25 南極宣言
南極大陸を実効支配した諸国は世界に向けて南極条約の無効と南極大陸の領有を共同宣言した。南極宣言である。そしてこの宣言と同時に南極大陸に南極会議を設置して新南極条約を締結した。
南極大陸の領有を宣言した諸国はダンジョンの氾濫による世界状勢の変化により南極条約が無効となったとしていた。これはダンジョンの氾濫による世界的な混乱で条約加盟国の大半が亡国か亡国に近い状況に陥り、南極条約の寄託者で条約を主導する立場のアメリカが孤立主義を選択して条約が実質的に機能していなかったからだ。その結果としてアメリカはダンジョンの利用によって先占が可能となった南極大陸における領土の獲得競争を阻止出来なかった。
新南極条約は南極条約から南極地域における領土主権、請求権の凍結以外はほぼ引き継いでいた。新たに加わったのはダンジョンの占有に関する規定である。ダンジョンは南極においても未だ発生を続けており、その発生した場所と占有者によっては領土の境界で揉め兼ねない状況にあったのだ。
日本政府は南極宣言への世界の反応を窺っていた。
一番に抗議の声を上げたのは日本の野党勢力であった。彼等は南極宣言によって日本政府が極秘に南極の実効支配を進めていた事が明らかになると「侵略だ」とか「南極の平和を守れ」とかを国会で喚き始めた。それの少ない支持者達は国会前でプラカードを掲げて抗議デモを行った。アメリカ軍が引き上げて以降は鳴りを潜めていたのが久々の復活だ。だが日本の世論がそちらに靡く事は無く何時の間にか消えてしまった。
以前とは違って国外から資金の提供がないから続かないんだろうな。
「国内は置いといて海外での南極宣言への反響はどんな感じ?」
「アメリカ政府と中国共産党が電波を流して我々に抗議した。そのぐらいだな」
ダンジョンの氾濫以降、世界中に張り巡らされていた通信網は寸断されていた。通信ケーブルは魚に齧られるし、通信衛星はサイバー攻撃にあったり直接攻撃されたりで機能していないままで復旧する事は無かった。技術のある国は何処もそれどころではなく、国内はともかく国外については知った事ではないと放置していた。孤立主義を選択したアメリカに至っては他国が結びつくのが嫌なのか積極的に通信妨害までしていた。だから中国共産党による抗議は台湾が受信しただけだし、アメリカによる抗議はカナダとアラスカが受信しただけだった。南極宣言は新南極条約の批准国が一斉に発信したから世界中に行き渡っていた筈だ。まぁ、これは受信する設備が生き残っていればの話だが。
「へぇ~。中国共産党って、まだ残党がいたのか」
「しぶとく生き残っているみたいだな。まぁ、返り咲く事も無いだろうが」
シナは争乱の最中でシナの覇権を巡って様々な勢力が入り乱れていた。群雄割拠ってやつだ。中国共産党は何とか生き延びてシナの勢力図の一角を占めていた。
日本政府はシナの諸勢力が渡海能力を失っているものと判断していた。日本の知る限りではシナの軍艦はシナの争乱が始まって暫くは海を蠢いていたが直ぐに止み、それ以降はシナの軍艦が外海に出る様子はなかった。だから中国共産党が南極宣言に茶々を入れてきても南極に干渉する力はなく近々の脅威ではないとして優先順位を下げて扱っていた。
海軍の維持はたいへんだからなぁ。特に齧る魚の出現以降は喫水より下の装甲が弱いと魚に齧られて穴を開けられるから余計に面倒になった。船が沈まない為には装甲の強化と装甲の小まめなメンテナンスは必須だ。
「ふ~ん。インドはどう?緯度的には獣が蔓延っていそうだけど」
「あそこは状況が掴めん。獣の勢力が盛り返しているのは確かなんだが」
ダンジョンが発生する前のインドは猛獣は細々と生き残っている感じでライオンや虎等は絶滅寸前だったのだがダンジョンの発生で獣の勢力は一気に盛り返していた。インドは人が異常に多くいたからか人の勢力圏が保ててはいた。ただ宗教や民族別に勢力圏が形成されてしまい国は分裂状態に陥っていた。
「インド人はダンジョンに対する忌避は無いよな~。だったら今頃は人口も増えていそうだけど」
「その辺りの事は東南アジアの各拠点が落ち着いてから考えようか。今、問題なのはアメリカだ」
「アメリカか~。如何動くかなぁ?」
アメリカ政府は南極条約の無効を認めず、南極大陸の領有を宣言した諸国を非難してその撤回を迫ったが諸国が南極大陸を実効支配している事実は覆し様がなかった。だがこれはアメリカ政府が国を纏めるのには都合が良いと思える出来事であった。アメリカ政府はまず日本を筆頭とする新南極条約の批准国をアメリカの敵と定めた。そして暫くするとアメリカで戦争前夜の様な言説が飛びまくり国内の引き締めが始まった。
アメリカの諜報部門では政府の方針に従い南極大陸を実効支配している諸国に対抗するべく様々な策謀が始まった。
「南極の状況に何故気付けなかった。監視衛星は起動しているのだろう?」
「我が国は南極の常時監視が可能な数の衛星を維持してはいません。監視する時間は限られます」
ダンジョンの氾濫以降の南極大陸は監視対象としての優先順位が低かったのだ。諸国は国を守る事に汲々しており南極大陸に手を出す余裕のある国は無い筈だった。覇権国たるアメリカにすらその余裕はなかったのだから他国には無理だと判断していた。
「確かに我が国の衛星も諸々の攻撃で随分な数が機能不全となったな」
「はい。それで諸国の監視が優先して南極周辺の監視は残念ながら優先順位が低く……」
「現状は?南極大陸の不法占拠の状況は確認できたか」
「チリとアルゼンチンの船舶を監視する限りはですが、両国による南極大陸の実効支配は事実の様です」
南米大陸と南極大陸の間を物資輸送の船舶が行き来していてその様子が監視衛星にて克明に観測できた。そして以前に比べると明らかに輸送量が増えており南極大陸で需要が増加しているものと推定された。
「南極大陸上の監視結果は?何か以前と違いはあるのか?」
「ダンジョンへの出入りは確認済みです。共同宣言前は巧妙に隠していましたが今では監視を気にする様子もありません」
「南極大陸全土でか?」
「ええ、未攻略のダンジョンは皆無と思われます」
「では南米の二国以外の不法占拠も事実とみて間違いないな。二国だけで可能とは思えん」
「残念ながらそう推察されます」
「それで南極大陸を不法占拠する諸国の中に切り崩せそうな国はあるか?」
「まだ調査中ですが現状では切り崩せそうな国はありません。宣言の内容が事実であれば批准国の全てが南極大陸に何らかの権益を確保しています。我が国と組んでそれを手放す気は無いでしょう」
「奴等はダンジョンを利用して南極大陸を不法占拠しているのだよな」
「ええ、奴等はそう公表していますし、観測結果もそれを裏付けています」
「そもそもそれは本当に可能なのか?誤魔化しではなく」
「残念ながら可能です。我が国の強化人にも確認しました。我々が知らなかっただけです」
「どうしてそんなに重要な情報が我々の耳には入らなかったのだ」
「それは我々がダンジョンを忌避しているからです。我々がダンジョンに入った者を信用してはいない様にダンジョンに入った者も我々を信用してはいません。それで彼等はダンジョンに関する重要な情報を我々には漏らさない訳です」
「我が国のダンジョン関連の研究はどうなっている?」
「御存じでしょう?国の研究機関で出世したい者はダンジョンに関わろうとはしません。ダンジョンに入ったら外されますからね」
「だがそれはダンジョンの氾濫後の話だ。発生当初は調査していたではないか」
「ですが角が生えるのが分かって以降は忌避感が強まってダンジョンに新たに入ろうとする者は激減しました。それに知的好奇心に駆られてダンジョンに入る者がいるにしても国よりダンジョンの利益を優先する様になります。これではダンジョンを忌避する我々には重要な情報は入りません」
「では何故今回の件は我々に教えた」
「秘密にする必要が無くなったからです。南極の件で公となりましたから」
「……角付き供の秘密がこれだけだと思うか?」
「それはありませんね。そんな筈はない」
「では探り出せ」
「了解しました」
「それにしても南米の二国はともかく他の国は如何やって我々の監視網を潜って南極大陸に人を送り込んだのだ?南極大陸全土を占拠可能な程の人数だ。見逃すとは思えん」
「その多くは送り込んだのではなく南極のダンジョン内で増えたものと推定しています。ダンジョンの発生から二年足らずで獣が増えてダンジョンの氾濫が始まったのをご存知でしょう?同じ事です」
「……そんなに増えるものなのか?」
「ダンジョンの発生から十年以上経っています。既にダンジョン時間では四百年以上経っている計算です。人口は増加率が年三%なら百人が一千三百万人、年四%なら百人が六億五千万人を越えますね。千人も送り込めば八年だとしても十億人を超えていておかしくはないです」
「そんなに上手く行くとはとても思えんな。ダンジョン内に機械の類は設置不能で近代文明は維持不能だ。日本の奴等はそれだけの人口を抱えて南極を含めた形で近代国家として統一が保てるのか?」
「御存じの様に彼等は我々よりも賢いのですよ。何か上手い手を見つけたのでしょう」
「だが四百年と言ってもダンジョン内では機械の類が保持不能だから科学技術は発展しえない。対処は充分に可能だと判断していたではないか」
「アメリカ国内だけの話であれば確かにその通りなのですが他国は状況が違います」
「他所はそんなに違うのか?」
「ええ、日本では随分前から強化人が表に出て活躍している模様です。科学者や技術者は当然の事ながら軍への登用も実施している筈です。ヨーロッパもロシアもこれは同様でしょうね」
「軍事訓練された角付きか……真面に戦ってはこちらに勝ち目はないな」
「ええ、勝ち目が有るとは思えません」
「では南極の不法占拠への対処は如何するのだ」
「ダンジョンを攻略するしかないでしょうね。シナ人のテロリストへの対処と同じです」
「角付き供を更に起用せよと?」
「既に我々のダンジョンへの忌避は充分に国益を損なっていると判断しますが?」
「その通りだがそれは今更な話だ。此処で角付き供を増員したとして挽回は可能か?」
「それは些か手遅れと考えます。南極利権に少し食い込む事が出来れば良い所でしょう」
「その通りだ。南極大陸の占拠にダンジョンを利用しているのなら核兵器ですら凌がれる。我が国には南極大陸での逆転の目は無いな」
「ええ、残念ながら」
「だがそれを悟られる訳には行かん。大統領閣下はそれを認めんだろう」
「……その通りですね。大統領閣下はともかく支持者がそれを認めるとは思えない」
「では表向きは南極問題の対策として国内の角付き供の軍への登用を進言しよう」
「ですが大統領閣下の思惑とは懸け離れた結果しか出せませんよ」
「ではどうする?他に手はあるのか?昔なら戦争を進言した場面だがそれは勝ち目が有ればの話だ。現状では国内の角付き供を味方に付けなければ戦闘にすらならんだろう」
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「大統領閣下、南極問題への対策として強化人部隊増強の要請が上がっております。如何なされますか?」
「許可しよう。できる事は何でもする。アメリカの威信を回復してこの国家分裂の危機を乗り越えねばならん」
「ではその様に」
「そんな事よりも中国共産党と繋ぎはとれたか?」
「いえ、まだです。通信回線が繋がってはいないので以前の様にはまいりません。人を送り込もうにも海はご存知の様に強化された魚類が跋扈して航海も難しく、チャイナ内陸は内乱状態で捕まれば奴隷です。時間が必要です」
「至急チャイナの勢力と繋ぎを付けろ。別に共産党でなくとも構わん」
「……本当に宜しいのですか?」
「構わん。敵の敵は味方だ。チャイナ以外の勢力は南極大陸の状況を黙認しているのだからな」
「……ですが国内で暴れまわったテロリストの同類ですよ?」
「チャイニーズが厄介なのは身を以て知っている。南極を不法占拠する奴等にそのチャイニーズをぶつけるのだ」
「手を組んでもチャイニーズにはその術がありませんが?チャイニーズは海峡を跨いだ隣の台湾にすら手を出し兼ねているのですよ」
「我が国が手を貸せばよいではないか。アメリカ海軍なら可能な筈だ」
「確かに可能ですがチャイニーズと組む事に国民の同意を得られるとは思えません」
「だから秘密裡に進めるのではないか。潜水艦を使えばよい」
「我が国の潜水艦にテロリストの同類を乗せるのですか?それに潜水艦では少人数しか運べませんよ?」
「そんな事は後で対策を考えればよい話だ。まずは繋ぎを付けよ」
「了解しました、閣下。ではその様に手配いたしまします」
アメリカ政府は南極大陸を実効支配する諸国に対してシナ人をぶつける算段を始めた。最初は日本を筆頭とする新南極条約の批准国をアメリカの敵と定め国民を扇動して国を纏めようとしたのだが、シナ人のテロに比べると切実感に乏しく国民は踊らなかった。だが南極の件はアメリカの威信に関わる問題なので放置する訳には行かない。それで南極にシナをぶつけておいてシナ人の討伐を理由に南極の権益を奪おうと謀ったのだ。アメリカ政府はシナ人の討伐であれば国民は動くとみてシナを裏で唆して上手く遣るつもりでいた。
この頃の日本はアメリカの動向を気にしながら南極大陸の開発を進めていた。ダンジョンの近辺の地表に今迄の様に基地を設置するか地下開発をするかだ。
「南極の地下開発は順調だな」現場の作業者の一人が休憩中に満足げに同僚に話し始めた。
「まぁ、順調だな」相手の返事は少し不満げだ。
「何か不満でも」
「……いや、南極の地下を態々開発する必要があるのかなと思ってさ」
「ああ、それは俺も思った事が有る。確かに今は必要が無いんだ。だけどすぐに必要になる」
「如何して?」
「ダンジョン内の人口が増えて供給が追い付かなくなるからさ。北極のダンジョンは氷上だから地下工場は造れない。北半球にある工場だけでは南極にオーストラリアとニュージーランドのダンジョンまで加わった南半球の需要増にまで対応するのは無理なんだと。監督が言ってた」
「……何れは物資が足りなくなるって事か」
「チリとアルゼンチンは日本が支援を主導して投資もかなり行った。オーストラリアとニュージーランドも同じ様にしている所だ。だが当面の繋ぎにしかならん。これも監督の受け売りだけどな」
南米の二国とオセアニアの二国には新南極条約を批准した諸国が投資して南極への物資の供給基地としているが近いうちに需要に供給が追い付かなくなるとされていた。日本はそれも有って南極の地下開発を進めているのだ。日本は北極圏で獣対策として地下開発を行い工場等を設置していて凍土の扱いの経験があったため、南極の地下開発は順調に進んでいた。
地下開発の遣り方は単純でまずは地表から掘り進めて目標深度で地下空間にダンジョンの入口を移動させる。後は好きな様に地下空間を拡げるだけだ。適当な段階で地表との出入り口を厳重に封じてしまえば地表からの侵入はまず不可能となる。作業で出た土砂等の廃棄物はダンジョン内に捨てれば吸収されてしまうから問題はない。空気?ダンジョンが在ればいくらでも浄化が可能だな。
南極の地下開発は土が凍結していて面倒なんだがこの方法には様々な利点があった。南極大陸の地表の厳しい環境の影響を受け難い事、地表に廃棄物は出さないから南極大陸の生態系に影響はない事、核攻撃から工場等の施設を守れる事だ。
この時点ではアメリカがどう出るかは未知数であり日本は核攻撃を恐れていた。だがシナ人に関しては、シナ人の乱を押さえ込みシナ人がオーストラリアからシナ大陸へ行くのを防ぐ体制を整えた事で日本は安心していた。そこへアメリカでシナ人が暴れているとの情報が流れて来た。どうやらアメリカ政府はシナと組んで南極に当たろうとしたらしい。シナ人の乱で散々な目に遭った当事国がシナ大陸からシナ人を自国に招き入れるなんて想定外も良い所だ。