俺とソファと「ゆ……」
いつも通る帰り道。そこには雑貨店がある。
新品もあるが中古品も扱う、半ばリサイクルショップを兼ねたような店だった。やや陰気な感じの照明に、少し怪しい感じの小物が並ぶ。客が入っている様子もあまりなく、繁盛しているようには見えない。どちらかというと近寄りがたいような一種独特の雰囲気を醸し出している。
そんな雑貨店の店先。
そいつはある日突然に現れた。
ソファだ。
別段、どうということもない、何の変哲もないソファ。
ただのソファ。
くすんだ橙色の、少し低めのソファ。
店先に飾られていた。リニューアルをしたわけでもないだろうに、これまで暗く澱んでいるように見えたショウウィンドウの向こう。そのソファが置かれただけで、陰気な雑貨屋からハイカラなインテリアショップへと変貌したかのように見えた。
だからというわけではない。
シャッターが下りている店が多い中で、その橙色が目を引いただけかもしれない。
だが、それで十分だった。
そいつと目が合ってしまった。
勿論、ソファに目があるわけはないのだが、まさにそんな感じだった。
結婚したカップルがよく言う「出会った瞬間稲妻が走った」とかいうアレ。そんなことあるわけがない。稲妻に打たれたら死ぬだろ、バカか、と思っていたが――。
あった。
そのソファとの出会いはそう表現する以外、ない。
今まで馬鹿にして申し訳ないと世のカップルたちに謝罪をしたいくらいに、運命且つ衝撃且つ電撃的な出会いだった。
「これ、ください」
――気が付けば買っていた。
気が付けば、部屋の中心にそれはいた……。
◆◆
「お、ソファなんて買ったんだ」
雄二が言った。身内の不幸で田舎に行っていた幼馴染にして親友の雄二はやたらと沢山の土産を持って遊びに来た。そのどれもが酒のつまみにしか見えないものだったりするから、目的は土産を渡すというよりもそれを理由にして飲みに来たのだと言うことは明白だ。もしかして昨日がバイトの給料日で、ビールを箱買いしたのをどこかで見ていたのかもしれない。
「なんか、古くねえ?」
「中古だから」
「高かったのか?」
「いや、安い。四千八百三十円」
「……微妙だな」
確かに大して大きくもないソファで中古。今時ネット上ではもっと安くいいモノがあるかもしれないことを思えば、安いとは言い難い。細かな金額設定にか、それとも文字通り微妙な金額に対してか、雄二はやたらと太い眉毛を寄せる。
「まあ、お前の部屋殺風景だし、いいんじゃねえの?」
早速とばかりに雄二が荷物を置いてソファに腰を下ろした。
「お前、何やってんだよ!」
「へ?」
「降りろ、今すぐ」
「は?」
「降りろってば」
俺はソファに座る雄二の腕を引っ張って引きずり下ろした。
「な、なんだよ、なんだよ」
「なんで座るんだよ!」
雄二は訳がわからないとばかりに目を丸くした。
「え、あ……これ、ソファだろ?」
「ソファだよ」
「ソファって、座るもんじゃねえの?」
「座るもんだよ」
雄二の顔がますます困惑していく。
「俺、今、座ったんだけど」
「わかってるよ。だからやめさせただろ」
「ソファは何するもの?」
「座るもんだよ」
「これは?」
「ソファだ」
雄二が俺とソファを見比べた。
「太一、お前、もう酔っぱらってんのか?」
「そんなわけねえだろ」
雄二が俺の額に手を当てた。
「大丈夫か?」
「何が」
「お前、自分の言ってることわかってる?」
わかってると俺は答えた。
「それは特別なんだ。俺は座るために買ったんじゃない」
「じゃあ何のために買ったんだ?」
「そいつが俺に買ってくれと言ったんだ」
答えると、雄二はおもむろに立ち上がった。
「お前、疲れてるんだな。俺は今日は帰るから、もう、休め。な?」
「別に何ともないよ」
雄二は俺の肩に手を乗せた。
「いや、疲れてる。また今度ゆっくり飲もうぜ」
「それはいいけど、つまみ」
「やる。それ食って、元気出せ」
雄二はしみじみと頷きながら帰って行った。
雄二は多分誤解している。
俺が先月、振られたばかりで、そのショックからおかしくなっているとでも思っているのかもしれない。
振られた時は正直悲しかった。だが、既に予兆はあったし、会うでもなく電話でもなく、味気のないメールで「別れて」と届いた時、俺はどうしてとかそういうことよりも、ただ悲しかった。振られて悲しいのとは少し違う。勿論それもあるが、それだけではなくて、そこにある希薄な感じが何とも言えず悲しかった。
大好き。
これまでによく届いていたメールにあった文字。同じ三文字なのに全然違う。けれど、メールとしてのデータ量は変わらないんだなとか、なぜかそんなことを思った。色も声もない、どちらもただの電子文字の羅列。そんなことで済ませてしまえる人間関係というものに、それに違和感なく接していた自分自身がなんだかつまらなく思えて、酷く悲しくなったのだ。
そんな心に、このソファの橙色は温かく映った。
新品ではない。よく見れば所々汚れている箇所がある。何かを零した際に撥ねたのか、不揃いな水玉汚れがある。それも含めて、このソファが愛らしく見えたのだ。
愛らしい。けれど汚れていて。
どこかの誰かにいらないと言われたソファ。
もしかして俺はこのソファに俺自身を投影したものかもしれない。同じく捨てられたもの同士が惹かれあった、そんなところかもしれない。
だから俺にとって、これは座るためのものではなかった。雄二と同じように友人であり、孤独を分かち合う同志であったのだ。
◆◆
少し風が冷たくなってきていた。それもそのはずである。ついこの間新年を迎えたなんて思っていたのに、もう夏も終わり十月も半分が過ぎた。カレンダーの残り枚数もあと三枚しかないし、そろそろ年賀状の準備なんかもしておかないと、あまり暢気にしていたら気づいた時には年末どころか年が明けてしまっているかもしれない。
急に冷え込んだこの日、俺はコンビニでおでんと肉まんを買って帰宅した。選択したメニューが既に冬じみている。
「さぶ」
玄関を開けても外気と変わらぬ寒さがあった。そういえば、窓を開けたままで出かけたことを思い出した。
不用心だとはよく言われる。が、特に取られるものがあるわけでもない。とはいえ、ソファの事を考えると今度からはきちんと締めていった方がいいかもしれない。ソファが風邪を引いたら困る――とまで言うと、雄二の心配が杞憂ではなく事実になりそうだ。
「ん?」
明かりをつけようとすると、何かが視界の端で動いたのがわかった。ソファが来たお蔭で隅に追いやられた小さなテーブルに買い物袋を置いて振り返れば、ソファの上になんだか丸い毛玉がいた。
なあ、とそれは鳴いた。
「猫?」
明かりがないとわかりづらいそれは真っ黒な、とても大きな猫だった。鮮やかな緑色の目がこちらを見上げる。警戒するでもなく、威嚇するでもなく、よくぞ戻ったとでも言いそうな堂々とした態度が家主よりも家主らしくしっくりきている。橙色のソファにはなんとも似合いの景色だ。
「どこの猫だ?」
なあ、とそれは顔をあげた。
「名前はなんだ?」
なあ、とそれが答えた。どうやら「なあ」というのが名前らしい。そんなつもりで鳴いたわけではないだろうが、俺にはそう聞こえた。
「なあ、なあ。おでん食うか?」
言って、大根を小さく切ってやろうとして手を止めた。
「なあ」という名前では呼びかけなのか、名前なのかわかりづらいことに気付いた。
「『なあ』ってのはちょっと紛らわしいと思うんだけど」
うなあ、とそれがじっと大根を見る。
「あ、『うな』ってのか。それならいいや」
手の平に大根を乗せると口の端からこぼしつつ、はふはふしながら懸命に食べる。緑の目が糸状になって、笑ってるみたいな顔になった。
「うな。お前、ここで暮らすか?」
うなが、なあと頷いた。頷いたように見えた。
首輪もないようだし、毛並みもあまりきれいではない。餓えているような様子から飼い猫ではないだろう。
うなはソファの上のまま、俺は床に座って一緒に夕ご飯を食べた。それから一緒に風呂に入った。猫を風呂の入れるのは小学校の頃に飼ってた時以来だが、うなは一切逆らうことなく――それどころか、自ら湯船に入ると言う恐ろしい順応ぶりを発揮して見せた。俺はベッドで、うなはソファで眠った。なんとなくソファもうなを受け入れているように感じられた。
玄関を開けるとどうしてだか窓が開いていた。
もう冬だし、ソファもうなも寒いといけないので窓は締めたはずだった。取られるものはないので別段構わないことに変わりはないのだが、もしかしてうなが開けたのだろうか。
「そんな馬鹿な――ああ?」
思わず二度見で振り返ったソファの上には黒い塊の隣で丸くなる白い毛玉がいた。
「だ、誰だ、お前」
にゅうとそれが鳴いた。
「にゅう、と言うのか」
にゅうとそれが答える。そうだと言わんばかりにうなもまた鳴いた。
「えっと……」
このマンションの規約を思い浮かべる。ペットは可だった。何匹までとの制約もなかった。なかったが、果たしてこれはいいのだろうか。
「ま、いっか」
どちらにしてもここは雄二の親戚のマンションだ。全く知らない仲でもないし、いざとなれば幼少時代の恥ずかしい記憶と引き換えにすれば雄二がなんとかしてくれるだろう。
――だが、そんな考えが通じるかどうか不安になる状況はすぐに訪れた。
帰宅する。毛玉が増える。住みつく。
帰宅する。毛玉が増える。住みつく……。
帰宅する。毛玉が増える。住みつく………。
帰宅する。毛玉が増える。住みつく…………。
それを繰り返して、いつしかソファの上には合計六個の毛玉が転がる事態となった。
黒猫のうな。白猫のにゅう。茶虎のにゃあ。三毛猫のむう。雉虎のみい。ブチ柄のふみ。
それぞれのソファの位置は決まっているようだった。特に喧嘩をすることもなく、コロコロと並んでいる。まさかまだまだ増えるのかと心配したが、何日たってもそれ以上増えることはなかった。
◆◆◆
こんなに増えたら近所迷惑だろうなと思うものの、追い出すのも忍びない。どの猫もおとなしく、別に躾けたわけでもないのにトイレはきちんと決まったところでする。いたずらに鳴くこともなく、走り回ることもない。どういうわけか好物はみな一様に浮きはんぺんとパンの耳。金がかかるんだかかからないんだかよくわからない。
冷蔵庫にはぎっしり浮きはんぺんが入れてある。おかげで俺も毎日はんぺんのお吸い物を食すことになった。ご飯党の俺はパンの耳は食べなかったが、なんとなく一緒に食卓を囲んでいるような楽しさがあった。
だが、やはり気になるのは窓が開いていることだった。
鍵を締めているはずなのに、帰ってくると開いている。別に構わないのだが何かの拍子で外へ出て怪我でもしたらと思うと放置しておくのも心配だった。
殆ど、毎日のように窓は開いている。けれど、雨の日だけは閉じられたままだった。特に規則性があるわけではないが、ルールがあるとするとお天気くらいしか思いつかない。
数日雨が続いて、久しぶりに晴れたその日、俺は普通にでかけるフリをして家を出た。そして普通に駅まで行って、そしてこっそり引き返した。
鞄から、百均で買った双眼鏡を取り出す。
……朝から自分の家を覗くなんて、どんなに変わったストーカーだよ。
はじめは道端の電信柱の陰から見上げていたが、あからさまに怪しいので、そこでの張り込みは断念する。幸い、マンションの前は古い喫茶店があり、俺はその店から観察することにした。
高価そうなオーディオからは渋いジャズが流れている。今時珍しくCDではなくレコードを使っているためか、とても味わいがあるように感じる。俺はジャズなんてわからないし、そもそも音楽にくわしいわけでもない。けれど大人な感じの音楽と明るすぎない店とコーヒーの香りが心地よくて、ここには何度も足を運んでいた。
「自分ちを見てんのかい?」
イギリス紳士風の店長が双眼鏡を持っている俺に声をかけてきた。店長は俺が目の前のマンションの住人だということも承知している。
「泥棒でも入った?」
「まあ、そんなとこです」
「警察には言ったの?」
「いや、泥棒じゃないとは思うんだけど、はっきりしなくて」
「違うのかい?」
「多分。実害はないし。なんていうか全然そういんじゃなくて。まあちょっと」
双眼鏡を外すこともなく、言葉を濁した俺の肩を店長がぽんと叩く。何に対してかはわからないが、ひとつ頷くとすべてを悟ったような表情でカウンターへ戻って行った。
意味不明の応援を背中に受けつつ一日張り込んでみたものの、その日は結局、窓は開かなかった。
◆◆◆◆
……そんな幾日かが経過した。
いい加減、適当な言い訳をして休んでいたゼミにも参加しないとまずいかもしれない。一応は特待生で大学に通っている身としては、そうそういい加減なことはできない。
何事もないままの数日。今日で最後にしようと決意して、最近すっかり指定席となった喫茶店の窓側の席を占拠する。何も言わぬうちに店長がホットココアを運んできてくれた。コーヒーではなくいつも注文するココアが出てくるところに、俺って常連なんだなと密かな優越を感じたりする。
「……」
右手にココア、左手には双眼鏡。
開かない窓。
洩れる溜息。
……やはり、単なる閉め忘れなのだろうか?
自分ではそうは思わないのだが、俺は大いに抜けたところがあるらしい。
日頃からあまりこだわりがない性質なのは自覚している。それが日常にも表れているらしく時々指摘される。一番多いのは携帯電話の置き忘れで、連絡したら同じ室内から着信音が聞こえたと、ついこの間も雄二が文句を言っていた。
そんな自分の性格を鑑みるに、閉め忘れを完全に否定できなかったりする。
これだけ観察して何もないのだ。やはり閉め忘れただけ――そう思うことにしよう。と、諦めて双眼鏡を鞄にしまおうとした時だった。
「――」
俺は思わず立ち上がった。そして何も考えず店を出る。店長が呼ぶ声がしたが、今はとにかく急いで自宅へと向かった。
玄関のカギはかけたフリをして出かけていたので、俺はドアノブを掴むなり勢いよく扉を開ける。今まさに窓を開けようとしていた人物がこちらを振り返った。足元には六匹の猫が甘えるように付き従っている。
「あ――あんた、誰だ?」
振り返った人物が目玉が落ちそうなくらいに目を見開いていた。それと同じくらいに口もあんぐりと開いていた。
「あんた、何者だ」
硬直したまま目を瞬かせているのは一人の少女だった。高い位置で束ねた髪が揺れる。身に着けているのはセーラー服だ。この辺りの学校の子ではないことはわかった。私立に通っているとなると別だが、近隣の学校の制服でセーラー服はなかったはずだ。
「いつもあんたが開けてたのか」
少女の顔が悲しげに歪んだ。
「――あ、いや。責めてるわけじゃなくて。その」
泣かれては面倒だ。俺は慌てて言い募る。
「どうして窓を開けるのか、その理由を教えてほしくて」
それ以前に確認したいことは山ほどあったが、とりあえずひとつずつ確認しようと思った。
少女は少し逡巡する様子を見せた。何が落ちているわけでもない床に視線を泳がせて、消え入りそうな声で、だって、と答えた。
「だって。窓が開いてなかったら、逃げられない」
逃げる?
何から逃げるというのだろう。
「でも、寒いだろ?」
「寒いのは、我慢できるから。雨は嫌がるけど」
「……」
まだ季節は秋だ。別に北国なわけでもない。関東の冬くらいで命に係わるほどの寒さになることはないだろうが、それでも真冬の夜中ともなればそれなりの寒さにはなる。
腕組みをして考える俺を見上げる十二個の目があった。どことなく責めているような視線からして、どうやらこいつら毛玉軍団は少女の味方であるらしい。
「と――とにかく」
俺は言った。
「座ろうか。お茶、いれるから」
お茶と言った自分の言葉で思い出す。そう言えば荷物は喫茶店に置いたままだった。とは言え、座ったら何も言わずにココアが出てくるくらいの常連様なのだ、無下に扱われることもないに違いない。お詫びとともに後で取りに行こう。
1DKの狭いキッチンに向かうと六個の毛玉がついてきた。食事だと期待しているのがわかったが、朝ご飯を食べてからそれ程時間がたっていない。まだだめだと叱ってから、牛乳に粉末だしを溶かしたものを出してやった。どうにも気持ち悪いこの飲み物が、この猫たちの好物だった。
少女はソファに座った。どうしてか正座をしている。雄二に言ったように座るためのものじゃない。だが、そうして座っている少女はとても自然で、降りろとは言い難い雰囲気だった。
◆◆◆◆◆
――安住の地を探しているんです。
少女が言った。
「このソファを気に入ってくれた人は、多分、いい人だと思うから」
「……」
意味がよくわからなかった。
確かにこのソファは気に入った。どのくらい気に入ったかというと、それはとんでもなく。だが、だからって俺がいい人なのかどうかはよくわからない。犯罪者かそうでないかという括りで分けるなら、せいぜい信号無視をするのが関の山で、生まれてこの方キセルも万引きもしたことはなく、かなりなところ小心者の軽犯罪者だ。性格的な面で言うならば、ごくごく普通だろう。他人に腹を立てることもあるし、友達と喧嘩もするし、先日も雄二のボールペンをこっそり拝借してそのまま――これは窃盗罪にあたるかもしれない。
「私、死んでるんです。三年前に」
衝撃の告白に俺は茶を飲むのを失敗した。沢山の空気が一緒に吸い込まれてしまい、液体が食道を下るのがものすごく痛い。
「ゆ、ゆ――」
その先は言いたくなかった。
「ええ、幽霊です」
言いたくないけど、少女が断言したためにその単語は耳から強引に俺の中に入って来た。
「無理心中で、父親に殺されました。ほら、それ、私の血です」
少女が指を指す。そこは何かが飛んだような水玉状の汚れ。俺の目はそこに釘付けになった。
「――というのは冗談ですけど」
本当に冗談なのだろうか。全くもって面白くない冗談だが、それよりも幽霊が冗談を言うということの方が驚きだった。
「私、この子たちを面倒みてくれる人を探していて」
少女が六個の毛玉を見た。
「このソファ。私のお気に入りだったんです。でも、捨てられて。その後色々あってリサイクルショップに売られたりして今に至るんですけど」
明らかに中古だとは思ってはいたが、それほど多くの手に渡ったようには感じなかった。そのわりにはこのソファは綺麗だ。
「最初にソファが捨てられた時、この子たちが側にいてくれたんです」
少女が微笑むと猫たちも目を細める。
「可愛がってくれる人もいるんですけど、嫌がらせをする人もいます。多分、元々は飼い猫だったんだと思うんですよね、人懐っこいし、警戒心がないし。追い払われたり、おなかすかせてたりするのを見ているうちに、私、決心したんです」
「な、なにを?」
「この子たちの里親を探そうって」
「……」
それは素晴らしいことだと思う。俺も猫は好きだ。世の中、不幸な身の上の動物は多い。特に飼っていた動物を捨てるというのは、全くもってよくない。里親探しなどをボランティアで行っているような人々は尊敬する。俺自身は何もできないし、自分の面倒だけで精一杯で、そういう意味では冷たい人間かもしれない。けれど赤い羽根には募金もするし、コンビニにある募金箱にも必ず一円はいれるようにしている。少しでもいい人に近づけるように、自分を慰めたいだけかもしれないけれど。
だからこの少女の考えは素晴らしい。素晴らしいが、何かおかしい。
「あの、さ」
「なんでしょう?」
「その考えはすごいけど、その、君は……」
やっぱりあの単語は口にできない、怖くて。
「幽霊です」
どうして言うんだと言う心の声など聞こえるはずもなく、少女は真摯な目で俺を見る。
「幽霊が、里親探しをしてはだめですか?」
「いや、別に」
そんな法律はない。あるわけがない。
「だから、私。このソファに住むことにしたんです。私のお気に入りだったソファ。このソファから私はこの子たちを認めてくれる人を見つけようって思ったんです」
つまり、彼女はソファに憑りついた幽霊ということらしい。
そういうのって確か地縛霊とか言うんだったけか。昔よく雄二に見せられた本で読んだような気がする。人が怖がるのをいいことに、未だにあいつは俺の部屋や鞄にそういうものを潜ませていくことがあるのだ。
「でも、そうやって見つけた人もこの子たちを見ると追い払ったりしようとするんです」
「まあ、突然増えてればねえ」
それは至極当たり前の反応だと思う。
「だから逃げられるようにしておかなくちゃいけなくて」
そのためにいつも窓を開けていたのかとようやく合点がいった。
「こうやって事情を説明すると、ソファを捨てたりする人もいて。なかなかわかってもらえなくて」
「まあ、そうだよね」
幽霊なのだからある意味当たり前だ。怖いし。俺だってそうだ。恐ろしくて「幽霊」という単語を口にするのも非常に勇気がいる。
……でも。
こんな風に話しているなんて、おかしな話だ。奇妙以外の何物でもない。だが、その理由はなんとなくわかるような気がした。この少女の空気感は、俺がソファから感じた何とも言えない愛らしさと同じものであったからだ。
俺は少女を見た。幽霊とはもっとおどろおどろしくて恐ろしいものだと思っていた。誰かを恨んで、呪って、驚かせたり、悪さをしたりして。顔色も悪くて、絶対どこかから出血してて、髪も乱れてたりして。
「あ、お好みならそっちになりますけど」
「と、とんでもない。そのままでお願いします」
想像と違ったことを告げると、少女が腰を浮かせたので俺は勢いよく拒否した。そんなサービスは絶対にいらない。
「あの」
腕組みをしたままの俺に少女が心配げな声をかける。
「やっぱり、だめですか?」
「何が?」
「この子たち、面倒見てはもらえないですか?」
俺はこちらを見つめる色とりどりの目を見返した。
「気味が悪いなら私――あ、じゃなくて、ソファのことはいいんです、捨ててもらって構いません。でも、もし大丈夫ならこの子たちを引き取ってはもらえませんか?」
六匹。それもみなどうしてか結構でかい。野良だったくせに、どうしてこんなに発育がいいのか。
「……」
このマンションについては雄二になんとかしてもらおう。小学校の時の一番恥ずかしいネタをちらつかせればきっと快く協力してくれるに違いない。とっておきのネタなのでもう少し温存しておきたかったが、まあ良しとしよう。卒業後にここを出て実家に戻ったとしても、実家は農家で一戸建てだ。大して問題もない。餌代は……パンの耳は近所のパン屋がくれるし、はんぺんは別に特別高価なわけでもないし。
――まあ、いっか。
「名前、適当につけたけど、よかったのかな」
「え、あ、はい」
「俺は佐藤太一。君は? 一緒に暮らすのに名前がなくちゃ不便だろ」
少女が大きく目を見開いた。
満面の笑顔は眩しいくらいで、橙色のソファの優しい色そのもののようだった。
幽霊と、六匹の猫。
なんというか、おかしな話だが……なんとなく、こんな共同生活も悪くないかもしれない。
10




