010*フローライト〔009〕
お疲れさま、と互いをねぎらって、
少人数用の応接間、
サファイアとクリスタルは、
長椅子で、くつろぎながら、杯を空けた。
二杯目を、注ぎ足しながら、
クリスタルが、祝福。
「改めて、婚約おめでとう」
「ん、まあ一応ありがと、って言っておくよ」
「おや、なんだか、
引っかかりのある言い方だね」
「前途多難だよ、兄弟……ちょっと、
何が可笑しいのさ」
「きみが弱音とは珍しいからさ。
しかも女性のことで。
色事では、
相当の場数を踏んでいるんだろう?」
「戯れの、火遊びならね。
結婚に関しては、
きみのほうが先輩だよ、クリスタル」
「なら、この先輩に、
悩みを相談してみるかい?」
クリスタルは胸を張って、
両腕を鷹揚に、広げてみせた。
それを横目で眺めながら、サファイアは、
「きみのところは、うまくいってるみたいだね」
是非の返事を、巧妙に、はぐらかす。
「ああ、おかげさまで、なんとかね。
奥さんの努力の、賜物だよ」
クリスタルは、是非の返答を、
屈託なく口にする。
相談に乗ってやろうか、との問いに対して、
頼むよとも、遠慮しとくよとも、
返事をされていないのを、気にするふうもない。
サファイアは、そしらぬ顔で、
ダブレットについて、話し続ける。
「今夜、久しぶりに会ったけど、
ダブレットが幸せそうで、安心したよ。
彼女、ほんの少し、ふくよかになったよね?」
「そうかなあ」
「うん、ちょっとした変化だから、
きみにはわからないと思う。
ま、いいんじゃないかな。
もともとダブレットは華奢なほうだし、
ふっくらしたほうが、女らしさも増すし。
ほら、ぼくは、仕立屋だからさ。
とっさに目方や寸法を、目測しちゃうんだよね」
「いやな癖だな」
「内緒にしといてよ。
ご婦人がたに、嫌われちゃう」
「身を固めても、ご婦人がたからの評判が、
気になるのかい?」
「そりゃ、なるさ。
結婚したって、不特定多数の女性を相手に、
商売をするんだもの。
嫌われるのは、得策じゃないよ」
「なるほど」
「うん」
会話の切れ目に、二人とも、のどを潤す。
ほぼ同じ間合いで、ごく自然に。
「ああ、やっぱり、
きみと一緒にいるときが、一番、安らぐよ」
サファイアのつぶやきを、
クリスタルは苦笑まじりに、受け流す。
「可愛い婚約者どのでは、駄目なのかい?」
「安らぐどころか、
心の中、引っ掻き回されて大変だよ。
聡明で淑やかなぼくの妹、きみの奥さん、
ダブレットとは、大違いなのさ。
スピネルときたら、
本当にもう、頑固で、愚かで、恩知らずで、
おまけに、もの凄く、危なっかしいんだ。
じゃじゃ馬なんて、可愛いものじゃない。
あれは野性の、暴れ馬だよ。
あまつさえ、ぼくのことを嫌ってる」
「……え?」
思わず、耳を疑うクリスタル。
「本当だよ。彼女はぼくを嫌ってる」
「まさか」
「ぼくの子供を産みたいか、って聞いたら、
押し黙った」
クリスタルは呆れ顔で、サファイアを凝視。
「きみ、そんなことを聞いたのか」
「ああ、聞いたよ」
「面と向かって? 単刀直入に?」
「うん」
クリスタルは、頭を抱えた。
「きみ、本当に、百戦錬磨の恋の達人?
数々流した浮名は、伊達だったの?」
「だって、戯れの火遊びで、
子供の話なんか、しないじゃないか」
「そりゃ、そうだけど」
「なんだよ」
「ねえ、サファイア、ぼくが思うに、
スピネルは、きみを嫌いとかじゃなく、
単に恥ずかしかったのでは、ないかな?」
「どういう意味さ」
「だから……子供のことを訊ねられて、
とっさに、その、こ、子作りの場面を、
連想してしまったのではないかな、と」
「…………」
サファイアは眉間にしわを寄せて、考え込む。
どうやら、そのときの場面を、
詳細に思い出そうと、しているらしい。
クリスタルは、きまり悪げに、咳払い。
まったく、ここまで言わせるなよ、
意外と朴念仁なんだな、兄上。
「そんな可愛らしい反応じゃ、なかったよ」
サファイアは、唐突に、結論づける。
クリスタルは、少々あわてて、問いかける。
「そのとき彼女は、頬を赤く染めて、
羞じらったり、しなかったかい?」
「……青ざめてた」
「え」
「青ざめて、震えてた」
「そ、それは……」
「もう、いいよ」
「いや、ひとの反応は、それぞれだから」
「もう、いいったら」
会話を中断して、杯をあおるサファイア。
空になった杯に酒を注いでやりながら、
「ひとつ、聞きたいんだけど」
クリスタルが、さらに問う。
「なんだい」
サファイアは肘掛けにもたれ、
頬杖をついて、憮然。
「きみは老若男女に、とても人気がある。
熱烈な信奉者だって、星の数。
その中には、素直で淑やかな令嬢も、
才色兼備な麗人も、何人もいて、
よりどりみどりだった、はずだ。
だのに、どうして、よりにもよって、
頑固で愚かで恩知らずで、
おまけにすごく危なっかしい女の子を、
妻に選んだりしたんだい?」
「ぼくの婚約者を、こき下ろすなよ」
「先刻きみが自分で言ったんじゃないか」
「……ぼくは、いいんだよ」
「ほらね、つまり、そういうことさ」
「どういうことだよ」
「きみは、そういう、厄介な彼女が、
好きだということだよ」
サファイアは、認めたくないのか、
苦虫を噛み潰したような顔になり、
爪を、噛み始める。
クリスタルは、推測する。
おそらくサファイアは、
愛されることには、倦むほどに慣れていても、
自分から愛することには、不慣れなのだろう。
もしかしたら、スピネルが、
初めての相手なのかもしれない。
サファイアの、そんな戸惑いも、不器用すら、
愛しい。
それを受け止めるのが、自分でなく、
スピネルだという事実が、胸を刺す。
サファイアは、クリスタルといると、
安らぐのだと、言う。
が、もし許されるなら、ぼくも、
スピネルのように、
きみの心を掻き乱してみたいよ、サファイア。
とはいえ、そんな感情は、
胸の奥深く、飼い殺して、
この先もずっと過ごすと、決めている。
ついこの間まで、毎夜サファイアが酒に溺れ、
胸を焦がして泣き明かすほど、
自分のために苦しんでいた、などと。
クリスタルは、思いもよらず。
「恋なんて、まるで出会いがしらの事故だな。
とんだ災難だよ」
同感だ。
毒づくサファイアに、微笑を返しながら。
「まさに、そうさ。
昔から、よく言われてるだろ。
恋とは、するものではなく、落ちるものだって」
クリスタルは、サファイアの杯に、
みずからの杯を、軽く当てる。
親愛の、接吻を、するように。
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