僕が贈るアイ
その次の日。何事も無かったように終業式を終え、夏休みに入った。
とは言え、部活はないし、かと言って誰かと何処かへ出かける気も起きない。いや、そもそも独りでいた僕なのだから、何かをしようにも出来ないという方が正しいのかもしれない。一方で、家にいると、何となく寂しさが残ってしまい、暇さえあれば適当に近所を歩き回っていた。
それでも、気付くとあの歌を口ずさんでいて、その度により悲しさが募る。
いつも隣にいた彼女がいないというだけでこれか。全く、みっともない。
勿論、連絡手段がないわけではないのだ。だが、彼女との連絡と言えば、前に小説を読ませて欲しい、と僕の小説のデータを強請られて送っただけ。以降、こっちから連絡はしてるのだが、返事は一度たりとてなかった。
時間は確かな悪意を持ち、僕の頭上を流れて行く。ふと気づけば、カレンダーを見てみれば夏休みももう中盤に差し掛かろうとしていた。だと言うのに、宿題とバイトばかりで、夏らしいことは何一つとして出来ていなかった。する気すらなかった。
こんなにも独りでいることが苦しくて、つまらないなんて思ったことはない。
いつもだったら捗るはずのタイピングも、倍というどころじゃない程遅くなっている。
本当にどうしてしまったのか。
肺中に溜め込んだ空気を絞り出すかのように大きな息を吐き、ベットに飛び込むと、また惰眠を謳歌した。
八月十四日、突然僕の携帯が鳴った。おそらく電話だろう。
すぐに応答しようと画面を開くと、そこには彼女の電話番号が表示されている。でも、どうして。
「あ、もしもし、秋月 翔太くんのお電話でよろしいですか」
「はい、そうですが……」
「良かった。久しぶりだね」
「え、あ、はい」
その声は彼女の母親のものだった。でも、何処か震えている。
「もし良かったらなんだけど、あの子がね、最後に会いたいって」
「え?」
「お金は後で出すから、来てくれないかしら? 無理なら、そう伝えておくけど」
もうその言葉を聞き終える前には、何も考えず口が動いていた。
「何処に行けばいいですか?」
「△△市にある医療センターというところなんだけど」
「分かりました」
「来て、くれるのね」
「はい」
「分かった。入り口で待ってるわ」
「ありがとうございます」
電話を切ると、家を飛び出し、自転車を必死に漕いだ。向かう先は駅。次々と現れる風景を置き去りにしながら、とにかく急ぐ。駐輪場に自転車を押し込むと、走りながら改札を通り抜けた。階段を一段飛ばしでエスカレーターよりも速く登って行く。閉まり始めたドアを何とか擦り抜け、電車へと乗った。
心はとにかく慌てている。何故かは分からないが、とても急いでいた。
そのせいか、一駅一駅止まって乗降するのですら、腹立たしく思えてしまう。
人の密集など微塵もない電車に揺られる事、一時間半。ようやく駅に着いた。
扉が開いた瞬間、出来る限りの力を振り絞り、ホームを走って行く。何人も追い越し、改札を通ると、南口と書かれた方の階段を降りた。
シャッターの降りた居酒屋を横目に、ロータリーを抜け、車通りの少ない大通り沿いを進んで行く。医療センターと書かれた看板を見つけると、そっちへ向かい、住宅街に入って、幾度か道に迷いそうになるも、何とか到着した。
「あ、翔太くん」
久々に見た彼女の母親は随分と窶れていた。聞くところによると、幾度か危なくなっていたのだとか。その度に、きっと側でずっと励まし続けたのだろう。覚束ないような足取りをしていた。
案内されるままに中に入ると、彼女はベットで横たわっていた。たった一ヶ月程度で、見ない間にやせ細った短い腕を見ると、足が動かなくなる。
彼女の腕には数本の管が繋がっていて、すぐ横にはドラマなんかでしかみたこともないような心電図を撮る機械があった。それが、一定に刻む様子を見ると、何だかとても怖くなってしまう。
そして、足元には箱型の機械に透明なマスクのようなものが乗っかっている。
そんな様子に、全身が震え始めた。
「……翔太君?」
その声は前とは余りにも違い過ぎていた。どうしても言葉に詰まる。
「あ、あぁ、うん」
ゆっくりと近づいていく。一歩、また一歩進む度、呼吸は短くなっていった。
そんな様子を見たからか、「一旦母さんは出ているわね」と言って、そっと病室から姿を消した。
残ったのは、僕と彼女の二人。
「ごめん、ね。私の方から、お願いしたのに、ね」
「いや、良いんだ。大丈夫か?」
「うん、って言ったら、嘘に、なるかな。最後に、伝えたい、事が、あるんだよ」
弱々しく掠れたその声を聞いていると、感情が溢れ出しそうになる。それでも、せめて今は、と、溢れ返る気持ちを押し殺して笑顔を作った。きっとぎこちないだろうが。
「ねぇ、あの曲、覚えている?」
「あの曲?」
「私が、作った曲。アレをね、部活のみんなに、教えてあげて、欲しいの」
「あぁ、分かった。必ず伝える」
「ごめんね、ありがとう。……また、迷惑、かけちゃうね」
「そんな気にすんなよ。僕で良ければ何でもするから……」
「ふふ、ありがと。あ、あと、これ、折角だから」
そう言って渡されたのは、一冊のノートだった。
中を開くと、僕が作っている小説の登場人物の名前が上に書かれ、その下には色付けまでされた絵が描かれてある。それも、単なるキャラクター絵ではなく、シーンごと描かれていた。
「何で? こんな……」
「歌えないし、暇、だったからね」
「…………」
何も、言えない。大切な歌を失っても、想い続けることがどれだけ大変かは分からない。だが、どれほど苦しいものかは察しくらいつく。
でも、それはとっても綺麗だった。
天気雨の中、膝下まで水に浸かり、悲しそうに空を仰ぎながら、右手を高く掲げる少年。
そんな絵が一番最初のページに描かれていたのだ。
次のページにも、その次のページにも、色々なシーンごと描かれている。
その全てが、全て、僕の想像していた通りの映像そのもの。いや、それ以上のものだった。
「それで、完結までの、挿絵は、足りるよね」
「ごめん……。ありがとうな」
「えへへ、先読み、させてくれた、代わりに、だよ」
なんて言って浮かべた笑顔が僕の胸をギュッと締め付けた。どうせ彼女のことだから、自分の状態を理解った上でこんな顔しているんだろう。僕を、悲しませないように。
「そろそろ時間だ。……じゃあね」
途端に想いは膨れ上がる。もう、抑えきれない。もう、一杯一杯なのだ。
それでも、涙を堪え、彼女に寄り添い、手を握った。柔らかくて透き通った色をした、細くて弱々しく、まだ温かいその手を。
「あぁ……僕、頑張って、これで沢山の人を笑顔にするから。誰かに元気をあげるから。ちゃんと見てて」
「うん、分かった」
もう少し居たかった気持ちを抑えて、背を向ける。敢えて「またね」なんて呟く。何処までも意地の悪いのだろう。病室を出ると、彼女の親に挨拶をして、すぐに家に帰った。
溢れる感情を文字に変えて、物語にしていく。あの歌が頭から離れない。でも、それが僕に活力を与えてくれる気がした。
パソコンに向かって激情のまま打ち込んでいく間に涙が溢れてきた。
「あれ?おかしいな?勝手に…」
そんな溢れる涙を拭いて、さらに書き続ける。
––––見ててくれ。絶対に賞をとって、本にして、沢山の人に読んでもらうからな。沢山の人を笑顔にするから。元気にするから。
あの時、彼女が僕にくれたように。
決意を胸に、黙々と進めていった。
✳︎
ようやく新しい作品を書き終えた。
気が付けば、八月ももう終わろうとしている。ただ、夏の余韻はひどく残っていた。
自分の思い出に近いものを描こうとすれば、何故か少し美化したものになってしまう。そんな作品だとしても彼女が偲ばれるのであればいい。言い方を変えれば、彼女に捧げるために書いたと言ってもいい作品なのだから。
今までどうして書かないでいたのか、何て言う疑問の答えはいまだに出ていない。躊躇っていたのか、単に書けなかったのかは知らないが、どうしても言葉に詰まり、手が止まってしまっていた。
でも、これだけ時が経てば、ようやく彼女を描ける。物語に出来る。
データを会社の校閲部に送り、一つ溜息をつくと、カプチーノを呷った。
「 」
と、不意に彼女の声がした気がする。それもハッキリと。
呼ばれたように立ち上がると、じっとなんてしていられず、声がした方へと車を走らせた。行き先なんて知ったことか。
今は影でも何でもいいから彼女の何かが欲しい。それこそ、思い出の淵にある残り香でもよかった。
無我夢中で、必死に追いかけた。
大分走って着いたのは母校である高校に近い海だった。しかも、ここは僕と彼女だけの秘密の場所。人が殆どこない場所と言うだけあり、綺麗なままだ。
ふと潮風が頬を掠める。この季節だからか、風は強く、少しひんやりとして気持ちがいい。
靴と靴下を脱ぎ捨て、タオルをその上に置くと、膝上まで裾をめくりあげる。そのまま、あの時と––––彼女がいなくなったことを知った時と同じように、膝下まで浸かる位の深さまで進む。
やっぱり海水は冷たい。
寒さに震えた体に追い打ちをかけてきたのは、突然の雨だった。
「雨かよ、ったく。着替え持ってきて正解だな」
ふと、雲間から差し込む陽光が見えた。が、雨は降っている。これもあの時と同じ。彼女の旅立ちを知ったあの時と。
天気雨か、本当に奇跡的なことが多く重なる。
どうやら聞こえたのはただの空耳なんかではなさそうだ。
少し背伸びをしてみる。少し高く手を伸ばしてみる。近いようで遠い世界にいる君に届くような気がして。
雲の合間から差し込む光は雨粒を通るたびに、ダイヤモンドよりも光り輝いていた。きっと空は幻想郷なんかよりもきっと美しいものなのだろう。
そして、今度は僕から君のところへ行って君を元気付けたい。恩返しとかではなくて、ただこの思いのままに。
「愛月 香織に……僕の愛する人に贈ろう。好きだったよ。そして、ありがとう」
ずっと気付かなかったこの気持ち、抑え込んでいた本音、言えるはずもなかった言葉、その全てを着飾ることなく吐き出す。
僕の想いを。その全てを。
雨に打たれながら、その言葉を口にして手を空高くまで上げた。この手が、この言葉が伝わるように、届くように、願いを込めた。
出来る限り高く、少しでも近付けるように。
突然、砂浜から視線を感じた。が、振り返ってみても誰もいない。代わりに、砂に埋もれた何かがちょこんと出ているのを見つけた。
近づいて見れば、箱のようなものだった。意外な重さに手こずるも、なんとか取り出す。が、鍵付きか。
「アルファベット3桁?」
随分、珍しいタイプに驚く。誰かの名前? イニシャル? それとも単語? 考えても分からなかった。
それでも諦めきれない気持ちに、思いっきり持ち上げると、紙が出てくる。そこには、“Syota’s first story of theme”と書かれてあった。
成る程、これが僕を呼びかけていたのか。
S K Yと入れると案の定解錠され、開く。その中に入っているのは、二つの折りたたまれた紙と一枚の写真だ。
この写真……。ここに二人で遊んだ時に撮ったものだっけ。
写っている彼女はとても綺麗だ。
艶のある長い黒髪、日焼けを知らないかのような透き通った肌、折れそうでしなやかな細い手足、彼女らしい夏色のワンピースに麦わら帽、長い後ろ髪は風に靡いている。そんな彼女は良い笑顔をしていた。
一方で手を引っ張られ、頰をほんの少し赤く染める僕はぎこちない笑顔をしているものだ。
手紙は二折りになっていた。表には彼女の名前が書いてある。開くと、風で飛ばされぬよう慎重に読む。
「……あいつめ。やってくれるな、ほんと」
読み終えると箱に終い、鍵をかけ直すと、同じ場所に埋めておいた。
息を吸い込むと、声に音を乗せる。リズムを刻み、頭に反響する彼女の声に合わせた。
ただ、彼女には悪いのだが、歌詞は少し僕の言葉を混ぜさせてもらった。今はそれを歌う。
愛月 香織に、僕の言葉を贈る。
空に贈る詩を。