「宝石007:トルマリン」で登場した、サファイア家の女中ミリアムの物語。
009*スピネル〔001〕
ここで待ってなさい、と言って。
母さんはあたしを雪の夜道に立たせて、どこかへ。
それきり、朝になっても、戻ってこなかった。
四つの頃の、記憶。
空が白み始めると、
近くの建物から、ひとが出てきた。
ほうきを持って。
背の高い、痩せた若い男のひと。
灰色の、だぶだぶの、フードがついた服を着て。
あたしと目が合うと、やさしい声で、
おはようと言った。
「いつから、ここにいるの?」とも聞いた。
「夜から」と、あたしは答えた。
あたしの声は小さすぎて、
聞き取りにくかったらしい。
だって口が、かじかんでた。
男の人は、しゃがみこんで、
あたしの顔を、のぞきこみ、
「中に入って、朝ごはんを一緒にどう?」
と誘い、あたしの返事を待った。
あたしの返事は、こう。
「でも母さんが、ここで待ってなさいって」
「中に入って、窓から外を見てるといいよ。
お母さんが来たら、すぐにわかるように、ね?」
さしだされた手が、とてもあたたかくて、
逆らえなくて。
「名前は?」
「ミリアム」
「よろしく、ミリアム。
わたしのことは、先生と呼んで。
皆、そう呼ぶから」
それから、空気が暖かくなって、
暑くなって、涼しくなって、
また寒くなって雪が降り始め。
季節がひとめぐりして、
あたしがひとまわり大きくなっても。
窓の外に母さんは、現れなくて。
あたしはご近所から、
「先生んとこの拾われっ子」として、
すっかり定着。
先生は、山奥の僧院から街へ降りてきた人で。
頭がよくて、とくに薬の知識がすごくて、
具合の悪い人の面倒を看てるうち、
自然と皆から「先生」と、
呼ばれるようになったのだそう。
先生は、とてもいい人で。
先生を見習って、お手伝いをしていたら、
皆に、喜ばれた。
ミリアムはいい子だねかしこいね可愛いねと、
先生はいつも言ってくれて、
うれしかったけど先生は、母さんじゃなかった。
あたしは、母さんが恋しかった。
母さんに、渇いていた。
だから、母さんに。
自分が、母さんに、
なりたかったのかも、しれない。あるいは。
困ってる人や弱ってる人に対する先生の態度に、
感化されたのかも、とにかく。
最初に拾ったのは、
雨に打たれて震えてた、仔猫の兄弟。
悪童たちに虐められてる小犬も、助けた。
そして、六つになる頃には。
とうとう人間の赤ん坊を、連れてきた。
それからが、大変。
ここなら育ててもらえるとばかり、
家の前に置いていかれる赤子や幼児が、たて続け。
「ここはいつから孤児院になったんだい、先生」
ご近所は、ひやかしながらも、
「養うの、難儀だろ。はい、これおすそ分け」と、
時々、食べ物を分けてくれたり、した。
あとになって思い返せば、
皆、他人に施せるほど裕福な生活でもなかったのに。
あたしは、母さんのように、先生のように、
一人前のオトナのように、
下の子たちの面倒を見て、悦に入ってた。
先生は相変らず、
ミリアムはいい子だね賢いね優しいね可愛いねと、
言ってくれるし。
下の子たちも、おねえちゃん、おねえちゃんと、
慕ってくれるから。
本当に、長いこと、十二になる頃まで、
思い至らなかった。
家計が、火の車だということに。
ミリアムは気にしなくていいからね、と。
先生は言ってくれたけど。
そういうわけにも、いかなくて。
だって、あたしが最初に拾われた。
ここを子供達でいっぱいの大所帯になるきっかけが、
あたしだった。
それをいうなら、きみを引き取って育てると決めた、
このわたしに一番の責任があるでしょう?
と先生は、あたしを宥めようとしてくれた、けど。
精一杯、背伸びをしてでも、
一人前のお母さんとしてふるまいたかったあたしは、
それでは不満だった。
あたしは、責任の一端を背負いたかった。
ううん、欲を言えば半分くらい、
先生と、責任を、分かち合いたかった。
あたしを迎えにこなかった母さんと、
同じことをしなきゃいけなくなるのが、
とても嫌だったし、怖かった。
いったん救い上げておいて、
面倒を見られなくなったからと放り出すような真似は、
下の子たちに対して、絶対に、したくなかった。
あたしは、母さんとは、ちがう。
あたしは、捨てられたけど。
あたしからは、だれも、捨てたり、しないんだ。
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