012*アレクサンドライト〔005〕
それからサンドラは、どうしたか。
絶望に打ちひしがれ、床にへたりこんだのは、
ほんの一瞬。
きらびやかな姫の衣装を脱ぎ捨て、
ニコラの服を、身にまとう。
弟の想いを、無には、できない。
生き延びる。
なんとしても!
サンドラの気迫が、運を味方につけた。
戦闘で重傷を負った海賊の副船長に手当てを施し、
恩を売ったのだ。
「ぼくならその人を助けてあげられる。
縄をほどけよ!」
捕虜の群から凛然と立ち上がり、声を張り上げる。
華奢な体つき、後ろ手に縛られていながら、
王者の如き、威厳を放つ。
船長は獅子のような、迫力ある大男。
サンドラの鼻先で、剣を抜き放つ。
捕虜の一団から、悲鳴が上がる。
当のサンドラだけが、不動。
船長は剣先で、サンドラの戒めを断ち切り、
「やってみろ。助けられなかったら、
おまえの命もないと思え」
「助けたら、ぼくを仲間に入れろ」
「おまえ、いい度胸だな。名前を教えろ」
「……ニコラ」
サンドラは略奪品の中から、自分の荷物を探し、
さらにそこから救急箱を、見つけ出す。
よく効く膏薬に、清潔な包帯。
その他、治療用具一式。
医術の心得も叩き込んでくれた英才教育に、
感謝。
サンドラは副船長の命を救い、
みずからの命運も、救った。
海賊船で、サンドラは重宝された。
「なんたる不潔さだ、とても耐えられない、
よくこんな場所で生活できるな、きみたちは!」
サンドラは雑巾を持ち、船内を拭き清め始めた。
暇そうな者を捕まえては、強引に手伝わせ。
いつしか壁や床を熱心に擦り続ける水夫が、
数珠つなぎ。
また、料理にも口を出し。
「うわ、なんだこの不味さは。
なにをどう調理したら、
こんな代物が出来上がると言うんだ」
厨房を覗き見て、絶叫。
「どきたまえ、きみ。ぼくがやる!」
以来。
サンドラは厨房に、君臨。
皆の胃袋を、がっちりと手中におさめ。
陽気で真面目で几帳面。
料理上手で清潔好きで、怪我の手当ては医師顔負け。
言うべきことは船長にさえ、臆せず堂々と、主張。
多少の生意気は、礼節と愛嬌で、相殺。
快活で正直で礼儀をわきまえ。
誰に対しても、公平な態度で応対。
受け入れられぬ、道理がない。
ニコラと呼ばれることにも、
男として生きることにも、
海賊船で暮らすことにも、すっかり慣れ。
それでも「ニコラ」と呼ばれるたびに、
弟を思い出さないわけには、いかず。
それはサンドラが、みずからに科した、戒め。
ニコラと名乗った、その瞬間から背負った、十字架。
わたしは弟を犠牲にして、生き延びた者。
略奪品の分け前を与えられたら、一部を海へ。
弟への、供物。
本当は、花を捧げたいのだけれど。
陸へ上がらぬ限り、入手は困難。
今宵は、満月。
光の帯が道となって、暗い海を、
ひとすじ明るく照らし出す。
死者が常世から往来するという言い伝えの、月の道。
サンドラは船上から、金貨と指輪を、そこへ。
弟がくれた、人生。
幸せにと、彼は願った。
だから、幸せに、ならなくてはいけない。
わたしには、その義務が、ある。
だけど。
本当に、幸せに、なっていいのか。
許されるのか。
つねに、引き裂かれている。
いつも、耐えているけれど。
いまは、耐え切れず、嗚咽を洩らす。
「おい、何やってるんだ」
感傷に呻吟するサンドラへ、
声をかけたのは、船長。
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