10 日本の現状
ダンジョンの氾濫により海も陸もダンジョンから溢れ出た強化生物が暴れていた。これによって世界中で交易路が寸断される事となった。また内乱その他の理由で国の存続すら危うい地域が続出した。こうしてグローバル経済とやらはあっけなく萎んだ。国によっては国内すら寸断されて経済ブロックが分かれてしまい、個々で存続を図る様な状況に陥っていた。
日本は海外資産の多くを失い自国内で物とお金を回して経済を維持するしかなくなった。日本はダンジョンを用いて食料の増産を図り、ダンジョン内でバイオマスを用いて代替燃料の生産を図り、ダンジョンを用いて資源のリサイクル利用を図った。後は国内の流通網さえ維持できれば日本経済も何とか回るのだが此処で問題なのが日本が島国である事だ。本州、九州、四国、北海道はトンネルやら橋やらで陸路が繋がっていて勢力圏として確保しているから何とかなる。でも海洋に点在する奄美群島、沖縄諸島等の島々については海路が寸断されて安全な輸送路は空路とダンジョンしかない。しかしダンジョンは輸送経路としては大量輸送の方法に欠けるし空路はお金が掛かる。世界を見渡せば細々とでも繋がっているだけマシな状況ではあるのだが。海路を復活させる方法があれば良いのだがなぁ……取り敢えず海路を確保すべく輸送船の開発を進めてはいるのだが恒常的に使用するには大鑑巨砲時代の軍艦並みの装甲が必要だそうで輸送費が嵩む事になりそうだ。それにそんな丈夫な装甲は今では潜水艦か砕氷船で使用するぐらいで造れる国も限られる。安価に大量生産とも行かなそうだし国外に補給基地が無くては使えない。国際貿易の復活の道は遠い。
そんな日本を取り巻く状況とは関係なく俺達一家はダンジョンの開拓に勤しんでいた。最近の親父の流行りは磯釣りだ。強化人の一家を俺の家のダンジョンに受け入れた事で離島のダンジョンと行き来が出来る様になると親父は足繁く通う様になった。初めはその離島の半水没のダンジョン内の磯の生け簀で磯釣りを楽しむだけだったのだが我慢できなくなったらしく家のダンジョンにも擬似海岸を作り出し砂浜や干潟まで造って海の生き物を放ち始めた。離島の変わりもんのおじさんとは仲良くなって互いのダンジョンを行き来するまでになっていてその人と強化人達の協力も有って立派な海水湖に仕上がっていた。
「とうとう海まで造っちゃいましたか」と研究の為と称しては長谷部家のダンジョンに来て遊んでいく研究者の一人が言った。
「親父が離島のおっちゃんと仲良くなって気が付いたらこうなってた」
「めちゃくちゃ凝った造りになってますよね」
「主に釣りを楽しむためだからね。砂浜や磯や干潟なんかもかなり忠実に再現してある。養殖の為だけなら必要はないかな」
太陽が無いから日光浴は無理だけど砂浜では海水浴も出来る様になっていた。それとまだ見に行ってないけど奥の山には川が在って海に流れ込んでいるらしい。川でも釣りができるそうだ。
「好きじゃなければ遣れませんよね。それで親父さんは今日はどの辺りで釣りを楽しんでいるんですか?」
「今日は村の公園のダンジョンに行って似た様なのを造ってる。向こうは日本海仕様にするらしいよ」
「ここは南国仕様ですよね。椰子やマングローブもあるし」
「ええ、ここは離島のダンジョンから生き物を持ってきているからね」
「日本海仕様は如何するんですか?」
「富山、新潟辺りの漁師さんと仲良くなったみたいでね。手伝って貰ってる。最近は海には危なくて出れないからダンジョン内で養殖するかもしくは漁をするかだそうだよ」
「まぁ、そうですね。沿岸や堤防に発生したダンジョンの開拓を進めていますね。実際の海は危険ですから」
日本近海にはダンジョンの氾濫以降は船を沈める魚が大量にうろついていて漁に出るのは不可能となっていた。北海道から北は大丈夫の様だが本州の漁師には意味の無い話だな。それで最近は沿岸のダンジョン内に生け簀を造って魚介類を放流して増やしていた。俺の親父はそれらを参考に……でもないな。養殖の為だけなら山を造ったり川を造ったりまではする必要は無い。あれは完全に趣味だ。
「それにしてもダンジョンは便利だよね。日本国中何処にでも行ける様になった。俺も南国産のフルーツの苗を直接仕入れる事が可能になったよ」
「それ研究中なんですよ。今のままだと大量輸送には向かないでしょう?主が同じダンジョンが最深層で細々と繋がってるだけなんでせめて乗用車二車線分あればもう少し使い勝手が有るんですが」
「リヤカーを引くぐらいの幅しかないよ?それに俺の知る限り一度は誰かに連れて行って貰わないと行きたいダンジョンにも行けない」
「そう、その辺りが如何にかならないか研究中です。通路専用のダンジョンが出来ないか?とか」
「それは無理。ダンジョンは内部に生物を飼わないと生きれないから……浅層部で繋がればもう少し使い勝手は良くなるよ?」
「それも研究中です。態々深層まで行くのは手間ですから」
「考えてみたら獣達のダンジョン同士も当然繋がっているよな」
「そう考えています。同属のダンジョン同士ならの話ですけど。種が同じでも属するグループが違うと繋がりません。これは大陸の中国人同士の争いを見れば分かりますよね。だから日本と他国の人のダンジョンも属するグループが違うので繋がりません」
「日本の強化人をアメリカのダンジョンに送り込めば俺達がアメリカに行けるようになるかな?」
「アメリカの強化人に同属の仲間だと認識されればね。もしくはアメリカの未攻略のダンジョンを一つでも攻略すればそうなる。攻略するのは後で揉めそうだけど」
「アメリカ軍が撤収する時に揉めたよな」
「ええ、ダンジョンに関する法律が違っていたからね。それに地位協定にはダンジョンについての取り決めは無かったので」
「原状復帰義務が無いからと好き勝手にしていたって問題になってたよなぁ」
「アメリカの法律に従えば土壌汚染なんかは回復する義務があるんだけどそれを地位協定を持ち出して何もせずに放置でダンジョンはアメリカの法律に基づいて買えって言い出したから」
「聞いた、聞いた。ダンジョンも碌に管理もされていなくて後処理が大変だったって」
「世界中で遣らかしてると思いますよ。同盟国でもなくなるから問題ないって感じで態々敵にまわす事も無いだろうに。特に資産凍結は禁じ手だ。未だに解除しないし」
「印象最悪で好感度急降下。こんな世界状勢では形振り構っていられないのか。でももう少し気を使った方が良いよな」
アメリカ軍は世界中から撤収を開始した。まぁ、これは仕方がない。海路が寸断された貿易がままならない状況で海外の市場を守ってもアメリカの国益には繋がり難いからな。なにせ海洋に点在する自領の島々を維持するのも難儀な状況なのだ。
各国の現在の主敵は敵国ではなくダンジョンから溢れ出る諸々の強化獣達だ。夫々国内に溢れる強化獣達と戦っているのだ。これは各国ともにアメリカとの共通の敵とはなり難く普通は共同で当たる様な相手ではない。基本的に各国が個別に対処するべき問題だ。これらの強化獣を共通の敵とするとしたら国境を接する国々でアメリカではない。そうなると敵への威嚇にもならないアメリカ軍の駐留は意味が無くなる。
それで撤収を開始したのは仕方がないとして、各国と揉めながらそれを解決する事も無く関係を解消したからかアメリカに対する各国の印象は悪化した。今迄はアメリカ軍がそれらの地域を守っていたから不満も抑えられていたのだがそれも無くなってしまった。それでアメリカの評判は地に落ちたがそんな事を気にする様子も気にする余裕も当のアメリカには無かった様だ。まぁ、元々猛獣の類が居ないオセアニア等を除いてはどの国も獣に押され気味なのでそんな余裕は無いのか。
「日本はアメリカ軍の撤収で枷が外れた感じだな。随分と気が楽になった。中国と半島がああなって軍事的な脅威が減ったのもあるかな」
「ロシアの影も薄くなりましたよ。でも一番大きいのは困ってもいるんだけどダンジョンの氾濫で海からの軍事的脅威がガクッと減った事ですよ。中国が漁船を出せなくなった。漁船では魚が沈めますからね。竹島も魚釣島も日本人が上陸しても何も言ってきませんよね」
「半島はもう船を出す能力すら残ってはいないんだよな。半島領の島々は完全に孤立しているんだろ?」
半島人はあれほど執着していた竹島を日本が奪還しても何も言ってこなかった。これは日本ではダンジョンの氾濫に紛れてニュースにすらなっていなかったから仕方がないか。竹島にはダンジョンが在ったのだけど封鎖した様子は無かった。半島でダンジョンが危険だとの話が拡がって以降はダンジョンの所為で竹島には誰も寄り付かなくなっていたらしい。島には碌に動物もいないから危険も何もあったものではないのだがダンジョンの封鎖に訪れる者すらいなかった様だ。魚釣島も似た様なもので自衛隊が上陸に向かってもあれほどいた中国船の姿は何処にも無く島のダンジョンを容易に確保できた。
中国と言えば漢民族以外の所謂被支配民族の間では独立宣言が流行っていて日本政府は殆ど全てを承認していた。既に国の体を成していないので安定勢力が増えればその方が望ましいからだ。承認するだけでそれ以上は何をするでもないけど既に無政府状態にある大陸からは中国共産党政府と半島の二つの亡命政府から日本に対して非難声明が出された。「騒乱を助長する行為で認められない」「そうやって国の分裂を誘って後で侵略するつもりだな」「半島の騒乱を助長している」等々。他にも独立を承認した国は多く有るのだが日本にだけは幾度も非難声明を出していた。「騒乱を助長しているのは中国共産党で騒乱の中心である」「分裂を誘うも何ももう分裂してるよ」「侵略する価値はあるのか?」「半島の騒乱は半島人が誰がボスになるか揉めているからで日本は関係ない」等々、日本はいちいち反論してはいるが日本への非難は止まない。彼等にとっては内政上、日本を非難する事に意味があるので事実か如何あろうと如何でも良いのだ。何故か日本への亡命を拒否されて滞在を許可されているだけの半島の元大使館員からも同じ非難の声が上がったので国外退去して頂いた。行き先?済州島までホバークラフトで丁重に送ったのだ。ホバークラフトなら水面上を飛ぶから魚に沈められる事はない。
ロシアはダンジョンの氾濫によって東西が分断の危機に在った。それで日本から見るとロシアの脅威度が下がってロシアから見ると日本の協力なしでは東側の極東連邦管区の維持も難しい状況にあった。そんな訳でロシアからは様々な情報が日本に入る様になっていた。ロシアは日本との友好を必要としていた。
「ロシアからの情報によると半島では虎が勢力圏を拡げている様ですよ」
「そうすると半島は虎の勢力圏に飲み込まれる可能性大だな。奴らまだボス争いで揉めてるんだよな」
半島は悲願である一つの国になったらしいのに未だに強化人同士で誰が主導権を執るかで揉めていて統一政府が発足できていない。ロシアからの情報によると白頭山に虎のダンジョンが在って勢力圏を拡げているのだが犬と猫のダンジョンも勢力圏を拡げているのだが放置して権力闘争に明け暮れているのだ。奴等は属国馴れしているのか外から脅威が迫っても内輪揉めを止めない。属国になっても構わないと思っているのだ。半島では外国を引き込んで権力を維持するのが常態化しているからな。虎に通用するとも思えんが……次の半島の支配は虎のものかも知れんな。日本にとっては幸いにも虎は海を渡っては来ない。その方がマシかも?
「半島が虎の勢力圏に飲み込まれるのは構わないけど難民は御免ですよね。半島に真面な船は残っていない様だから問題ないとは思いますけど」
「対馬さえ気を付けていれば問題はないだろう。あそこが一番近い」
「対馬ですか、今迄一人の難民も流れ着いていないのが不思議なぐらいですよね」
「ダンジョンの氾濫以降は一般の船舶はもうあの辺りは通れない。海上自衛隊の艦艇しか航行してはいないだろ。許可なく領海に侵入した半島の艦隊は沈めたしな」
「そう言えば装甲の厚い船舶でないと海のダンジョンから出た奴の餌食ですよね。半島から逃げ出した漁船も皆遣られた」
「どんな奴なんだ?」
「少し沖合にいる大き目の魚です。歯が鋭くて貝なんかをバリバリと喰う奴が船を貝だと思って襲うんだそうです。だけど人の体温の所為かその魚が直接人を襲う事は無いみたいで船は沈めるだけです」
「それは厄介な。漁船で出ると危ないんだよな?……ゴムボートは如何?ホバークラフトとかは?」
「既に試してます。ゴムボートは別の魚に襲われるそうですよ。ホバークラフトはOKだけど移動にしか使えません。燃費は悪いしあまり大きくは出来ないしで貿易には向かないんですよ。五月蠅いんですが利便性は高いから人の移動用に離島間で使い始めた所ですね」
「本当に厄介な海になったねぇ」
「北海道から南は皆そんな感じですけどね。北は少し様相が違いますよ」
ダンジョンの氾濫直後はそうでもなかったけど最近は港に係留したままのフェリーなんかも穴を開けられて沈んでいるし防波堤のコンクリートにも齧られた跡があるらしい。沖合では餌が足りてないのかな?今時船に乗る人はいないから人的被害は無いし防波堤が決壊した訳でもないけど厄介だよな。魚が寒冷地を嫌うから北海道ではあまり被害が無い様だけど。
「北だけで船が使えてもなぁ。交易できるのはロシアとアラスカぐらいだろう?どちらもヒグマが勢力圏を拡大中で大変な所だ。北海道もだけどさ」
「確かにそうですがロシアの極東連邦管区なんてシベリア鉄道が分断状態にあって中国も半島も内乱状態ですから日本しかないんですよ?その奥のシベリア連邦管区なんて内陸で鉄道も分断されたからもっと大変なようですけどね」
「今思い付いたんだが中国や半島から人が勢力圏を拡げてきてはいないのか?」
「皮肉な事に獣達の勢力圏の拡大が防いでいる形です。中国や半島がボス争いに忙しい所為でもありますが難民は確実に防いでいる様ですよ。海も同じですね」
「ふ~ん。空路は確保できているんだよな?」
「ええ、でも空路しかないんですよ。日本以外は!」
「それでもロシア軍は維持出来ているんだろ?」
「軍が無ければ獣の勢力圏に飲み込まれていてもおかしくはない状況です。人口が少ないですからね」
「ダンジョンが在れば食料は確保できるだろう?兵器類は規格からして日本とは違うから弾薬の補給だけでは済まないし、日本が在っても勢力圏の保持にはあまり役に立ってはいない気もするけど」
「医薬品やその他の民生品は日本しか当てがないんですよ。それに最終的に逃げるとしたら日本ですよね」
「難民か、難民は嫌だな」
「そうならない様に色々動いている様ですよ。領土返還のチャンスでもありますから」
「領土の返還があったとして日本にそれを維持する余裕はあるのか?」
「たとえ余裕が無くても動かないと政治的には突き上げが激しいでしょうね」
「それはそうだな。ほんの三年前まで返せと言っていたのを要りませんとは言えないな」
「ロシア側も日本と敵対する状勢にはないしハバロフスクは維持するにしても島々は持て余している状況の様です。日本の協力なしで維持は無理でしょうね」
「返すからあれしろこれしろと言ってくる可能性の方が高いんだ」
「今の状勢はそうです。そして日本は何もしないでいると難民が北海道に押し寄せる可能性大です」
「ロシア側もそんな状況にはしたくないわな」
「だから島の返還と交換で日本はロシア側の要請を飲む形になります。このままでは島々はヒグマの勢力圏になるだけですから」
「ヒグマの勢力圏となった後で日本が乗り込んだら如何なる?」
「ロシアには手の出しようは無いでしょうね。いくら領土だと叫んでも海も陸も支配状況に無いんですからただその場合は難民が北海道に押し寄せるのは確実ですよ。それに領土を取り戻そうにもヒグマの勢力が強すぎてどうしようもない可能性の方が高いですよ」
「人の勢力が明らかに劣勢となる前に手を打って置かないと島の返還の目は無いんだな」
「そして島の返還後は大陸でロシア人と獣達の均衡状態が続くのがベストです」
「難民が発生せず。且つロシア軍に余裕のない状況が日本には望ましいんだな」
「まあ、武力に関してはお互いにでしょうね」
「難民は嫌だし、当面はロシアとは協力体制を敷くしかないな」
「ええ、領土交渉に関しては日本が優位に在るのでこれで戻って来なかったら内閣は潰れますね」
「流石にそれは無いだろう。功績となって長期政権だろうな」
「長期政権ですかあまり羨ましいとも思えませんね」
「確かに、舵取りが難しいのは確実だからな」
世界中で交易路が寸断される中で日本が何とか交易しているのはロシアとアラスカと台湾ぐらいだ。台湾との海路はホバークラフトを使っているから交易と言っても微々たるものだ。それ以上遠方へは燃費の関係で民間船は行かない様になっていた。日本から台湾への交易路にしても沖縄のついでの感が強い。沖縄の島々に住む人々にとっては台湾の台北が一番身近な都会だからな。
台湾ではタイワンツキノワグマと猪が勢力圏を拡大中だが人の勢力圏も維持されている様だ。台湾でも大陸との交流は途絶えてしまっていてダンジョンの氾濫の初期には大陸から逃げて来た人々がいたものの殆どは海の藻屑と消えたそうだ。