日本を信用しているとも思えない。それで日本政府は独自で異星人が侵略して来るものと想定して対策を進めた。