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舞姫記
作:乙麻呂



第一話


入り口からここに来るまでに、この学園の広さは認識していたつもりだった。

しかし

「うっわ…」

紅嬉は馬車を降り校舎に入るなり天井を見上げ、絶句した。

入ったところは吹き抜けで、見上げた天井は建物三階分はある。

正面には一段低くなった場所があり、机や椅子が置かれた団欒スペースのようだ。

その一角には高価そうなソファーもおかれ、近くに売店…というよりどこかのバーのようなものも設けられている。

一段低くなった場所の両脇には幅の広い階段が緩やかな曲線を描いており、二階には教室なのか沢山の扉が見えた。

石友せきゆはおるか」

沢山の机や椅子を見下ろしながら、女性は静かながらよく通る声でそう言った。

その声に応じてか、ホールの隅のほうで誰かが立ち上がる気配がする。

「ここに」

低く届いた声は吹き抜けのホールに朗々と響き、その長身は机や椅子を滑らかに滑るように通り抜けて、女性の目の前に跪いた。

近くで見るとそれは女性であるようだ。

黒い上下に白くふわふわとした毛皮を大きく被り、ショートカットの髪の間からは大きな耳飾が見え隠れしている。

腰には細身の短刀のようなものが刺さっていて、遠目ながらもそれが高価な品であるのがわかった。

「顔を上げよ、石友。それに、そこまでしなくてもよいぞ」

私の斜め後ろに立つ女性はくすりと子供のような笑みを口元に浮かべ、おかしそうに笑った。

「そのような態度にはなれていないであろう?」

その声に石友と呼ばれたその人は一段下がった場所から私と女性を一瞥すると、今までの態度とは一変愉快そうに声を上げて笑い出した。

「やっぱ葵宮きくうには負けるねぇ。俺の考えてること分かるんだもんなぁ」

短く切られた髪に指を通すと、頭の後ろに向かって髪を撫で付けながら石友はそう言った。

耳にぶら下がった紅くて大きな石がゆらゆらと大きく揺れる。

「そなたの考えなど全てお見通しじゃ。それよりも―」

「分かっている。そいつが新しいアレか?」

石友が突然こちらを振り向き、ん?と目を覗き込んできた。

野生動物のような鋭い目に金色に近い色素の薄い瞳。

どこか攻撃的なのはこの人の性分なのだろうか。

紅嬉はそんなことを頭のどこかで考えながら、足を僅かに後ろへ引いて身構えた。

「そう、紅嬉と言う。紅嬉、こちらは石友。これから先そなたの師匠せんせいとなる者じゃ」

にっこりと微笑みながら女性が互いの紹介をすると、石友はにっと両唇の端を上げた。

「よろしくな、紅嬉」

そういいつつ石友が手を差し出してくる。

紅嬉はそんな石友を見つめながらも、この人が師匠?と疑惑の目を向けていた。

格好も曲がりなりにも正装とは言えず、言動もとてもじゃないが生徒の模範になるようなものではない。

紅嬉はそんなことを思案しながらまじまじと石友を上から下まで隈なく見つめ、石友の掌に自分の掌を重ねた。

そんな紅嬉の疑いの目に気づいたのだろうか、石友が鼻に皺をよせ、右目を大仰に見開いた。

「なんだ、信じてねぇなー?」

にやりと口角を上げると、石友はぱっと腰の短刀に手を伸ばした。

「石友!」

突然葵宮の鋭い声が石友の行動を遮ると、石友はひょいと大して悪びれた様子も見せずに肩をすくめた。

「冗談だよ。まぁこれから分からないことがあったら俺に聞け。特進は変人奇人の集まりだからな、質問しても返事が返ってくるか保障できない」

くくく、と喉で込み上げる笑いを抑えながら石友はひらひらと手を振った。

葵宮ははぁーと深いため息をつくと、紅嬉の方に向き直り頬に優しい笑みを浮かべると頭にそっと手を置いた。

「石友はあんなんだが信用の置けるやつじゃ。何かあったら相談するがよいじゃろう。そなたにはこれから先、この学園で様々な仕事をしてもらわなくてはならぬ。それはあの時に言った通りじゃ。さぁ時間じゃ、行きなされ」

とんっと背を押されて振り返ると、どことなく寂しげな葵宮の顔がぼんやりと陰を落としたホールにたたずんでいた。

一歩。

一歩進めばもう後には戻れない。

紅嬉はすぅっと深く息を吸い込むと石友の待つ一段低くなったそこに向かって歩を進めた。

一歩、一歩。

もうあの時に、すでに過った人生。もうどこも間違う場所などないのだから怖くない。

紅嬉はもう一度だけ葵宮の方を振り返ると、それからは一度も振り返らず一気に石友の元へと駆け寄った。







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