ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
013*トパーズ〔013〕
 クリスタルの願いは天に届き、ルネにも届いた。
 ルネは思いとどまってくれた。
「……そうだね、わたしとしても、それは本意ではない。きみには、みずからの意思で決めて欲しい。だから質問には、すべて答えるよ」

 疑問に、すべて答えさえすれば。
 納得するとでも、本気で?
 反抗もあらわに、それでは、と。

「きっかけは、わかりました。しかし何故いまだに続いているのですか」
「年に一度、秋の満月の夜だけに、と定めたのはわたしだ。いくらなんでも、彼らの好きなときに好きなだけ弄ばれてはさすがに困るのでね。彼らにとっても都合のよい御伽噺を提供してやった。即ち、これは悪魔の仕業、あなたたちは乗り移られただけ、年に一度、悪魔が宿る、それを祓うために生贄が必要なのだ、と、あの最中に暗示をかけたんだよ。
 きみに清書を頼んだ本にも書いてあったはずだ。あの最中はなにせ我を失っているからね、こちらが冷静を保っていられさえすれば、催眠術をかけやすいのだ」

「ならば、いっそ一切を忘れるよう暗示をかければよかったのではないですか」
「ふっ、無茶を言うものじゃないよ。わたしとて全能ではない。瀕死の重傷者なら救えもしようが、死者を甦らせることなどできない。それと同じで、一度おぼえたわたしの味を忘れられる人間など、いやしない。御伽噺にすりかえるのが、精一杯の妥協案だった」

 一度おぼえたルネの味は、忘れられない。
 それに疑問を差し挟もうとは、クリスタルはしなかった。
 信じないなら試してみるかい、と水を向けられるのを避けるため。
 今でさえもう引き返しようもなく師と仰ぎ尊敬している、この上肉体まで虜にされたら、それこそ。
 完全に、骨抜き。木偶人形。

 ルネはクリスタルの太陽、そしてクリスタルは、月。
 この関係性も、崩壊する。
 クリスタルは月でいられなくなる。砕けて燃えて、消滅する。
 そうなることは、嫌だった。おそろしかった。クリスタルは月で、いたかった。
 だから、話題を変えた。

「逃げましょう」
 大胆に、飛躍させて。
「いつまでもこんな身の上に甘んじていることはない。あなたもご存知の通り、おれは荒事に慣れている。ここにいる連中全員を敵に回してでも、あなたを連れて逃げ切ってみせます」
「甘いよ」
 クリスタルの提案を、ルネは一刀両断。

「きみはこの僧院の内部事情に暗い。新参者として下っ端の雑用しかしてないだろう。ここへ来てすぐ事件に巻き込まれ、独房で隔離された後、わたしのもとへ直行だったので無理からぬことだがね。
 ここには武闘派もいるのだよ。日々、鍛錬を欠かさず、とてつもなく腕が立つ。しかも『上』からの命令には絶対服従。きみが荒事にたけていたのは過去の話、彼らを相手に戦い抜ける道理はない」

 クリスタルの瞳に、剣呑な炎が宿る。
「あなたこそ、侮らないでいただきたい、おれはまだ戦える、どんな武闘派だろうが……」
「よしたまえ、兄弟クリス、わたしは逃げたりなど、しない」
「何故です!」
「ここは、必要な場所だからだ」
「ならば身代わりなど立てず、陵辱を受け入れればいい!」

 酷い言葉。
 ルネも凍りついたが、彼よりも傷ついたのは、我に返ったクリスタル自身。
「……それが、答えか」
 ルネの失望に、クリスタルは否定も肯定もしない。できない。

「わかった、もういい、きみは破門だ、兄弟クリス」
 ルネは言い捨て、ふたたび身を横たえて、布団のなかへ潜り込んでしまった。
 クリスタルはあまりの展開に唖然とし、なすすべもなく立ち尽くす。布団の中からくぐもった泣き声が続ける。

「仕度を整えて、今夜のうちに出ておいき。見つからないよう用心おし。気づかれたら追っ手がかかるから、その心積もりをしておきたまえ。ひとりふたりだったら、返り討ちにできるかもしれないよ、荒事に慣れているきみならば。では、健闘を祈る」
「待ってください」

「ひとつだけ、頼みがある。授けた医学の知識を役立てておくれ。わたしに破門を言い渡されたら、きみは社会的に葬られ、生きた屍となる。まともな職にはつけないだろう。けれど、もぐりの治療者なら、できる。最底辺で苦しんでいる人々を、助けてやってほしい。追われつつでは大変だし、果たしていつまで続けられるかわからないけれど、できるかぎり、やっておくれ。もはや、きみに望むのはそれだけだ。というよりも、きみに残された道は、それしかないがね」

「待ってください、そう言っているでしょう、師匠!」
 クリスタルはルネの寝台の傍らへ跪き、布団を握りしめて、懇願。
「話を、聞いてください」
 ルネは答える。
「聞こう。だけど、このままでいいね、顔を見せたくない」

 涙声のままだ。掴んだ掛布から、かすかに振動が伝わる。
 ルネは、泣きじゃくり、震えている。
 クリスタルは、冷静を保てとみずからに言い聞かせ、短時間にできるだけ考えをまとめ、慎重に言葉を選ぶ。

「おれが身代わりになったら、ここへ置いていてくれるのですか」
「いや、どちらにしても、きみはここには、いられない。今わたしに破門を言い渡されるか、明後日の晩、散々なぐさみものにされたあげく追放されるかだ。
 わたしに破門されたら刺客を放たれるが、明後日の晩を耐えれば少なくとも命は狙われない。僧院の秘密が漏れる危険が減るから、その分きみの命の安全度は増すんだ。みずから輪姦されたなどと言いふらせる男はいない。少なくとも、きみは言えない、絶対に。そうだよね?
 ともかく、きみの意思は尊重する。脱走に協力してあげよう、きみがまだ居るように見せかけて時間を稼ぐから、その間にできるだけ遠くへ逃げなさい」

 クリスタルは、ある仮説にたどり着き、顔色を失くした。
「もしや、おれを逃がしたら、あなたは罰を受けるのではないですか?」
 ひときわ手荒く扱われるとか。
「もうきみには関係ない」
 ルネの返答は、その仮説に確信を与えた。

「何故そうまでして、ここを守りたいのですか」
「きみのようなひとが時々、迷い込んでくるからだ」
「おれのような、とは?」
「わたしの分身として世に貢献してくれる、優秀な人材だよ」
「だから何故そんなまどろっこしいことを! ここを出て、あなたが直接すれば」
「できるわけないだろう、こんな姿で!」
 ルネは布団をはねのけて、クリスタルにも劣らぬ怒気で叫び返した。

「こんな子供が、どれ診てしんぜようと謳ったところで、だれが安心して心を開き、身体を預けてくれるものか」
 凄絶な自嘲の笑みを見せた後、また横たわり布団を被る。

 こんな姿、とルネは言えども。
 その姿が布団をはねのけて、この薄暗い、殺風景な塔の一室に現れた途端。
 蝋燭の炎のような飴色の髪が浮かび上がり、透きとおる肌が内側から光を放って。
 谷間に百合が咲いたよう。雲間から月光が射したよう。可憐な天使が降臨したよう。

 嘆きの天使では、あったけれど。
 髪は寝起きで乱れていても、頬は激情で紅潮し、涙に濡れていても、少しも損なわれない神々しさ。むしろ。
 取り乱した風情が人間らしさを加味し、官能的ですら、あって。
 クリスタルは圧倒され、改めて思い知った。

 意図して身体を誘惑されるまでもない。
 もうすでに、魂は奪われてしまっている。
 致命的。

「……わたしが、こんな身の上に耐えられたのは、いつか終わると信じればこそ、だった」
 布団に閉じこもりながら、ルネの告白は続く。
 ルネが姿を隠すと、部屋は唐突に暗さを増す。
 まるで日蝕に見舞われたかの如く。

「若返りが始まった頃、一度、絶望した。年齢を重ねれば、生贄なんて役割は降りられると思っていた。ところが現実はどうだ。わたしはこれから、どうなる?
 このまま若返り続けて胎児へまで退行するのか、それともある時点でまた普通に年を取り始めるのか、あるいはまた若返り始め、そうして、もしかしたら永遠に、死ねないのでは……?
 身の毛もよだつ仮説をあれこれ立てて精神を病み、思い余ってそこから、飛び降りた」

 指だけ出して、窓を指し示す。
 ここは塔の最上階。
 身を投げただと? 助かるはずがない。
「死ねなかったよ」
 クリスタルの疑問が言葉になるより先に、ルネが答える。

「身体中の骨がばらばらに砕けて内臓に突き刺さり、一部は外へ飛び出した。死んだほうがましな苦痛を味わった。でも、死ねなかったんだ。どうやらわたしは若返るだけじゃなく、不死身でもあるらしい。しかし死なないだけで、傷はつく。痛みもある。最悪だ。治りきらないうちに、秋の満月の夜がやってきた。見かねた当時のわたしの弟子が、身代わりを申し出た。最初の身代わりだった。

 その弟子は名門貴族の末裔で、生まれつき色素がなくて、虚弱体質だった。見た目が異様なこともあって、ごく幼い頃からここに幽閉されていた。わたしの仲間であり、友人でもあった。
 そんな身体では、一晩の陵辱にも耐えられなかった。ほどなく彼は死んだよ。
 自分が床から離れられない、ろくに口もきけない状態だったから、彼の看護もできなかった。身につけた医学も、なんの役にも立たなかった。

 後悔に苛まれたよ。監視役を失ったとき以来の、激しい後悔に。
 監視役の彼が去勢された当時、わたしはそれほど医学に興味がなかった。自分の出生を探ることに夢中だったから。
 彼を失って、もう二度とあんな思いをしたくなくて、猛勉強をしたのに、肝心なときに自分が動けなくて、あげく弟子も死なせてしまった。

 立ち直るためには、生き甲斐が必要だった。だから分身を育てようと決めた。
 わたしの知識を受け継いで、活かせる人間を、世に輩出しようと。
 ここはわたしの希望を生み出す場所だ。きみたちはわたしの夢だ、希望だ」

 きみたち。
 あの医学書。前任者もか。クリスタルは質問を口にした。
「一体、何人いるのですか、あなたの、分身は」
「六人だ。もう一人いたが、彼は身代わりを蹴って出奔した。結局、逃げ切れなかった。半年後、刺客が首を持ち帰り、テーブルに置いていった」

「では、おれが七人目ですね」
 ルネは布団から顔を出してクリスタルを見つめた。
 クリスタルは青ざめていたが、表情は決意に満ちていた。
「なにを言ってる、きみは拒んだではないか」

「いいえ、身代わりになります」
 それが、最終決断。


+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。