014*エメラルド〔014〕
後日。
サファイアの読みどおり、噂は巷を駆け巡り。
当然、母の耳にも入り。
しこたま油を絞られそうになったものの。
スピネルが涙ながらに取りなしたので、どうにか納まった。
あの夜、母に女装姿を見咎められなかっただけで、
サファイアにとっては、儲けもの。
あれを目撃されていたら。
スピネルの涙も、威力は半減していたに違いない。
舞台も。
宣言どおり、エメラルドの代役は翌日から舞台を踏んだ。
初演から一分の隙もなく、華麗にやりこなしてきた、ルーイ。
一夜にして、鮮烈な印象を刻んだ、サファイア。
この二人の跡を引き継ぐのは、至難の業。
それでも代役は、逃げなかった。
完璧ではなかった。
綻びも、見えた。
が、熱意は伝わった。
それで、団員たちは彼を補助し。
観客は舞台を温かい眼差しで、見守った。
完璧とは程遠くとも、否。
完璧でないからこそ、それを目指して一所懸命。
その姿勢が、舞台と客席との一体感を生んだ。
図らずも、
芝居後半に登場する主要人物エメラルドの配役が変更したことにより。
長期興行ゆえ中だるみしがちな雰囲気は、却って引き締まり。
かつて、見てくれだけが取り柄の、
鼻持ちならない嫌われ者だった代役は。
晴れて一人前の戦力として、周囲に認められるようになった。
代役も板につき、舞台が軌道に乗り始めた、半月後。
ついにルーイが、帰還。
無事どころか。
黒真珠の予言どおり、まさに凱旋。
自分を攫った放蕩貴族とその取り巻き連中を、
逆に従え、堂々と。
権力に胡坐をかき、傍若無人だった彼らが、まるで。
牧童に引率される羊の如き、従順ぶり。
いまや、おとなしく、というより、うっとりと。
偶像を崇拝する熱心で敬虔な信徒の様態で、
舞台上のルーイ演じるエメラルドを連日ながめる、得意客ご一行。
団員一同、歓喜をもってルーイを迎え入れた。
代役は謹んで、エメラルド役をルーイに返上。
この半月で彼は様々な事柄を学んでいた。
謙虚さも、そのひとつ。
「おめーにしては、手こずったじゃねえか」
いささか冷淡だったのは、黒真珠くらいのもの。
魔窟出身者たちとスピネルしかいない場で、こう言い放つ。
ルーイも負けてはいない。
「おれを奪い合わせて殺し合いでもさせて、
あげく全滅させてやったほうが断然楽だし、
手っ取り早かったんだがな」
ここでスピネルに向き直り。
「おまえの旦那に免じて、ヤツらは生かしておいてやったぜ。
血なまぐさい醜聞は、今後のためにならないだろ?」
スピネルは胸に手を当て、ひざを折り。
「夫になりかわり、心から感謝しますわ、ルーイ」
半分冗談、半分、本気。
油断しちゃ駄目。
どんなに美しく、たおやかで、やさしそうに見えたって。
ルーイは暗黒街の申し子なんだから。
ルーイは、
跪いたスピネルのあごを片手で持ち上げて上を向かせ。
「ところで、上手くいったようだな」
艶然と、微笑んでみせる。
見下ろされたスピネルも笑顔を返す。
太陽を仰ぐ、ひまわりのように。
「ええ、万事あなたの言ったとおりね」
そう。
拉致されたルーイのかわりにサファイアが舞台に立つ、という案は。
スピネルがあの時とっさに思いついたのではなく。
実は、ルーイの入れ知恵だったのだ。
拉致される前に、身の危険を察知したルーイは。
あらかじめスピネルに因果をふくめておいた。
『いいか、よく聞け。
早晩おれは、あの貴族連中にかどわかされるだろう。
いや、おれのことはいい。
こういうのは慣れてるんだ。
対処の仕方はわかってる。
問題は、舞台だ。
残念だが、あの代役は使えない。
若様にエメラルドを、やってもらえ。
そんなに驚くなよ、若様なら任せられる。
なに、一晩だけでいい。
あとは代役が、踏ん張るさ。
若様の雄姿を見て火がつかなきゃ、あいつは本物のクズだ。
若様のお眼鏡にかなったヤツが、本物のクズなわけがない。
おれは目利きの若様を信じる。
おまえはおれを信じろ、おチビ』
こう言われてスピネルは、ルーイの案を実行したのだった。
「いい子だ、よくやったな、おチビ」
ルーイはスピネルを立ち上がらせ、頭を撫でてやってから。
その頬に羽根のような、接吻を。
親愛をこめて、妹にするように。
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