溜息を吐くと幸せが逃げる
〝溜息を吐くと幸せが逃げる〟なんて、誰が言い出したことやら。
溜息を吐いても、幸せが逃げたことなんてない。人が溜息を吐く度に、幸せが逃げるんだぜ、なんてお節介な友達が笑うのはうっとおしい。
「はあ……」
浅く溜息を吐いて、ほら幸せなんて逃げやしないじゃないかと笑う。
「はあ」
「ニゲロニゲロ〜」
「は?」
隣に立ったのは、中年のおっさん。いや俺もおっさんだけども。いかにもおっさんなおっさん。どんなおっさんだよ。
いや、そんなことよりも。
おっさんは悲壮な表情で、肺を空っぽにする勢いで溜息を吐いた。それはいい。俺も溜息を吐く。最近深呼吸と混同し始めてるレベルで吐きまくってる。
ただ、俺が驚いたのは。
おっさんの幸せが逃げたからだ。
「はあぁぁぁあ……」
「ワッホイニゲロニゲロ」
両手を上げ、まるで宝くじでも当たったぐらいの大袈裟さでトテトテと逃げていくのは、〝幸せ〟と書かれた紙に手足が生えたみたいなやつ。
幻覚かもしれないと、目を擦るが何も変わらない。
俺はゆっくりしゃがみ、その紙に手足が生えただけという、素晴らしく雑な見た目の幸せを摘んだ。
「ん?なんだお前」
さっきはカタコトだったというのに、幸せはどちらが前か分からない適当な体をこちらへ向けた。
「いやお前こそなんだよ」
「オレ?オレは〜シアワセだ」
「まんまかよ」
「そうだ。まんまだ。悪いか?」
よくわからないが、多分胸を張ってる。そこ胸張るところじゃないから。
「いや、別に悪くないけど」
「あぁそうさ!悪いはずがない!なんて言っても、オレらは幸せを運んでるんだからな」
ドヤっという効果音が聞こえた気がした。
なんなんだこいつ、と眉をひそめると、こほんという咳払いが聞こえた。
咳払いは、幸せを吐き出したおっさんで、シアワセを掴む俺を訝しげに見ていた。
「あの、スミマセン。なんか、おっさ……あなたから、幸せが逃げているんですけど」
「は?」
視線に耐えきれずに話しかけると、おっさんは変なものでも見るような目で見て、その後かわいそうなものでも見る目になった。
「今のご時世、若いのも苦労してんだなあ。たまには休憩もしろ。それから、幸せが逃げるなんて迷信だよ」
おっさんはそう言い残して、どこぞへか去っていた。
幸せはどうやら、俺にしか見えないらしい。
「なあ、お前本当に幸せ運んでんの?」
「当たり前だろお。というか、オレが幸せだからな」
あぁそう、と答えて、少し考える。
「逃げたあとはどこ行くんだ?」
「1番近くにいたやつのところだ」
「俺か」
「お前だ」
「俺に幸せがくんのか?」
「おおそうだ。飲み込みが早くて助かる」
「そりゃどうも」
「オレたちをコンプリートできれば、お前は億万長者も夢じゃないぞ」
「ほぉ。」
それはなんとも魅力的な誘いである。だがしかし、幾分真実味を帯びない妄想的。
「ということで、お前ん家に取り憑くから」
「漢字間違ってね?」
「気のせいだ。気にするな」
そんなやりとりを経て、何故かこいつは我が家に住み憑いた。時々、こいつの仲間だというそっくりの幸せを見つける。
そうそう、こいつが200ぐらいの集団になった日、俺は宝くじを当てた。
幸せには確実に近づいて行ってるのかもしれない。ただ、溜息を吐くと、こいつらは5~6ぐらい荷物をまとめ出す。
「こんな家いやだ!」なんて吐き捨てて、家出少年ばりの行動力で消え去る。
そして、家出されると、外出先で財布をなくす。
マジでこいつらなんなんだ。そう思いつつも、最近は溜息が減ってることに気がついた。




